十八話 種族が違えば色々違うという話
「ユグド、ちょっといいかな」
いつものように水と食料を届けに来たユグドに日陰は声をかけて引き止める。
「なんじゃ? 日陰殿」
日陰のプライベートを極力侵さないと彼女は決めているので、他の用がなければすぐにクローゼットへと帰る。日陰も基本消極的な性格なので彼女を引き留めることはあまりない。
「その、聞きたいことがあるんだけど」
「ふむ、別に構わぬが」
「ありがとう…………とりあえず座って」
「うむ」
勧められるままにユグドは座椅子に腰を下ろす。
「日陰殿に頂いた折り畳みの椅子も悪くないが、やはりこれは座り心地が良いの」
「そ、そう?」
「うむ」
あまり高いものではなかったと思うが、その座椅子をユグドは気に入っているようだ。
「僕はあんまり使ってないし持って行っても…………」
「いやいや、日陰殿の好意に甘えすぎるのもいかぬのでな」
日陰の提案をユグドは手を振って断る。
「親しき中にも礼儀あり、と言うのじゃろう? 日陰殿に甘えるのが当たり前になってはやがて度を過ぎるようになるやもしれぬ…………親しいからこそ対価の支払いはきっちりするべきじゃとわしは思っておる」
その点に関してユグドは最初会った時から一貫している。何事にも対価をきちんと支払うようにしているし、契約にしたってもっと一方的にできたところを条件自体は対等なもので結んでいる。
「その、対価についてなんだけど」
「何か問題があるかの?」
「いや、この前の…………」
「ああ」
すぐにユグドは察する…………もっともそれが日陰の望んだものとは限らないが。
「やはり対価はわしの体のほうが良いか?」
「…………そうじゃなくて」
日陰は首を振る。大概のことは彼が口にする前に察するユグドがこれなのだから、やはり根本的な部分で認識の違いがあるのだろう。
「えっと…………ユグドは僕のことが、好き、なわけじゃないよね?」
躊躇いがちに日陰は確認する。彼女が自分をそういう目で見ていないことは彼にだってわかってはいるが、改めて確認するにはやはり勇気がいるものだった。
「それは男と女の恋愛的な意味でのことかの?」
「う、うん」
「ふむ」
頷く日陰にユグドは思案するように首を捻る。
「日蔭殿には親しみを感じておるし、人間的にも好んではおる…………しかしそういう意味では好きとは言えぬの」
「だ、だよね」
わかってはいたがそれでもはっきり言われると日陰も少しショックを覚えた。
「それなのに、その、対価として体を差し出すっていうのは…………どうなのかなって」
「ああ、そういうことかの」
そこでようやく合点がいったというようにユグドは頷く。
「日陰殿から借りた書物でも薄々感じておったが…………わしらエルフと日陰殿では性に関する価値観が違うのじゃな」
「うん…………だからそのすり合わせを、しておきたくて」
それをしておかないとこの間のようにいきなり日陰は驚く羽目になる。
「エ、エルフはそんな簡単に、その、貞操を差し出すことに…………抵抗は、ないの?」
「別に相手は選ぶし簡単というわけでもないのじゃが…………まあ、そうなるかの」
ユグドは頷く。
「わしらにとってそれは親しいものと行う娯楽のようなもの、じゃな」
「…………娯楽」
まあ、気持ちいいものではあるし、日陰の暮らしていた現代社会でもそういう側面があったのは否定できない…………それには常に大きな問題をはらんでいたが。
「でも、娯楽で子供出来たら大変、だよね?」
「それじゃ」
それこそが価値観の違いを決定づけるものだろうとユグドは指摘する。
「まずわしらエルフの寿命は普通の生物に比べて長い。わしのような例外は別にしても平均して三百年は生きるからの…………日陰殿たちはそこまでは生きぬのであろう?」
「それは、うん」
普通の人間であれば健康であっても百年程度生きるのが精一杯だ。
「そして寿命が長い生き物は大抵の場合生殖能力が低いものじゃ。エルフの場合もその例外には漏れぬ」
寿命が長いということは死ぬまでが長いということだ。それで例えば人と同じようなペースで子供ができれば一人のエルフがその生涯で生む子供の数はかなり多くなる。そしてその子供たちも同じだけの寿命を持つわけで…………死ぬ数より増える数のほうが多くなればどんどんとエルフの総数は増えていく。
しかし大抵の場合増えすぎた種族というものは周りの環境がその数の生活を満たすに足りず自滅していくものだ。
例えエルフが世界樹という偉大な存在の庇護下にあったとしても、それが閉じた世界である以上は増えすぎれば破綻する。だからエルフは子供ができづらいという性質を備えるようになったのだろう。
「日蔭殿の言っていることはわかる…………子供というものは生まれてしまえばそれを育てるのには大きな労力が必要じゃ。それを育てる覚悟も力もない状態で子ができてしまえばそれはもう大変じゃろう。それゆえに日陰殿の世界では軽挙に子作りをするべきではないという風潮になったのではないか?」
「うん、まあ、多分そんな感じだと思う…………」
つまるところ子供が出来たら大変だから、責任が取れない年齢や立場ではするなと注意されるのだ。
「しかし今説明したようにエルフは子供が出来づらい。概ね百年に一人できるかどうかといったところじゃからの…………つまり子供ができるリスクは限りなく低いから子作りはただの気持ちのいい行為となるわけじゃ」
「…………なるほど」
「それに万が一できたとしてもそれはエルフからすればめったにない慶事となる。生まれづらいゆえに子供は貴重じゃからの…………子育てには里が総出で協力するゆえに生み手が負担に思うことは少なかろう」
寿命の長さとそれに伴う生殖能力の低さ…………それが人間とエルフの間に子作りに対して大きな認識の差を作っているのだ。
「そんな経緯もあってエルフにとって子作りのための行為は比較的気軽なものなのじゃ」
「…………うん、それはわかったけど」
つまり、と日陰はユグドを見る。彼女がそれを提案したのはユグドにとっても気軽な行為であるから、ということになる。
「ユグドもその…………経験豊富なの?」
聞くべきようなことは出ないと思いつつも、日陰はつい聞いてしまった。
「いいや」
けれどそれにユグドは首を振る。
「わしは処女じゃぞ?」
そしてあっけらかんとそう言い放った。
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