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ねがいの灯火―犬のカミサマと願いの絵馬―  作者: さんささん
1章「向日葵畑に消えた過去」編
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8話「シレズの足跡」

 僕らの暮らすこの街は、「芸術と自然の街」と呼ばれている。


 何某かとかいう絵本作家が、若くして大成したとか何とかで、これ見よがしに打ち出し始めたのが、もう何年前だったか。


 たまに胡散臭いセミナーや、個展らしきものを開く程度で、特段、芸術の街らしいことは何もないのだが、数少ない恩恵として、関連施設の充実が挙げられる。


 行政も、流石に何の施策もなく、芸術だの自然だのと宣うのは気が引けたらしく、街に細々と残っていた美術館やら、絵画塾やらに金をつぎ込んでおり、住民の数に見合わない、巨大な施設が街のあちこちに立っているのだ。


 そして、この度、僕が足を運んだ図書館も――その恩恵を受けている施設の一つだ。



「よいしょ……っと!」



 僕は両手いっぱいに抱えてきた書籍の束を、まとめて机の上に置いた。


 サユキさんから言われ、とりあえず馬鹿正直に図書館を目指した僕は、もう、あれから一時間ほど、ぶっ続けで本を読み漁っていた。


 しかし、成果らしい成果はない。横合いに積んだ、ハズレの資料の山ばかりが高くなってゆき、本の持ち運びに伴う行き来が、引きこもりの手足を痛め続けるばかりだ。


 椅子に腰を下ろした僕は、取り急ぎ、一番上に積まれた資料を手に取り、目を這わせる。先の見えない徒労の積み重ねに、両目がじわりと、抗議でもするかのように痛んだ。


「精が出ますね、アスタくん」


 不意に、頭上から声が降ってくる。顔を上げれば、そこに立っていたのは、司書の萌音(モネ)さんだった。


 肩の辺りで切り揃えた髪と、大きなレンズの丸眼鏡が印象的な彼女は、この大きな図書館を一人で管理している、働き者だ。


 ――いや、正確には、市政の見通しの甘さのせいで、マトモな司書を彼女一人しか雇えなかったのだ。ガワだけ大きなものを作って、ランニングコストまで考えていなかったのだから、何ともお粗末な始末だ。



「ああ、萌音さん。悪いな、朝早いってのに、騒がしくしてさ」


「ふふ、そうでもないですよ。利用者が少ないので、私も暇にしていましたし」



 彼女は手に一冊の本を持っており、半ばほどの頁に指を挟んだまま、僕と話している。



「……小説か、なにか?」


「違います、詩集です。夏になると私、この人の詩が読みたくなるんです、何だか、切なくって」


「ふうん、僕にはわからないな。詩集とか、読んだことないし」


「ふふ、好みは人それぞれですから。それより、朝から、随分と一生懸命調べていましたが、一体、何のお勉強ですか?」


「ん、別に勉強ってわけじゃないんだ、ちょっと、昔のことを調べていて」



 開いていた、資料の一部を指差す。それは、大半が古い新聞の切り抜き――その、スクラップだ。


 いくら大規模な図書館とはいえ、五十年前まで遡るとなれば、地方ローカル誌一社か二社程度が限界ではあったが、それにしても膨大な量となっている。


「これは……事故の記録、ですか?」


 覗き込んできた萌音さんが、小さく首を傾げる。



「ああ。そうだ、ちょっと、な。五十年前に、いなくなった人の足跡が知りたくて、色々と調べ回ってるんだ」


「いなくなった人――その人が、事故に遭ったと?」


「確信はないけど、可能性はある。というか、そのくらいしか思いつかない……って感じかな」



 そう、サユキさんが言っていたアクシデント――待ち合わせ場所に来られないようなアクシデントなど、僕には交通事故程度しか思いつかなかった。


 この図書館に所蔵されている限り、新聞のアーカイブを集め、その中の被害者の名前に、僅かな可能性を託す。それが残された手段の中では、一番答えに近付くことができそうだと考えたのだ。


