星空と君と七年と
はじめまして。
クリスマスなので、先日pixivに投稿したクリスマスっぽいお話をこちらにも投稿します。(テーマは「星」です)
少しでも気に入っていただけたら嬉しいです。
美咲は、ある場所を目指して歩いていた。
随分前に近くまで来て、まだ一度も行ったことのない場所。
一歩一歩進むたびに漏れる息が、白く染まっては夜空に消えていく。
その場所には、誰かいるのだろうか。
誰もいないだろうと思う気持ち、誰かがいたらそれはそれで怖い、という不安、そして、ほんの少しだけの期待。
いろんな感情が湧いては消え、時間を置いてまた脳裏を過ぎる。それでも、もう行くと決めたのだ。
美咲は冷たい空気から耳を守るようにストールを引き上げると、さらに大股で前進し始めた。
――七年に一度の星見。
七年前、美咲が十八歳の時に出会った女性はそう言っていた。彼女も更に七年前、美咲と同じように別の女性から声を掛けられてその場所を教えられたのだと。
――七年に一度、ここで出会って一緒に星を見た二人は、運命の相手なんだって。
少しはにかむように笑って言った女性の顔を、今ではもう、ぼんやりとしか思い出せない。
でも、ごく普通の、優しい雰囲気の女性だった。
――私もね、運命なんて信じてなかったんだけど、行ってみたら人がいたからびっくりした。話を聞いたら相手の人も七年前に同じことを言われてたんだって。すごいよね。
そうですね、と答えたが、美咲からしたら随分と大人に見える女性が『運命』を語る姿は、少し薄気味悪く感じた。
――それでね、今度は私がその運命をあなたに引き継ぐ番なの。七年後、ほら、そこのフェリー乗り場から島に渡って。島に「星見の丘」っていう場所があるから、そこに行ってね。
突然話しかけられた上に一気に捲し立てられて戸惑う美咲を他所に、女性は七年後、別の誰かに同じことを伝えるよう念押しすると、笑顔のまま去って行った。
――そして、その七年が経った今日、美咲はフェリーで島に渡り、「星見の丘」を目指していた。
運命なんて信じているわけではない。ただ、先月、結婚を約束した相手にプロポーズ後数カ月にして別れを告げられてむしゃくしゃしていたところに、ふと七年前のできごとが頭を過ったのだ。
七年――今年じゃないか、と思ったらどうにも気になって仕方がない。
美咲は今日までの日々をそわそわとして過ごし、仕事を定時で終えたその足で「星見の丘」に向かった。
フェリーを降り、登り坂の林道を歩き続けて十五分。もうそろそろそれらしいものが見えてきても良さそうなのに、中々林を抜けられない。
フェリー乗り場の地図には確かに『星見の丘』が書かれていたが、実はそんなものはないのでは。もう引き返そうかと思い始めたところで、ようやく林道を抜けてひらけた場所に出た。
そこは、ごく普通の広場に見えた。
広場の内側を囲むように円を描いて立てられた柵の中央には、これまた丸く土が盛られており、その上に不思議な形のモニュメントが置いてあった。
美咲の背より三十センチほど高い、鉄で作られたけん玉のような塔。
球状になった頂上を囲むように取り付けられた細いパイプ状の鉄と、それに配置された大小様々な大きさの鉄球は、惑星や星座を模しているようだった。
あまりお洒落とは言えないそれを見ながら、美咲はまさか、と思う。
半信半疑のまま近寄ると、柵の片隅に「星見の丘」と書かれた看板が掛けられているのに気付いた。
やはりここが「星見の丘」なのか。
美咲は広場全体を見渡した。見事に誰もいないそこは、ぽっかりと空いた穴のようだった。
柵には申し訳程度に十二月らしい装飾が施されていたが、それが一層物悲しさを醸し出していた。
想像するに、島でイベントごとを盛り上げるために無理矢理作られたような場所なのだろう。
美咲は、さびれた観光地にありがちな、的外れな地域振興の成れの果てを垣間見た気がした。
そして、街中イベント気分で浮かれている中、『運命』という言葉に引きずられてこんなところまできた自分。急に恥ずかしさと虚しさに襲われ、美咲はストールを撒き直して大きく息を吐いた。
すると、モニュメントの向こう側で何かがもぞもぞと動き始めた。
人がいる。
美咲は思わず後ずさったが、驚きすぎてその場を離れることまではできなかった。
そうするうちに、モニュメントの向こう側から男性がひょこ、と顔を出して、声を上げた。
「あ!」
同い年くらいの、ダークグレーのスーツの上に黒いロングコートを着た、ごく普通の男性だった。
マフラーをしていたが、短く刈られた髪の毛に隠れていない首筋や耳がはみ出していて寒そうだ。
「あの、もしかして、七年前に誰かからここに来るように言われました?」
