独演会『フクメン』『一日長官』『梅は咲いたか』『深川鍋』『卒業公演』
えー、今日は手前の独演会ということで、緊張しつつも気楽といいますか、気楽でありつつ不安であるといった按配で、お客さんくるかなあなんて心配していたんですが、まさかの大入り満員で、小さな会場とはいえ幸せな限り、サクラを雇った甲斐があったといいますか、厚く厚く御礼申し上げますが、まあ家族や親戚一同、さらに今日はじめて会うというような存在すら知らなかった遠い親戚まで総動員して、それでなんとか席が埋まったというんでほっと一安心。まるで一族郎党を集めての総決起集会のような雰囲気で、中には遠路はるばる飛行機で駆けつけたなんて九親等の人がいて、遠い親戚より近くの他人なんていいますが、いやいやどうして、これはこれで有難いもので、実質的にはほぼ他人でありながら、親戚という呪縛でわずかに繋がっているという、この空疎な距離感と義理感が堪りませんね。近くの親戚なんか煩わしくて仕方がないんですが、まあ、あとで怒られるので今の発言は取り消しますが、でもあれですね、世間には色んな繋がりや協力関係、協調関係なんてものがあって、いつでしたかコラボレーションなんて言葉が急に流行り出して、今ではすっかり普通の日常語になっていますが、あのー、共同作業とか合作・共作なんて意味で使われて、あれ最初に耳にした時はなんのことかわからなくて、怖い伝染病でも流行ってるのかなあなんてびくびくしたもんですが、コラボ出血熱なんていって、ええ。まあ昔はそういうのはVSと書いてバーサスでして、あるいはフィーチャリング・ウイズなんてのもありましたが、手前なんかは頭が古いですので普通に夢のキョーエンでいいと思うんですけどねえ。しかもそれですと、キョーもエンも色んな漢字を組み合わせることができて、共同作業の共ですとか競い合うの競、協力するの協に興味関心の興、教えるの教におみくじの凶、恐怖映画の恐に任侠映画の侠、あとあのー、故郷の郷の下に食べると書く漢字ですよ、それに宴を組み合わせて饗宴なんて言葉がありますし、京都が艶っぽいなんてのもあって、そういう方がわかりやすいし色々楽しめると思うんですが、今はすっかりコラボコラボで、うちの近所の大衆食堂なんかも、なにを勘違いしたのか血迷ったのか、それで若い客がくるとでも思ったんですかねえ、メニューのお品書きをかえまして、ブリと大根のコラボ、カレーとライスのコラボなんて、まあどこもかしこもコラボだらけで、猫と杓子のコラボでございます。
実は今日のこの会も趣向が少しかわってまして、ポスターの方に異色のコラボなんて書いてありましたが、まあ二人会ということではなくゲストなんですがね、鍵家南京錠あにさんを呼んでおりまして、どういうことか意味がわからないんですが、手前が自分の作った創作落語の登場人物と一人二役で共演するという、不可思議な試みでございます。まあそういう企画は別にありだとは思うんですが、なぜ南京錠あにさんなのかという、そこですね、ええ。あのー、大河落語『茜の生涯』の中でも、主人公の茜とライバルの玉子はもちろん、紀伊ノ助師匠に閉蔵にピック、それに戸ノ助師匠んとこの穴ノ助君なんて、その辺は人気のキャラクターなんですが、滅多に名前の出てこないあにさんでして、かなり不安なんですが――、
えー、南京錠でございやす。早速なんですが、皆さんは覆面という言葉を聞いてなにを思い浮かべやすかね。あのー、あっしはご案内のように元プロレスラーですんで、覆面レスラーなんてのが真っ先に浮かびやして、実際あのー、当時は毎回かぶってやして、というのもあっしは見てわかるように図体はでかくて厳ついんですが、目がですね、オメメちゃんですが、このようにくりくりしていて可愛らしいもんですから、そんなつぶらな瞳に見つめられたら堪ったもんじゃない、力が入んなくて試合になんないなんていわれて、それで強制的にかぶらされてたんですね。おかげでこのチャーミングなオメメがほとんど注目されず、悪役のイメージのまま引退したんですが、実際はこんなオメメをしてやして、引退したあとで噺家に入門して素顔で雑誌に載った時にですね、うそー、地獄の処刑人デビル南條ってこんなに可愛かったの、ギャップ萌えー、なんていって女性のプロレスファンからファンレターが届いたりして、現役の頃は脅迫の手紙ばかりだったんですが、それが一変しやして、そのおかげで最近はプロレスの余興に呼ばれるなんてことも多くて助かってるんですが、えー、覆面と聞いてプロレスを思い浮かべるという人は、まあプロレスファンは当然ですが、熱血漢タイプの人間でございやすな。よくも悪くも熱い人間で、上手に利用すればこれほど頼もしいこともないんですが、取り扱いが難しいのが最大の問題で、なんせ常日頃から肉体を鍛えることばかり考えているような、いわゆるノーキン、脳みそ筋肉な人間なんてのが多くて、あっしなんかは女房子供と食事に行ったりなんぞしやしても、たんぱく質と脂質とミネラルの割合ばかり気にしたりして、まあただ、うちの女房はすでにそういうのを熟知しておりやすので、ねえあなたン、チキンの美味しいお店があるんだけどォ、ボリュームが凄いって評判なのにィ、たんぱく質と脂質とミネラルの割合が絶妙だって評判なのよン、なんていって外食をねだったりするんですね。そんなふうにいわれたら連れてかない訣には、というんで最近はやたらと外食が多くて、普通なら料理をさぼることばかり考えている駄目女房なんてことになるんでしょうが、あっしからすると夫の肉体改造に積極的な素晴らしい女房、できる女、最愛の妻でして、そうやって手のひらの上で転がされるのを楽しんでいたりもするんですね。
えー、次に覆面と聞いて悪の組織を思い浮かべるなんて人もいやすわな。あのー、子供向けのテレビ番組の、特撮ヒーロー物なんかの敵の、その下っ端の戦闘員でして、全身黒タイツの覆面スーツを見事に着こなして、毎週のように正義のヒーローにいじめられるんですが、ああいうのを思い浮かべる人というのは、まあ特撮ヒーロー物のファンは当然なんですが、あとは自分に自信が持てない消極的な人、引っ込み思案の人が多いんですね。どういうことかといいやすと、自分に自信がある人はですね、大体ああいう番組さんを見やしても正義のヒーローや凶悪な怪人ばかりに注目して、下っ端の戦闘員なんか眼中にもなければ記憶にも残らない、ところが自分に自信がない、いつもなよなよおどおどした感じの人は、ああいう社会的弱者にシンパシーを感じて心中でこっそり応援してたりするんだそうで、ほんとかなー、そんなことないだろーなんて普通は思いやすが、これが本当でして、あっしの弟弟子、といっても同じ日に一緒に入門した仲なんですが、うちの門扉さんがそんなことをいうんですね。いつでしたか、茶の間のテレビがついててなに見てんのかなと思ったら、門扉さんがなにやら小さな声でぶつぶつ、頑張れ頑張れ、頑張るんだ、今日こそ一矢報いてやれ、その非力な拳でたった一秒でいい、ヒーローの足を引っ張るんだ、なんて応援してるんですね。これはびっくりですよ。しかもその隣にいた別の弟弟子も夢中になって見てて、同じように黒覆面の方を応援してたりして、世の中にはそんな人間もいるのかとカルチャーショックを受けた瞬間だったんですが、世の中にはそんな人間もいるということで、そうして社会が成り立っている訣でございやす。
えー、次に覆面と聞いて銀行強盗を思い浮かべる人、まあこれは銀行強盗のファンは当然なんですが、これを思い浮かべる人は当然悪い人かと思いきや、実は普通の一般人タイプでして、社会にそういう悪い連中がいるのが許せないし怖いけれど自分ではどうにもできない、だから悪い奴らを取り締まったり懲らしめたりするような、そういう刑事ドラマや時代劇なんかを見て溜飲を下げるという、そんな感じのごくごく普通のタイプで、じゃあ当の悪い奴らはなにを思い浮かべるかといいやすと、そういう連中が真っ先に思い浮かべるのは覆面パトカーなんだそうで、心に疚しいことがない限り、覆面と聞いて覆面パトカーを連想するなんてことはまずありやせんし、そもそも覆面パトカーという存在を実生活の中で意識するなんて人は、その時点でなにか問題があるんじゃないかと思うんですが、あのー、これまたうちの弟弟子というか妹弟子というか、新しく入門した女の子なんですがね、その子が昔レディースなんてのに所属していて、女の子だけの暴走族みたいなふざけた集団なんですが、その子が覆面なら覆面パトカー以外はありえないっていうんですね。しかもあいつら騙し打ち上等で追いかけてきやがって、正々堂々と勝負しろってんだ、ぶちかまっぞゴラ、なんていうもんですから、元悪役レスラーのあっしが心底びびったりして、またその子がですね、あいつら平気で信号は無視するわ制限速度は破るわで無茶しやがって、よく捕まんねえな感心だ、なんて変なことを口走ったりして、世の中にはそんなおかしな子もいるんだというんでカルチャーショックを受けたんですが、まあそうやって社会が成り立っている訣でございやして、
「おまえさん、おまえさん、ちょいと聞いたかい、隣町の熊五郎さんとこ。どうしたってんじゃないんだけどね、熊五郎さんとこの店に夕べ、覆面がきたんだって」
「なに、イケメンがきた。おかしいな、わしは熊さんとこにはしばらく顔を出して」
「なにいってんだいあんた。イケメンじゃなくて覆面だよ。それにおまえさん、よくその顔で自分をイケメンだっていえたもんだね。たまには鏡でも覗いてみたらどうだい」
「なんだ、イケメンじゃなくてフクメンか。で、そのフクメンってのはなんだ」
「決まってんだろ、覆面調査員だよ。前にテレビでやってたじゃないか。また新しいミシュランのガイドブックが発売されて、今度はたこ焼き屋さんが星を獲得したって話題になってただろ。飲食店やってる人間で覆面っていったらミシュランしかないじゃないの」
「ほお、そうなのかい。へえ、たこ焼き屋がミシュランねえ」
