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ねがいの灯火―犬のカミサマと願いの絵馬―  作者: さんささん
終章「神なき世界に願いの灯」編
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57話「旅路のどこかで、またいつか」

 よろよろと、ウメがこちらに歩いてくる。四足のうち二本を引きずるようにしながら、それでも確かに、一歩、一歩。


 自らの亡骸に向かって、歩を進める。


「お、おい、ウメ……お前、無理するなよ。モモの体が――」


 静止しても、聞くこともなく。彼女は歩いてくる。こちらに、全てを賭すように。


「――本当の願いごとは、叶わない」


 ぽつり、ウメが呟く。

 それは、幾度となく僕を苦しめた呪詛。


 けれど今は――たぶん、哀れな末期の囁きでしかない。



「叶わないんだよ、アスタ。みんなと一緒にいたい、一緒に大人になりたいなんて、当たり前の願いごとが、私は叶わなかった」


「……ああ、そうだな。叶わない願いごとだってある。踏み躙られる思いだって、残念だけど、ある」


「……けどさ、まだ、アスタたちは生きているでしょ? それなら――」



 不意に、懐に熱を感じた。

 見れば、何かが光を放っている。



「……これは」それを取り出しながら、僕は呟く。


「そう、"願いの絵馬"、最後の一枚だよ。それが誰のものか、もう、君にはわかっているでしょ?」



 メイの絵馬は、神社に奉られた。

 ウメの絵馬は――わからないが、彼女が持ったまま落ちた可能性が高い。


 ならば、他に、残っているのは――。


「――僕だ」確信を持って、口にする。

「これは、僕の絵馬だ。あの日、空っぽを自覚して何も書けなかった、僕の願いそのものだ」


 ウメは、言っていた。この絵馬が誰のものなのかを知っていると、これを書いた人間と会ったことがあると。そして、あの時の僕では、その思いを汲み取ることなどできないと。


 それは、そうだ。過去の後悔を全て思い出さなければ、これはただの、白紙の絵馬に過ぎないのだから。


「さあ、アスタ。今の君は絵馬に、どんな願いをかけるの? 道行きを見守るカミサマに、どんな祈りを捧げるの?」


 その答えはもう、とっくの昔に手にしていた。

 本当の願いごとは叶わない。

 思いは手から溢れていく。


 なら、僕がここに書くべきことは、ただ一つだ――。




「――叶えてほしい願いごとなんて、ないさ」




 僕はそう言い切り、絵馬の両端に力を込める。


 そうすれば、幾ばくもしないうちに、中央に亀裂が走る。そのまま、木材の軋む音が響いて――バキリ。


 手のひらほどの大きさの板を、真っ二つにへし折ると、辺りにキラキラと、光の粒が舞った。


 紙吹雪のように。

 これからを行く僕らを祝福するように。


「……本当に、それでいいんだ。叶えたい思いは、沢山あるんじゃないの?」


 ウメが問いかけてくる。疑問形だったが、その表情は満足気だった。


 なら、僕の答えだってもう、わかっているのだろう。


「願いってのは、叶えてもらうものじゃないんだよ――」


 僕は、この夏のことを思い出す。


 僕らが調べたように、アキヨさんが本腰を入れて調べれば、日向が生きている間に再会できたかもしれない。


 久木親子も、ほんの少しだけ互いが歩み寄れたのなら、僕の手など借りずとも、和解できただろう。


 そして、僕だってそうだ。気付くチャンスは何度もあった。なのに、変われなかった。


 どれだけ傷が痛んだって、そうだ。しかしそれは、翻せば、僕たち自身が願いを叶えられるという事実に他ならない。


 ならば、叶わない思いは、ただ願うのではなく――。


「――自分で、叶えるものだ」


 そう、それが、答え。


 何もかもに蓋をして、10年以上を放り捨てた僕が、未熟な頭を捻って出した、唯一の回答だ。


 たとえ、願いが叶わなくたって。

 たとえ、カミサマがいなくたって。


 僕たちは、ここから歩いていくしかないのだ。先の見えない、真っ暗な未来を。


「――そう、よく、答えが出せたね」


 ウメの――否、モモの足から力が抜ける。まるで眠るようにして、彼の体は地面に伏せた。


 それでも、声は響き続ける。そこにいる僕の、メイの、きっと、他のみんなにも聞こえるように。


 ニセモノのカミサマは、語り続ける。



「なら、私の願いごとも、いつか叶えられるかな。どれだけかかっても、また、みんなの所に戻ってきたい、生まれ変わって、また、アスタやメイちゃんの近くに――」


「大丈夫だ、きっと、叶えられるよ。お前が諦めさえしなければ、な」



 根拠はない。理屈もない。


 けれど、それでよかった。弱い僕らが、この先を行くために必要なものは、後を押してくれる言葉だけ。


 モモの体から、柔らかい光が立ち上る。薄っすらと熱を持ったそれは、この世のどんな光源とも違う優しさを帯びていた。


 それは徐々に、空気に溶けていく――灰は灰に、塵は塵に。


 彼女は、在るべき場所に還っていく。


「なあ、ウメちゃんよ」


 僕は、そんな彼女を呼び止めた。最後にどうしても、言っておかなければならないことがある。


 返事はない。けれど、届いていると信じて、僕は、その先を続ける。


「――月並みだけどさ、さよならは言わないぜ。また、いつか会おうな」


 さよならは、悲しい言葉だ。

 どんなに飾っても、斜に構えも、悲しい言葉だ。


 だから、そんな言葉は使わない。彼女は願いを叶えて戻ってくるのだ。ならば、人生という、夢見心地の旅のどこかで、もう一度。


『――うん、また、いつか』


 気の所為だったかもしれない。

 都合よく、思い込みたかっただけかもしれない。


 けれど、最期に微笑みながら、彼女はそう残して、ぬるい暑気に紛れていった。


 僕は、そのまま天を見上げる。木々と岩に遮られて、空は見えない。それでも、彼女は昇っていったのだと、そう、強く信じながら。


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