Ⅷ 桜は影の中で舞い踊る
「ここに呼んだのは他でもない。桜田さん、あなた、私たちに嘘をつきましたね」
理科室の壇上から五十鈴さんは桜田さんに尋ねた。
放課後、五十鈴さんは桜田さんを理科室に呼び出していた。
私と桜田さんは少し距離をとって席についていた。
「嘘をついた?」
桜田さんの顔が青ざめていく。
「はい。内野さんは失恋なんかしていませんね。芦川くんとは両想いだった。それをあなたが邪魔をした。桜田さん、あなたは内野さんを芦川くんに取られるって思ったんじゃないですか」
桜田さんは膝に置いた両手を固く結んだ。
「桜田さん。あなたは、内野さんが芦川くんに振られたと思い込むことで、これまでどおり女の子同士で楽しくできるって考えたんでしょう。でも、計算違いだった。失恋が、内野さんをモンスターにしてしまった。」
ふと、桜田さんの横顔を見ると、こめかみから汗が流れているのが見えた。
「いやあ、恋の力って言うのは恐ろしいですね。優しくてきちんとした美少女を獰猛にさせてしまう。桜田さん、あなたは大好きな内野さんが変わっていくのを見ていられなかった。もちろん、止めたかったけど、忠告することで内野さんの機嫌を損ねることが怖かった。あなたがびくびく恐れているうちに、失恋によって傷つけられた内野さんは石田さんへの攻撃をエスカレートさせてしまった。それで、もうどうしようもなくて僕らのところへ来たんでしょう」
「私、何も今回の一件を調べ上げろなんて頼んでいませんけど!」
体を縮めていた桜田さんが声を絞り上げた。
私はびっくりして肩を上下させてしまったけど、五十鈴さんは表情一つ変えることなく会話を続けた。
「はい。おっしゃるとおりです。僕たちは余計なことをしてしまいました。それは謝ります。ごめんなさい。でも、内野さんという人を知らなければ、次の恋を見つけてあげることも出来ませんから。でもね、桜田さん。あなたの依頼どおり、内野さんに誰かを紹介してもそれがうまくいくとは限りません。ましてや!あなたは内野さんに好きな人が出来たらそれはそれで困るんじゃないですか。また同じことを繰り返してしまう」
「そんなことありません!」
二人の攻防が熱を帯びてきた。
私は会話に入ることが出来ず、ただただ見つめているだけだった。
「そうでしょうか。僕は違うと思いますね。でも、桜田さん本人はもうできればそういうことはしたくないんじゃありませんか」
「それは、そうです」
「そこで提案です。桜田さん、恋人、作りませんか」
「は?」
「え?」
私と桜田さんの声が重なった。
私は五十鈴さんからその展開を何も聞いていなかった。
「桜田さん、あなたに恋人がいたら、友達の恋愛を全力で応援できるはずですよ」
「でも、私、好きな人とかいないし」
「僕たちがこれから桜田さんに合うような人をヘッドハンティングして集めます。男女関係なく」
「どうですかって、恋愛とかまだそんなに興味ないし」
桜田さんは急にもじもじし始めた。
「そうですかね。僕の想像ですが、あなたも芦川くんのことが気になってはいたんじゃないですか」
「え?」
桜田さんの顔が一気に赤くなった。
「だって、内野さんがバード塾をやめてもあなたは続けていますよね」
「あれは、親が続けろって言うから」
「それもあるでしょう。でも、内野さんに心酔しているあなたなら彼女についていったはず。でも、残った。もちろん、内野さんとの友情が大事だからあわよくば芦川くんと付き合おうなんてことはしないでしょうけど。あくまで片思いとしてそばにいることを選んだんじゃないですか」
五十鈴さんの言葉に桜田さんは目を潤ませた。
「何でもお見通しなんですね」
「何でもではないですけどね」
一瞬、二人の間にぬくもりのような空気感が生じた。
「だからまあ、桜田さん。僕らが誰か見つけますから。気が合わなければ、友達とかただの知り合いになればいいんです。桜田さん、正直、内野さん以外に友達らしい友達なんていないんじゃないですか」
「そうです」
「内野さんとの友情を穏やかに育むためにも。選択肢の一つとして考えてもらえませんか」
「は、はあ」
桜田さんは戸惑いつつもまんざらでもないようだった。
「五十鈴さん、私、何も聞いてなかったからびっくりしちゃいましたよ」
私と五十鈴さんは学校を出て歩いていた。
「ごめんごめん。桜田さんを問い詰めるだけにするつもりが、何かふと思いついてしもたから」
「まあ、いいんですけどね。でも、本当に桜田さんに合うような人を見つけられます?」
「当たり前やんか。一応、ヘッドハンターやで」
「そうですけど。さっき訊いた桜田さんの好みのタイプ。見つけるの大変そうですけど」
桜田さんのタイプは典型的な王子様タイプで、話を聞きながら「そんな奴いるかよ」と何度思ったかわからなかった。
「だから何。それが俺たちの部活動の本業じゃないの?花橋さん、あんたにもがんばってもらうからな」
五十鈴さんは私の背中を叩いた。
「痛いなあ。わかってますよ」
ふと、地面に目をやる。
二人の影が十分に伸びている。
その上を民家の庭から零れ落ちた桜が踊る。
少しだけ、五十鈴さんと私の影が重なって見えて胸が勝手に高鳴った。
もうすぐゴールデンウィークだ。
「五十鈴さん、ゴールデンウイークって何か予定有りますか」
「特にないけど。花橋さんは?」
「私も特にないですね。ママの実家に一泊二日で行くくらいかな」
「そっか。時間が合ったら情報収集に走ってもらうかもしれんから、スマホの電源切らんといてな」
「うわー、ゴールデンウイークの予定なんて訊くんじゃなかったー」
私は頭を抱えた。
「でも、まあいっか」
「え?」
デートの練習だと思えば楽しめるんじゃないかな。
そんな前向きな想いがふつふつと湧き上がる。
「二人で動いても要領が悪いから、情報収集は主に単独行動な」
「ええ。そんなあ」
足元でくるくる回る桜は大きな風に乗って通りの向こうへと消えていった。