障子に「目」あり
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんってさ。「のぞき」とかしたことある?
――なーに? 別にエッチな意味に限らないわよ。
ドアのすき間や鍵穴から、中の様子をうかがう。そうでなくても、ひょいと窓から外や中を見るのも、立派なのぞきのひとつでしょう?
ま、ここまで追及するなら、ヘリクツと変わりないけどね。私の基準としては、相手がそちら側にいると分かっていて、なおかつ感づかれないことを期待しながら、こちらだけ情報を握りたいと意図する行為……これが「のぞき」かしらね。
でもね、こののぞき。私たちが想定していない危うさが伴うこともあるみたい。
もちろん、のぞいている相手にばれて、やられるってことはあるでしょう。けれども、私が味わったのは、もっと別の相手のこと。
最近、ふと思い出しちゃってね。君だったら興味深く聞いてくれるかもって、つい持ってきちゃったんだ。耳に入れておかない?
私の実家は、窓に対して障子をよく使っている。特に、昼間明かりが入ってくる南向きの窓はすべてが外より、雨戸、ガラス戸、障子戸の順で並んでいる。雨戸を閉めるのは夜になってからだったから、陽が出ている間はガラス戸と障子戸が、外と中を分ける壁。
その障子、定期的に張り替えてはいたけれど、破れたら即、交換ってケースはそれほど多くなかったわ。
格子状に分けられたいくつものワクのうち、わずかひとつの紙がめくれたり、穴が開いたりしたくらいで、取り換えるのはもったいない。そんな気持ちが親にもあったんだと思う。
それが私たちにとっては、絶好ののぞき穴になった。
当時、私は兄とテレビゲームにはまっていてね。兄妹そろってエンドレスにやるものだから、とうとう親から「ゲームは一日一時間」令が出されてしまったの。それも親の監視下でプレイするという条件付き。更に親が部屋に来た時、ゲームをやっている最中はもちろん、出し入れしている姿を見せたら、禁止するという規則さえ。
つまりはゲームのセッティングから片付けまで、しっかり親が見届けていなかったらダメ。私の家の場合、本体やコードも押し入れの中へ、きちんと整えてしまうルールになっていた。
二人がかりでも、瞬時に片付けるのはムリ。おまけに親の気配を感じてから、あわただしく片付けだすんじゃ、音も立つ。階段をあがって、すぐ左手にあるゲーム部屋にたどり着くのに、家のどこからだったとしても20秒もかからないはず。これじゃ、とうてい隠しきるのは不可能。
だから私たちは、虎視眈々と待つ時があったの。休みの日に、親が用事で出かける、その瞬間をね。
親の用事は、そのほとんどが車を使う。私たちの家の脇にある、車庫から出入りするものよ。そして帰ってくる際には、バックで入らなくてはいけない。屋内まで響く、エンジン音をふかしながら。
それなら間に合う。私たちはゲーム音を聞きながら、外からの車の音にも聞き耳を立てる技を身につけて、用心を欠かさなかった。
そして家の前からなかなか離れない車の音を聞くと、破れた障子越しに外を見る。そこにバックランプを光らせた灰色セダンがいたのなら、撤収の合図。これまた積みに積んだ経験を活かして、私たちはゲームを元通りにしまっていく。親が車から降りてくる時には、ゲームの気配を見せず、各々の場所でくつろぐ、私たちの姿があるばかり。
完璧じゃん。そして、確実に味わうことができる蜜ほど、甘いものなんてない。
そしてある日曜日。長年入院していた、父の親戚筋の方の病状が悪化したとの連絡が入ったの。
私たちにとっては、ほとんど会ったことがない方。母と父が私たちに留守番を任せて、朝早くから出ていったわ。けれど、子供の私たちにとって、ことの重大さは伝わらない。
分かっているのはただひとつ。フィーバータイムが始まった、ということだけ。
親が置いて行ってくれたお金で、手早くコンビニでご飯を用意して、ゲーム本体とテレビをつないだら、もうあとは画面以外に目もくれなかった。せいぜいがトイレに立つくらいで、私たちはお互い、カチャカチャとコントローラーを鳴らしていたわ。