「そうなんだよ。それで、お昼の情報番組でやってたんだけどね、その調査員ってのは自分から名乗ったりしないし、普通の客を装ってるらしいんだけど、それも世を忍ぶ仮の姿なんて感じで変装してるらしくて、しかも男女のアベックを装うっていうじゃないか」
「おいおい母さん、興味深い話ではあるが、今は平成だぞ、そのアベックという呼び方は」
「あらいいじゃない、だって若いカップルじゃなくて中年の男女だっていってたのよ。中年の男女ならカップルじゃなくてアベックの方が言葉として正しいじゃないの」
「まあ正しいかどうかは知らんが、一理あるか。いや、ないか」
「それにそれ、あたしじゃなくて熊五郎さんがそう表現したんだから。というのもあそこのお店に昨日、そういう怪しいアベックがやってきて、メニュー表や料理の写真を撮ったり、色々と質問なんかしてきたらしいんだよ。それで熊五郎さんがいうには、それが覆面調査員だったんじゃないかって、それでわざわざ教えてくれたんだよ。見慣れない客に気をつけろって」
「なにをそんな馬鹿なことを。大体、熊んとこはただの薄汚れた居酒屋だし、うちもしがない町の大衆食堂だ。確かにたこ焼き屋が選ばれたなんて聞くと、うちにも可能性があるんじゃないかなんて気がしないでもないが、こんな店に覆面調査員がくる訣が、へいいらっしゃい、って、お、おい母さん、母さん!」
「あら、どうしたの」
「それが、客が、客が」
「あら、今日最初のお客さん、いらっしゃいませー、って、あ、あなた、あなた!」
「お、おい、あれって、ふ、覆面だよな、覆面だよな。ああ、だよな、だよな。しかもあれ、中身は別として、見た感じ男女のアベックだよな、そうだよな」
「ええ、そうよ、どう見てもそうよ。左の人は完全にタイガーマスクだし、右の人は、よくわからないけどセーラームーン? それともキューティーハニー?」
「おそらくプリキュアだと思うが、まあ女性キャラの覆面という点では同じか。そんなことより母さん、どうすればいい、まさかうちに覆面がやってくるなんて」
「どうするって、いつも通りに接客するしかないでしょ。大丈夫大丈夫、とりあえずあたしが、落ち着いて落ち着いて、いらっさりまけー、いらっさりまけー」
「おいおいあっちはミシュランだぞ。その顔で接客するつもりか、いっそのことこっちもパンストでもかぶって……」
「あらあなた、あたしのこの顔になにかご不満でも?」
「いや、不満はないんだが、相手がミシュランだと思うと、やはり釣り合いが……」
そんな具合にその大衆食堂に謎の二人組が訪れやして、まあ覆面調査員が覆面をかぶってやってくるなんてことは絶対にないはずなんですがね、二人とも突然のことで気が動転しておりやして、しかもその覆面のアベックが、店内の写真を撮ったりお品書きの写真を撮ったり、あとはそのメニュー表を見ながら色々と質問してきたりしやして、トンカツ定食のキャベツのおかわり無料というのはどこまで大丈夫か、鶏のから揚げはどの部位を使っているのか、脂肪分の少ないササミのから揚げは頼めるか、貸し切りは可能かなんて、まあそうやって色々と訊いてきやしたので、まず間違いなく調査員だろうなんて勝手に思い込んで、そうなると店の亭主もうちはしがない食堂だなんていいながらも見栄を張りやして、
「おい母さん、今すぐ魚勝んとこ行って伊勢海老買ってこい!」
「伊勢海老ってあんた、そんなのどうすんのよ」
「決まってんだろ、それで天丼作るんだよ。養殖のブラックタイガーなんか使ってるなんて知れてみろ、大幅に減点だ。特にタイ産なんてばれようもんならその時点で……」
「おそらく退散ってことだろうけど、でも魚勝さん、伊勢海老なんて仕入れてるのかい」
「うーん、これまで一度も見たことはねえが、まあ仕方ねえ、なきゃないで天然の車海老だ、それを今すぐ買ってこい。おっと、それとついでに肉の大森にも寄って、ブロイラーじゃない鶏肉だ、それを買ってこい、俺が揚げてやる」
「でもあんた、から揚げはブロイラーが一番美味しいんだよ。地鶏なんか大丈夫なのかい」
「相手はミシュランだぞ。確かに地鶏なんていうと筋張った印象だが、ああいうのは大概が老いぼれた地鶏で、若い地鶏はジューシーで旨いんだぞ。そうだなあ、名古屋コーチンとか比内地鶏とか聞いたことあるのがいいな、ブランドもんだブランドもん」
「でも大森さんとこに売ってるかしら」
「まあなんでもいい、とにかく地鶏だ地鶏、地鶏なら産地は構わん」
「そうだ、大森さんとこの隣の惣菜屋さん、コロッケが美味しいお店だけど、あそこでたまに鳩肉売ってたりするけど、ほら、中華やフレンチじゃ普通の食材だっていうし」
「鳩肉か。まあ確かに食用ならいい気もするが、あそこの鳩肉、たまにしか置いてねえだろ。しかもあそこの高校生の娘、名前はなんていったか、将来は手品師になるとかいって商店街のイベントで手品の真似事してたじゃねえか。あれは本当に食用なのか疑問だぞ」
「じゃあそれはやめとくけど、とりあえずブロイラーじゃなきゃいいのね」
そうしておかみさんが急遽買い出しに走り、その間に亭主の方はといいやすと、サービスですなんていって冷や奴の小鉢やおひたしの小鉢、ポテトサラダの小鉢なんかを勝手に出したり、またお水なんかも普通のお冷やではなく、うちはいつもエビアンでございやすなんていって、ペットボトルからワイングラスに注いだりして、客の二人も最初は喜んでいたんですが、テーブルいっぱいに無料の料理が並びやすと、さすがにこれはなにかおかしいというんで、
「兄貴、やっぱりこの覆面のせいじゃないですか。強盗かなにかと勘違いされて、それで無事に帰そうとか時間を稼ごうとか、そういう意図で」
「なにを馬鹿な、強盗がプリキュアなんてかぶる訣ねえだろ。これはあれだ、あのオヤジは往年のプロレスファンってやつで、俺たちに力つけて貰おうなんて、そう思ったに違えねえ。こっちは旗揚げしたばっかとはいえ地域密着、地元に根差した団体を目指すってんで、こうしてアピールしてる訣だからな。覆面かぶって商店街を歩くなんて、こっちだって恥ずかしいのを我慢してんだぞ。おめえはまだいいだろうが、プリキュアの覆面がどんだけ恥ずかしいか」
「兄貴、なんでプリキュア選んだんすか。それならまだキューティーハニーの方が」
「そらおめえ、うちはロウニャクニャンニョ、ちといいにくいが、老若男女の別なく地元に愛される団体を目指してるからな。新しいキャラクターの方が子供ウケするだろ」
「でも兄貴の体格でプリキュアはないっすよ。今日だってみんな避けてたじゃないすか。子供が見たら絶対泣きますって、完全にトラウマですよ」
「そらまあ結成して間がねえし、まだ全然知られてねえからな。けど毎日こうして戸越銀座を練り歩いてりゃすぐに見慣れて、そのうちファンも増えるって寸法だ」
「でもこのマスク、許可とか貰ってるんすか。なんか権利とか難しいと思うんですけど」
「ああ、そこは安心しろ。おめえのタイガーマスクもそうだが、実は色や形をちょいとかえてあってな、その筋のプロが見れば別物だというのは一目瞭然だからな。それは大丈夫だ」
「その筋のプロって、日本にどれくらいいるんすか。それに、むしろ紛い物の方がやばいような気が」
「そんなに心配すんなって。それに俺の振りつけだって、だいぶアレンジしてあるからよ」
「え、振りつけってなんですか。まさか兄貴、その体格でプリキュア踊ったりとか」
「なにをわかりきったこといってやがんだ、そのつもりに決まってんだろ」
「いやいや、意味がわかんないんですけど。え、兄貴がプリキュア踊るんすか? というか、え、兄貴プリキュアの踊り覚えたんすか?」
「あたぼうよ。完璧に覚えるのに二週間、それからさらにプロレス風のアレンジで二週間、この一カ月はまさに死に物狂いってやつだ」
「いやいやいや、兄貴、それは駄目ですよ。肝腎のプロレスの練習にあまり顔見せないんで、みんなで心配してたんですよ。それなのに練習さぼってプリキュア?」
「そんな人聞きの悪いいい方すんなぃ。マスターするのにどんだけ汗水垂らしたか、プロレスの練習なんてそんな甘っちょろいもんじゃねえ、血のにじむような猛特訓ってやつだ」
「いやいやいや、兄貴、それ完全にさぼりっすよ。みんなに示しがつかないですよ」
「なんだとてめえ、さっきからさぼりだのなんだの、こっちの苦労も知らねえでいいたい放題いいやがって、それならてめえもプリキュア覚えてみやがれってんだ!」
「なにぶちぎれてんですか。練習さぼってまで覚えるようなことじゃないでしょうが」
「なんだとこの野郎、踊らねえプリキュアなんてな、プリキュアじゃねえだろうが!」
こうして二人の客が口論をはじめ、さらには取っ組み合いの大乱闘。さすがにこうなりやすと店の亭主も、これは絶対に違う、こいつらは調査員なんかじゃない、ただの変質者の二人組だと気づきやして、貴様ら、店ん中で喧嘩なんかしやがって、出てけ、二度とくんじゃねえ、コンチクショーと怒鳴りやして、さらに塩の壺を持ってきたりなんかするんですが、
「ちょっとあんた、塩なんか撒いてどうしたのさ、なにがあったのよ。せっかくの調査員だっていうのに追い払ったりして」
「ああ、それは大丈夫だ。あんな客はミシュランない」
*
えー、さすがは南京錠あにさんといった感じで、まあなにがさすがなのかよくわかりませんが、今度はいよいよ手前の出番ということで、演題はもちろんご案内の『茜の生涯』、あらすじの方はかくかくしかじか、間違い電話から落語家になった茜が、師匠の勘違いからこれまたオハコ十八番の一員になり、さらになぜだか人気者になって日本中を茜フィーバーに包み込み、正月の年明けには本人に打診なくいきなり国民栄誉賞の授与が発表されるという展開で、そんな普通ならありえない人生を着実に歩んでいる二十六才くらいの主人公なんですが、誰が想像できたでしょうか、この鍵家茜がさらに平和国家日本において突如発生した東京都内同時多発幼稚園バス一斉襲撃事件、のちに第一次一・一〇なんて申しまして、その年はちょうど成人の日で祝日でございましたが、その難解なテロ事件に立ち向かうことになろうとは!
