表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ねがいの灯火―犬のカミサマと願いの絵馬―  作者: さんささん
1章「向日葵畑に消えた過去」編
8/58

7話「"ない"と"られない"」

 サユキさんが連れて行ってくれた喫茶店は、いつも横目で見てはいたものの、一度も入ったこともない個人店だった。


 僕のリクエスト通り、ペットもOKのその店の、窓から離れたボックス席に僕らは掛けた。モモは席のすぐ横に行儀よく"おすわり"をしているが、差し出された水飲み皿が気に入らないのか、不服そうに睨みつけていた。


「なるほど、無茶をするな、君も」


 一通り、僕から経緯を聞いたサユキさんは、届いたアイスコーヒーを一瞥し、そう呟いた。



「五十年前の、それも老人の朧気な記憶を頼りに人探し、か。それがまかり通るなら、世の中の探偵や興信所はみな、廃業だな」


「……まあ、そうっすよね。自分でも、何を馬鹿なことしてるんだ、とは思ってます」


「馬鹿なこと、ね。いいじゃないか、馬鹿で結構。そんな馬鹿は、若いうちしかできないぞ」


「……はあ」



 僕は曖昧に頷くことしかできなかった。この話のどこかサユキさんの琴線に触れたのかはわからないが、随分と彼女は、楽しそうだった。


 声を弾ませ、さらに続けていく。



「それにしても、まさかあのアスタが人助けとはね。男子三日会わざれば、というやつか?」


「いや、やめてください。そんなんじゃないです。さっきも言った通り、"ワケ"があるわけですから」



 そう、僕がこの絵馬に書かれた願いを叶えたいのは、決して善意などによるものではない。


 カミサマとやらから、モモの体を取り返すため――そのために、仕方なくこんな苦労を買ってやっているのだ。そうでなければ、誰がこんなこと。



「ふふ、偽悪的でいると、損をするばかりだぞ」

彼女は妖しく笑いながら。

「人の善性は、思想ではなく行いによって測られるべきだと、私は常々思っているがね」


「……僕のことはいいんすよ。それより、やっぱり五十年前の人を探すなんて、無理なんですかね?」



 僕は無理矢理話題を転換させることにした。善だの悪だのを論ずるのに興味はなかったが、僕自身の善性に言及されるのは、少しばかり都合が悪い。


 そして、その逃避はある程度成功したようで、サユキさんは思案するが如く、腕を組んだ。


「ふむ。そうだな、無理か無理でないかと言われれば……無理、ではあるだろうな」


 彼女は、そこで一度言葉を切ってから。


「しかし、足跡を追う程度であれば、不可能とまでは言うまい」


 ――そう、驚きの結論を出した。



「っ! ほ、本当ですか? でも、どうやって……?」


「どうやって、か。なら、逆に聞くぞ。アスタはどうして、その男が向日葵畑に現れなくなったと思うんだ?」


「……そんなの、理由はいくらでもありそうですけど。都合が悪くなったとか、気持ちが冷めたとか」



 僕の言葉を、サユキさんはゆっくり咀嚼する。意味ありげに頷きつつ、たっぷりの時間を置いてから。



「そうか、私は、そうは思わんがな」


「……どうしてですか?」


「考えてもみろ、五十年前だ。今とは違い、恋愛結婚よりも家同士や、見合いによる結婚だって多かった頃だろう。そんな頃に、律儀に逢瀬を重ねる男が、軽い理由で姿を消すとは思えん」


「それなら、他の縁談がまとまったということは考えられませんか。それこそ、家同士決めた相手と結婚することになったとか」


「それこそ、ありえんな。子どもの髪飾り一つを届けるために、約束もしていないのに向日葵畑まで足を運ぶ男だ。別れも、しっかりと告げるだろうよ」



 なるほど、と僕は納得した。


 彼女の言うことには、かなり信憑性というか、説得力があるように思えた。美化されている可能性は否めないが、アキヨさんの話では、"あの人"とやらは、かなり誠実そうな人間に思える。


 では、そんな彼が、突如として姿を消したのはどうしてだろうか?