居留守を使って構わないと言いつけられている。電話が鳴ろうが、インターホンが響こうが、私たちは無視。そんなことより画面の中でいかにミスしないか、いかに相手を出し抜くかしか考えない。
私も兄も負けず嫌い。負けた分は取り返さないと気がすまず、それがまたゲームを長引かせる要因となっていたわ。
いつしか南向きの窓から入ってくる光は、淡いものからはっきりしたものになり、やがてほんのりだいだい色を装い始める。それでも私たちは止まらずにいた。
ふと、家の車とそっくりのエンジン音が聞こえて、私たちはぴくんと背筋を伸ばす。
正座しっぱなしだったから、足が強烈にしびれている。それでも万一のリスクを考えたらと、ポーズをかけた私は、半ば這いずりながら窓際へ。
格子の最下段、右からふたつ。そこがこの部屋の障子の破れ目。私は背筋にぐぐっと力を入れて、破れ目からそっと外をのぞいたの。
「わっ」と声をあげて、そこから顔を背けちゃったわ。だってそこからのぞけたのは、見慣れた家の外の風景じゃない。
まず広がるのが浅い芝生の生えた地面。数十メートル先にあるのは、一段高くなった木の板でできた床。壁もまた同じ木でできた奥行きを持つ。
弓道場だとすぐ分かったわ。私は、的がある方から射場を見やっている状態。そこに長い黒髪を一本に結って立つ、ひとりの女性の姿があったの。
白い足袋に、黒色の袴。上衣に、胸を守るための胸当て。そして彼女自身、すでに「引分け」を終えたところだったから、私はさっと身を引いちゃったわけ。
――誰かがこちらを狙っている。
胸がばくばくして動けない私を見かねて、兄はこともなげに障子に近づいて、穴から向こうをのぞいてしまう。
私は顔を手で覆って、惨状を避けようとするけど「違ったよ」とつぶやきながら戻ってくる兄に、どこか安堵を覚えたわ。
それからもゲームはしたけれど、私は意識を完全にあの光景へ持っていかれて、集中できない。
歯ごたえのなくなった妹にとうとう興味をなくしたか、兄は自分がやるから、後ろで見てていいぞと提案してくる始末。私はゲームを見るのも好きだったけど、兄に「もうやめよう」って提案したわ。あのとき見たこと、全部を話して。
でも兄は案を却下。そりゃ、おそらくあれを見てないんだからね。妹の妄言より、ゲームを優先するのは自然でしょう。一人用のRPGを始めてしまう兄の後ろで、私は死にかけては回復していくパーティーを見つつ、ちらちら外をうかがっていたわ。
そうして、部屋の明かりをつけようかという時間帯。
また家の前で、聞き覚えのあるエンジン音。すでに陽が暮れたこともあって、車のランプの色が、ときどき障子を透かして入ってくる。
「見ろよ」と合図を出す兄に、私は頑固に首を振った。あの場とあの人の前に、進んで出ていきたくない。ボス戦の最中で熱くなっている兄は、「チッ」と舌打ち。ぽいっとコントローラーを放って、ずりずりっとじゅうたんの上を擦りながら、兄は例の障子の破れ目から外をのぞいたの。
「うおっ」と兄がのけぞったのと、その後頭部の延長線上にあったタンスから、「がつん」と音が鳴ったのは、その直後だったわ。
仰向けになる直前に、ひじでかろうじて上体を支えた姿勢の兄。そちらを一瞥してからタンスを見ると、三段目の引き出しの真ん中に、親指が入ってしまうほどの穴が開いていたの。もちろん、ほんの先ほどまでこんなものはなかった。
外から車のエンジン音は止まず、やがて障子には新しい赤色が映り込んだわ。
うちの車のバックランプ。親が帰ってきたんだと、兄の肩を叩くけど、ビビりが抜けていない。
今度は私が舌打ちする番で、有無を言わさず電源を切る。すぐさま始めた片づけのおかげで、親が家の戸を開ける時には、どうにかゲームを元通りにすることができたわ。そして「おかえり」ついでに、障子の修繕も頼んだの。
両親が見舞った親戚の方だけど、それから数日して亡くなられたらしいわ。葬儀に関しては、私たちも連れていかれた。
そこでの皆さんの話を聞いたところ、亡くなられた方は弓道で錬士の称号を授かるほどの、高段者だったとか。
それ以来、私はのぞき。特に障子戸からのものは、できる限り避けるようにしているの。