とまあこれはあれでございますな、皆様ご案内のように一日警察署長というのがありまして、ほかにも消防署やら税務署やら、税関なんてのも毎年毎年そういうイベントをやったりなんかしてますが、この噺はですね、警視庁の通信指令センターという、都内の一一〇番が全部集まるハイテクな部署があるんですがね、あまり知られてないものですから、そこの長官が、
「俺たちもちょっと真似してみようか、副長官どうかな」
「一日長官ってことですか。いいですねえ、やりましょうやりましょう」
「時期はいつがいいかな、やっぱり梅が散って桜の咲く頃かな、それか新年度がはじまってからの四月、あるいは少し落ち着いた五月ってのがお役所としては本寸法かな」
「長官、それなら一月十日なんてどうです」
「お、一一〇番の日か、さすが副長官、うまいこと考えたな。よし、一枚やろう」
「でも残念なことに昨日がそうだったんですよ」
「ああ、昨日だったか。まあでもせっかくだし、よし、来年の一月十日だ、来年は絶対にアイドルを呼ぶぞ!」
なんて適当に決めたんですね。ところがそういうイベントははじめてで慣れてませんから、イベントがはじまる朝の九時から翌朝の九時まで、丸一日二十四時間、本当に長官の権限を与えてしまって右往左往するという、まま、フィクションにはよくある筋書きで、落語にもいくつかあったりするんですが、えー、先ほど申しましたように、茜はわずか数日前に国民栄誉賞が決定したばかりで人気絶頂、正月の寄席に二ツ目の噺家として、またオハコ十八番の箱入り娘としても出演しながら、連日連夜、CMの収録に臨んだり本業の稽古に励んだりで夜もろくに寝ておりません。普通ならそういう一日署長みたいな仕事は、スケジュールに余裕のある売り出し中のアイドルだとか、いっちゃなんですが、知名度はあるが仕事がこないというような落ちぶれかけのタレントさんの役割だったりもして、いくら一年前といっても年末には映画も公開されて話題沸騰、すでに茜フィーバーがはじまってましたんでね、茜に依頼がくるなんてことはなく、実は最初にオファーがあったのが紙切り芸の梅ヤッコ姉さんでございます。
どういうことかというと、その梅姉さん、そろそろアラサーからアラフォーにランクアップするというんで、オハコの事務局に内密に年季明け、卒業を打診していて、そんな時に一日長官の依頼がきたものですから、事務局の方もまあ梅ヤッコならいいか、人気はいまいちだけど知名度はあるし、どうせ卒業するんだし、なんて軽い感じで引き受けたんですね。ところが卒業後、さすがは結成時からのお局様ですね、これで寄席に束縛されなくなったというんで方々から仕事の依頼が殺到し、しかも政府主導の新春ヨーロッパツアーなんてのが決まりましたから、当然の如くそっちを優先します。そうなると困ったのが事務局で、半年も前に受けた仕事を今さら断る訣にいかず、穴埋めしようにも現役の箱入り娘は各地の寄席に引っ張りだこで大忙し、しかもこのオハコ十八番、初期の迷走時代は別として、三年目の本格芸能路線で国民的な人気となって以降は、寄席や伝統芸能に関係する仕事以外は一切受けないという厳格な方針ができていて、その方針がまたその人気を不動のものにしていたんですね。
あのー、大ヒットした茜のソロデビュー曲もですね、『井戸の茶碗』という曲名のテクノ風端唄ポップスで、「金だらいにぬるま湯に塩、支度をして持ってこい」なんて威勢のいい台詞を何度も繰り返しますし、同じくミリオンヒットの二枚目も落語を題材にした『麹町モンキー』、三枚目は明治大正の頃に流行った端唄『大工さんの甘納豆』で、それからまた、「おとっつぁん、河岸行っとくれよ」なんて台詞が流行語にもなった茜の主演映画はいうまでもなく落語が原作で、その人物設定を脚色したものですし、ゲスト声優として参加して大ヒットしたアニメ映画『コンボイの謎』は、これはまあ一見して伝統芸能とはまったく関係ないですし、茜の役も、目からビームを出して敵を殺すロボットという役で、本来ならなんの繋がりもないはずなんですが、京都は三条木屋町生まれの糸屋の娘が操縦しているという設定で、ビームを出すたびに「諸国大名弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す」なんて俗謡を唄ったりするもんですから、事務局もそれならギリギリオッケーかな、なんて許可を出したんですね。ただこれは茜がですね、どうしてもこの映画に参加したいというんで自分の人気を盾に取って強引に迫ったといいますか、かなり反則的な働きかけをした結果でして、こればかりは手前もどうにも賛同できませんで、鍵家茜、完全に悪い子でございます。
またCM出演なんかにも同様の規則が適用されるんですが、でもこれは落語を絡めれば済む話で、蕎麦やうどんなんかの麺類は題材も豊富な上にすする真似という芸当がありますし、お酒やお茶なんかのドリンク類も同様で、また水餃子のCMなんかは「じゅーげむじゅげむー、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水餃子」なんて『寿限無』を唱えればいいだけで、家や賃貸雑誌のCMも、「食う寝る処に住む処」なんていってやっぱり『寿限無』で、宝くじは当然『宿屋の富』、上方では『高津の富』という題名ですが、「子の千三百六十五番」というやつでございます。また予備校のCMなんてのもあって、茜が教壇に立って生徒に『千早降る』を解説する、別のバージョンでは『つる』を解説する、『やかん』を解説する、『桃太郎』を解説するなんて感じでシリーズ化されたほどで、またお菓子なんかは「おまえさん、菓子行っとくれよ」なんて『芝浜』のダジャレもあれば、「なにか買っておくれよ」なんて『初天神』の台詞もあって、まあCMなんてのは物を買わせるのが目的ですんでね、この台詞は万能ですし、そもそも台詞にこだわる必要もなくて、寄席の高座で落語を演じている最中に照明が消えるだけのLED電球のCMだとか、軽ワゴンの後部座席に座布団を敷いて落語を演じる車のCMだとか、熱演のあまり扇子を折ってしまい、もしもの時のために、なんてナレーションが入る保険のCMだとか、虎のキグルミを着てライオンの檻に入る動物園のCMだとか、そんな感じで簡単にオッケーが出ますので、どこが厳格な方針なのかわかりませんが、茜も今やすっかりCMクイーンで、まさかそうやって女王になるなんて本人も周りも夢にも思ってなかったはずで、大変な作り話なんですが、そんな多忙な茜に一日長官の仕事なんて本来なら回らないはずで、事務局も暇そうな面子には声をかけるんですが、ただ正月ですし、しかも成人の日で祝日となると皆、朝から晩まで営業の予定が入っていて、まあ梅姉さんと交代で加わった紙芝居師の女の子と、その前に入った奇術師の子はスケジュールが空いていたんですが、一年目のご新造さんに任せるのは頼りない、やっぱり断ろうなんて決めたところに血相かえて飛び込んできたのが代役の話を聞きつけた鍵家茜、どうしてもと懇願致します。
ご案内のようにこの茜ちゃん、高校時代のレディースにいた時分にパトカーとチェイスした経験があって、世界で一番なにが怖いかと訊かれると、マッハポリスか練馬のダークペガサスかというくらいに警察という存在に敏感で、そのお仕事に大変興味を持っていたんですね。しかもこの茜がわざわざ『花色木綿』という泥棒噺を習ってきて、一日長官の就任披露興行という形ならオハコの方針に違反しないなんて、そんな頓珍漢な理屈まで用意していましたので、どうするか徹夜で思案していた事務局も、渡りになんとかの大助かりでございます。
こうして仕事が本決まりになって一月十日、茜が警視庁は桜田門、庁舎内にある通信指令センターを訪れますと、これは一日警察署長なんかと同様、茜も女性警察官の制服に袖を通しまして、右肩に金色の飾り紐のついた幹部用の制服でございますが、紛い物のコスプレなんかではなく本物の婦警さんの格好で、帽子も含めて手前の大好物だったりするんですが、それは無視して頂いて、一日長官と書かれた紅白のたすきを肩から斜めにかけまして、
「緊急時、まずは落ち着き一一〇番、イチイチゼロで、たちまち安心」
「二十四時間、年中無休、市民の安全守るため、三つの数字を待ってます」
「悪党が、一番恐れる桜田門、そこに繋がる一一〇番」
「明けの鐘、ゴンと鳴る頃、三日月形に、窓が割れてて一一〇番」
「緊急事態の報せを受けて、あたしゃあんたの、傍に駆け寄る、都民の公僕ポリスマン」
「博徒が頼るは清水の次郎長、堅気の都民は警視庁」
なんて次々に標語を繰り出します。一生懸命に考えてきたんでしょうねえ、中には変なのもありましたが、入門したての頃が嘘のように自信満々な表情で、当然マスコミも殺到し、もの凄い量のフラッシュが焚かれたりして、ただ誰が発注したのか嬉しいことに、イベント用に制服のタイトスカートがかなり短くなっておりましたので、そのフラッシュが茜の脚元ばかりを狙って、それを見た通信指令センターの職員たちも、
「まさかこんなに脚光を浴びるとは」
「なるほど、文字通り、脚の光ですな」
「お、さすがは副長官、そこに気づいたか」
「気づかないでか、あっしらは仮にも準キャリのエリートでっせ」
「そうだったな、わはははは」
なーんて脳天気に喜んでいたりして、そんな和やかな雰囲気でイベントがはじまり、次はメインの催し、館内の見学者用ホールに移動して、その特設ステージの高座に婦警姿の茜があがるんですが、正座してスカートは大丈夫なんですかね、一応手ぬぐいでガードしているということにしておきますか、しない方がいいですか、どちらでも宜しいんですが、
