十九話 日本人なら大体そっち
「わしは生まれて早い段階で世界樹の巫女に選ばれたからのう…………いくら娯楽に近いとはいえ巫女に手を出すなど恐れ多いという風潮であったし、万が一とはいえ子供ができれば色々と面倒じゃからなあ」
世界樹の恩恵によって成立するエルフの里ではその巫女が最高権力者のようなものだ。具体的に里の運営を行う長老たちは別にいたが、その彼らも巫女の一声には逆らえない。その子供ともなれば他の子供と同じように扱うわけにもいかないだろう。
もちろん、世界樹の巫女は世襲制ではない。いくら巫女の子供であっても世界樹が気に入られなければ巫女を継ぐことはできないし、その能力を受け継ぐこともない。つまるところ普通の子供と変わらないのだが、それでも巫女の子供という関係性は大きく無碍に扱うこともできない。
また子供を利用して巫女を思うように動かそうと考える者だって出るだろう。
「それに子が先に老いて死んでいくのを見るのは流石に、の」
世界樹の巫女であるユグドは代替わりしない限り老いて死ぬことはない。しかし普通のエルフである子供は数百年もすれば老いていきやがて死ぬ。それよりも前に代替わりできればいいのだろうけれど、そうそう候補者が現れないのは前にも言った通りだ。
「それで、辛くなかった、の?」
子供と死に別れるのは辛いから誰かと愛し合うこともしない。それはその通りではあるのだろうけど、それで気持ちを抑えることになればやはりつらいだろうと日陰は思う。
「あー、恐らく日蔭殿の想像しているようなことはないぞ?」
「…………そうなの?」
「エルフの恋愛感情は薄いからのう…………日陰殿の所有する漫画にあったような一生を添い遂げるというような関係になることはまずない」
夫婦といっても気の合う親友同士程度の関係なのだとユグドは言う。
「恐らくじゃがこれも寿命の長さゆえじゃろうな。どれほど気の合う夫婦であっても数十年も共に過ごせば合わぬことも出てくるし愛情も冷める…………エルフの生涯で二度三度と離婚して結婚するものは珍しくもないのじゃよ」
「…………なるほど」
言われてみると確かにそんなものかもしれないと日陰は思う。そもそもエルフでなくとも一生を添い遂げるなんて思いが死ぬまで続くことは珍しい。人間だって結婚して数十年もすれば愛情は冷めていることも少なくない。
ただ人間の場合はエルフと違ってその頃にはもう寿命があまり残っていないから別の相手を探す余裕がなく、そこに子供との関係や老後の生活などが加味されて惰性で夫婦を続けることも少なくない。
「そんなわけじゃからわしは別にそれが理由で好いた相手を諦めてショックを受けたなんてことはない……………というか本当にそういう目で見られることがなかったからのう。こちらから恋愛感情を抱くようなこともなかったのじゃ」
種族は同じであっても普通のエルフから見る世界樹の巫女は神に近しい存在だった。それは別の生き物と見られているようなものであり、そんな両者の間に恋愛感情が成立するはずもない。
「それに巫女になった当初はともかくそれが千年も続けば顔ぶれも全て入れ替わっておるからな…………赤子から見守っていた者たちになかなかそんな感情は抱けぬよ」
「…………あー」
数千年も生きるユグドからすればエルフの里の住民は全て子供も同然なのだ。そんな相手に恋愛感情を抱けと言われても難しいのは日陰にも想像できる。
「なら、なんで…………その」
エルフの恋愛事情に関しては理解できた。しかしユグド自身の事情も聞いたことで納得できたものが出来なくてなってしまった…………だってそうだろう。エルフは性に奔放だし恋愛も軽いのかもしれないが、ユグドはそんな中でも純潔であるだけの理由があったのだ。それなのに日陰に貞操捧げても構わないと言われても、無意識にこちらが何か強要してしまっているのではないかと疑ってしまう。
「ああいや別に、これは状況が変わったというだけの話じゃよ」
特に日陰の気にするような理由は無いとユグドは手を横に振る。
「ここはエルフの里ではないし、この場におるのはわしと日陰殿だけじゃからな」
「なるほど…………なるほど?」
