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ねがいの灯火―犬のカミサマと願いの絵馬―  作者: さんささん
2章「凍てついた今と君の顔」編
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19話「独り問答」

「それじゃあ、次の願いの主は、あのメイちゃんだったってこと?」


 夕方。自室に戻ってきた僕は、部屋で待たせていたモモに、ここまでの経緯を説明した。


 一日放置され、拗ねていた彼だったが、終いまで話を聞けば、興味深そうに吠えつつ、何かを考えているようだった。


 しかし、僕に犬の表情など読み取れない。ひとまず無視して、話を進める。


「――ああ、恐らくな。書かれた願いも、"お父さんが私のことを見てくれますように"だ。あいつの家庭環境を考えれば、わりとあり得る線だと思うぜ」


 メイの父親は、仕事の虫だと聞いた。


 もしかすると、幼い頃からよく、うちに飯を食いに来ていたのも、それが理由なのかもしれない。そうだと考えれば、色々なことに辻褄が合う。



「ふうん……じゃあ、今回の願いは簡単に叶えられるんじゃない? だって、メイちゃんのお父さんに会いに行って、直談判するだけでしょ?」


「……そう簡単にいけば、苦労しないだろうな。そも、そんなにシンプルな話で済むのなら、たぶんあいつも、神頼みなんかしてないと思うけど」



 父娘の、ちょっとしたすれ違い――くらいなら、彼女は神に祈ったりはしないだろう。程度はどうあれ、そのくらいはどの家にでもあり得ることだ。


 だから、きっと久木家には、何か大きな事情があるのだろう。その溝を簡単に埋めるわけにはいかない、埋められない何かが。



「……っていうかさ」モモは少し、呆れるように。

「アスタ、メイちゃんとは幼馴染なんでしょ? 何か、その辺知ってたりしないの?」


「……全く知らないと言えば、嘘になるな」



 彼女の家庭環境について、察していた部分も少しはあった。けれど、それを無邪気と無知のせいにして、本人に尋ねない程度の分別があったのは、幸か不幸か。


 幼かった僕は、とにかく踏み込もうとはしなかった。本能的に、それが彼女の柔らかい部分に刺さっていることを知っていたからだ。


 気を遣ったわけではなく、危機察知能力――そのくらいの感覚で、僕は久木蒾という人間と接していた。


 お互いの痛いところに触れぬように、都合のいい部分だけを、見続けられるように。



「……でも、今回はそれじゃ、駄目だよ。アスタは、傷付く覚悟であの子と向き合わなきゃいけないんだ」


「向き合わなきゃいけない、か。それって本当に、僕の仕事なのか? もっと――」


「――君の仕事だよ。他の誰にも、できやしないんだ」



 有無を言わさぬ様子で、肩を竦めたモモに、僕がそれ以上、何かを問いかけることはなかった。


 他の誰にも、なんて、そんなことはないだろう。今回、僕がメイの裏側を知ることなったのは偶然だったが、それは無理矢理に傷を誤魔化し続けた、いつか崩壊する殻の中にあったものだ。誰が見ることになっても、おかしくなかった。