「えー、毎度お引き立て頂き、有難く御礼申し上げまして、今日は二ツ目の落語家ではなく、一日長官としての高座でございますが、えー、寄席の方では三棒なんてことを申しまして、この三つはいくら悪くいっても客が怒ることはないというんで重宝されてるんですが、なんでしたか、ヤン坊マー坊天気予報ですか、違いますか、そうなりますと、麻婆豆腐に麻婆茄子に麻婆春雨、これも違いますね、これは怒りますよ、好きな人大勢いますんでね、ええ。えーとですね、正しくは泥棒、マル暴、けちん坊というやつでして、こうして高座にあがって泥棒の悪口をいったところで、やい貴様、もっぺんいってみろぃ、泥棒稼業を舐めんなよ、なんていえませんしね、自白ですからねそれ、いったら即お縄ですんで、黙って耐えるしかない訣で、次のマル暴というのはここの職員さんたちのお身内ですが、暴力団担当の刑事さん、これがまた怖いんですよ、本家本元、本物のヤクザ以上にヤクザみたいな風体をしてまして、パンチパーマに剃り込みは当然、金のネックレスなんかジャラジャラさせて、足よりも先に肩から歩くというような具合で、もう怖くて仕方がないんですが、仕事柄そういうのも必要なんでしょうねえ。あのー、寄席なんてところには色んなお客さんがいますから、そういう筋の客がくることもあって、それをマークしてマル暴もやってくる、そのマル暴の悪口をいったところで、これは泥棒と同様、なんだとこの野郎、もっぺんいってみろぃ、親方日の丸を舐めんなよ、なんていえませんし、いったら尾行がばれてしまいますんでね、黙って耐えるしかない訣で、大変なお仕事でございますが、えー、最後のけちん坊というのはいわずもがな、金を払ってまで落語を聴きたいなんて思いませんからね、そんな客は寄席にはこないので悪口いい放題なんですが、ただですね、今日は寄席ではなくてイベントで、しかも無料ですので、ここの職員さんやマスコミさんの中にそういう方がおられるかもしれませんで、けちん坊の悪口は封印せざるを得ないというんで大変困っていたりもするんですが……、ただ、そうなると逆にですね、けちな人を悪くいうのではなく、そのどけちっぷりを称賛するという、まあそういう逆説的なやり方もありまして、えー、けちな人というのは同じくけちな人と会いますと、けち自慢、けち合戦なんてのをはじめるのが常なんだそうで、おうおめえ、その扇子、なんだ、新しく買ったのか。買う訣ねえだろ、これはあれだ、こないだゴミ置き場に捨ててあってな、まだまだ使えるってのにもったいねえことする奴がいやがるってんで、俺が新しい所有者になってやったって訣よ。ああ、そりゃけちとしては当然の善行だが、でも場合によっては、占有離脱物横領なんていって揉めたりするからな、今日は警察だし黙ってた方がいいんじゃねえか。なにいってんだ、俺はな、この捨てられてた可哀相な扇子ちゃんをよ、これから先、十年は大事に使ってやるつもりで、むしろ警察から感謝状を貰いてえくらいだ。ほお、その扇子を十年は使うかい。あたぼうよ。どうやって。そりゃまあ、一気に広げたら紙が傷んじまうからな、こうやって半分だけ開いて、それでパタパタパタパタ……、五年経ったら逆側を開いて、パタパタパタパタ……。それで十年かい。ああ、おめえはどうだ、いくらけちでも扇子くらい持ってるだろ。ああ、これな、俺はこれを十年どころか生涯使い続けるぜ。ほお、生涯ときたか、でもどうすんだい、使うとなると紙も傷むし木も傷む、どれくらい開くんだい、それとも開かねえで閉じたまま使うのかい。馬鹿いうな、俺はおめえみたいなしみったれたけちとは違うんでな、ちゃんとバサッと全部開いて。おお、全部開いて、それで。ああ、自分の顔の方をな、ブルブルブルブル……。なんて感じで、けちん坊といってもただけちなだけではなく、けちを実践するために日々の工夫に余念がないという、えー、工夫はタダでございます」
これもまた一生懸命に練ってきたんじゃないかと思うんですが、そうやって順調に枕が進んで、お客さんといいますか、職員連中にはかなりウケてまして、茜もですね、今日はいける、この雰囲気でオチまで行けば爆笑間違いなし、裏は花色木綿、絶対にドッカンくる、なんて手応えを感じていたんですが、ところが本題に入るやいなや周りが急に慌ただしくなり、職員たちがどたばたとホールを出たり入ったり、そのドアが開くたびに電子音がわんさかと鳴っては鳴りっぱなしで鳴りやまず、館内には緊急を知らせるベルも鳴り響き、マスコミ連中の携帯にもブーブーガタガタと着信が入りまくって騒々しいの一言。耐えかねた茜が訊いてみますと、大量の一一〇番通報がほぼ同時多発的にかかってきて回線がパンク寸前だなんていうんですね。しかも一日長官宛てに犯行声明が届いたなんていって、こうなるともう落語どころではござあせんで、その一日長官、一転して凜々しい表情になりますと、「冗談いっちゃいけねえよ」と口にして高座をすっと下り、長官と副長官を伴って通信指令室に入ります。主役の消えたイベント会場は一瞬は静まり返るんですが、そのあとは一体なにが起きたんだどうなるんだというんで大変な騒ぎ、職員連中は大あらわで茜のあとを追いかけますし、マスコミ連中も通信指令室を見下ろす見学者コースに殺到して大混乱、しばらくして回線のダウンはなんとか免れて、わずかに落ち着きを取り戻すんですが、そうすると今度はなぜだか天丼やら蕎麦やら寿司やら定食やら、そういう出前の注文、間違い電話が次々にかかってきて回線が完全にパンクしてしまうという按配で、どういうことかは今はあえて申しませんが、大騒ぎでございます。
えー、テレビ各局は当然、報道特別番組を組んだりして、事件の報道をしつつ今をときめく鍵家茜の一挙手一投足を放送できるというんで不謹慎ながらウハウハでございます。ただまあ特番は特番なんですが、千里テレビさんだけはなぜか、その日は成人式アニメ祭りと銘打って、一日中、朝から晩まで二十年前のアニメの再放送を垂れ流しておりまして、しかもその企画が好評だったのかどうか、翌日からも連日連夜、一ヶ月二ヶ月三ヶ月と予定を変更してその再放送アニメ祭りを継続したりなんかして、どういうことなんですかねえ、それで大丈夫なんですかねえ、なんて思いますが、まあこれもまた、どういうことなのかはここではまだいえませんで、千里テレビさん、一風かわった独自路線のテレビ局でございます。
さあ、そうして大事な伏線を無事に置き終えて、いよいよ鍵家茜の一日長官としての活躍がはじまります。普通ならそんなイベントの一日長官やらに任せたりはしないんですが、この通信指令センターはトップがあんなですから、本当に権限を譲ってしまって、しかもですね、
「一日長官、どうしますこれ。こんなへんてこな事態、センターの開設以来はじめてですよ。なあ副長官」
「ええ、回線が故障して繋がりにくいなんてのは前にありましたけど、完全にダウンしたのははじめてじゃないですかね」
「あの時は大変だったな、謝罪会見なんてやらされて、しかも猛烈にバッシングされてな」
「あれはでも長官が悪いんですよ、こっちは眠ってないんだなんて怒鳴るから」
「だって本当に眠ってなかったんだぞ。それに機械の故障なんだから俺にいわれても」
「でもセンターの責任者は長官ですよ。トップとして表向き神妙に謝罪すべきなのに、あんなに怒っちゃって。あれで出世がなくなったって、今でもみんな噂してますよ」
「でも副長官、そういうそっちもあれだろ、俺がよ、今回起きました事態の概要を副長官から申し上げますなんて、そういってな、それなのにおめえときたら緊張しちゃってしちゃって、声が全然出ないもんだから、おめえがぼそぼそっといったあとに仕方なく隣で俺が繰り返して、下手な腹話術なんて笑われてな」
「それいわないでくださいよお。あのあとワイドショーで散々からかわれて、もの凄く恥ずかしかったんですから」
「まあでも今日はあれだ、俺は今日は長官じゃねえから、会見するにしてもおめえだけだぞ」
「えっ、嘘でしょ、えー、マジですかそれ、うわあ、どうしよう」
「おいおいなにも泣くことはないだろ、まさか今度は号泣会見でもやるつもりか、あれは簡単には真似できねえぞ」
「違いますよお、もうあんな思いは二度としたくないんで」
「それはまあ俺も同感だが、ほれ、これで涙拭け」
「あ、すいません長官」
「ったく仕方のない奴だな、なんなら今から稽古しておくか。ちょいとそこの座布団に座れ」
なーんて長々とやってますんで、こうなると逆に茜の方がですね、こいつらじゃ駄目だ、こいつらには絶対に市民の安全は任せられない、自分がなんとかしないと、なんて気を引き締めるしかない訣で、二人ともちゃんとしてください、勤務中ですよ、しかもこんな大変な時に、本当に長官と副長官なんですか、途中からあにさんになってませんでしたか、それになんでハンカチじゃなく手ぬぐい持ってたんですか、まあいいですけど、とにかくしっかりしてください、なんてたしなめたり致します。
そんな三人が、まずは事態を整理しようと努めるんですが、これがまったくもって意味がわからない、なんの冗談、というような情報ばかりでして、えー、事態の概要をわたくしの方から申し上げますと、茜がちょうど特設ステージにあがったくらいの午前九時半ぴったしに、東京都内にあるすべての幼稚園の送迎バス、いわゆる幼稚園バスが一斉に襲撃を受けて、そのまま運び去られたなんていうんですね。それもどの通報でもですよ、犯人の全員が全員、黒ずくめの覆面スーツを着てたとか、黒色の全身タイツだったなんていって、しかも無人の幼稚園バスを全員で取り巻いて、ご丁寧にも一度ぐるぐる回ってから襲ったとか、直立不動のポーズで敬礼してたとか、奇声を発しながらバク転してたとか、そんな世にも恐ろしいふざけた光景を目撃したなんて大真面目にいってくるんですね。ただ、その日は祝日ですので幼稚園はお休みでバスもすべて無人、園児が拉致されるなんて被害は一件もなく、意外に優しい連中なのかなあなんて思ったりもしますが、ただですね、都内には千以上もの幼稚園があって、その何百台という、下手すると一千台以上の幼稚園バスが襲われた訣ですから、それも同時多発的に一斉に盗まれたなんてことになると、これはもう大規模な犯罪組織による計画的なテロ事件といわざるを得ませんで、一日長官だろうと本物の長官だろうと出る幕ではございません。事件の捜査を担当するのは警視庁で、事件の対応を考えるのはその上の警察庁、その動向を見守るのはそのまた上の国家なんちゃら委員会というところで、さらに政府内には内閣危機管理室なんてのが稼働してますし、東京都庁にも対策室が設置されて、あとは幼稚園を管轄する文部科学省ですとか、送迎バスを管轄する国土交通省ですとか、まあ色んなところが多分動きますので、一日長官の茜がやることは通報者の情報を集めて整理して、それを対策本部に回すということくらいで、あとはまあ回線がなんとか復旧しましたので、その電話番でございますな。
これはあのー、茜がですね、せっかく見学者コースに大勢のマスコミ陣がいるのに地味な作業ばっかじゃ申し訣ないってんで自らヘッドセットを装着して、「毎度通報有難うございます、こちらは一一〇番です。事件ですか、事故ですか」なんてやったら案の定マスコミ連中は大はしゃぎ、職員連中も普段の仕事ぶりをわかって貰えるというんで大喜び、最初のうちは茜も緊張していたんですが、慣れてくると不謹慎にも段々と楽しくなってきて、一時間二時間と続けたりして、また通報者もですね、相手が鍵家茜だとわかればこれもまた不謹慎にも小躍りして、まあでも大体はがちがちに緊張してかけてきますのでね、気づかないのが普通でして、
「あ、あ、えーと、どっちかな、事件ですかね、多分事件だと思うんですけど」
「はい、事件ですね、どういった内容の事件でしょうか、ごゆっくりで構いませんので、焦らずに、落ち着いて、お話し願いますでしょうか」
