Ⅰ 失恋
まさか振られるなんて思いもしなかった。
毎年春になると校庭の隅で大きく咲き誇る桜の木の下。小学校の卒業式終了後、私、花橋ゆうみは初恋を実らせるはずだった。
ここで貴崎涼気に告白されたのは約一年前。小学校六年生に上がったばかりの頃だった。
「昼休みに桜の木の下に来てほしいんだけど」
朝、靴箱のあたりで目があった時に言われた。
「あ、うん、わかった」
貴崎くんとは前からたまに話す程度だった。
それが五年生に上がってから何かと目が合うことが多くてちょっと気になってはいた。
休み時間、帰り道。目が合うとスッと逸らされる。
でも、また目が合ってしまう。
もしかして、私のこと好きなのかな?そんなふうに思うこともあって、徐々に気になる存在にはなっていた。
だから、自然と呼び出しのお願いにも素直に応えられた。
何となく告白をされるんだろうなと期待しつつ私はそこへ向かった。
先に来ていた貴崎君が照れくさそうに頭を掻く姿は昨日のように思い出せる。
「好きなんだよね」
一瞬重なった目線はいつものようにすぐ逸らされた。頬が熱くなった。
「付き合うっていうか、一緒に帰ったり。その、今より一緒にいてくれないかな」
照れ隠しなのか、貴崎君の眼差しは、すぐそばで枝を揺らしている桜の木へと向けられていた。
貴崎君からの告白は飛び上がりたいほど嬉しいものだった。でも、私はそれに答えるわけにはいかなかった。
「ごめん。私、中学受験するんだ。だから、今はそういうこと、できない」
嬉しさを押し殺しながら、ゆっくりと伝える。小学校三年生から積み重ねてきた努力を恋愛で溶けさせたくなかった。
「そっか。わかった」
ちょっとだけ唇を尖らせて貴崎君は踵を返した。そのあっさりとした振る舞いが悲しかった。
勝手ながら傷ついた。出来ればもう少し食い下がってほしかった。でもまあ恥ずかしかったんだろうなって今ならわかる。だって、今、私がその立場になったから。
「一年前はごめんなさい。受験があったから応えられなかったけど、私も貴崎くんのこと、ずっと好きだったの。中学合格したし、学校は別々になるけど、付き合ってくれないかな」
約一年後、私は去年の謝罪を込めて頭を下げた。体中の血液が集まったのではないかと思うくらい、私の顔は熱くなっていた。
その時、舌打ちが聞こえた。
「あー。今、好きな子いるんだよね」
口調はとてつもなく面倒くさそうでだるい。
「え」
思わず顔を上げた。熱くなっていた顔が急激に冷えていく。
「だから、ごめん」
去年と同じようにあっさりと踵を返して貴崎君はその場を離れた。
「え、去年、好きだって言ってくれたじゃん。そんな簡単に好きな気持ちって変わるものなの?」
声は震えていた。
それが聞こえているのかいないのかわからなかったけど、貴崎君が振り向くことはなかった。
風に吹かれた桜の枝から花びらが舞い落ちる。涙で濡れた頬に花びらがぺたりぺたりとくっつく。指先でつまんだ花びらを眺めながら、もしかして貴崎君も去年はこんな風に桜の花びらを見ていたかもしれないと思い、切なくなった。
楽しいはずの春が、初めての失恋によって薄暗いものになった。
「勉強疲れが出たのね」
やたらベッドで眠る私の姿を見て、ママは微笑ましそうにしていた。
確かに勉強疲れもあったけど、貴崎君に存在自体を否定されたような気がして生きる気力が無くなっていた。
悔しくなったり悲しくなったり。心が揺さぶられるたびに、貴崎君も同じような想いをしていたのかもしれないと反省した。
「いい気になって、罰が当たったんだ」
鏡を見るたびにそんな風に思った。告白されて調子に乗っていた。待ってくれるなんて自分に都合よく考えて。わけのわからない余裕に浸っていたのだ。
私の異変にいち早く気づいてくれたのは、親友の福田絵里だった。
小学校入学以来からの付き合い。親よりも私のことをよく知っている。見た目もお互いどこか似ていた。
絵里の方がちょっとぽっちゃりしているけど、身長はだいたい一緒。髪は前髪のあるロングヘア。髪型をアレンジする時は前日までに打ち合わせをしてお揃いにすることもあった。
もちろん、ヘアアクセサリーもお揃い。持ち物の趣味も似ているから、周りからは双子みたいだねってよく言われていた。
正直、絵里がいるから、別に貴崎君とのお付き合いを我慢していても平気でいられた。
そんなソウルメイトである絵里は、お互い一日一回はインスタのメッセージ機能で連絡を取り合っていた。それが卒業式以来途絶えていたことが気になっていたらしい。珍しくスマホに電話をかけてきた。
「どうしたの?具合でも悪いの?」
「悪いって言えば、悪いけど」
「何?どこが悪いの。教えてよ。心配するじゃない?」
「うーん」
「何?」
「振られたんだよ、貴崎くんに」
言った瞬間、力が抜けた。自分で言葉にすると、現実感が半端ない。
「え、どういうこと?あんたたち両想いだったんじゃなかったの?まあいいや、とりあえず会おうよ。話はそれから」
私は絵里と近所の公園で待ち合わせをした。公園で私の顔を見るなり、絵里は抱きしめてくれた。私たちはちょうど空いていたブランコに乗り、ゆっくりと漕ぎ出した。私は少しずつ貴崎君との一件を話し始めた。
「そりゃ、一年も経てば人の気持ちなんて変わるよ。ゆうみの考えが浅すぎたね。そもそも一度振っているわけだし。せめて、受験が終わるまで待ってくれる?とか言っておけば良かったんだよ」
ブランコに軽く揺られながら、絵里に説教をされた。
「おっしゃる通りです、はあ」
「まあ、さ、中学に入れば新しい出会いがあるかもしれないし。ゆうみの中学って制服可愛いし。二割増しくらい可愛く見えるって言うし。これからに期待しなよ」
絵里に強く肩を叩かれた。そうだった。そもそも制服が可愛いからと中学受験をしたのだった。水色のワンピース型のセーラー服。ちょっと古めかしい感じが清楚で人気だった。
「さみしいな。絵里ともこうして会うのも減るんだよね」
「そうだよ。ゆうみが中学受験なんかするからだよ」
「だって、地元の中学の制服、可愛くないから」
地元の制服は紺色の何の工夫もないブレザーとプリーツスカート、白いシャツだった。
「でも、時々会ってよね、私、絵里がいない人生とか無理だし」
私はブランコを降りた。絵里も続けて降りた。自然と二人は向かい合った。互いの肩に顎を載せる。不安な時、こういうふうにして私たちはお互いの体と心を寄せ合っていた。
こんな時いつも絵梨の首筋からはちょっと汗の匂いがするのだが、今日は違った。少しいい匂いがした。ボディソープのような、花のような。つまり、女の人のにおい。
「絵里、何だかいいにおいがするよ」
「そう?何もしていないんだけど」
何だか、お互い、子供ではなくなってきているのだなと思うと、ちょっと寂しかった。