二十二話 言葉が通じても話が通じるとは限らない
人間にとって理解できない言葉とはとても不快に感じるものらしい。例えばそれが獣の鳴き声であれば気にもならない。しかしなまじ同じ姿をしていて同じ種族だと認識しているからこそ、その意思疎通がかなわないことに戸惑い不快に感じてしまうのだろう。
「あでゃいhだいおhだんだdないだ@どあじゃ」
窓の向こうの白衣の女性は今や窓の目の前に立って言葉を発していた…………しかしその内容は全く理解できない。
その表情からすると恐らく友好的なのだと思う。見た目もユグドのような全く日陰と異なる種族という感じではなく普通の人間…………それも美人の部類だ。手入れされていないぼさぼさの長い黒髪に丸メガネ、化粧っ気も感じないがその造形だけで全てをひっくり返しているような女性だった。年齢的には二十歳過ぎくらいだろうか?
だが、わからない。
その言葉は全く理解できないしとっかかりもない。例えば英語にせよ中国語にせよ理解できずとも聞き覚えのある単語はわかるものだ…………しかし彼女の言葉にはそういうものが本当にない。完全に未知の言語だと思える。
「ゆ、ユグドはわかる?」
「ん、この女の言葉か? わかるわけがなかろう」
一応の確認はにべもなく返される…………まあ、当然だ。見るからにユグドと同じ世界でもなさそうなのに言葉が通じるはずもない。
「魔法、とかは?」
「基本的にエルフの里だけで完結していて人間や魔族と言葉が違うわけでもない…………そんな魔法は必要ないと思わぬか?」
「…………そうだね」
確かに必要がない。
「話が聞きたいならさっさとその窓を開けてやればよいと思うぞ」
「え!?」
「まさか日陰殿もこのまま一生お見合いを続けるつもりでは無かろう?」
「それは…………」
流石にそんなことを考えていたわけではないが、指摘されればその通りだった。互いに生活がある以上はこのままずっと窓越しにお見合いしているわけにはいかないのだし、それならばさっさと行動に移すべきだ。
「でもそれなら…………見なかったことにするって選択肢も」
窓を開けるのではなくカーテンを閉めて見なかったことにする。それも一つの選択肢ではないかと日陰は思う。
「その、もしかしたら危険かも…………しれないし」
目の前の女性は友好的な表情を浮かべているように見える。しかしそれをそのまま受け取ってしまうのは不用心だ…………もしかしたら窓を開けさせるために友好的な態度を見せているだけかもしれないのだ。
仮にそうでなくとも彼からそう見えるだけで実は友好的な表情でも何でもない可能性だってある。言葉が違うのだから感情を表現する表情も日陰たちと違っていたっておかしくは無い。実はあれは怒り狂っている表情なのかもしれなかった。
「じゃがそれではいつまでたっても先に進まぬぞ?」
「…………う」
その指摘もまたその通りだ。いつまでもカーテンの向こうに怯えて居たくないから日陰はカーテンを開けた。しかしここでそれを閉じれば再びその向こうに怯えることになってしまう…………男の意地を見せて開けた意味がなくなってしまうのだ。
「わ、わかったよ」
一度やれたのだからもう一度だって同じことだと日陰は覚悟を決める。
「あ、でもよく考えたら窓を開けたって言葉が通じないのは変わらないんじゃ…………」
窓を開けたところで根本的なその問題が変わるはずもない。
「それは大丈夫じゃ」
しかしユグドははっきりと言い切る。
「え、なんで?」
「わしと日陰殿の言葉が通じておるからの」
「それは…………通じてるけど」
不思議ではあるが、奇跡的に偶然の一致なのではないだろうか…………言葉だけではなく文字なんかもユグドは読めているし。
「ともかく大丈夫じゃ。はよう開けてやるとよい…………仮にあれが敵対的な存在であればわしがどうとでもする」
見える女性の姿はその身一つ。白衣の懐に何かを仕込んでいるにしても、世界樹の巫女であるユグドであればどうにでもなるのだ。
「わかった、開ける……よ」
それでも少し躊躇いを残しながら日陰は鍵を外して窓を開ける。
「あー、やっと完全に繋がりましたね!」
その瞬間にテンションの高い声色で女性の声が飛び込んできた。
「全然開けてくれないからこちらの言葉が聞こえてないのかそれとも見えていないのかと不安になっちゃいましたよ! 仕事柄待つのは慣れてる方なんですけどわかり切った結果じゃないものを待つときってドキドキで胸がとまらなくなっちゃうんですよね! アドレナリンも出まくっちゃってこのまま放置されてたら心臓が止まっちゃうんじゃないかって別の意味でドキドキしちゃったりなんかしましたよ!」
さらに女性は一気にまくしたてる。何というかその容姿のイメージからは想像もしなかったテンションだった。見た目の年齢的にも大人びていることを想像していたのに、その表情も声色も子供っぽく感じる。
「あー、気持ちはわからぬでもないが落ち着かぬか。日陰殿が戸惑っておる」
「おや、おやおやおやおやおやおやおや!」
見かねて声をかけたユグドに視線を向けて女性はさらに目を輝かせる。
「君は違う、明らかに違うね! 興味深い! とっても興味深いよ! 異世界、もしかしたら異世界ってやつなのかな! 一体全体どうしてこんなことになっているのか本当に興味深いじゃないか!」
「…………藪蛇じゃったか」
むしろ火を点けてしまった様子にユグドが顔をしかめる。
「これはもう実地調査しかない! ないよね! 今からそっちに行っていいよね! いいに決まってるよね! 散々焦らしてくれたんだから拒否なんかさせないよ! たっぷり全部何もかもあたしが調べつくしてやるんだから!」
「…………日陰殿、閉めよ」
「え、でも」
「一旦頭を冷やさせねばどうにもならん」
興奮して今にも窓を乗り越えんとする女性を見てユグドは窓を閉めるよう指示する。それに日陰はいいのだろうかと彼女を見返すが、興奮しすぎて涎すらたらしそうな女性に呆れるような表情でユグドは返す。
「あれが入ればどうなるかは自明であろう?」
「…………そうだね」
女性の言葉通りすぐに窓を開けずに焦らした負い目はあるが、あのテンションのまま入ってこられても困るというのは日陰にだってわかる……………実行に移される前に彼はささっと窓を閉めて鍵をかけた。
「!?」
窓の向こうで我に返ったような女性の姿が見えたが、それも隠すように日陰はカーテンを閉めた。
「…………」
途端に部屋が静かになる。慌てて窓を叩くような音も聞こえなかった。窓を閉められて冷静になったのか、それとも女性の世界との接続が切れたのか…………カーテンまで閉めてしまった今となってはわからない。
「なんというか…………すごい人だってね」
「そうじゃな」
疲れたように二人は頷きあう。
少なくとも今日の間は、カーテンを開けたいとは二人とも思わなかった。
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