「あ、はい、あのですね、うちの近所にお寺さんがあって、えーと、なんて名前だったかな、名前名前、肝腎のお寺の名前が出てこなくて、えーとえーと、すぐ近くなのになんで忘れちゃうかな、えーとですね、えっ、わかるんですか、あ、はい、はい、あー、そうですそこですそこです。へえ、凄いですね、ハイテクなんですね、コンピューターで一瞬にしてわかっちゃう、あ、ごめんなさいごめんなさい、はじめてなんでそういうの全然知らなくて、だいぶ緊張してて、あ、はいはい、落ち着いて落ち着いて、そうですよね、えーと、とにかくあのー、近所にお寺さんがあって、そのお寺さんが幼稚園もやってるんですよ。あれはどういう訣なんですかね、慈善活動だとは思うんですけど、もしかすると税金対策とか洗脳作戦とか、まあちょっとそこはわからないんですけど、あ、はいはい、そうですよね、ごめんなさいね全然関係ないですよね、ええ。それでそのー、さっきその幼稚園の脇を歩いてたら、なんかその幼稚園バスの周りに変な連中がいて、踊ってるんですよ。それで最初はテレビの撮影でもしてるのかなあなんて思ってずっと見てたんですけどね、いきなりそのバスのドアをこじ開けて、あれはなんていうんですかね、多分バールだと思うんですけど、もしかしてあれが噂の『バールのようなもの』、清水義範原作・立川志の輔翻案、あ、それはどっちでもいい、それでそのー、そいつらそのままバスに乗って逃げちゃったんですよ。全員がですよ。あれは大丈夫なんですかね、あの小型のバスのサイズだと子供はいいとして、大人であれだけの人数が乗るのは違反になるのかなあ、ならないのかなあ、あ、ごめんなさいねこれも全然関係なかったですよね。あ、関係あるんですか、犯人の人数、ああそっかそっか、それは重要ですよね。えーとね、何人だったかな、大体でいい、あ、でもあれだ、えーとちょっと待ってて貰えますかね、一応全員にサイン貰ったんで、どこやったかな、あああったあった、えーと、ひとぃひとぃひとぃ、ふたぇふたぇふたぇ、みっちょみっちょみっちょ、と数えて十八人ですね。でも十八人となると、あれはやっぱり違反に、バスのサイズがわからないとなんともいえない、ですよねえ。えーとそれで、時間ですか、あー、いつだったかな、今じゃなくて、さっきだけどさっきでもなくて、今朝は今朝なんですよ。あのですね、実はそのー、そこのお寺の和尚さんが境内で掃き掃除してたんですよ、ええ、それで声かけたんですね。あのー和尚さん、和尚さん、おやおや、誰かと思えば久しぶりに見る顔だな、あ、どうもご無沙汰してます、あのー、さっき幼稚園の脇で変な連中見たんですけどね、あれ和尚さんのお知り合いですかね、ん、どんな連中だい、どんなっていうか全身タイツみたいなの着た変な連中でしたよ、踊りはうまかったですけどね、はて、そんな連中に心あたりはないが、父兄がお遊戯会に参加でもするのかの、まあそれよりどうだ、久しぶりにきた客人をもてなすというのも和尚の仕事の一つでな、中にあがってお茶とお茶菓子でも、あ、いいんですか、それじゃお言葉に甘えて、なんていって、それでさっきまでご馳走になってたんですよ」
「あのー、画面に江東区深川何丁目って表示された時から嫌な予感はしてたんですけど」
「え、なんです、確かに深川何丁目ですけど、どうしました」
「ピックあにさんですよね。本名・二階堂昇さんですよね」
「ええ、そうですけど、あれ、なんで知ってるんです、それもハイテクですか?」
最後までとぼけた感じなんですが、偶然にも鍵家ピックが犯行の一部始終を目撃していて、しかも犯人全員分のサインまで持っているとなると、これは警視庁に呼んでちゃんと話を訊こうなんてことになりますが、残念ながらピックあにさん、今日は千テレで特番があるから無理、なんていって市民の義務を放棄します。まあ訊いたところで『粗忽長屋』みたいになりますんでね、茜もあっさり諦めて、なんの進展もないまま時間だけがすぎていきます。
警視庁の捜査本部では、防犯カメラの映像の収集や解析、幼稚園バスの追尾追跡に検問の徹底、また全身タイツの製造会社や販売店への問い合わせなんていう、様々な現実的な捜査が行われるんですが、なぜだか手がかりがなにも掴めない。またプロファイリングというんですか、麹町署にそういうのを担当する専門の捜査官がいて、その、さるプロファイラーが犯人像を推測したりもするんですが、ふざけた事件ですのでまったく検討がつかない。一日長官宛ての犯行声明なんてのもありますが、これも中身はまったく意味不明、「コンチョウワドフウハゲシュウシテショウシャガンニュウシホコウナリガタシ」なんて全部カタカナで書いてあるんですね。ただ、捜査官の中にも落語好きなんていうふざけた人種が何人かいて、これは落語だなんて一応は判明するんですが、でもそれと犯行内容とが結びつかない。そこでそのさるプロファイラー、プロの捜査官として素人に頼るのは屈辱なんですが、悩んだ末に一日長官の茜の元に出向きますと、ふん、なんて鼻で笑われて、
「なんでわかんないかなあ、コンチョウワってのは今朝はってことで、ドフウハゲシュウシテは土風が激しくてっていう意味、ショウシャガンニュウシは小さな砂が眼に入って、ホコウナリガタシは歩きにくいってことでしょうが。つまり、今朝は風が強くて砂粒が眼に入って歩きにくいから、それでバスを盗んだんでしょ。大勢で移動するなら普通の車じゃなくてバスが便利だし、それに今日は祝日で幼稚園が休みだから幼稚園バスなら狙い放題、そんなの前座だってわかるじゃん。公務員のくせしてなんで前座噺も知らないの、試験に出ないの?」
なんていわれて恥ずかしいやら感心するやら、思わず弟子にしてくださいなんていって土下座したりして、そんな訣でこのさるプロファイラー、一転して茜の分析能力を高く評価して、事件の犯人像を推測させてみますと、「そんなの悪の組織に決まってんじゃん。幼稚園バスを襲った訣だし、全身黒タイツだし、一般の市民を襲ったりはしてないし、結構あれだよね、特撮ヒーロー物の基本に忠実な、理解のある連中だよね。多分どっかに秘密基地があって、そこに逃げたんだと思うけど、でも秘密基地の場所ってなかなか判明しないのが本寸法だし、わからないまま最終回なんて場合も多いし、そこを突き止めるのは諦めた方がいいかな。あ、でもさあ、ほら、ああいう下っ端の戦闘員が好きな場所ってあるじゃん」なんていって、普通ならなにを馬鹿なと思いますが、このプロファイラー猿、すっかり茜の考え方に魅了されてしまって、茜に対策を思案させ、上層部にかけ合って作戦実行の許可を貰います。
どんな作戦かというと、まずは港の薄暗い波止場、灰色の大きな倉庫や赤錆びた巨大クレーンなんかがあって、敷地は広いのになぜか誰もいないという無人の場所で、そこに囮の幼稚園バスを用意すれば奴らは絶対に現れる、という脚本というか計画で、警視庁もさすがに半信半疑だったんですが、いざ実行するや、なんとこれが失敗しつつ成功するという結果で、それというのも都内の幼稚園バスは全部盗まれてますので、警視庁が隣県から借りることにしたんですが、目的の波止場に向かおうと廃工場の脇を走っていた時に襲撃されてしまったんですね。失敗はしたものの理論は正しかったというんで、そうなると捜査本部の幹部たちも茜のいる通信指令室に足繁く通うようになって、その思いつきを次々と実行に移します。
港までの経路をすべて封鎖して警官を立たせ、警護のパトカーをたくさんつけたらどうかなんてやってみますと、波止場までは無事に辿り着いたものの、そのまま通りすぎてしまって、よく見ると運転手が黒い覆面をかぶってたなんていって、慌てて追いかけるんですが見失います。また廃工場に観光バスを用意して、ペンキを塗って幼稚園バスに偽装するなんてこともやったんですが、これはいつまで待っても誰も現れず、どうやら本物にしか興味がないと判明します。それならというんで逆に幼稚園バスにペンキを塗って都営バスに偽装し、波止場でさらにペンキを塗り直したら、なんてやってみますと、厳重な監視下でペンキを塗り直した瞬間にバスがもくもくと煙に包まれ、それが晴れるや運転席には黒い覆面男がいるという具合で、それならバスを故障させて逃げられないようにすれば、なんてやってみますと、今度は巨大クレーンでバスが釣り上げられて、その操縦席を見るとやはり黒覆面の男がいて、慌てて追いかけるも見失うという按配で、幼稚園バスをコンテナに入れてトレーラーで運んだら、船で運んだら、ペンキじゃなくてシールなら、布地でくるんだら、なんて色々試すんですが、やはりあと一歩のところで逃げられる、文字通り煙に巻かれる、運転手が覆面姿になりかわっているというんでどうにもうまくいかず、あっという間に半日が経過してすっかり夜でございます。
さすがにこうなると皆の表情にも疲れの色が見えはじめ、これは長期戦になるんじゃないか、数日や数週間では解決しないんじゃないかなんて懸念が出てきて、テレビさんもですね、捜査本部の幹部連中や警視庁の上層部、関係省庁のお偉いさん方が茜詣でを繰り返し、なにやら指示を受けているなんて光景を撮影するのは面白いんですが、警察がどんな捜査をしていてどんな進展があったかがさっぱりわからないものですから、報道特別番組を一旦切り上げて、あとのニュースで続報を流せばいいかなんて考えるようになって、まあ千里テレビだけはずっとポケモンの再放送を垂れ流しているんですが、そうなると茜の方もなんだか申し訣ない気分になって、再び電話番のパフォーマンスをしたりするんですが、別に生中継じゃなくて録画でいいし、なんて感じでマスコミ連中が盛り上がらないと知ると、さすがにこのままじゃ駄目だ、一日長官としての面目丸潰れだというんで、それまでに試した作戦を冷静に分析し、麹町署のプロファイラー猿とともにある一つの壮大な脚本を練り上げるんですね。
それがなにかといいますと、神奈川・埼玉・千葉・山梨といった隣県から数百台の幼稚園バスを借り受けて、そのバスをすべて唐草模様の布地で覆い、そうして布地で覆ったバスを奥多摩の採石場に集合させて、夜明けとともにその布地を一斉に剥げば、奴らは絶対に現れる、周りの森からヒーヒーいいながら近寄ってくるに違いないなんていって、ただ、そのままではこれまで同様に絶対に逃げられますので、その対策も考えて、機動隊員全員に特撮ヒーロー物のヒーローの格好をさせれば奴らは逃げることができないといって、都内のおもちゃ屋やコレクター連中、また正月の神社仏閣の露店やテキ屋からヒーローの覆面や仮面やお面を大量に買い漁り、そうして夜明けとともに作戦を実行しますと、これがまさかの大成功、バスの布地を剥がした瞬間に全身黒タイツの男たちがどこからともなく何千人と沸き集まっては幼稚園バスに襲いかかるんですが、それを取り囲んだのがやはり何百人、何千人というヒーローのお面をかぶった機動隊員たち、こうなると全身黒タイツの下っ端の戦闘員にはなす術もなく一網打尽、あっさりとお縄になります。ただ、悪の組織の戦闘員がそのまま現実の警察に逮捕されるなんて前例は多分ありませんので、全員が全員、捕まった瞬間に自害して地面に棒のように倒れ込み、なぜだか煙になって跡形もなく消えてしまいます。
こうしてなんとか事態が収束し、完全解決にはほど遠いものの、一日長官のおかげだなんていって警察は大喜び、マスコミ連中も詳細は知らないまでも事件が一段落ついたらしい、鍵家茜のおかげらしいなんていって大盛り上がり。ただ、納得がいかないのがその鍵家茜、指示した通り布地の表は唐草模様だったが、裏は花色木綿じゃなかったというんで担当者に詰め寄るんですが、時間がなかったので仕方なく、なんて答えたもんですから、これには茜、
「そこは出来心だろ、『花色木綿』じゃないなら『出来心』だろ!」