男性が白い息を吐き出しながら控えめな口調で言った。
パッと見た感じでは、大人しいごく普通の成人男性だ。
危害を加えてきそうには見えないが、安全とも思えない。
美咲は相手を注意深く観察しながら無言でこくりと頷いた。
警戒されていることに気付いたのか、男性は両手をわたわたと振り、早口で言った。
「あ、俺、怪しい者じゃないです……って、言ってるだけで怪しいな!」
自分で自分に突っ込みを入れる男性に、美咲は思わず笑みを溢す。確かに客観的に見ると果てしなく怪しい。
だが、目の前の男性が、知りもしない人間に危害を加えるために七年間も虎視眈々と待ち続けて、こんな所へ来ているとも考えにくい。
話しをするくらいなら大丈夫かもしれないと思い、美咲は口を開いた。
「すいません。まさか本当に誰かいると思ってなくて、ちょっと……びっくりして」
「ですよね。俺も怪しいなって思いながら来ました」
人の良さそうな笑顔で男性が言った。
少しだけ警戒を解いて、美咲は柵の上に腰を下ろした。
「……とりあえず、話しますか。七年前のこととか」
「そうですね。折角二人揃いましたし」
よいしょ、と小さく付け加えて、男性は美咲から一メートルほど離れた場所に腰を落ち着けた。
話そう、と言ったものの、続く言葉が思い浮かばずに黙り込んでいると、ふう、と息をついて男性が空を見上げた。
その視線を辿って美咲も上を見る。
星空が広がっていた。オリオン座が見える。
こんな風に星空を見上げるのは随分久し振りな気がした。
「そう言えば俺、七年前もこんなふうに星を見てたんですよね」
不意に男性が口を開いた。
「ここで?」
「いや、駅で電車を待ってて。で、多分、今の俺と同じ年くらいのサラリーマンに声を掛けられて「運命の相手が~」っていう話をされました。それがクリスマスだったせいで、この時期妙に思い出しちゃって」
そうなのだ。
美咲もクリスマスが近付く度にあの女性に言われたことを思い出してはまた忘れて、を繰り返して七年経ってしまった。
「ちなみにそちらはどこで声を掛けられたんですか?」
「友達と遊んだ帰りにフェリー乗り場の前を通りがかったら、お姉さんに声を掛けられました」
「やっぱり知らない人に声かける方式かー」
「『運命』とか言われてどうでした?私、ちょっと引いちゃったんですけど」
秘密を打ち明けるように言えば、男性が身を乗り出して同意した。
「分かる。最初は何のいたずらだろうって思って」
「ですよね!なのに十二月って気付いたら毎年思い出すし、彼氏いる場合も行った方がいいのかな、とか気になって」
「あ、彼氏います?」
「いたらこんな日にこんなところに来ません。ってことは、あなたも?」
「振られて半年」
男性が笑顔を作ってぐ、とサムズアップして見せた。
美咲も負けじと人差し指を立ててニヤリと笑う。
「私は婚約破棄されて一ヶ月。新鮮でしょ」
「…………」
少しの間、無言のまま二人で見つめ合った後、意図せず同時に大きく息を吐いた。
「……ここに来る『運命』だったとしても、振られたくはなかったなあ」
寂しげな声に美咲は強く同調した。
「本当それ。私なんて「ドライな君に僕は必要ない気がして」って婚約破棄ですよ。結局浮気だったんですけどね。浮気されて得る運命って何」
「ドライなんですか」
「まあ、一般的な女性よりは?会う頻度が少なくても割と平気」
顔はまあまあだと思うが、身長も高い方だし、中身も外見もそう可愛げがあるタイプではないと自覚している。
「そういうのは、最終的に相性ですよね」
男性は力なく笑った。
少し悲しそうな表情に、元カノを思い出しているのかもしれない、と思う。
かける言葉が見つからず、美咲は黙ったまま再び空に目を向けた。
星空は、自分がどんな状態でもいつだって綺麗だ。
しばらく無言で星を眺めていたが、ふと思いついて美咲は口を開いた。
「運命とか、信じる方ですか?」
「……まー、あればロマンチックだなとは思いますけど、信じてはいないですね。そちらは?」
本音を言うか一瞬迷ったが、相手は今日会ったばかりで、今後も合うか分からないような相手だ。美咲は思っていることをそのまま言葉にすることにした。
「運命なんて言い訳。大抵は都合のいいこじつけか、過去を振り返った時の感傷」
「はは、確かにドライだ。というより、堅実かな。素敵だと思いますよ」
「そりゃどーも」
思いの外悪くない反応が返ってきて、美咲は少しだけほっとした。
「とは言え、俺たちがここで会っちゃってるこの状況、運命っぽくないですか」
「ぽいですけど、単に古い慣習に付き合わされてる感があります」
