二十三話 似ていても全然違う
再び窓からノック音が聞こえてきたのは翌日の同じくらいの時刻だった。流石に今度は心構えもできていたので日陰は冷静にクローゼットをノックしてユグドを呼び出した。ノックの主はほぼ間違いなく昨日の女性だろう。敵意は無かったとはいえ差しで相対しないほうがいい人間なのは間違いないと思える相手だった。
「開ける、よ?」
「うむ」
後方で待機するユグドに確認して日陰はカーテンに手をかける。昨日は日陰とユグドも思わず見放してしまうほどに興奮した様子の女性だったが、果たして今日はどんな様子になっていることだろうか…………とりあえず、ノックの音は控えめではあった。
「あれ? いない?」
とりあえずカーテンを開くと女性の姿は見えなかった。ノック音は最初だけで今はやんでいたが見えるところで待っているものと思っていたのに。
「日陰殿、下じゃ」
「下?」
しかしユグドには見えていたようで視線を下げるように指摘する。言われるままに日陰が視線を下げていくと女性の後頭部と背中が見えた…………つまり土下座の姿勢で女性は待機していたのだ。
「ええ…………」
冷静になって昨日のことを謝罪しているのだとは理解できるが、初手土下座は重すぎて逆に引いてしまう。
「ふむ、いきなり土下座とは相当必死なのじゃな」
「…………ユグドも土下座、わかるんだ」
「エルフにもあるぞ? 多少所作は違うがな」
日本固有の文化課と思っていたが世界をまたいでも同様のものはあるらしい。まあ、同じ人型の生き物なのだからそういうこともあるのだろう。
「まあ、あれが僕らと同じ意味とは…………限らないけど」
日陰とユグドの世界では一致していたからと言って女性の世界でも同じとは限らない。あれが例えば決闘の申し込みのポーズで、下手に声をかけたらそれが成立したとみなされる可能性だってゼロではないだろう。
「そこまで穿った見方をすることもあるまいよ」
警戒する日陰をユグドは諭す。
「まず声をかけて話を聞いてやればよい…………何かしらの悪意があるならわしがどうとでもしよう」
「う、うん」
確かに余計なことを考えるよりも直接確認したほうが早い。それにあれが普通に謝罪の姿勢なのだとしたらずっとそんな体勢でいさせるのも気が咎める…………ただそれにしてもと日陰は思う。
理知的で老獪なイメージのユグドだが存外に脳筋というかまずやってみろという提案が多い気がする。最初はそうではなかったような気がするのだけど、エルフの里を失ったことで何か吹っ切れたのだろうか。
「日蔭殿?」
「あ、うん…………開けるよ」
促されて日陰は鍵を開けると窓を開く。その音は女性にも聞こえているだろうけど彼女は土下座の姿勢を崩さなかった…………やはり声をかける必要があるのだろう。
「えっと、あの…………顔を上げてください」
恐る恐るというように日陰は声をかける。腰が引けているのはなんだかんだで不測の可能性に怯えているからだろう…………それは引き籠りに至る過程で性根に染みついたもので簡単に治るものではない。しかしそれくらい根深いからこそ油断できずに彼は生き延びることができたともいえる。
「昨日は申し訳なかったです!」
そんな彼に女性はガバっと顔を上げると謝罪の言葉を張り上げる。
「ちょっと、家ちょっとばかりというには過剰なくらい興奮してテンション上がってしまって一方的に押しかけようとしちゃってそれでいきなり拒絶されるのも当然かなって冷静になったら思えて反省してしばらくへこんでましたけどやっぱりこのままじゃ終われないなって恥ずかしながら謝罪の機会を頂きにまいりましたぁっ!」
「これこれ、だからまくしたてるなというに」
呆れるようにユグドが口を挟む。
「日陰殿も戸惑っておろう? 謝罪したいなら相手に聞きやすいように話すのも礼儀だとは思わぬか?」
「…………すみません」
自分がまた暴走しかけていたことに気づいたのか女性はまた顔を伏せる。
「昨日は興奮しすぎました、もうしないように気を付けます。ごめんなさい」
ゆっくりと、自身の感情を波立てないように女性は改めて謝罪を口にした。
「日陰殿?」
「ええと、はい。謝罪を受け入れます………こっちもまあ、ちょっと驚いただけなので」
考えてみるといきなり窓とカーテンを閉めて拒絶したことはやり過ぎだったかもしれないと日陰は思う。こちらに来られないように窓を閉めるまではいいとしても、カーテンは開けておけば昨日のうちに彼女も反省して和解できたのではないだろうか…………まあ、思わずカーテンを閉めてしまうほど女性に圧があったのも確かなのだが。
「寛大な心に感謝します…………ええと、日陰殿でいいのかな?」
「蔵籠日陰、です…………その、呼び捨てでいいので」
ユグドに関してはもう諦めているが、見るからに年上である女性に敬称で呼ばれるのは気が引ける。
「うん、じゃあ日蔭君と呼ばせてもらいますね…………そちらの方は?」
「わしはユグド、ユグド・セラシルじゃ。どうにでも好きに呼ぶとよい」
「ではユグドさんで…………ああ、私の自己紹介がまだでしたね」
「あの、もう立ち上がって貰っても」
これは失礼と女性が口にするが、それよりもずっと土下座の体勢なのが日陰には気になってしまった。顔は上げているものの地面に伏せられたままでは落ち着かない。
「ああ、ごめんごめん。逆に気になるよね」
慌てて女性が立ち上がる。
「では改めて、あたしは飛坂冥利。日ノ本軍に所属する科学者だ」
白衣を着ていたし、彼女のいる部屋も何かのラボのような雰囲気だったからその肩書きに違和感はない…………ただ、日ノ本軍という単語が日陰には気になった。
「日ノ本軍…………日本軍ではなく?」
「日ノ本、だよ。日ノ本の国の軍だから日ノ本軍だね」
確認するが間違ってはいないと答えられる。
「察するに君は日本という国の生まれなんですね?」
「えと、はい」
「なるほどなるほど。人種的にもユグドさんと違って君は私と同じように見えます」
「そうですね」
日陰から見ても冥利は日本人に見える。
「パラレルワールドとやらかの?」
そこにユグドが口を挟む。元は同じでありながら何かの分岐によって異なった世界。元は同じだから重なるものもあるが、分岐によって違ってしまうものも存在する。その一つが日本と日ノ本という名称の違いなのではないかという話だ。
「まさにそれです…………でもユグドさんはそんなことよく知ってたね? いや見た目の印象からで申し訳ないんだけど」
「気にしなくともよい。日陰殿の蔵書を読むまではそういった概念など想像すらしておらんかったのは事実じゃしな」
「蔵書! パラレルワールドの蔵書!」
冥利がまた目を輝かせる。
「すっごく興味が…………」
「あまり興奮し過ぎぬようにな」
「…………はい」
暴走される前にユグドが釘を刺し、反省するように冥利はうなだれた。
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