10話「漂着した希望」
僕の話を、珍しいことに、メイは大人しく聞いていた。
明らかにその頬は膨らんでいて、口にするまでもなく、不服そうではあったものの、それでも余計な口を挟まれないだけで、幾分話しやすいものだ。
「……で、アキヨさんの想い人は、その航空機事故に巻き込まれて死んじまった、ってのが、僕が出した結論だよ」
終いまで話し終わり、僕は一つ息を吐く。
元々、昏い打算があったとはいえ、幾度も口に出すのは、流石に気が滅入る話だ。五十年の慕情が水泡に帰す、ということなのだから、それも当然なのだろうが。
ともあれ、メイのやつも、これで一区切りがつくだろう。元々、飽きっぽいやつだ。後はこのまま風化していき、忘れるのを待てばいい。
そう、僕が結論をつけるのと、ほとんど同時だった。
「やっぱり、納得できなーい!」
不意に、メイが大声を上げる。僕も、床に座り込んでいたモモも、思わず肩を跳ねさせる。
「な、なんだよ、急にでかい声出すなって……」
「だって、だってだって! こんなの聞いたって、納得できるわけないじゃん!」
「……納得できないって、もう、そんなの、仕方ないだろ」
現実は、物語とは違う。
全部が全部ハッピーエンドというわけにはいかないのだ。実際には、こういった色褪せたバッドエンドやビターエンドが大半で、そのギャップが僕たちを苦しめる。
そう、理想とはあくまでも理想でしかなく、生臭く、辛酸極まる情景こそが現実だと、僕は知っている。
知っている、のだが――。
「仕方なくないよ! アスタ、どうしてそんなにすぐに、諦めちゃうの?」
「諦めちゃうって……まあ、飛行機に乗る仕事をしていた人っていうのも、この事故に巻き込まれたっていうのも、確かな証拠があるわけじゃないけどさ」
しかし、それはそれでもう、手詰まりだ。僕の予想も、サユキさんの推理も的外れだったとしたのなら、本当にノーヒントで、人探しをすることになる。
だったら、今回、僕が出した答えの方がまだ――理に適ってるんじゃないだろうか?
「……それは、多分、合ってると思う」メイは、視線を落としつつ。
「そういう、でっかい事故でもなければ、急にいなくなったり、しないと思うもん」
「だろ? なら、これは――」
「でも、まだ残ってるよ、可能性!」
はあ? と、素っ頓狂な声が、喉から漏れ出てしまった。
可能性、そんなものがまだ、この話に残っているだろうか? この、血生臭い、年代物の恋の終わりに――。
「――事故に遭ったあと、生き延びてたってことは、考えられないの?」
その意見に、僕は頭を殴られたような衝撃を感じた。
事故に遭った後、生き延びていた?
あの、凄惨極まる墜落事故を経て?
「ちょ、ちょっと待て。これを見ろ、僕が図書館から持ってきた、新聞のコピーだ。ちゃんと書いてあるぜ、乗客乗員、合わせて三四五名、ほとんどが死んじまったって!」
「ほとんど、でしょ? 行方不明になった人もいるって、書いてある」
「その人たちも、しばらくの後に死亡扱いになってるはずだ、生き残りなんて、そんな――」
「――見つからなかった、だけじゃないの?」
僕は、それに言い返すことができなかった。
確か、事故なんかで行方不明になったときは、一年くらい見つからないと死亡扱いになってしまう、なんて聞いたこともある。
であれば、まさか本当に、アキヨさんの想い人はまだ、生きているのか?
「……発想を、変えてみよう」
そう、考え方を変えるのだ。
もし、生きていたとするのなら。どのような可能性が考えられるだろうか。
「えっと、飛行機が堕ちたのって……」
メイが、スマホの地図アプリを起動する。
合わせて、新聞記事に目を通しながら、情報を照合していく。
「墜落したのは、東シナ海……沖縄の本島から、西に数百キロってとこか。もし、ここで生存者がいて、どこかに流されたとしたら……」
「……もしかして、中国の方に流れて行っちゃってる?」
困ったように眉を寄せたメイに、僕は否定を返した。
「いや、それはない。多分、この辺りは……」
と、僕もスマホの画面を操作し、すぐに目当てのものに辿り着く。開いたのは、気象庁のウェブサイト。そこには、僕らが見ている地図の上に、追加で矢印のようなものが描かれている。
「――やっぱり。黒潮、ってやつだ。海流は日本に向けて流れている。だから、流れ着くのは日本の土地である公算が高い」
「流れ着く……どの辺りに?」
「さあな。でも、このサイトを見るに、沖縄の周りの島々や九州……辺りが、現実的だと思うけど」
流石に、海流図を見た程度で、答えが出せるわけもない。
あくまでも、もし漂着するのなら、という仮定の話しかできないのだ。そこに、今話したこと以上の根拠は、存在しない。
「それに、流れ着いていたとして、その人を探す方法は無いぞ。範囲も広いし、現地に行くのも不可能だ」
そう、どうあれ、ここで詰みなのだ。
これ以上先に進むことは、どうしてもできない。理論と理屈で詰めるにしても、限界はある。ここから先は、具体的に行方を考えなければならないフェーズなのだ。
だから、不可能、という言葉は、メイに対してでもあり、期待し始めていた自分に対する言葉でもあった
。
それでも、彼女には諦めるような気配は微塵もない。
むしろ、思考をさらに深掘るようにして、首を捻っている。何か、引っかかることでもあるのだろうか。
「うーん……でも、アスタぁ、一個わからないことがあるんだ」
「一個? 僕は、もっとあるように思えるけどな。そもそも漂着していたとして――」
して、いたとしたら。
そこで僕も、同じ疑問に辿り着く。
「……もし、漂着してたとしたら。時間をかけてでも、帰ってきているんじゃないのか?」
死んでいるのなら、その疑問は存在しえない。しかし、今は生きていることを前提に思考している。
ならば、この違和感を無視することはできない。恐らくだが、これは一つの――手がかりになりうるからだ。
「例えばだけど」メイは提案する。
「怪我が酷くて、帰ってこられなかったとか。そうして、現地で暮らすうちに、向こうに仲のいい人ができて、帰るに帰れなくなったんじゃない?」
「……あり得るな。あとは、月並みだけど記憶を失くした――なんてのもどうだ。どちらにせよ、何か帰ってこられなかった理由があるはずだ」
だが、考えてみても、その理由を断定することはできない。空想し、想像することしかできないのだ。
そこで、メイが立ち上がる。彼女の目は光を失っていない。諦めるということを知らない奴なのだ。
「じゃあ、帰ってこられない理由があったとして、"あの人"っていうのは、その後にどうしたのかな?」
「どうもこうも……しようがないんじゃないか? 今と違って、スマホやSNSも無い時代だし――」
そう、今とは違うのだ。安否を伝える方法も、今に比べればとても少ない。電話は勿論固定電話しかなかっただろうし、他に、連絡を取ることができる方法なんて――。