「あれですかね。毎年帰り際に誰かに声を掛けて続けてきた風習、みたいな」
「んー、て言うより、地域興し的にやった企画が変に残っちゃったんじゃないかと」
「あー……ありそうですね」
視線を広場に移すと、モニュメントが見えた。
二人以外誰もいない場所に佇むそれは、寂れた雰囲気を醸し出すのに一役買っていた。
運命に頼った故の結果がこれなのだろうか。
やはり自分は運命を信じずに生きて行こう。美咲は決意を新たにし、立ち上がった。
「……私、そろそろ帰りますね」
「俺ももうちょっとしたら帰ろうかな。今日はありがとうございました。誰も来ないと思ってた場所に来たのが、あなたみたいに可愛い人で良かった」
可愛い。あまり言われることのない言葉が面映ゆくて、美咲は照れ隠しのように何歩か歩いて男性から距離を取った。
「私も、あなたみたいに普通の人で良かったです」
ここで可愛らしい返事ができれば良かったのだが、それができれば元婚約者に「ドライ」などと言われないのである。
「そこは、格好いいとか、お世辞は……」
「男は顔じゃないですよ」
「それはどうも。って、あえて俺の顔には言及しないスタイルですか」
「あはは。じゃあ、ご縁があればまた」
運命を信じているわけではないけれど、七年前に繋がれた『運命』の相手との会話は、悪くなかった。
笑顔で手を振る男性に見送られ、美咲は温かな気持ちを胸に元来た道を戻って行った。
***
「あれからもう七年かぁ」
二歳の子どもを寝かしつけた後、美咲はすっかり大きくなったお腹を撫でながら言った。
「あの後太一君があの時声を掛けた子、私が声を掛けた子に会えてるかな」
あの日、男性――太一と別れた美咲は、フェリーを降りてすぐ見かけた女子高生に声を掛けて、『運命』の地域振興に一役買った。
そして、その数か月後、美咲は太一と街中で偶然再会したのである。
一瞬、まさかの運命かと思いかけたが、よく考えれば不思議な話ではない。
島より栄えているとは言え、地方に暮らしていれば生活圏も限られてくる。
同年代ということもあって活動場所が似ていたのもあるだろう。
お互いの存在を一度認識した相手は見つけやすくなるというし、出会ったのは当然の流れと言える気がした。
「どうだろうねぇ。俺も声はかけてみたけど、最近の子は用心深そうだし、星見の丘までは行ってないかもね」
「だよねぇ。振り返ってみれば私もよく行ったもんだなって思うわ」
「そこは『運命』なんじゃない?」
「またまた!太一君がそんなの信じてないの、私が一番よく知ってるよ」
再会し、連絡を取り合うようになって半年ほどで付き合い始めたが、これで付き合ったら運命を信じているみたいで嫌だ、と言って告白から付き合うまで一ヶ月を要したのは太一が渋ったからである。今更『運命』と言われても呆れるしかない。
「ま、確かに運命は信じてないけど」
「ほらー!でもさ、私と出会って結婚したことはどう説明するよ」
「そうだなあ。ご縁と、幸運かな。ご縁がなければ幸運でも出会わないし、ご縁があっても幸運でなければ結婚まで行かないかなって」
「ご縁と幸運……」
納得がいくような、いかないような面持ちで繰り返す。
それでも、自分との結婚を幸運と捉えてくれているのは嬉しい、と美咲は思った。
「美咲は運命を信じてるの?」
「まさか!」
「じゃあ俺と出会って結婚したことはどう説明を……?」
少し不安げに問うてくる太一に、美咲は「偶然」と言い放った。
美咲本人としては、これ以外に適切な言葉はないと思うのだが、太一は呆れたように笑った。
「偶然……、ドライだなあ」
「そこが好きで結婚したんでしょ」
「はい、そうです」
ご縁だったにしても、偶然だったにしても、今幸せなのは変わらない。
美咲は太一を見つめて微笑んだ。太一も嬉しそうに目を細めて見つめ返してくる。
あの日、帰り際に感じた胸の温かさは、今もずっと続いている。
運命なんて信じていないけれど、出会ったことには感謝していた。
ふと星が見たくなって美咲は立ち上がった。
身重な彼女を労わるように太一が寄り添い、連れ立って窓辺へ移動する。
見える星の数は七年前のあの場所で見た時よりもずっと少ないけれど、星たちは変わらずに美しく輝いている。
美咲の右手に、そっと太一の手が重なった。
その手を握り返して美咲は星に願いを込めた。
もし、七年に一度の『運命』が続いているなら、新しく出会う二人にもそれぞれの幸運がありますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
現在長めのお話を執筆中です。
一話ずつ、仕上がり次第のんびり投稿していく予定です。
またそちらのお話でお会いできますように。