 ――否、きっと、モモは僕にまた、何かを期待しているのだろう。神の使い、としての働きなのか、あるいは何かもっと、別のものなのか。


 どんな期待をかけられても、屈折した僕では、応えられないというのに。



「それで――アスタはこれから、どうするつもりなの?」


「……まあ、やれることからやるしかないだろ」僕は、天井を睨みつつ。

「とにかく明日にでも、役所に行ってメイの父さんを探してみるよ」


「探して、どうするのさ。二人は折り合いが悪いって話だったのに」


「ん、まあ、そりゃ……話してみるしかないだろ、というか、娘が倒れたってのに、顔も見せに来ないってのは不自然だ」


「……そんな、シンプルな問題じゃ、ないんじゃなかったっけ?」


「ないさ。でも、それ以外に解決法が存在しない問題でもある。結局のところ、最後はそこだ」



 どんなに拗れた人間関係も、最後は言葉で解きほぐすしかない。

 少なくとも、今の僕はそれしか知らない。だからとにかく、動いてみるのが最良だろう。


「……ねえ、アスタ、一つ聞いてみていい?」


 不意に、モモが静かな口調で、そう問いかけてくる。



「何だよ急に、改まって。いつも、不躾に聞いてくるだろ」


「不躾って、失礼な……そうじゃなくてさ、アスタとメイちゃんが幼馴染なのはそうだろうけど、他に誰か、事情を知ってそうな人とかいないのかなって」


「事情、か」大して噛む気もなく、繰り返す。


「そう、他に誰か、あの子の事情について知っている人がいてくれたら、力になってくれたりしないかな?」



 僕は、そこで暫し黙考した。小学校、中学校時代の友人たちの顔を思い浮かべて、数秒。結論を出すまでに、必要な時間はそれだけ。


「いない、だろうな。もうちょっと町の中心近くまで行けば話は変わるけど、この辺りには当時、子どもが少なかって聞いたことがある」


 思い返す。確か、僕が小学校に上がるかどうかくらいの頃に宅地開発が進み、一気に友人が増えたらしい。


 それまでは、うちとメイの家を除けば、高齢者が住人の大半を占めていた。人のいい人たちばかりだったらしいが、子どもの遊び相手にはなれないだろう。



「……なんか、確か、とか、らしい、とか。どれも推定文ばっかりで、あやふやじゃない?」


「ああ、悪いな。昔のことはあんまり覚えてないんだ。ぼーっとした子どもだったらしくて」



 そう、詳しくは覚えていない――或いは、大して気にして生きていなかったのかもしれない。


 屈折する前の僕は、どこにでもいる普通の子どもで、その人生に特筆するところはなかった。だから、茫漠と生きていたのだろう。


「まあ、学校に行けば、上辺だけの友人は沢山いたかもしれないけど、それこそ、子どもの頃からずっと切れてないのは、お互いに――」




『――ねえ、アスタ。願い事は、叶わないよ』




 脳内に、誰かの声が響いた。ひどく懐かしい響き、けれどその顔までは思い出せなくて、ひどく胸の奥が苦しくなる。


 幼い頃から、頭の奥に残っている声。その主について、全く思い出せないのに、たまにフラッシュバックしては、僕のことを苛むのだ。まるで、思い出せと急かすかのように。


 僕は、その感覚から逃げるように飛び起き、胸を押さえた。唐突に暴れ出した拍動が、痛いくらいに躍っていた。



「あ、アスタ……? 急に、どうかしたの?」


「……っ、いや、何でもない。とにかく、この件に関しては、他に頼れる人はいなさそうだな」



 そう、誤魔化しつつ息を整える。


 前回とは違い、調べ物や人海戦術で突破口が見つかるものでもない。となれば、一人で動くほかないだろう。


 モモは少しだけ悲しそうに俯くと、嘆くように唸った。まるで、食事を抜かれた犬のように、哀愁を誘う仕草だ。



「……そう、なんだね。なら、仕方ないかな」


「ああ、仕方ない。とにかく、僕は――」



 と、そこまで話したところで、僕の視界は突然、巨大な毛玉に遮られた。


 次いで、衝撃。モモがぶつかってきたのだと、そう理解するよりも早く、僕の身体は後方に倒れ込んだ。


「――アスタの、馬鹿」


 モモはそう残すと、そのまま部屋を出ていった。一体、急にどうしたのかと、戸惑う僕は置き去りだ。


 何か、気に障ることでも言っただろうか? 生憎、神の機嫌についてはそこまで詳しくない。突然、不機嫌になることもあるだろうが、そこは秋の空――というやつなのだろうか。


「……これ以上、面倒事を増やさないでくれよ」


 呟くも、言葉を届けない相手はいない。独り言だということにして、僕はそのまま、天井を睨むのだった。


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