と激怒して、このままでは終われない、さらに敵の本拠地をぶっ潰してやるなんて息巻いておりますので、これには本当の長官と副長官も不安になって、「一日長官、少しはお休みになったらどうですか」「そうですよ、もう十分に活躍しましたし、あとはあっしらに任せて」と声をかけるんですが、茜はまったく聞く耳を持たず、こいつらにオチは無理だなんて呟くばかり。徹夜で指示を出し続けて疲労困憊、目も虚ろなら目の下にはくまもできていて、立っても座ってもふらふらなんですが、その姿を見て心配になったのが通信指令室を訪れた警視総監、授与式はまだ先とはいえ国民栄誉賞を受賞することが決まっている国民的アイドルですから、絶対に無理はさせられませんで、一日長官の功をねぎらうとともに休むように諭すんですが、九時までは一日長官としての任があるなんて茜が断ります。ただ、さすがは警視庁のトップに立つ人心掌握に長けた警視総監でして、
「そういえば昨日はなんの日でしたかな」
「一一〇番の日ですけど」
「それ以外に成人の日でもあったのではないですかな。一日長官殿、そろそろ休まれては」
「ああ、そっかそっか、昨日は祝日だったか。じゃあ今朝の長官はお休みだ」
*
珍しくフルサイズでやってしまって、休憩明けでもまだ疲れてたりするんですが、ピックの通報だの長官と副長官の漫才だの、普段はカットするようなところまで全部やってしまって、それなりに反応があったんでそれは嬉しい限りなんですが、また序盤で触れたオハコの方針や茜のCMなんてのは、あれは本来は別の噺でやるネタでして、茜がなぜ人気者になったのかという顛末を語る『茜なんとフィーバー』という噺があるんですがね、あるんですよ、まあ今皆さんがくすっと小笑いしたように、これがまたつまらない噺で、大ブレイクした茜に対して事務局の扱いが一変して、ほかのメンバーたちもよそよそしくなる、敬語を使ったりするようになる、というんで茜がうんざりして、ブレイクはしたけど、そんなに気を使ってくれなくてもいいよ、むしろブレイクしたんだから遠慮なんかしないで、ほらPちゃんもビノちゃんも、これまで以上に気楽な感じで今夜はパアッと、みたいなことをですね、部下を飲みに誘った上司の定番の台詞でいったりするんですよ、ええ。案の定、予想通りのビミョーな反応で、この噺はほとんど高座にかけることなく、いくらリクエストされてもやらないくらいなんですが、まあそんな愚痴みたいなことをこうやって申し上げたりなんかしますと、それならちゃんとした噺に作り直せばいいだろ、面白いオチを考えれば済む話だろ、なんてお客さんに散々怒られたりして、こっちも堪らず、もっぺんいってみろぃ、こっちは死ぬ気で考えてその程度なんだよ、そっちの理解力がねえのが問題なんじゃねえか、なにを貴様、よりにもよって客の理解力にいちゃもんつけるとは噺家の風上にも置けねえ野郎だ、下りてきやがれ相手になってやらあ、なにをそっちがあがってきやがれ、ああ今日は無礼講だ、遠慮せずに小噺の一つでもやってみせろってんだい、なんて大喧嘩になったりして、『茜なんとフィーバー』という題名ですので、そうやってトラブったり、トラブルが起きたり踊ったりなんかする訣で、えー、ここまでが実は本寸法という、そういう小噺でございます。
さて、梅ヤッコの卒業なんて話が出てきましたが、オハコ結成五年目の春か夏かという頃合いで、世間は茜フィーバーに沸いておりますし、オハコ十八番自体もすっかり国民的な人気を博し、出演する寄席は連日大入り満員、出演しない寄席も演芸ブームで大賑わい、寄席以外の歌舞伎や狂言や能楽の公演なんかも伝統芸能ブームでチケットは即完売、お稽古事の教室さんや各地のカルチャーセンターにも入門入会希望者が殺到して順番待ち、街でチンドン屋が練り歩こうもんなら黒山の人だかりができて警察が通行規制を敷くほどで、田舎で小さな村祭りなんかがあっても、それを聞きつけて都会の若者たちが押し寄せて法被姿で参加を願い出るといった按配で、日本中が活気に溢れているといいますか、意味不明に浮かれております。
そんな中での梅姉さんの卒業ですから、オハコの事務局も当然、国立演芸場あたりで大々的に年季明け公演をやりたかったんですが、梅姉さん、自分はもう若くないし、昔も今もこれからも地味で地道な寄席芸人だから、いつもの寄席でみんなには内緒で、ひっそりとやらせてほしいと頼みまして、これから致しますのが『梅は咲いたか』という人情噺でございます。
ええ、これが人情噺なんでして、信じられないかもしれませんが、大長編の連作落語ですから全部が全部ふざけた内容ではなく、一つくらいはそういう他人様を感動させるような噺もあるんですよ。ただ、その主人公は梅姉さんでも茜でもなく、奇術師の蕾亭桜子という新人の子でして、のちの大活躍をご存じの方もおられると思いますが、最初の頃は泣いてばかりで本当に大変で大変で、どういうことかというと、その桜ちゃん、狂言師の万波紅子と入れかわりで加入したことになっているんですが、実は千里テレビで大々的に放送されたその新春オーディションでは不合格で、補欠扱いだったんですね。ところがその直後、ダントツの評価で合格した子が事情により渋々辞退を申し出ます。まあその、これがのちに語り継がれるオハコ十八番の幻のメンバー、宝塚歌劇の黒レイラだったりするんですが、そういう事情で補欠の桜子が繰り上げ合格になったものの、宝塚の子が入るなんて大きな話題になっていたのに、いざふたを開けたら寄席の手品師というんで日本中がずっこけまして、そのがっかり感が彼女一人に集中しますので、これはもうもの凄い負い目でして、なんとか認めて貰おうと最初は頑張ったんですが、大舞台は慣れてませんのでやる手品は緊張でどれも失敗続き、得意なはずのハンカチマジックにも失敗して寄席の舞台でぐずったりなんかして、そうなるともう誰からも期待もされず注目もされず、あっという間に忘れ去られてしまって、人気も需要もなく存在感もなく、いつも暗い表情で楽屋の隅っこの方に佇み、一人無言でハンカチからお花を出したり万国旗を出したりしております。さすがに心配になって先輩たちが声をかけたりもするんですが、いえ、私は結構です、補欠ですんで、お構いなく、なんていって断ってばかり。ただですね、実はそこには内に秘めた大いなる葛藤なんてものがあって、内心ではこれがもの凄く嬉しくて、また、オハコの楽屋にいるということだけで大いに幸せを感じていたりもして、二代目箱頭の東天満橋蘭々と同じ空気を吸っているなんて意識しようもんなら喜びのあまりジュンと濡れたりするほどで、実はこの桜ちゃん、売れない時代からのオハコ十八番の熱烈なファン、箱タクというやつで、オーディションでは自分を百八十度かえてくれたオハコに恩返しがしたい、夢はラスベガス公演なんて堂々と発言したりして、まあ何度落ちても受け続けてる子で、芸は冴えないけど意気込みは毎回凄いよね、なんて事務局や審査の先生方も覚えてましたので、どうせ二番以下はどんぐりの背比べだし補欠はこの子でいいかなんて、そんな適当な理由で選ばれたんですが、残念なことに、その意に反してあっさりと燃え尽きてしまいます。
あのー、この子は本当に小さな頃から内気で極度の引っ込み思案、本来は人前で話すどころか人前に立つことすらできず、常におどおどしていて会話も苦手なので友達なんかもまったくおらず、中学時代の唯一の話し相手がオンラインゲームのギルドの仲間たち、話といってもキーボードをカタカタ鳴らしてのゲーム内のチャットなんですが、それだけが心の拠で、あとの学校生活なんかは苦痛でしかなく、自分を空気の一部、気体の一種だと思い込むことでなんとか不登校にならずに済んでいたという、根暗すぎる少女なんですね。そうして三年生になりましても、どうせ高校に行っても一人だし通信制にしようかな、それか行かないでもいいかな、パパのお手伝いすればいいし、なんていってばかりですのでギルド仲間も心配になって、高校は行っといた方がいいよなんて説得するんですが、
「でも私なんか……、どうせ……、こんなだし……」
なんて、まあ実際は文字のやり取りですんで、今みたいに胸の前で、両手の拳をもじもじさせてはいないと思うんですが、ここまでくると別の危険性にも繋がりかねないというんで、ギルドのリーダーが気分転換に外出したらなんていって、寄席に誘ったんですね。
インドアの女の子にはいきなりの高ハードルですが、「大丈夫だよ、全然怖くないってば。俺なんか毎日通ってるし、まあ俺は怒鳴られてばっかだけど耳栓してっから平気だし、それもまた三遊亭エンジョイっていうか、あ、やべ、あにさんたち戻ってきたんで一度落ちるわ、とにかく寄席きなよ、楽しいよ」なんて感じで、まあおそらくは戸ノ助師匠のところの穴ノ助君だと思うんですが、前座の仕事さぼってギルドリーダーなんかやってまして、ふてえ野郎なんですが、ただこういう出会いが人生には大事で、桜ちゃん、リーダーの言葉を信じて生まれてはじめて寄席にまいりますと、これが全然つまらない。面白くないし楽しくもない。前座も下手なら二ツ目も下手で落語勢が総崩れ、音曲漫才アコーディオンの神田ブラザーズが登場してやっと客席が盛り上がるんですが、次の夫婦漫才がこれまた下品なネタで場をしらけさせ、長唄端唄のあねさんが三味線を弾きつつ都々逸で笑わせて、寄席らしい雰囲気に戻ったかと思いきや、次に登場したのがこれまた訣のわからない集団で、テカテカのビニール素材みたいな変な着物を着た連中が狭い舞台で適当に歌ったり踊ったり、てんでばらばらで意味がわかりませんのでせっかくの空気も一気に冷え込んで、それなのに客席の片隅ではピンク色の法被を着た場違いな風体の集団がペンライトを振り回しながらヒューヒューなんて喜んでおりますので、これはもう一種異様な空間と時間で、さすがに客席の不満も爆発し、どこの幼稚園のお遊戯会だ、もっとちゃんとやれよ、まだ終わんねえのか、はやく帰れ帰れ、ついでにそこのおまえらも一緒に帰れ、なんて愚痴が飛んだりペットボトルが飛んだりするという悪夢のような光景でございます。ところが桜ちゃんにとって衝撃だったのが、それでもなお適当にだらだらと踊り続けていつまで経っても終わらないという舞台上の十八人、桜ちゃん、その姿になぜだか感動を覚えてしまいます。それからは土日になるたびにオハコの出演予定を調べて寄席へ出かけるようになり、さらにいつか私もオハコに入りたい、同じ寄席の舞台に立ちたいなんて思うようになって色んな習い事をはじめるんですが、どれも一日で泣いて帰ってきます。
伝統芸能というのは素人が趣味として習う分には楽しいんですが、本気で学ぼうなんてするとそれは当然ながら大変に厳しい道のりで、しかも桜ちゃんの場合はスキルを修得したい訣ではなく、オハコにログインするというクエストのためのツールを手に入れたいだけですので、長続きするはずがなく、やっぱり私なんかと諦めかけた時にたまたま目にしたのが誰あろう、奇術師の雷亭マジカルでございます。あのなんといいますか、自信なさ気にぼそぼそっと喋りながら反則的なマジックを披露する地味な先生で、爆笑を取るなんてことはないんですが、たださすがはベテラン芸人、毎回一度は小笑いさせてくれるというんで寄席では重宝されております。
