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ねがいの灯火―犬のカミサマと願いの絵馬―  作者: さんささん
1章「向日葵畑に消えた過去」編
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9話「堕ちた真実」



「――"あの人"はもう、亡くなってたよ」



 自宅のベッドの上に寝そべり、くすんだ色の天井を見つめながら、僕はそう、口にした。


 床に座り、こちらを見上げるモモは、黙してそれを聞いていた。先ほどまで、酷暑の中にいたからか、毛並みには熱気が絡みついてしまったかのように、柔らかな熱を帯びている。


 ようやく帰ってこられた自室の空気は、酷く淀んでいるようだった。エアコンの設定温度を最低にして、肌の表面が冷えるのを、ひたすらに待つ時間は、どこか不毛で、億劫だった。


「……亡くなってた、って?」


 モモが口を開く。彼は行儀よく、ベッドの脇に"おすわり"をしていた。そちらを向くこともなく、僕は続ける。


「ああ、これ、見てくれよ」


 ベッドの縁から垂らすようにして、僕は一枚の紙をモモの前に差し出した。それは、先ほど図書館で見つけた記事を、コピーしてきたものだ。



「……これ、って」


「ああ、五十年前の夏に起こった、()()()()()の記事だよ」



 そこに書かれた見出しの文字は、もう見なくても、僕の目の奥に焼きついている。


『羽田発英国機、東シナ海に墜落か 乗員乗客三四五人、香港到着前』

『乗客の邦人、安否絶望的』


 この記事を見つけたとき、全身の血が熱を失っていったのを覚えている。


 サユキさんが言っていた、アクシデント――それは、僕が調べていた、交通事故のファイルの中にあったのかもしれないし、もしかすると、彼女の分析が間違っていて、ただ、アキヨさんは見捨てられただけなのかもしれない。


 ただ、アキヨさんが話してくれた、"海外の話をよくしていた"というのと、サユキさんが触れた"来なかったんじゃなくて、来られなかったんじゃないか"という話を踏まえて考えれば、この事件はあまりにも奇妙に合致している――否、し過ぎている。



「乗員十八名、乗客三二七名……ほとんどが亡くなっていて、安否がわからない行方不明者は数人いたけど、その後の捜索で死亡扱いになっている……これが、答えなんじゃないかと、僕は思うんだ」


