13話「答え合わせは喫茶店で」
からん。グラスの中で揺れた氷が、涼し気な音を起てた。
それをストローでかき混ぜる細い指先が、一周、二週、三週目を数えようとしたところで、ピタリと止まる。
「なるほど、やはりというか、そういう結末になったか」
僕の話を聞いたサユキさんは、どこか、面白そうに笑っていた。
例の、ペットOKの喫茶店。"こすもす屋"の帰り道に、何気なく足を運んでみれば、彼女は何もかもを見透かすように、そこにいた。
窓から遠い、ボックス席。相変わらず、足元で水飲み皿を前に唸るモモをよそに、僕らは向かい合っていた。
「話を聞いた時点で、何となく結末は読めていた。しかし、まさか、萌音が愛読している、あの本の著者がその想い人だとはね」
「……萌音さん、知り合いだったんですか?」
「ああ、古い友人……ちょっとした、苦楽を共にした仲さ。それよりも、よく、あの答えに辿り着けたものだ」
詩人、日向花道。
アキヨさんの思い出話からそこまで辿り着くのは、容易ではなかった。どころか、本当にこれが真実なのか、それも定かではない。
一つ一つ、詭弁を積み重ねて。"あるかもしれない"の仮説の綱渡りの末に、どうにかこうにか、不時着したようなものだ。
「……本当のところ、どうだったんでしょうか」
「……何がだ?」サユキさんはストローを咥えながら、眉を上げる。
「日向のことです。アキヨさんの想い人は、彼で合っていたんでしょうか?」
そう、僕が積み重ねてきたのは、あくまでも"もしも"でしかない。
確かなことは、一つとしてないのだ。"あの人"が飛行機事故に巻き込まれたということも、記憶喪失になって、新聞に投書をしていたということも。何もかも、推測でしかない。
たまたま、それが都合のいい方に連なって、日向花道の存在に結びついた。それだけの話ではないのだろうか?
「真相は、わからないさ」
サユキさんは、頬杖をつきながら、一つ息を吐いた。何を考えているのか、そもそも、何も考えていないのか。ぼんやりとした瞳で、宙を眺めるばかりだ。
「想い人は、単純にアキヨさんを捨てた――或いは、飛行機事故で呆気なく死んだ。家の者に密会を咎められたとか、そうでなければ、たまたま病気か何かで倒れ、向日葵畑に行かなくなっただけかもしれないな」
彼女はそう言いながら、目の前にガムシロを一つずつ並べていく。
どれもが、あり得る可能性だ。何もかもが曖昧な過去の物語には、どの結末をつけることだって、できた。
それでも、僕が選んだのは、その中でも最も救いのあるものだった――とは、思う。
「……過去に正解は無いぞ、アスタ。あるのは事実と、それが残っていないのなら、認識だけだ」
「事実と、認識……ですか?」
「ああ。あの日の景色も、誰かの言葉も、受け取り方次第で、いくらでも色を変える。それを思い返せるのは、生きている人間の特権だ」
そう、なのだろうか。
確かに、詩集を手にして涙していたアキヨさんは、救われているように見えた。彼女が想い続けて来た五十年は、報われているように見えた。
でも、それが受け取り方一つで揺らいでしまうような、不確かなものであるとするのなら、結局のところ――。
「――アキヨさんの願い事は、叶わなかったってことになるんでしょうか。あの人が納得する答えを僕が持っていっただけで、結局、"ひと目でいいから会う"ことは、できてないわけですし」
「……屁理屈だな。綺麗に終わった話を蒸し返して、そんなに悲恋に仕立てたいのか?」
「いや、そうじゃないんですけど、ずっと、モヤモヤしてて……」
並べられたガムシロップの一つを注視しながら、言語化できない感情を、頭の中で練り続ける。
本当の願い事ほど、叶わないものだ。
頭のどこかで、懐かしい声が警句を囁く。どこで聞いた言葉だったか。けれど、今はそれがやけに、耳に馴染むような気がした。
そこで、サユキさんはガムシロを一つ、指先で摘み上げた。それは偶然というのか、或いは狙ったのか、僕が注視していたもので――。
「えいっ」と、気の抜けた声と共に、指先から弾かれる。半透明な容器は加速して、僕の額に突き刺さった。
「――っ!? な、何するんですか!?」
「いつまでも、くよくよしてるからだ、馬鹿者め。さっきも言っただろう、あるのは事実と認識だけ。実際はどうあれ、本人が救われてれば、それでいいんだ」
「そういう、もんなんですかね……」
「そういうもんだ。過ぎたことを考えるな、過去への向き合い方を決めたら、後は、先のことに目を向けるんだな」
そこで、サユキさんは立ち上がった。伝票を持って、レジの方に歩いていく。
どうやら、話はここで終わり、ということらしい。さらさらと揺れる金髪を、僕は見送ることしかできない。
「ボクも、同意見だよ、アスタ」
足元から声が聞こえる。視線を下ろしてみれば、ぴちゃぴちゃと水飲み皿を舐めながら、モモは続ける。
「まだ、ボクの神通力は戻ってきてない。体を返してほしかったら、もっと、沢山の願い事を叶えてもらわなくちゃ」
「……そーだな。って言っても、なんだかその体、随分と馴染んじまってるようで」
「熱中症、怖いからね。プライドは命には代えられないよ」
「カミサマも熱中症とかなるんだな、日本の猛暑、恐るべしだ」
適当な軽口を返して、僕は懐から、絵馬を取り出した。
アキヨさんの絵馬は、もう、完全に輝きを失っていた。しかし、それはこの間と同じような、希望を失くしたからではないのだろう。
どんな、歪な形であったとしても、それが本物でなかったとしても、彼女の後悔は、解きほぐされた。
なら、僕のやったことにも少しくらいは意味が――あるのだろうか?
「……って、おいおい。今お前、なんて言ったんだ?」
「……? 熱中症、怖いねって」
「その前だ! まだまだ沢山の願いをとか言ってなかったか!? 叶えなきゃいけない願い事、まだあるのかよ!?」
僕は思わず立ち上がる。冗談じゃない、今回の件でも結構苦労したっていうのに、これに加えてまだ、何かしなきゃいけないというのだろうか。
そんな僕に、モモも負けじと食い下がってくる。
「そりゃ、そうだよ! たった一つ願いを叶えたくらいで、カミサマの力が戻るわけないじゃないか!」
「ふざけんな、こちとら栄えある引きこもりだぞ! バカみてぇに暑い中、そんなに出歩けるわけないだろ!」
「別に、アスタはいいじゃん! ボクは毎回、外で待たされて――」
僕らの言い合いは、たっぷり十分以上は続いた。
それからしばらくの間、町内の一部の奥様の間では、「葉村さんちの息子さんが、犬と言い合いをしていた」と、不名誉な噂話が出回ることになってしまったのは――また、別のお話だ。