それがどうして大丈夫な理由になるのか日陰にはわからない。
「まあ、あれじゃ…………日陰殿の思うものとは少し違うかもしれぬが、日陰殿の子供ができても構わぬと思うておるくらいには好いておると思ってくれぬか?」
「ええと…………ありがとうございます?」
告白といっていいのだろうかと思える告白に、日陰もよくわからない感じで返す。
「ふむ、それは了承ということかの?」
「えええ…………いや、その、好意はありがたいけど…………その、まだ」
「くふふ、日陰殿は奥ゆかしいのう」
しどろもどろに言葉を返す日陰をユグドは微笑ましく見守る。
「わしらの価値観の違いは理解したし、強要するようなことはせぬから安心して欲しい…………下手なことをして日蔭殿に嫌われるわけにはいかぬからの」
「べ、別に嫌ったりは…………控えてくれるのは、助かるけど」
いきなりの提案に最初は驚きもしたけれど、納得できるだけの理由があるなら日陰だってそれを理由にユグドを変な目で見たりはしない。彼女が価値観の違いを理解して配慮してくれるのならなおさらだ。
「控える、控えるとも…………しかし諦めるわけではないぞ?」
「えっ…………それって?」
「わしは対価として身を捧げることを提案したし、エルフの価値観による軽さも説明した通りあるが…………日陰殿を気に入っておるというのも紛れもない事実じゃ」
エルフであっても好ましくない相手に体を許したりはしない。少なくとも体を許しても構わない程度にはユグドは日陰に好意を持っているのは間違いないのだ…………例えそれが日陰の考えるような恋愛感情には届かないにしても、だ。
「くふふ、心機一転というわけではないが、人のように生涯を共にするつもりで愛情を育むというのも悪くはないかもしれぬ」
「…………」
楽し気に口にするユグドを日陰はまあ、好きにすればいいんじゃないかと見やる。これまでの彼女の態度からすればそれでいきなり積極的に接触してくるみたいなこともないだろう。今しがた口にした通り、彼に嫌われないような配慮はするはずだ。
別に日陰だってユグドに嫌われたいわけではないし、好かれるなら越したことはない…………今回にしたって明らかにその好意以上のことをされるのに違和感を覚えたからというだけだ。
「…………まあ、生涯は無理だけど」
生憎とただの人間でしかない日陰は、エルフのような数百年どころか百年程度しか生きられない…………永遠を生きるらしい世界樹と共にあるユグドについていくことはできないのだ。
「くふふ、わしはそうは思わぬがの」
日陰の呟きが聞こえていたのか、ユグドは彼を見て不敵に唇を緩める。
「それって…………」
「ああ、日陰殿」
「…………なに?」
尋ねようとした機先を潰すように彼の名を呼ぶユグドに、答える気はないのだ日陰は悟る。
「いやなに、対価の話なのじゃがな」
「…………ゴミの処分でいいって言ったよね」
「うむ、しかしこれからもわしは日陰殿を頼ることじゃろうし、その時に支払うべき対価は別に必要じゃろう? そうなると体での支払いは保留となった故に世界樹の恩恵に頼るしかないわけじゃが、今は苗木ゆえにできることは限られておるからな」
「ええと、つまり?」
「水と食料はまず必要として、その後に世界樹に何を求めるかという話じゃな。世界樹にできることは数多くあるが、苗木の状態である今は成長に伴って一つ一つ使えるようになっていくと思えばよい」
一つ力を覚えれば、他の力はもう少し成長するまで覚えられないということらしい。だから対価になるようなものあらかじめ聞いておいて、それを優先するということなのだろう。
「で、わしの提案として温泉などはどうかと思うてな。元より水は生み出す予定じゃから温泉ならば比較的容易じゃ」
「…………温泉か」
それは心惹かれる提案だった。なにせ当然だが今ここにあるのは彼の事実だけで風呂場はないのだから。
「いいね」
特に深く考えることなく日陰が飛びつく。
それくらいの魅力が温泉にはあるのだ。
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