Ⅸ 五十鈴秀介
「ふうん。新学期早々、いろいろあったわけね」
「叔父貴の国のアリス」で父さんの作ったオムライスを食べながら俺はうなずいた。
「うん。まあ、うまくいったけどね。それにしても大人しそうに見える子がキレるのって何度経験しても怖いわ、震える」
「あはは。女なんてみんなバケモンだからね、あ、おはよう。リカちゃん」
店のドアが開く。
リカさんが出勤してきた。
昼間の仕事の帰りなのか、今日はまだノーメイクだった。
パーカーにジーンズ姿のリカさんはどこから見ても普通の中年男性だった。
全体的に細身だが、ジーンズの上にはふっくらと肉が載っている。
「おはようございます。あー。もう、疲れたー。コールセンターなんかさっさと辞めたい~」
「しょうがないじゃない。うちの店、そんな流行っていないんだから。あ、リカちゃん、鈴木さん、今日来れないって」
鈴木さんはネジ工場の副社長でリカさんの常連さんだ。
次期社長を期待されているため、忙しくしているようだった。
妻子もいて、仕事の跡も継いで親を安心させられる孝行息子。
それが鈴木さん。
でも、そんな鈴木さんのお気に入りはリカさん。
「ええー。ていうか、何で鈴木さんってキャンセルする時いつもあたしじゃなくてアリスさんにするんだろうね」
「あんたが怖いからでしょ」
メンソールを加えつつ、父さんは鼻で笑った。
「あたしのどこが怖いってのよ!」
「ほら、これ以上怖い顔しないようにこれくらいにして準備してきてよ」
父さんの吐いた煙を手で仰ぎながら、リカさんは楽屋に入っていった。
父さんの指は細長くて華奢だ。男の指に見えない。
「何?」
父さんが俺の視線に気づいた。
「いや、指、きれいやなって思って」
すると父さんは僕の手をさらっと撫でた。
「あんたは母さんに似て指が短くて太いんだよね」
「父さんと母さんは、すべてが真逆や」
俺の指を見る父さんの目は何だか懐かしそうに見えた。
「本当ね。ほら、早く食べちゃいなさい。食べたら食器洗って店の仕込み手伝って」
「はーい」
俺はオムライスをかきこんだ。
楽屋に向かう父さんの後ろ姿を見る。
背が高くて手足が長い俺の父さん。
黒いミニワンピースに10センチくらいあるピンヒールが良く似合っている。
物心がついた時すでに父さんは女装をしていて、母さんは男装していた。
母さんは外でも男装していたけれど、父さんが女装をするのは主に家の中だけだった。
家を一歩出ると、父さんは証券会社のやり手営業マンだったし、母さんはホテルの中にあるケーキ屋さんのパティシエだった。
二人にはそれぞれ恋人がいた。
相手はどちらもそれぞれの同性だった。
そんな二人がなぜ結婚していたかというと、どうしても子供が欲しかったかららしい。
もともと友達として仲が良く信用できる相手だったのと、親にしつこく結婚をけしかけられているという同じ立場だったのもあって二人は夫婦になった。
父さんが四十五歳、母さんが三十六歳の時だった。
それから一年後、俺は人工授精を経て生まれたそうだ。
今時、人工授精で生まれる子供なんて何も珍しくはないし、同級生にも結構いた。
だから、俺ら家族は特によその家とさほど変わらない。
男がいて女がいて二人の間に子供がいる。
何の変哲もない普通の家庭で俺は育った。
ただ、世の中にはいろんな人がいるので周りを混乱させないよう、外で言い間違いをしないように、父さんが家で女装していても「父さん」と呼び、妙にガタイのいい母さんを「母さん」と呼んだ。
去年の夏のことだった。
母さんの恋人が海外勤務になった。
母さんはどうしても離れるのが嫌だというので、両親は婚姻関係を終了することにした。
父さんはとうに恋人と別れていて、ちょうど定年退職を間際に迎えたところだった。
「ほんまは嘱託で残れるみたいなんやけど、もうすっぱりやめてまおか思って」
「好きにしたら」
母さんがいなくなってさすがに少しは傷ついていたので俺は父さんからの相談にそっけなく対応していた。
「それで、私の元カレがな。元カレって言っても大学の時のやけど。関東のほうでゲイバーやっているんやけど、田舎に帰るから手放すらしいねん。良かったら、ママやらへんかって言われてるんやけど、どう?」
「好きにしたらええやん」
「あんたも来る?」
「そら、義務教育期間やし、面倒見てもらわな。母さんのところに行ったって俺邪魔やろ」
「そうやな。よし、親子心機一転、引っ越ししよか!」
そういうわけで、俺たち親子は住んでいた関西からこの関東の見知らぬ街へとやってきた。
父さんは大学時代を関東で過ごしていたので、すぐに標準語を話すようになった。
定年退職後の父さんは着るものも女装がメインとなり、どんどん磨かれていった。
とても還暦を迎えた人とは思えなかった。
前の経営者の時からの従業員は数人残ってくれていた。
みんなほかの店と掛け持ちしたり、別の仕事を持っていたりした。
その中でもリカさんは「叔父貴の国のアリス」での出勤率が高く、いち早く打ち解けた。
いつも俺のことを気にかけてくれていてありがたい存在だと思っている。
俺は初めての転校で慣れないことばかりだったが、好きな人が出来たり、振られたりしているうちに何となく新しい生活に馴染んでいった。
母さんからは今でも時々電話がかかってくる。
今日もオムライスを食べ終わった頃に電話がかかってきた。
「秀介、元気?」
「うん、元気やで。母さんは?敦子さんと仲良くしてる?」
敦子さんは母さんの恋人の名前だ。
「まあまあやね」
「意味深やなあ」
「私のことはええねん。そういや秀介、あんた、前に振られたいう人、まだ追っかけてんの?」
「まあなあ。でも、もういいかな」
「え、どういうこと?」
首を掻き掻き返事をしあぐねていると、カウンターから父さんの視線を感じた。
「あ、店の準備せな。ほなまたな」
俺は電話を切った。
移ろいゆくのは、季節に限ったことではない。
(完)
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