九話 余裕があるうちに考えないと後で大体困る
「ど、どうしたい…………って?」
自分はこれからどうしたいのか、ユグドからそう尋ねられて思わず日陰は言葉に詰まる。自室がよくわからない状況になる前から彼は先について考えたことがなかった…………いや、考えないようにしていた。考えたところで先がないことなどわかり切っていたからだ。
そしてそれは今もそれほど変わっていない。ユグドのおかげで当面の危機は回避できたがそれは当面のことでしかない。彼女との契約が終わりになる可能性が浮かんで不安を覚えたように、水と食料の自己生産できない現状はかなり先行きが暗い。
「日陰殿も現状が永遠に続くとは思っておらぬじゃろう?」
そんな彼の現状をユグドはよく理解している。その弱みに付け込んで取引を成立させたのだから当然だろう…………とはいえ今回に関しては純粋に親切心だ。
「わしはエルフであり世界樹の巫女であるから寿命も永遠に近くはある。日陰殿に助けて頂いた恩もあるからわしが死なぬ限りはこの取引を続けても構わんと思っておる…………里の現状があんな有様では無ければ、じゃがな」
そもそもユグドの里での立場が危ういからこそ安全な場所を提供するという取引が成立したのだ。いよいよ彼女が里から排除されるような状況にでもなれば日陰に水と食料の提供をするのも難しくなる…………そうなれば彼は詰んでしまうだろう。
「もちろんわしとて死にとうはないし生き延びる努力はする…………しかしいざという時のことは余裕のあるうちに考えて対策を講じておくべきじゃろう」
実行に時間が掛かることもあるだろうしリソースが必要なこともあるだろう。いざ必要な場面になった時にその両方が不足していては意味がない。その余裕があるなら事前に講じて備えておくのが理想的ではあるのだ。
「で、でも考えると言っても…………どうしたら」
ユグドの言い分がわからぬほど日陰も愚かではない。しかしこれまでずっと考えないようにしていたことをいきなり考えろと言われても困るのだ。その方向の思考を最初からカットしてしまっているから、考えようとしても頭が回ってくれない。
「うむ、じゃからわしから三つ指標を提示しよう」
だがそこは歳の功か。彼のその反応も予想していたようにユグドは指を三本立てる。
「一つはこの部屋を日蔭殿の元の世界へと繋げ直すことじゃな。元の世界に戻ることができれば日陰殿にも食糧自給の手段はあるのじゃろう?」
「…………まあ、一応は」
自室の扉がユグドの異世界に繋がるなんて自体がなければ水と食料の補給はできるはずだったのだ…………それも当面の話でしかなかったのだけれど。
「本来であれば一番固い案なのじゃが…………反応が良くないところを見るとあまり好ましくはないようじゃな」
「…………」
「では次じゃ」
日陰は答えない。けれどその反応は予想していたのかユグドは深く追求することもなく次へと話を進める。
「二つ目はこの部屋を捨てて外に出ることじゃ」
「…………外に、出る」
「無論わしの世界にな」
現状で繋がっている世界へと出る。この部屋だけでは詰んでいるのだから外に打開策を求めるのは当然だろう。しかもユグドの世界であれば彼女という案内人もいる。
「もちろんわしのこの部屋の外での状況は良くないのは何度も言った通り…………そもそもこの提案は最初に日陰殿に出会った時に却下しておるしの」
自身の状況が良くないからユグドは彼を無理に外に連れ出そうとはせず、水と食料の提供に留めるという契約を提案したのだ。
「しかしそれはあくまでエルフの里には案内できぬという話であって別の場所で糧を得る術がないというわけではない。わしらの世界に完全に居を移すことはしないにしても、いざという時に食料と水を確保できる場所を覚えておくというだけでも悪くは無かろう」
エルフの里の外ともなればユグドが案内できる範囲も限られるが、里の周囲も肥沃な土地が広がっているので水と食料の入手にはそれほど困らない。人や魔族に接触するかどうかは必要に応じて日陰の考えるべきことだろう。
「そ、それなんだけど…………外に出るのは、ちょっと」
「恐ろしいか?」
「それはもちろんある、けど」
それだけではないと日陰は続ける。
「出たら、戻れるかわからない」
「…………ふむ、確かにその可能性はあるのう」
ユグドの提案は日陰が自室に戻れることが前提だ。それならば一時的に外に出るだけになるから抵抗も薄れるだろうし、異世界に定住する必要がないのであれば外で行う活動も最低限ですむ。
「試すにしてもリスクが大きすぎるか」
ユグドからしても日陰の自室の価値は非常に高い。外敵の侵入できない絶対安全な場所であるし、彼の世界の知識や技術で溢れた宝物庫のような価値もある。それでもユグドの立場が安泰であれば最悪エルフの里への定住を約束して外出を試すこともできただろうが、今の状態でそれを試して戻れなかったら目も当てられない。
「では三つ目の提案じゃな」
いよいよどうしようもなくなれば試す必要も出てくるだろうが、まだその時ではないとユグドは次の提案に移る。
「三つめはこの部屋を別の世界へと繋げる、じゃ」
「べ、別の世界…………」
「わしの世界とも異なるまた別の世界じゃな…………運が良ければわしのようなしがらみにとらわれていない相手に会えるかもしれぬ」
ユグドは日陰に好意的ではあるが置かれた状況が好ましくない。しかしさらに異なる世界であれば何の問題もなく彼を手だしてくれる相手に出会えるかもしれない。
「それは、そうかもしれないけど…………そんなに都合よく、いかないんじゃ」
「それはもちろんそうじゃろう」
あくまで可能性の話だ。そんなに都合のいい相手に出会える可能性は低いだろうし、常識的に考えればそれよりも悪い相手に出会う可能性のほうが高いだろう。
「しかしそこはより良い相手に出会うまで何度でも試せばよいのではないか?」
「ええとあの、そもそもそんなに試せないというか、世界を繋ぐなんて言われても、よくわからないんだけど…………」
「そこはほれ、その方法を模索するところから始めるしか無かろう」
ユグドの世界と繋がったという事実があるのだから不可能では無かろうと彼女は判断する。
「まあその前に今繋がっている世界を確認すればよいとわしは思うがの」
「い、今繋がってる…………世界?」
「前にわしはその窓が別の世界に繋がっている可能性をあげたじゃろ?」
「う、うん」
それは日陰も覚えている…………開けようとした彼女を止めたことも。
「今はもう確信しておるのじゃが、繋がっておるぞ? それも窓一枚に付き一つの世界じゃからそれだけで四つの世界と繋がっておることになるのう」
カーテンで固く閉じられた窓へとユグドは視線を向ける。両開きの窓一つ一つに異なる世界…………何がどうなったらそうなるのか彼女にもわからないが、感覚として別世界に繋がっていると彼女にはわかるのだ。
「気になるのならば開けて確認してみればよい」
ユグドの言葉にじっと窓を見つめる日陰に彼女はそう告げる…………けれど彼は動こうとはしなかった。窓を開けるどころかカーテンを開けてみようという仕草すらない。それだけその向こうを恐れているのだと馬鹿にだってわかる。
「ふむ、やはり気になるのう」
初めて会ってから気になりつつも、尋ねるのが憚られていた質問がユグドの頭に浮かぶ。しかしそれを口にするのはまだ早かろうと彼女は思う。
少なくともあのカーテンを日陰が開けるようになるまでは、聞くことはできないだろうと。
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