二話 エルフの訪問者
「このようなもてなしにまずは感謝します」
「そ、そんなこともないと、思うけど」
恐縮したように少女は告げるがそれに日陰は逆に申し訳なく思ってしまう。もてなしといっても彼がしたのは座布団を用意した程度であり菓子どころかお茶も出していない…………水も残り少ない状況では仕方ないことではあるが部屋も禄に掃除もせず散らかったままということもあって、目の前の見目麗しい少女にそんなことを言われると非常に申し訳なく思える。
「いえ、こちらの無礼がありながらあなた様の領域に滞在させていただけるだけでも私にとっては多大な感謝をするべき事柄です」
「べ、別にただの部屋だ、から」
「ふむ、やはり私とあなた様の間には認識の違いがあるようですね…………もしやとは思っておりましたがあなた様は異世界の存在であらせられるか」
「い、異世界…………?」
自分からすればそちらが異世界の、と日陰は頭によぎったが、あちらからすれば自分のほうが異世界の存在になるのだとすぐに気づく。
「えと、そうなるの、かな…………こっちの世界にエルフは、実在しない、し」
空想上の話が実現した例がないわけではないが、彼の住む世界は基本的には全て科学で説明のつくことだけでエルフのようなファンタジーが実在した証拠は存在しない。
「私も長く生きておりますが自身の領域を異世界と繋ぐほどの神様にお目見えになったことは初めてです」
「そ、その、さっきから認識に、相違があると」
「相違ですか?」
「う、うん」
不思議そうに自信を見る少女に日陰は頷く。
「ぼ、僕は神様なんて、たいそうな存在じゃ、ないから」
「ふむ、なるほど…………そういうことですか」
自身を神様と尊重する相手にそれを否定する。反発か失望か、いかなる反応が起こるかわからないという懸念はあるが早めに否定しておかないと後で困る、と口にした日陰ではあったが当の少女はあっさりと納得したような表情を浮かべる。
「これはこれはまさかさらに希少な遭遇であろうとは…………長く生きていた私ですらいささか興奮してしまいますね」
「えっと、ちょっと意味、が」
日陰にはその言葉の意味がさっぱり分からないし、興奮するという割には少女の表情があまり変わってない。
「せ、説明を…………」
「いえ、これは自覚しておられぬのであれば知らぬほうがよいでしょう」
きっぱりと少女は告げるが、そう言われると余計に彼は気になる。
「気を持たせて申し訳ありませんが、ここは仕切り直しにまず自己紹介と行きましょう」
「えー、あ…………うん」
しかし答える気はないと強引に話を切り替える少女に日陰は押し切られる。
「では私のほうから」
「あ、ちょっと待って」
蒸し返すつもりはないけれど彼は少女を止める。
「なんでしょう?」
「そ、その…………敬語を」
よくわからないけれど神様という誤解は解けたのだ。
「敬語を使われるのはちょっと気になる、から…………できれば、普通に」
自分はえらくもなんともないのに敬語を使われ続けると日陰には落ち着かない。
「ふむ、よろしいので?」
「えっと、よろしい、です」
「ではそのように話させて頂くとするの」
言葉だけではなく少女の態度もどこか変わったように日陰には感じられた。
「では改めて、わしはユグド・セラシル。数千の時を生き世界樹と繋がるエルフの巫女じゃ」
「あ、どうも。僕は蔵籠日陰。人間の、引き籠りです」
「うむ、よろしくじゃ」
「あ、はい。よろしく」
そこは丁寧なままなのか深々と頭を下げる少女…………ユグドに日陰も軽く頭を下げる。
「さて、ここはご厚意に甘えて日蔭殿と呼ばせてもらうが……日蔭殿は自身の置かれている状況を把握できておらぬのじゃな?」
「そう、ですね…………」
落ち着いて考えてみてもさっぱり理解できていない。
「その、ユグドさんは、説明できるんです、か?」
「ユグドでよい」
「え、でも」
「よい」
「…………はい」
向こうはこちらを敬称で呼んでいるのに気が引けるのだが、有無を言わせぬユグドの表情に日陰は押し切られた。
「さて、それで状況の説明じゃが…………正直に言ってしまえばわしもあまり詳しい説明ができるほどではない。なにせ世界樹の内側に不意に現れた扉に無警戒にも馬鹿が飛び込んだのが今の結果であるしの」
「馬鹿って…………」
自分のことではないのかと日陰は思い、それで目の前の少女が無邪気そうな雰囲気から一変して今のような老練なものへとなったことを思い出す。
「そ、そういえばユ、ユグドが最初雰囲気違ったの、って…………」
「ああ、あれはわしの副人格の一つじゃ」
「ふ、副人格?」
「うむ」
聞きなれない単語を聞き返す日陰にユグドは頷く。
「わしらエルフの寿命は永く、さらに世界樹の巫女であるわしともなれば樹が存在する限りはその寿命は尽きはせぬ…………しかしその心は別じゃ」
「あー、えっと…………永遠の命に飽きる、ってやつ?」
それは物語などに登場する超越者などが抱える悩みとしては定番だった。
「うむ、いかなる体験であっても繰り返されれば慣れるし飽きる。この世の物事に心動かされぬようになれば精神は摩耗する一方だし他者との価値観が乖離していってしまう。普通のエルフであればそうなる前に死ぬか自ら森に帰るのじゃが…………世界樹の巫女たるわしはそういうわけにもいかぬのでな」
世界樹の巫女というのが具体的にどういうものかはわからないが想像はできる。日陰が思うに世界樹は馬鹿みたいに大きな樹でありエルフにとってのご神木で、その生活にも大きな影響を与えているものなのだろう。ユグドはそれを管理する重要な立場で、先ほどの話からすれば世界樹が存在する限り不老不死のようなもの。代わりが利かない立場なので疲れたから永遠のお休みをもらうなんて真似もできないのだろう。
「ゆえにわしは自身に新しい人格を生み出すことにした。主人格たるわしは引っ込み、生まれたての副人格に体を任せることで疑似的な精神の若返りを図ったというわけじゃ…………問題は先ほどのように経験不足ゆえの愚昧な行動をとることがあることじゃな」
それで最初は悪く言えば無遠慮な態度であり、慌てて主人格である今のユグドが現れたということらしい。
「なる、ほど…………と、ところでその副人格は今、どうなってるの?」
「日蔭殿と話したいと言い出しても面倒なので主人格であるわしと統合した」
「そ、そうなんだ…………」
あっさりと統合できちゃえるものなんだと日陰は何とも言えない気分になる。
「さて、では少しそれたが本筋に話を戻そうかの」
そんな彼の様子を知ってか知らぬか、何でもないことのようにユグドは話を変えた。
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