三十話 贈り物は開ける前に確認しよう
「日陰殿、それはなんじゃ?」
「ああ、これは冥利さんがくれたんだよ」
朝になってユグドがクローゼットから顔を出すと、彼女はまず日陰が手にしていたものについて尋ねた。それは白い小さなプラスチックの箱のようで、表面の部分に小さなボタンのようなものが一つついている。
「そんなもの渡されておったか?」
「昨日ユグドが帰った後に、ちょっと冥利さんが戻って来て」
部屋の窓と冥利の世界と初めて繋がってから数日が経ったが、その間毎日ユグドと日陰は彼女と顔を合わせて会話をしていた。もちろん冥利にも仕事があるので時間は不規則だしそう長時間話せているわけではない。しかし元よりユグドも日陰も暇人というか時間に自由は利くのでできる限り彼女との時間を優先していた…………結局のところ彼女のために日陰ができるのはそれくらいしかない。
ユグドと話して日陰は冥利の世界がどうしようもなく詰んでいることを改めて理解した。元より彼は自分に世界が救えるなんてうぬぼれてはいないが、それでも知り合った人間が破滅に向かっていると知れば何かをしてあげたくはなる。しかしユグドの時は偶々日陰のアドバイスがうまい形にはまったが、冥利の場合は問題の規模が違いすぎる。だから彼にできるのは本当に彼女の話し相手になって少しでもその心を安がらせることだけだった。
それを冥利も理解していたのか、最初はユグドと互いの世界の知識や技術について話していた彼女だが、途中からは日陰に彼の世界の文化や日常生活なんかを尋ねるようになった。日陰の世界は冥利の世界のように世界大戦は起こっていないと話したからだろう…………あくまで世界大戦は、なのだが。
だから日陰はかつてあった平和な日常を冥利に語り、それを彼女は楽しそうに聞いていた。
「ふうむ、それをわざわざ?」
「うん、ここ数日話し相手になってくれた、お礼だって」
そう言って渡されたのだ。
「昨日の内に開けなんだのか?」
「ユグドへのお礼も一緒に入ってるから、二人でいる時に開けて欲しいって、言ってたから」
それで律義に日陰はユグドが来るまで待っていたのだ。
「それならば早速開けるとしようか…………箱、なのじゃよな?」
「うん、このスイッチを押せば、開くって言ってたけど」
プラスチックケースにはそのスイッチらしきもの以外の継ぎ目すらない。冥利の世界が日陰の世界よりも技術が進んでいるのは知っているけれど、本当に開くのかと疑問は浮かぶ。例えば嫌な想像をすると、スイッチを押すと爆発するような仕掛けになっているとかのほうが自然に思える。
なぜならそのプラスチックケースは箱というには薄い。冥利はお礼が入っていると言っていたがそれに入るものなど書類か何かくらいだろう。写真や絵という可能性もあるが彼女はそんな趣味があるとは言っていなかったし撮影もされていない。しかしそんな薄いスペースでも特殊な爆薬などなら入るし威力も十分だろう…………もちろんそんなことを冥利はしないだろうと日陰は思っているが。
「まあ、案ずるより産むが易しというし…………押してみればどうじゃ?」
「それなんだけど…………」
そんな不安があるからこそ日陰はそうだねとは答えなかった。
「できれば広い場所で開けるようにって、注意されたんだ」
爆弾なんて想像をしてしまったのはその注意のせいだった。箱のサイズ的にはどう考えても広い場所で開ける必要などない…………中身に何か危険なものでも入っていない限りは。
「ふむ、もしかして日陰殿はそれが何か危険物であると警戒しているのか?」
「…………うん」
流石にユグドも察したらしく日蔭は頷く。
「日陰殿は冥利殿が信用ならぬのと?」
「それは、違う」
彼女とはここ数日の関係でしかないけれど、冥利は良い意味で裏のない人間だと日陰は感じて居た。普段から嘘に接しているからこそ自分は嘘が吐きたくない、そんな印象を彼は覚えたのだ。それはもとより細かいことにこだわるより自分の好きなことをしていたいという彼女の性格もあるのだろう…………それを彼女の周囲の環境が頑なにしたのだと思う。
「ではこれも安全ではないのか?」
「冥利さんが、強要されてる可能性も、あるかなって」
冥利に嘘を吐く気がなくてもそれを強制されることは起こりえる。例えば彼女の上司や軍の関係者が日陰やユグドの世界のことを知ったなら、それを手に入れる邪魔者を排除するために爆弾を送らせることを強要する可能性は十分にある。冥利とて自身の命を引き合いにして脅されれば従うしかないだろう。
「教養ではなく冥利殿が主導した可能性もあろう」
「そうじゃないから、注意してくれたんじゃないかな、って」
そもそも日陰は爆弾なんて想像をしたのは冥利が広い場所で開けるように言った注意のせいだ。しかし考えてみればそんな注意なんてこちらに警戒を抱かせるだけだろう。だからこちらに爆弾を連想させるようにあんな注意を口にしたんじゃないかと彼は思うのだ。
「ユグドは、どう思う?」
「まあ、日陰殿の考え過ぎだとは思うの」
「…………そう」
自分より頭の回る人間にはっきり言われると彼もショックだった。
「しかし日陰殿の危惧することもわからんでもない…………それならばやはりさっさと開けて懸念を解消するのが良かろう」
「でも広い場所なんて…………」
「あるじゃろう?」
「…………あるね」
考えてみればクローゼットの向こうにはこの部屋よりもはるかに大きな空間が広がっているのだ。日陰はあちらには頻繁に行くことはないが、ユグドがお風呂を設置したので時々借りに行っている。
「でも、もし爆発したら世界樹は、大丈夫なの?」
なにせまだ小さな苗木でしかないのだ。
「危険があれば守れる程度には成長しておるよ」
「そうなんだ」
「それにわしら二人を殺す程度であればそれほど大きな爆発にはすまい」
「…………だといいけど」
なにせ世界が終わるような戦争をしている連中なのだ、その辺りの下限が狂っていても不思議ではない…………まあまだ爆弾と決まったわけでもないのだけど。
「日陰殿は心配性じゃなあ」
「…………だって、そうなった時死ぬの、僕だけじゃないし」
自分だけなら彼は半ば諦めている。長く飢えて死ぬ未来が見えた時は死にたくないと願いはしたが、一瞬で自分の意識も何もかもが消えてしまうのならそれは別に構わないかなと思ってしまっていた…………けれどそこにユグドが巻き込まれるなら話は別だ。彼はユグドには生きていて欲しいと思っている。
「くふふ、それは嬉しい話じゃな」
そんな日陰の気持ちがこそばゆいようにユグドは微笑む。
「じゃがな、それならば日陰殿も覚えておいて欲しい」
そしてその表情をすっと引き締めてまっすぐに彼女は彼を見た。
「わしとて、日陰殿には死んでほしくないと思っておる」
そしてはっきりとそう口にする。
「ゆめゆめそれを忘れることなく、命を投げ捨てるような真似は控えて欲しい」
「…………うん」
自分は良くて相手は駄目なんてのは身勝手だ。だから日陰は素直にユグドの言葉を受け入れた。少なくとも彼女がいる内は自分の命を軽々には扱わないようにしようと。
「まあ、十中八九それに関しては杞憂じゃとわしは思うが」
そしてそんな決意をした日陰の肩の力を抜くようにユグドは肩を竦める。
「確かめて、みよう」
「うむ」
そうして二人はクローゼットの中に広がる世界樹の領域へと入っていった。
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