 しかし。


「……参ったな、正直、手に負えないぞ」


 僕はすぐに、その見通しの甘さを後悔することになる。


「上手く、行ってないんですか?」


 萌音さんが心配そうに尋ねてくる。強がりたかったが、その気力もなく、僕は項垂れた。



「……ああ、五十年前って言ったって、正確な期間はわかってないんだ。ひとまず、前後数年を対象にするとして、だいたい、月間の交通事故件数が四十件程度」


「それが、一年分だと……ひえっ、五〇〇件近くになるんですね」


「いや、時期は向日葵の咲く頃だから、七月か八月に限られる。それなら一年に八十件、五年分集めて、四〇〇件……」


「ううん、そこから特定の個人を探すのは、骨が折れそうですね……いなくなったってことは、亡くなったか、重傷を負ったか……」


「それでも、三分の一は残る。年齢で絞ればもう少し減らせそうだけど、そこまでやってもかなり厳しいぞ……」



 そもそも、名前がわからないのだから、それらしい件を見つけても、それが本当に探している人物なのか、判別のしようもない。


 正答ではないとわかっているのに、問題を解こうとしている感覚は、ひどく心地が悪い。積んだ徒労の先に何もないのであれば、僕がやっていることに、果たして意味はあるのだろうか?


 それこそ、奇跡でも起こらなきゃ、見つかるはずもない――。



「ううん、困りましたね。あんまり時間がかかると、外で待ってるわんちゃんも、参ってしまいますよね」


「いや、あいつは自分で日陰に避難するだろうから……でも、これ以上は手詰まりになってるのも事実だな」


「何か、他に手がかりはないんですかね。例えば、お仕事や家柄がわかるような思い出とか」



 思い出か、と僕はアキヨさんの話を反芻(はんすう)する。


 彼女の話は、どれもがピントのボケた古い記憶のようだった。水彩の滲みに輪郭を見出すような、そんな、淡い色の語り。


 はっきりした像は、もう、彼女の頭の中にしかない。いや、そこからすらも去り始めているのだろう。人は忘れる生き物だ。そうしなければ生きていけない、弱い生き物なのだから――。


「……ない、な。面白い人だとは言ってたけど。海外の話とか、珍しい土産物をくれることもあったって」


 ちらり、と懐の絵馬に目をやる。


 ここまで来ても、絵馬は光を失っていない。一体、どこに希望を見出せばいいのだろうか。


 溜息を一つ。先ほどは大丈夫といったものの、そろそろモモも心配な頃だ。涼しい所を探して待たせてはいるものの、カミサマが熱中症なんて、冗談にもならない。


 肩を竦め、立ち上がる。まあ、後は家に帰って考えればいいだろうと、そう、中途半端な結論をつけて――。



「――ちょっと、待ってください」



 ――立ち去ろうとした僕を、萌音さんが引き留めた。



「おかしくないですか、アスタくん。その人、頻繁に海外と行き来してたってことですよね」


「……? まあ、頻繁に、かはわからないけど、海外には行ってたんじゃないか?」



 萌音さんの剣幕に、僕は戸惑った。一体、彼女は何に気が付いたというのだろうか――。



「――五十年前ですよ、アスタくん。今ほど気軽に、海外には行けないでしょう」


「……あ」思わず、声が漏れる。



 確かにそうだ。少なくとも、今よりも日本を出国するハードルは高いはずだ。



「そんな、海外への渡航を繰り返していたのなら、その人は、それを専門としたお仕事をしていた可能性が高いんじゃないでしょうか?」


「……そっか、つまり、"あの人"は海外に行ってしまったから、会うことができなくなった……ってことか!」



 もしかすると、アキヨさんと会っていたのも、海外渡航の合間の僅かな期間だったのかもしれない。


 となれば、話は早い。事故やアクシデントではなく、仕事のために仕方なく、アキヨさんの想い人は去っていったのだ。別段、悲しい話でも何でもない、ただ、お互いに生きる場所にズレがあっただけ――。


 ――そう、結論をつけようとして、僕は手を止める。


「……待て。それなら、どうして海外から帰ってきた後に、またアキヨさんに会いに行こうとしなかったんだ?」


 単に海外に行っただけならば、そう遠くない頃に帰ってくるだろう。二人がそこから、五十年も行き会えていない理由にはならない。


 二人の縁は、間違いなく五十年前に絶えてしまったのだ。ならばそこには、きっかけがあるはず――。


「――まさか」


 僕は脳裏に過った最悪の考えを振り払うように、積み上げた資料に手を伸ばした。


 例え、購読者の限られた地方ローカル紙でも、載っていないということはないはずだ。そして、僕の考えが正しければ、これが報じられていないという可能性もない――!


「……あった」


 震える指先が、目当ての頁を探り当てる。


 否、探り当ててしまった。辿り着いてはいけない、辿り着かなければよかった真実が、そこには記されていた。


「アスタくん、これって……」


 隣で、萌音さんが息を呑む。それに無言で頷きを返してから、僕は"それ"と正対する。


 そこに記されていた、一面記事。僕はその見出し文を、噛み締めるようになぞっていく――。


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