これを見た桜ちゃん、これなら私にもできるかも、それにオハコにはまだ手品師はいないし狙い目かも、なんて思ってすぐに手品入門を買って独学で練習をはじめるんですね。しかも近所の進学校に手品同好会があると聞くや、絶対にそこに入るといって受験勉強を猛烈にはじめ、見事に合格します。これにはオンラインで家庭教師を買って出たギルドリーダーも安堵して、「いやあ十二時は、いや一時はどうなるかと思ったけど安心したよ。このまま行けば二時はレインボウって感じで、あ、でも次の三時はひどい目に遭ったりするかもで、続く四時五時もご用心」なんてチャットに書き込んだりして意味不明なんですが、まあ夢や目標を見つけてそれに向かって邁進するというのは普通ではあるものの普通の人でもなかなかないことで、桜ちゃんもすっかり前向きになり、人前が苦手だったはずが商店街のイベントに飛び入り参加して、覚えたばかりの手品を披露したりなんざ致します。
ちょうどその頃、オハコは結成一周年を無事に迎えられるかどうかという瀬戸際で、昭和歌謡路線の失敗を踏まえてお祭り演芸路線を目指すというんで、はじめて大々的にオーディションを告知し、新旧相まみえる入れかえ戦を行います。しかもその模様をオハコ十八番の唯一の出演番組、毎週金曜夕方六時、千里テレビのパコパコ十八時の中で放送するというもんですから、この番組の大ファンだった桜ちゃん、当然ながらこれに飛びつきます。事務局の面々は一人も応募がなかったらなんて危惧していたんですが、これが意外や意外、一応は三桁の百八人の応募がありまして、その煩悩の激戦を制したのが、お江戸文化保存会の日比野歩美に女流狂言師の万波紅子、尺八の千年鶴丸に津軽三味線の柊冬子、直径三メートルの明王神通太鼓を叩く金剛二郎に南京玉簾全国大会を制した鬼小町、バナナの叩き売りで生計を立てる啖呵売の清石亜澄に佐渡島浄瑠璃保存会の中学教師・本間佳奈という、のちに好色八人女と呼ばれることになる躍進の立役者でございます。まあその入れかえ戦によって、腹話術師の千林ハルカなんかがお別れすることになるんですが、さあ、そんな実力派の八人が合格して桜ちゃん大いに焦ります。二年目はまた金剛二郎が事情によりすぐに脱退し、またチャンスが訪れるんですがこれも駄目で、そうなると桜ちゃん、このままではと思い詰めまして、トントン、
「あの……、弟子にしてください……」
「ん?」
「あ、うしろには誰もいないと思うんですけど……」
「ボク?」
「……」
「キミ、手品師になりたいの?」
「……」
「やめたほうがいいと思うよ。手品師なんて儲からないよ、ここも借家だし。それに一万円札が二枚に増えるなんてやってるけど、あれ嘘だからね。あれ最初から用意してるからね」
「あ、それは知ってます」
「じゃああれかな、お客さんから一万円借りて、それが千円札になっちゃうやつかな。あれも嘘だからね、あれネコババしたりとかしてないから、したら怒られちゃうからね、大体はちゃんと返してるからね。なかなかいないんだよ、気づかないお客さんって。いたら儲かるんだけどね、残念ながらこれが滅多にいなくて、あ、それも知ってる、そうなんだ、詳しいねキミ。でもあれだよ、なんでボクなの、ほかにも手品師なんて凄い人がいくらでもたらこでも、あ、自分でもできそう……、まあそうだよね、うん、ちょっとへこむけどね、うん。でも手品なんて趣味で覚える分にはいいけど、一生の仕事にしようなんていうのは、あ、違うの、オハコ、オハコに入りたいだけ、そのためだけに手品師になりたい、一番簡単で近道……、今まで誰もいなくて狙い目……、あ、そうなんだ。うん、じゃあいいよ、弟子にしてあげる。え、やっぱりやめる、やめちゃうの、やめないでよお願いだからあ」
なーんて感じで弟子入りを志願するんですね。まあ最後はなぜか逆に嫌がってましたが、そこは先生がぼそぼそっと説得しまして、しかも女の子には花の冠が似合うなんていって、雷亭に草冠をつけての蕾亭桜子なんて乙な芸名をその場で与えたりして、桜ちゃんもそれが嬉しかったのか、はにかんでいたり致します。
大丈夫かなこの二人、なんて思いますが、あのー、このマジカル先生も実は凄い人でして、ええ、凄い人なんですよこれが。いつでしたかラスベガスで開かれたマジックの世界大会に、なんたって日本代表として出場しまして、世界中の名だたるマジシャンたちがですね、大がかりな装置を用いたイリュージョンだとか、緊迫の脱出マジックだとか、最新の映像技術を駆使したCGトリックだとか、元天才スリ師による盗みの実演だとか、そういうハイレベルなマジックを次々に披露する中、マジカル先生がなにをやったかというと、いつもの寄席でやるハンカチマジックですよ。あの縦縞のハンカチが一瞬で横縞になっちゃったっていう、あれをですね、通訳を伴ってやったんですね。会場中が失笑ですが、ただ、さすがはベテランの寄席芸人、そうやってしばらく客席をくすぐっておいて、最後の最後にはちゃんと横縞のハンカチが格子縞になって、さらに星条旗になって次々に万国旗が出てきて鳩も飛び出すというんで会場が一気に沸きまして、まさかまさかのスタンディングオベーション、それで観客特別賞なんてのを貰ったことがあるという、世界に通じる寄席芸人なんですね。しかもその時のトロフィーを大層大事にしていて、蒲田の借家に置いておくのは危険だというんで防犯設備の整った近所の質屋に預けて、そのまま預けっぱなしになってたりもするんですが、そこはファンサービスというやつで、その店に行けばいつでもそのトロフィーが見れて触れて記念写真も撮れて、なんなら買うこともできるというんで、コアなファンの間では有名だったりするんですね。
さあ、そんな先生に弟子入りしてしまった蕾亭桜子、その先どうなることかと不安に思うも、最終的には念願のオハコに加入し、箱入り娘になるという夢を叶えたんですが、ただ、先に述べたように燃え尽き症候群というやつで一気にしぼんでしまいます。しかもその日はですね、一発逆転とばかりに大ネタを準備して、手品師の大きな帽子、黒色のハットからはっと鳩を出そうなんて考えていたんですが、「はい!」なんていって帽子を取るも、鳩がなかなか出てきてくれず、何度も何度もやってようやく出てきたかと思いきや、その鳩が飛び立つことなく桜ちゃんの頭の上で糞をしてしまって、それで客席が笑いに包まれるという、女の子にとって最悪なハプニングが起きてしまいます。
桜ちゃん、突然のことに驚くでも泣くでもなく、そのまま無言で舞台袖まで下りてくるんですが、表情という概念を完全に逸していて、もう寄席には出ない、奇術師も辞める、辞めて実家の惣菜屋のあとを継ぐといって佇むだけで、誰の励ましにも耳を貸しません。
するとそこに梅ヤッコ姉さんがやってまいりまして、えー、ようやくの登場で、人情噺といっておきながらほとんど漫談じゃねえかよ、なんてお叱りを受けると思うんですが、その梅ヤッコ姉さん、辞めるのは勝手だけど、最後に自分の出番だけは見ていってほしいと声をかけます。その声がいつもと違っておりまして、桜ちゃん、素直にこくりと頷きますが、茜や舞ちゃん、さらに玉子や蘭々やP子なんかもなにか様子が変だ、いつもの更年期障害とは違うと顔を見合わせ、舞台の袖からその様子を窺います。
梅姉さん、最初は普段通りその時々の時事ネタから紙を切り、さらに客席からお題を貰い、それを切って披露するという貫禄の紙切り芸でございますが、それが終わると両手を前に揃えて深々と頭を下げ、その頭をゆっくりとあげたかと思うと、
「突然ですが、本日のこの出番をもちまして、箱入り娘、オハコ十八番からの年季明けということで、誠に勝手ながら卒業させて頂く運びとなりました。思えば、自らの不甲斐なさと芸の拙さとを恥じ入り続ける、そんな日々でございましたが、四年と数ヶ月の長きに渡って続けてこられたのは、ひとえに寄席のお客様、そしてオハコ十八番のファンの皆様の、日頃のご声援があってこその賜物、もちろん私めの数少ない、希少で貴重なファンの存在にも大いに励まされてきましたが、そういう皆々様方の支えがあってこその梅ヤッコということを心に深く留め、今後も一介の寄席芸人として精進して参る所存でございます。なお、結婚の予定も妊娠の予定も今のところはございませんで、それは募集中ということでこれまで通りでございますが、とにもかくにも、長らくのご愛顧、誠に有難うございました。厚く厚く、御御礼申し上げます」
とまあ、突然の卒業発表でございます。これには客席も大いにどよめき、舞台袖の箱入り娘たちも驚きを隠せず、慌てて楽屋にいるメンバーを呼びに走ります。
そんな様々な動揺の中で梅姉さんが口上を続けまして、「最後に、これまで私を育ててくれた、大好きな箱入り娘たちに感謝の気持ちを込めまして、私からのプレゼント、置き土産を切らせて頂きます」といいますと、静かに、静かに、「梅は咲いたか、桜はまだかいな……」と唄いながら、手元の紙を切りはじめます。ところが、段々と声がかすれて涙声になってきて、紙切りの方も、先ほどまでの早業とは違って、ゆっくり、ゆっくりでございまして、よくよく見ると、その手元が大きく大きく震えております。
「梅は……、咲い……たか……、さく……ら……は……、まだ……かい……な……」
と、唄の方ももう途切れ途切れになりまして、顔を見ますってえと、大粒の涙がポロポロどころか、もう滝のようにザーザーと溢れていて、客席の方からも貰い泣きの嗚咽が漏れてまいります。そうしてようやく紙を切り終えて、黒色の台紙に切り取った白い紙を重ねて客席の方に見せるんですが、なかなか言葉が出てまいりませんで、しばらく口籠ったあと、涙をこらえつつ、ようやく、ようやく、別れの言葉を口に致します。
「梅は……、梅一輪、一輪ほどの暖かさ、と申しまして……、たった一輪でも、味わいのある、一人で咲くことのできる、そんなお花でございますが……、桜は……、たくさんの花びらが集まって、何輪もが重なって、全体に揃って、はじめて、美しく、咲き誇ります……。今はまだ、小さな、小さな蕾でも、いつか、いつかきっと、周りの仲間と、競い合って、励まし合って、花開きますように、季節外れの……、遅咲きの……、満開の……、桜でございます!」
いい終わるや梅ヤッコ姉さん、その場に泣き崩れまして、それを見た茜や舞ちゃん、玉子や蘭々やP子、歩美や菊千代やカツオッティ、それに桜ちゃん、さらにほかの箱入り娘たちも駆け寄って梅姉さんに次々と抱きつきます。
咲きに散る、梅の周りに八重垣作る、桜の花の乱れ咲き、ぬば玉の、黒き真玉を高光らせて、先輩後輩手草を取り合い、涙ぐましも笑み栄えきた、ある日の寄席の、八尋十尋が心を寄せる、往くは誰が妻、下泣きに泣く、愛し眺めにございます。
*
さて、その梅姉さんの卒業から半年くらいでしょうか、年が明けて茜の方に受賞の話があり、さらに一日長官として活躍するなんてことになったんですが、ただ、その時点ではまだ茜本人も知らない謎の重要な事実というのがございまして、誰が想像できたでしょうか、この鍵家茜がやがて、世界征服を企む悪の組織と人類の存亡をかけて対決し、日本から遠く離れた異国の地で、不思議な因縁により女王陛下として君臨することになろうとは、ベケベン・ベンベン・ベンベケ・ベケベン・ベケベーン・ベケベーン・ベケベーーーン! ヂャーン!
