Ⅵ 恋多き男
「ここいいかな?」
ハンバーガーに食らいつきかけた芦川くんの前に一人の少女が現れた。
ええ、私のことですが。
しばし、芦川くんは口を開けたまま、きょとんとしていたが、すぐに手のひらを見せて頷いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
私はコーラとハンバーガーが載ったトレーをテーブルに置き、芦川くんの前の席に着いた。
「混んでますね」
ハンバーガーを食べるのをやめ、飲み物を手に取りつつ、芦川くんは言った。
私は店内を見渡した。
土曜日の昼は家族連れで賑わっている。
席はどこも埋まっていた。
芦川くんに近づく理由が出来てちょうどよかったといえばそうなのだけど。
それにしてもどうだろう。
いきなり現れた初対面の少女相手にさらっと会話を始められる芦川くんの軽やかさよ。
私なんぞ、前の晩からドキドキしっぱなしだというのに。
「本当、混んでいますよね。おかげで助かりました」
「いいえ」
微笑んだあと、あらためて芦川くんはハンバーガーに食らいついた。
私は一口コーラを飲み、息をついた。続けてハンバーガーを一口齧る。
「それ、春の新作のハンバーガーだよね」
「ああ、そうです。気になっていて」
私から色々話を探らなければならないのに芦川くんの方からぐいぐい来る。
人となりが浮かび上がってきてそれはそれでありがたいのだけど、私としては調子がくるってしまう。
「それ、僕も気になっているんだけど、なかなか買う勇気が無くて」
「けっこう、保守的なんですね」
本当に保守的な人はいきなり現れた少女にガンガン話しかけないけどね。
私は腹の底で思いながら、平静を取り繕っていた。
「僕はそこのバード塾に通っていてその帰りなんだけど、君は?」
ついに話を切り出さなくてはいけない場面がやってきた。
「あの、私、実はこういうものでして」
ワンピースのポケットに入れていたケースから名刺を差し出した。
「失恋ヘッドハンター 花橋ゆうみ」
名刺を受け取ると、芦川くんは声に出して読み上げた。
「何これ、超楽しそう。え、どうやったらなれるの」
昨日の夕方、五十鈴さんから家のポストに届けられた出来立ての名刺だった。
名刺の渡し方はYOUTUBEを参考にした。
合っているかどうかはわからない。
だけど、初めて名刺を渡した相手がこんなに楽しんでくれているのは悪い気はしなかった。
「愛蘭中学の部活動です。失恋ヘッドハンターズっていう」
「君、愛蘭中なの?へえ、そうなんだ。僕、愛蘭中学好きだよ。可愛い子多いもんね。君もそうだけど」
「それはどうも」
軽やかを通り越してどうも軽い。
そりゃ中学二年生で恋愛沙汰起こすわなと納得の人柄である。
「あの、芦川くんに訊きたいことがあって」
「僕の名前も知っているんだね。すごいな」
「依頼者から訊いていたので」
「あ、そう」
「それで、折り入って訊きますけど」
「どうぞ」
名刺をトレーの横に置き、ハンバーガーにがっつきながら芦川くんはうなずいた。
「石田美緒さんのことはもういいんですか?」
石田さんの名前を出すなり、芦川くんは苦い顔をした。
「美緒ちゃんか。美緒ちゃんの依頼なの?」
「いえ、違います。全く他の方です」
「美緒ちゃんはもういいかな。そりゃ可愛いし、向こうから来てくれて嬉しかったけど、ちょっとヒステリックなところあるんだよね」
「わかります。え、なんとなくですけど」
うっかり認めてしまった。濁してももう遅かった。
「ま、彼女には幸せにはなってもらいたいけどね。僕じゃなくても引く手あまたじゃないのかな」
「ええ、そう思われます」
「とりあえず、食べきっていい?」
芦川くんがハンバーガーを持ち上げた。
「君も食べきって。それから話を続けよう」
「あ、はい。すみません」
私と芦川くんは黙々と食べ続けた。
食べながら、芦川くんのルックスをちらちらと見ていく。
おでこを上げたセンター分けのヘアスタイル。
奥二重の涼しげな目元。
矢印に似ている鼻。
薄い唇。
面長で全体的にシャープな顔立ち。
誰かに似ている。
そうだ、内野さんだ。
「あの、内野玲さん、ご存じですか」
お互いハンバーガーを食べきったことを確認してから私は質問を再開した。
「玲ちゃん!もちろん知っているよ。振られたけどね」
さすがに声のトーンが落ちている。
「振られた?」
声のする方を振り返ると、五十鈴さんが立っていた。
「あ、すみません、うちの部長です」
私が紹介すると、五十鈴さんは芦川くんに名刺を渡した。
「五十鈴です。初めまして。うちの花橋がお時間いただいております」
「いいえ。面白いことやってますね」
大柄な五十鈴さんにやや圧倒されているようだった。
五十鈴さんは私の隣に座った。
「内野さんが、芦川くんに振られたんじゃないんですか」
私は改めて芦川くんに質問をした。
「振られたって言っても間接的にだけどね」
「間接的?」
私と五十鈴さんは声をそろえた。
「息ぴったりだね」
芦川くんは名刺を横並びに置きながら笑った。
「それはどうも。え、誰かを介して振った振られたがあったということですか」
五十鈴さんが前のめりになる。私は五十鈴さんに話してもらうことにした。
「僕と玲ちゃんは塾で結構仲良くなっていたんだよね。机の下で手を握ったら握り返してくれるし、僕のこと好きなんだろうなって確信があったから、付き合いたいって思って、いろいろタイミングを図っていたんだけど。あのー。玲ちゃんの友達に桜田さんっているの、知りませんか?」
「知っています」
「彼女が感づいたみたいで、気を利かしてくれたんだよね。もし、芦川くんが玲ちゃんのことを好きなら訊いてあげてもいいよって。それで訊いてもらったら、別に好きじゃないってことで。かっこ悪いよね。それで、暫くしたら玲ちゃん塾を辞めてしまって」
「桜田さんもですか」
「いえ、桜田さんは続けていますよ」
五十鈴さんは後頭部で両手を重ね、目を閉じてうなった。
「あー。ややっこしいな」
「なんか、嗅ぎ取れましたね」
私は肩を落とした。芦川くんは鼻をくんくんとさせている。
「え、僕はわからないけど」
「あ、それでいいんです。すみません。お時間とらせて。ちなみに、今は好きな女の子、いますか」
私の質問に芦川くんは腕を組んでにやけた。
「気になる子はいっぱいいるよ」
「言い寄ってくる子もですか?」
「まあ、たまにね」
心なしか、芦川くんが私の上半身をじっくり見ているような気がした。
私は思い切って訊いてみることにした。
「もし、私が今一目ぼれしましたって言ったとしたらどうします?」
芦川くんは照れたように首をかきつつ笑った。
「えええ。そうだなあ。お友達からでゆくゆくはって感じかな」
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました」
五十鈴さんは芦川くんの言葉尻に被せて言った。
唖然とする芦川くんをよそに、私と五十鈴さんは席を立った。