「……そんな、じゃあ、アキヨさんの願いは?」



 震える声で問いかけてくるモモに、僕は努めて、事も無げに返す。



「彼女の願いは叶わないよ。あの人の想い人は、東シナ海に沈んだ。それが多分、あの悲恋の答え合わせだ」


「……これ、もう、アキヨさんには伝えたの?」


「……ああ」僕は、つい数十分前のことを思い返しながら。

「帰りに、"こすもす屋"に寄った時に、な」



 僕の見つけてきた、残酷な真実にも、アキヨさんは眉一つ動かさなかった。


 ただ、全てを受け止めるように頷いて――僅かばかり、眉尻を下げただけだった。


『ありがとうねえ、でも、もう昔のことだから。"あの人"がどうなったか知れただけで、私は満足だよ』


 そう口にした声色も、いつもと変わらない優しいものだった。


 けれど、僕にだってわかる。思う所がないわけがない。五十年も想い続け、神頼みまでした相手が命を落としていて、平然としていられる人なんて、いるわけがない。


 ……いるわけがない、としても。


「……この話は、これでおしまいだよ」


 僕は懐から、絵馬を取り出す。

 経年によって、僅かに黒ずんだ木製の表面は、もう、光を放っていなかった。


 木材特有の温かみすらも感じさせない冷たさが、僕の手のひらを凍えさせている。



「なあ、モモ。こういう場合はどうしたらいいんだ? 絵馬が光を失ってもまだ、願いごとは――」


「――いや、もう、叶わないよ」



 モモはどこか、自棄っぽい口調で、そう返してくる。



「"もう一度会いたい"という願いが叶わないと、わかったからか、それとも、彼女自身が、その願いを手放したのか。どうあれ、この絵馬はもう、力を失ってしまった」


「……じゃあ、モモの体はどうなるんだよ」



 僕は思わず、体を起こす。そこでようやく、ベッドの下にいるモモと目が合った。


 気のせいだろうか――彼が酷く、悲しい目をしていたのは。



「申し訳ないけど、まだ、返せないかな。今回は仕方なかったし、次の願いをまた、叶えてもらえたら考えるよ」


「……結局、振り出しか。僕は一体、何をやってるんだろうな」



 口に出せば、自分が酷く滑稽なもののように思えてくる。アキヨさんの大切な思い出に踏み込んで、勝手に暴いて、そして、希望を奪ってしまった。


 彼女は、想い人がどこかで生きているのだと、期待して生きていくこともできたはずだ。或いは、死んでいくこともできたはずだ。


 僕が今回やったことは――その希望を、奪っただけなんじゃないだろうか。



「……仕方ないよ、アスタ。そんな風に悩んでも、もう、過去は変えられない」


「仕方ないなんて、そんな、一言で片付けられるかよ。だって、僕は――」


「――本当の願いほど、叶わないんだよ、アスタ」



 ――それは、どこかで聞き覚えのある台詞だった。



「人は、自分の思いを天に馳せる。様々なものに乗せる。明日を、未来を、夢を。でも、そのほとんどが、泡沫に消えていくのが現実なのさ」


「……だから、諦めろっていうのかよ」


「さあね。でも、ここから彼女の願いが叶うなんてことがあるのなら――それは正しく、奇跡って呼べるんじゃないのかな」



 奇跡。

 彼の口にするその言葉は、酷く薄っぺらく聞こえた。


 それはきっと、彼がカミサマだから。ひと山いくらの奇跡など信じていないのか、或いは、都合の良いアトランダムので目が回ってくることを待っているかのような、楽観した声色がそう思わせるのか。


 とはいえ、僕もおおよそ、同じ意見だ。


「……奇跡、か。はっ、そんなものが起こったらいいけどな」


 僕はそう吐き捨てて、大の字になった。まだ、外は明るい。延びに延びた夏の日は、まだまだ傾く気配すらないようだった。


 カミサマと出会って。

 絵馬の願いを知って。

 そして、後味の悪い真実に辿り着いた。


 今日一日で起こったことのどれもが、酷く現実味を欠いている。同時にそれは、体の底から疲労感を呼び起こした。


「……晩飯まで、寝るわ。次の願い事の話は、また、起きたらでいいだろ」


 そう残して、僕は目を閉じた。瞼の裏側に残る、アキヨさんの表情は消えてくれなかったが、それでもしばらく黙していれば、惰眠の波がやってくる。


 空っぽの頭蓋骨を満たすような、心地よい眠気に身を任せ、僕はそのまま、眠りに落ちようとして――。



「……アスタ、ちょっと来なさーい!」



 ――不意に、僕を呼ぶ声に、引き戻された。


 目を開ける。恐らく、階下。玄関から、母親の呼ぶ声が聞こえた。 


 まるで普通の犬のように丸まっていたモモも、頭を持ち上げる。そして、僕の方に向き直った。



「……呼ばれてるよ、アスタ」


「ああ。なんだろ、お使いでも頼まれるのかな……」



 中途半端な睡眠は、かえって不快な頭痛を残していった。それを振り払うようにして、僕は自室を後にする。


 そして、今ひとつ力の籠もらない足で、階段を降りていけば――彼女は、そこで僕のことを待っていた。



「あ、来た! アスタぁ、遅いよ」



 ――待っていたのは、メイだった。


 彼女は朝と変わらない様子で、うちの玄関先に立っている。正直、姿を目にしたとき、少しだけ、顔を顰めてしまった。



「ねえねえ、アキヨさんのやつ、どうなったの? 何かわかった?」


「……うるさいな、押しかけてきて、でかい声出すなよ」



 それに、今はあまり、この話を他人にしたい気分でもない。だから、察してくれと、そう言いたかったのだが――。


「――いや、そうだな。実は、わかったことがあるんだ。長い話になるんだけど、聞いてくれないか?」


 ――裏腹に、そう、口にした。



「え、いいの!? てっきり、嫌がられるかなって……」


「わかってるなら、わざわざ押しかけてくるなよ……母さん、何か、飲み物を用意してやってくれよ」



 僕はそうとだけ残して、自室に向かう。その後を、メイが無警戒についてくるのが見えた。


 きっと、この救いようのない結末を知れば、こいつも黙ってくれるだろう。そんな、黒黒とした打算を、抱えているとも知らず。


 

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