表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ねがいの灯火―犬のカミサマと願いの絵馬―  作者: さんささん
終章「神なき世界に願いの灯」編
60/65

56話「ともしび」

 最初、僕はそれが何なのかを、正しく認識することができなかった。


 今まで無数に除けてきた、木の根や石塊、それらに類似する何かの一つだとしか思えない。少なくとも、パッと見ただけでは。


 だから――明らかに致命的な部位が姿を現すまで、手を止めることができなかった。


「っ、はあ、はあ」

 僕はそこで、大きく息をした。いつの間にか呼吸も忘れていたのか、肺の奥が萎むような苦しさがあった。


 しかし、ようやく――"それ"を見つけることができた。


「……おい、アスタ、それってよ」


 背後から、共に作業していた明樂先生が、手元を覗き込んでくる。


「……はい、そうです。やっと、見つけた」



 ――頭蓋骨。



 思っていたよりも、ひと回り以上小さい。いや、肉がついていない骨は、元々こんなものなのだろうか。


 屈み込んでみる。近場で見れば見るほど、不思議な感覚になるそれは、もう完膚なきまでの終わりだった。希望など一つもなく、命がモノに変わっていた。


 それでも、これは"彼女"で。

 間違いなく、かつて息衝いていた、僕らの――。


「――アスタ」背後から、声が聞こえてくる。


 見れば、戻ってきたメイが、そこに立っていた。その手にあるのは大きな籠――中型犬くらいなら入りそうな、ペットゲージだ。



「お、思ってたよりも、早かったな。"あいつ"は?」


「うん、ちゃんと、連れてきたよ。それより、そこにあるのって――」


「……ああ、そうだよ」



 僕は、足元に目を落とす。


 答えを、口にしなければならない。通るだけで喉が痛み、心を裂き、そして、耐え難いほどの苦味を発するそれを、僕は言わなきゃいけない。


 答え合わせのない問いなど、不毛なだけだ。

 少なくとも、答えのあるものに限っては。


 だから、僕は口にする。あの日置いてきてしまった、友人の名前を――。



「――これは、()()()()()()()だよ」



 同時、頭の奥で弾けるような感覚があった。


 靄が晴れ、今までノイズがかかっていた視界がクリアになる。直視を避けていた黒塗りの下から、ようやく、"それ"が顔を覗かせる。



 百瀬梅(ももせうめ)



 それが、彼女の名前だ。今ではありありと思い出せる。ウメちゃんと呼ぶと、いつも、決まって――。



「――そう呼ばないでって言ったじゃん。おばあちゃんみたいだからさ」



 声が聞こえた。風邪をこじらせた時のような、嗄れた声だ。


 出所は、メイの抱えるペットゲージの中から。それで何かを察したのか、メイが籠を地面に置けば、直に、彼女は歩み出てくる。


 僕の記憶よりも、ひと回りほど細った。

 毛並みも随分と悪くなった。

 一匹の、小さな犬が。


 そして何よりも、僕たちの旅路をここまで見守ってくれていたカミサマが、今、目の前に降り立った。



「……見ない間に、随分痩せたな」


「ふふ、最近、ずっと寝てたから。アスタが、迎えに来るのが遅いからだよ」


「そうだな、本当に、待たせちまった」


「待たせすぎ、だよ。一度は、本当に諦めなきゃいけないかと思ったんだからさ」



 でも、諦めなくてよかった――と。


 モモ、改め、ウメは笑う。犬の表情などわからないから、あくまでも笑ったように見えた、だけなのだが。


 彼女は少しの間、空を見上げていた。木々に閉ざされた、狭い空。そこに求めるものはなかったのだろう、すぐに、その視線は僕らの方に、具体的には、まだ半ばほどまで土に埋もれた、自身の頭蓋骨に向けられる。



「……あの日、アスタは私を助けに来てくれた。絵馬に書く願い事が思いつかなくて不貞腐れた私が、崩れた崖に足を取られたとき。アスタの手が伸びてきて、私を掴んでくれたのを覚えてる」


「ああ、そうだな。でも、その後――」


「――うん、二人して落ちちゃったのは、間抜けだったね。でも、私たちはそれじゃ、死ななかった」



 神を騙っていた時とは違う、ウメの柔らかい語り口に、僕の記憶の蓋が緩んでいくのを感じる。


 そう、あの日、僕たちは絵馬に願いをかけようとしていた。神社が移設される前に、最後の願いごとを書き残そうと、はしゃいでいた。


 そして、些末なきっかけだったと思う。すんなりと願いごとが出てこない僕を、メイが煽って。気恥ずかしかった僕は、ウメをからかうように話を逸らして。それがいつの間にか絡まって、言い合いになってしまった。


 逃げるように駆け出した彼女は、神社の裏手へ。恐らくは、遠くまで行くつもりもない、ポーズだけの逃避だったのだろう。それでも、切り立った崖があることは知っていたから、僕は反射的に後を追いかけて。


 その漠然とした不安が的中するように、僕たちの足元は崩れ落ちたのだ。


「……それでも、私は死ななかった。死ねなかった。あちこちを打ちつけて、生まれてから一番痛い思いをしたのに、私は目を覚ましてしまった」


 ――目覚めた彼女が、最初に目にしたのは、倒れ伏す僕の姿だったのだろう。


 そこからは、先に僕らが予想した通りだった。宝物の絵本を残して、助けを呼ぶために歩き出して、そして。



「気付いたら、私はどこにもいない存在になっていた。お化けっていうのかな。声は誰にも届かない、誰も私を見つけられない、そんな状態になっても、どこにも行けないままだった」


「……成仏は、できなかったのか?」僕は問いかける。


「最初は、踏ん切りをつけようと思ってたよ。でも、できなかった」


「そうだよな、やっぱり、未練が――」



 しかし、僕の言葉に、ウメは首を振った。まるで呆れたような仕草だった。



「――違うよ、私が逝けなかったのは、みんなが心配だったから」


「……心配?」


「うん、私はね、死んじゃった後……この山の神社で目を覚ましたの。そして、それからずっと、町を見守ってきた。私のいない、私だけが欠けた町がどうなるのかを、見つめ続けた」



 それは。

 それは、なんて残酷な仕打ちなのだろう。


 世界は自分を載せずに回る。なんて、僕は自嘲したことがあるが、その様をありありと見せつけられて正気でいられるかは、別問題だ。


 きっと、耐えきれず、それでも既に、死という結末を迎えてしまっている彼女は――これ以上、さらに死ぬことなどできない。


 だから、彼女は見続けたのだ。傷跡が埋まりゆく様を、欠落が補填されていく経緯を。



「弱さに気付いていないアスタが心配だった。すれ違いで削れていくメイちゃんが心配だった。いつまでも置き去りのアキヨさんが、その他にも、沢山の人が、沢山の弱さを抱えているのを、私は知ってしまった」


「……願いは、弱さか?」


「わからないよ、でも、みんな抱いてた。そのくせ、目を向けようとしないから、いつまでも血を流したままだった」



 手が届かないから、あまりにも代償が重いから。そんな理由で、僕たちは胸の中にある願いを、どこか遠ざけようとしてしまう。


 だから、僕たちはいつまでも癒えないままだ。


 そんな、心の奥にある灯火のことを"願い"と呼ぶのなら、確かに皆、重傷なのだろう。


 いつまでもその熱に苦しめられながら――この道を、歩む羽目になるのだ。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