「……サユキさんは、どうしてだと思いますか? そんな人が突然、姿を消してしまった理由、何か思いつきますか?」


「ふむ、理由、ね」



 サユキさんはそこで、暫しの黙考を挟んだ。恐らく、彼女の聡さであれば、既に答えは出ているのだろう。


 僕に過不足無く伝えるために、言葉を選んでいるのだ。それがわかっているから、無駄に口を挟んだりはしない。


 彼女はアイスコーヒーを一口含む。氷が揺れて、涼やかな音を起てた。それを、合図にするようにして。



「そうだな、私ならば、その男はただ姿を消したわけじゃない。待ち合わせ場所に来ることができなかったんじゃないかと、そう考えるだろうな」


「……待ち合わせ場所に来ることが、できなかった?」


「ああ、転勤、訃報、或いは、もっと何か別のアクシデントによる、不可抗力。そう考えたほうが、よっぽど自然だと思うがね」



 彼女の言う通り、確かにそちらの方が筋が通る――気がした。


 別れを告げなかったのではなく、告げられなかった。それであれば、アキヨさんが言う、"あの人"の人物像とも乖離しない。


 そこまではいい。しかし、腑に落ちないことが一つ。



「……でも、それじゃあやっぱり、その人の足跡を追うなんて不可能じゃないっすか? どんなアクシデントがあったかは知らないっすけど、結局、"どうして"の理由に追いついただけじゃないっすか」


「……君の、中途半端な敬語モドキは少し、癪に障るな」



 サユキさんの、彫りがしっかりとした眉根にシワが寄せられる。


 先ほど、彼女は足跡を追う程度であれば不可能ではないと、そう言っていた。顔も、名前もわからない相手をだ。


 その自信のネタバラシとしては、いかんせん、弱い気がしないでもない。だって結局、その男がどこに行ったかは、わかっていないのだから――。



「そうだな、少しばかり不親切だったが、考えればわかることだろう。その手がかりは、アキヨさんの話の中にある」


「……アキヨさんの? 何か、変わったこと言ってましたっけ……?」



 彼女との会話を思い返す。しかし、並べられていたのはセピア色の記憶ばかり。男の行方に関わるような話はしていなかったように思える。


 考える僕をよそに、サユキさんはコーヒーを飲み干した。先ほどまで液体が満たされ、黒黒としていたグラスは、今や血の気を失い、凍えきった透明を晒している。


 と、そこで彼女は伝票を手に席を立った。ふわりと、黄金色の髪が風に舞い上がり、辺りに花の匂いが広がる。



「さ、ヒントはこのくらいで十分だろう。少しは自分で考えることも大事だからな。図書館にでも行って、頭を捻りたまえ」


「あ、ちょっと! サユキさん――」



 そのまま彼女は去っていく。慌てて、その背を追おうとするが、足元から伸びるモモのリードに足を引っ掛け、そのまま視界はぐるりと回転した。


 転倒の衝撃に揺さぶられながら、僕は考える。


 "あの人"は、来なかったんじゃなくて、来られなかった?


 そして、その手がかりはアキヨさんの話の中にある?


 何もかもが疑問符のままで、僕は思考する。立ち上がれもしないまま考える僕の耳に届いた、呆れるようなモモの溜息が、酷く癪だった。


「……これから、どうするんだい?」


 観念したように水飲み皿を舐めていたモモが、そう、問いかけてくる。


 少しだけ、僕は考える。答えは、その背中すらも見えていない。しかし、確かにサユキさんはヒントをくれたのだ。


「――とりあえず、もう少し考えてみるさ。図書館にでも行って、さ」


 遅まきながら、遠くからウエイトレスが駆けてくるのが見えた。心配の言葉を振り切るようにして、僕も再び、炎天の下に舞い戻る。


 託された、僅かな手がかりの線を、絶やさぬようにと考えながら――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