十一話 現実は大体予想の斜め上を行く
ユグドが気の晴れたような表情で帰っていってから三日が経った。毎日やって来ていた彼女の顔が見えないことには日陰も不安はあるが、数日は来られないかもと言い残していたのでその言葉通りではある。水食糧に関しても前回彼女は持ってこられなかったが、念のためと毎回大目に渡されていたので当分は大丈夫な量があった。
「これ、腹持ちがすごくいいし」
甘い蜜で固めたクッキーのようなものを摘まんで日陰は呟く。ユグドから聞いたところによると世界樹から取れる蜜を使っているらしく、その焼き菓子一つも食べれば一食に十分な栄養素が取れるのだという。こればかり食べていたら胃が縮みそうではあるが、他に貰った果物や野菜などもあるからひと月くらいは大丈夫だろう。
「ひと月…………」
ユグドは数日と言っていたからそれだけあれば余裕なくらいだ…………しかしもしも戻ってこなかったらという考えが浮かぶ。なにか打開策が浮かんだようだが彼女の置かれている状況は決して芳しくない。可能性としてゼロではないだろう。
だとすればひと月分というのは少なくもないが多くもない。未だになぜこんな状況になっているのか相変わらずわからないまま、限界が訪れる前にユグドとは別の水食糧の供給源を見つけなくてはならないのだから。
「…………」
日陰は自室の扉へと視線を向ける。理由はわからないがそれはユグドの暮らす異世界のエルフの里へと繋がっている。開ければすぐさま彼女の元へと馳せ参じることができるだろう…………ここへ戻ることができないかもしれないというリスクはあるが。
しかしそもそもまだ三日しか経っておらず、ユグドが助けの必要な状況であるかどうかはわからない。仮に必要でない状況であるならリスクを侵すだけになるが、そうだと確信できるほど時間が経ってしまえばユグドがもはや助けようもない状況に陥っている可能性は非常に高くなるだろう。もしも助けに行くのならば早く行かなければ意味がないのだ。
けれどそもそも自分は助けになるのだろうかという疑問が日陰にはある。彼に手元にあるのは木製のバット一本。エルフの武力について日陰はユグドから聞いていないが、イメージだけでもエルフと言えば弓術に長けていて物語によっては魔法も使える。握力だけでもユグドは日陰よりありそうだったし、彼女を基準に考えるならバット一本じゃどうにもならないだろう。
だから、仕方ないのだ。この部屋を出てユグドを助けに行けなくとも。
「…………」
ああ、でも。でも、と思う。もしも彼女が戻ってこなかったなら結局日陰は行動するしかなくなる。そうなったときに向かうのはユグドの世界ではなく別の世界になるだろう…………カーテンで閉じられた窓を見る。どうしようもなくなってからその窓を開こうとするよりは、今扉を開いてユグドを助けに行くほうがマシに思えるのだ。
「やるしか、ない…………のかな」
バットを手に取り、ドアノブに手をかける。それだけで心臓がバクバクと高鳴っていた。喉が渇き冷や汗が湧いてくる…………部屋から出る、その勇気を出そうとしただけでこの様だった。ドアノブを握る手も固まったように動かない。
コンコン
「っ!?」
思わず後ずさる。しかし落ち着いてみればそれは聞きなれたノックオンだった。
「ど、どうぞ」
いつものようにノックに返事をすると扉が開く。
「おお、日陰殿。お久しぶりじゃな」
そこからユグドが平穏無事な姿で現れる。前回のように手傷を負った様子もなく、ただその代わりに大きめのリュック背負い、手には鉢植えのようなものを抱えていた。
「ぶ、無事だった…………の?」
「もちろんじゃ…………ん、その木の棒は」
ユグドが日陰の握っていたバットへと視線を向ける。最初はなんでそんなものをという表情が浮かび、次いでその意図を察したように唇を緩める。
「くふふ、もしやわしを助けに来ようとしてくれたのかの」
「い、いや別に……………そんなつもりは」
結局踏み出すことなくユグドが戻って来たことが恥ずかしいのか、誤魔化すように日陰はバットを後ろ手に隠す。彼女が戻ってきたタイミングは彼の出鼻をくじくようではあったが、正直なところもっと時間があったとしても扉を開けたかどうかわからないのだから。
「日蔭殿は奥ゆかしいのう」
そんな彼を微笑ましいものでも見るようにユグドは目を細める。
「な、なんか機嫌いい?」
そんな彼女の様子に日陰は違和感を覚える。普段の彼女はもっと老練というか落ち着いた雰囲気で、こちらをからかうような態度など見せなかった。それが今はどこか浮ついているというか若々しい感じがする…………最初に会った時のように人格が違うという様子ではなさそうなのだけど。
「うむ、機嫌は良いぞ。なにせ長年の懸念だったものが全てなくなってその重圧からも解放されのでな」
「そ、そうなんだ」
最後に会った時は打開策が浮かんだという様子だったが、それでうまくいったらしい。
「じゃあ、全部解決したってこと?」
「そうなるの」
頷くユグドに日陰は安堵する。とりあえず彼女の命の危険がなくなったのならそれは良かったと思える。
「でもそうなるともうこの部屋で休んだりする必要はなくなるの、かな」
ただ、そうなると日陰とユグドの契約は成立しなくなる。あれは彼女がエルフの里では見張られて落ち着けて休めないという状況にあったからであり、問題が解決して里で休めるようになったのならわざわざこの部屋で休まなくてもいい。もちろんこの部屋にはただスペースがあるだけではなく漫画やゲームなどユグドの気を惹くものはある…………ただ、絶対に必要なものではないし毎日訪れる必要だってなくなるだろう。
「ああ、それに関しては変わらぬし……………むしろわしは日陰殿に頭を下げて別の形で契約を更新してもらわねばならぬ」
「え、それってどういう、こと?」
意味が分からない。問題が解決したのなら契約を変えるにしてもそれはユグドに有利な形になるようにではないだろうか…………彼女が頭を下げるような形であれば問題は解決したどころか悪化しているのではないだろうか。
「えっと、解決したんだよね?」
「うむ、したぞ」
それは間違いないとユグドが頷くから日陰はますますわけがわからない。
「解決したなら…………なんで?」
それならばむしろ日陰のほうが頭を下げて契約の維持を願う立場になるはずではないだろうか。
「まあ日陰殿が疑問に思うのも無理はない」
そんな彼の様子を予想していたようにユグドは日陰を見る。
「確かに解決はしたが、それは日陰殿の予想している解決とは異なるじゃろうからな」
「…………異なる、って」
「うむ、簡潔に述べるならばエルフの里は滅んだからの」
「は?」
完全に予想外の彼女の告げる解決に、ポカンと日陰は口を空けるしかなかった。
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