いってるこっちの方が恥ずかしいんですけども、ハメモノが綺麗にはまりまして、皆さんも突然の三味線と鉦で驚かれたんじゃないかと思いますが、まあ、お囃子さんいるならさっきの唄のところで使えよ、なんて思ったりもしますが、まま、それはともかくとしまして、その悪の組織、世界征服を企むような悪い連中なんですが、茜によるプロファイリングの通り、その手はじめに全身黒タイツで幼稚園バスを襲うというような、特撮ヒーロー物の基本に忠実な理解のある連中でもありまして、一日長官の脚本によって壊滅の危機に瀕したとはいえ、実はまだまだ悪いことを企んでいて、特にあれですね、巨大ロボットを作って世界を征服しようなんていう、そんなわかりやすい悪い研究をひそかに進めていたりするんですね。ところがその悪の組織の芥川博士がですね、巨大ロボにも顔が必要だなんて強く主張して、ベケベン、じゃあロボットっぽい顔の人間をベースに変身型の巨大生物ロボを作れば予算内でいけるんじゃないかということになって、ベケベン、そのターゲットの一人になったのが、ベケベン、両目が横に真一文字、ベケベン、鼻がポットのように立派な、ベケベン、我らが主人公でございまして、連中の真の狙いは幼稚園児の洗脳ではなく、実は一日長官の茜で、混乱に乗じて拉致する計画だったことが判明するんですね。
ただまあ、それは警視庁の捜査本部や日本政府が突き止めた訣ではなく、実は米国のCIAからもたらされた情報で、その諜報員である五十嵐レベッカさんから茜に直接伝えられたりしたんですが、まあ今日はレベッカさんは登場しませんので、そこは端折らせて貰って、そうして鍵家茜、自分自身が狙われていたという事実を知って大いに困惑するんですが、ところがどっこい、ここで唐突に外国の話題に移ります。
この鍵家茜、その父親の小林貴弘が登場するたびに自慢したりなんざしまして、その小林家のご先祖様が明治時代、外交使節団の一員として異国の地を訪れたばかりか、その国のお姫様とのロマンスによって子種を残し、その片割れを連れ帰ったなんていうんですが、片割れということは当然双子ということですので、そうなるとどうなるかというと、その国の王様もまた茜と同じような目と鼻の遺伝を受け継いでいて、それが原因でやはり悪の組織に狙われて大変な攻防戦になったそうなんですね。ところがその王様が独身のまま急死してしまい、遠い親戚でお姫様の子孫でもある茜が次の国王に即位するという無茶な展開がはじまります。
その先代の王様、自分が日本人の血を引いているというのは代々伝え聞いていて、そのせいで日本の文化や歴史に大変興味を持っていたんですが、その方向性が少しずれていたんですかね、なんとまあ、まだ日本で売れる前からのオハコ十八番の箱タクだったりしまして、国内海外問わず、どんなマニアックなジャンルにも一定数の固定ファン、熱烈なファンというのがいるんでございますが、しかも自分と顔の特徴が瓜二つというんで鍵家茜が唯一の推しメンで、それで毎日のようにインターネットでオハコの動画なんかを鑑賞するんですが、見れば見るほど自分に姿形が似ているというので段々と奇妙な気持ちになりまして、「こいつは俺に違いない。だがそうなると見ている俺は一体誰だ」なんて大真面目にいったりなんかして、まあそういうちょいと粗忽な王様だったんですね。
ところがその後、全身黒タイツの悪の組織に狙われるようになり、茜の方も日本で似たような事件に巻き込まれたと聞いて血が騒いだんでしょうな、調べてみますってえと、やはり共通の血筋を引いた九親等の遠い親戚だったことが判明し、それならばと、茜を縁戚の一人として呼び寄せて国家の総力を挙げて悪の組織から守ってやろう、そしてそんな苦しい状況下でいつしか二人の間に恋心が芽生え、その炎がめらめらと燃え上がってついには愛を育み、そのまま結婚して幸せな家庭を築き、子供はできれば十八人くらい、なんて馬鹿なことを考えるんですが、ちょいとウキウキしすぎたのか階段を踏み外して転んでしまい、頭を打って亡くなってしまいます。ただ、その亡くなる間際にですね、どういうつもりか、茜を次の国王にといい遺し、念のためにその国の言葉、その国の文字で署名をしてから息を引き取ります。
おそらく茜を守ってやりたかったんですかね、そうしてすぐに日本に向けてその書類が発送されるんですが、その国の大使館はなぜか東京ではなく名古屋の大須にありましたから、その大使、その駐日大使がですね、「こら大変だがね、緊急事態だもんで急がなかんで今すぐ行こまい、待っとらゃーせ、待っとってちょ」なんていいながら慌てて東京に向かい、深川の鍵家一門を訪れます。まあそうやって突然外国の大使、それも名古屋弁の黒縁眼鏡の外国人が一般の家庭にやってきたりなんかしますと、大体は意味がわかりませんしね、なにかの犯罪なんじゃ、ドッキリなんじゃないかと疑ってかかるもんですが、ちょうど出迎えたのが貰う物は夏も小袖がモットーの紀伊ノ助師匠で、大使がレゴの形の外郎なんかを持参してましたので、「ほほお、異国の大使が訪れるとは、これは一刻を争う大事に違いない。ささ、植木屋さん、とりあえずおあがんなさい」なんていって、郷土料理の深川鍋を馳走したりするんですね。
ちなみにですね、現在では深川めし、深川丼なんていいますと具材は大体アサリかシジミなんですが、その起源、江戸時代の深川鍋がどういうものだったのかは諸説があって、その辺で大量に獲れたバカガイの身、アオヤギを使った鍋だったらしいんですが、いやいや元々は江戸前のハマグリや魚介なんかもふんだんに使ったごった煮で、それを庶民的な安い貝で模したのが広まったんだよとか、色んな説がありますが、この鍵家一門の場合は、まあバカガイなんてのは今では逆に貴重ですんで、そういうバカガイやハマグリではなく、一般的なアサリやシジミでもなく、冷凍食品のシーフードミックスだったりして、それに白髪葱と刻み生姜を加えて煮込むというお手軽簡単な料理なんですが、おかみさんが料理上手なものですから、包丁でささっと人参をねじり梅にしたり、椎茸を花椎茸にしたり、彩りのためにさやえんどうを添えたりして、まるで料亭料理のような出来映えですので、このシーフードミックスの深川鍋は門下連中の定番のソウルフードになっていて、「今夜は深川鍋だ」なんていおうもんなら全員が全員、寄席の仕事を早く切り上げて、冗談オチで駆けつけるというほどで、さあ、そうして料理に釣られて茜が帰宅したところで駐日大使が事情を説明し、書類を見せたりなんかして、とにかくこうして茜に打診がまいります。
普通ならそんな荒唐無稽な話は信じませんし、信じないのが茜のモットーで、仮に信じたとしても躊躇するところですが、その王様の署名の筆跡を見た瞬間、茜が「あ、うそっ!」と声をあげます。どういうことかというと、全十八話の中に『持つべきものは友』という噺があって、そこでの後藤舞ちゃんとの会話の中で、毎週のように何語かもわからない呪いの手紙が届く、上等だゴラ、なんて茜が怒鳴ったりするんですが、実はそれが外国からの手紙、しかも王様からの熱烈なファンレターだったなんて判明するんですね。そうなるとそれが茜にとってはじめて貰ったファンレターで、しかも毎週のように届いていたというんで今さらながら感謝感激雨あられ、思わず「クップー、クッピップー」なんて奇声をあげるんですが、それがアラレではなくガッちゃんの物真似だということに気づかないくらいの感激ぶりでございます。ただまあその一方で、そんな自分のファン第一号が亡くなったという悲しい事実が茜の胸を深くえぐったりもして、特になんと申しますか、内容はともかく、その手紙に対して一度も返事を出してあげられなかったということを、茜は深く深く悔んだんだそうで、そういった後悔の念やお詫びの気持ち、追慕の情みたいなものがあって、それで新国王になることを承諾したんではないかとまあ、あっしの方は勝手にそのように考えているんですがね。
さて、それにしてもその王様、悪の組織との対決の中で亡くなる、英雄として華々しく散るというんならまだしも、妄想のあまり階段から転げ落ちるなんてえ情けない死に方をしたもんですが、思いがけない事故死、不慮の死というやつでございまして、
「それにしても世の中にはかわった王様がいたもんだな。お国によって制度は違うが、いくら親戚だからといっても茜なんぞを次の国王に指名するなんてのは」
「あたしなんかを落語家にしたの、どこのお師匠さんでしたっけ」
「いわれてみればそれもそうか。おまえからすれば噺家になるのもアイドルになるのも、賞を貰うのも国王になるのも、青天のなんとか、同じようなものかもしれんな」
「あ、その青天のなんとかって、本当はなんでしたっけ。師匠がいっつもなんとかっていうから、あたしまでなんとかで覚えちゃったんですけど」
「こらこら茜、そういうのはすぐに辞書を引けといってあるだろ。大体、そういうのはちゃんとわかった上で使うからこそお客様にもウケるというもの。難しい言葉なんてのは覚えた傍から使ってみたくなるのが人の常で、ついさっきも追慕の情なんて使い慣れない言葉をいってる奴がいたが、そりゃ自慢げになっていけねえな、鞍馬から牛若丸が出でましてってやつだ。それに比べて知らないふうに装うってえのは好感が持てて憎いじゃねえか、てなもんだろ。それなのにわからずに使っておったのではただの馬鹿だろ、違うか」
「あ、ごめんなさい。あとで調べます」
「まあだが茜、おまえの場合は、お客様の方も馬鹿だということを期待してる節があったりするんでな、まま、義経でも弁慶でもどちらでも構わんが」
「あとで調べます。絶対調べます」
「それはいいとして、とりあえずだな、国王になるというのは国家と国民を守るというそりゃもう大変な仕事だからな、引き受けるからには全力で、といっても全力では疲れるでな、八割方の全力だな、いや、七割方くらいがいいか、とにかくそれくらいの全力でやらにゃ駄目だぞ。生半可な気持ちで引き受けようなんてのは絶対に許さんからな」
「それ全力っていわないし。八割とか七割とか、それを全力だと思ってるの師匠だけですよ」
「そうなのか、わしはいつも六割方の全力なんだがなあ」
「おうおう茜、ったく、おめえみてえな小娘が女王様とは、棚からぼた餅どころかよもやのよもぎ餅、世も末の椿事だが、こらあ見ものかもしれねえな。なんたって階段から転げ落ちるなんてえ間の抜けた王様の国だ。何段目からかは知らねえが、まあどうせ『七段目』だろ」
「こらこら、亡くなった人に対してそのいい方はなかろう。謝んなさい、閉蔵」
「すいませんでした。あまりに現実離れした話なんでつい、与太郎みてえな野郎だなんて」
「また与太郎なんぞと余計なことを。まあおまえは間抜けといったが、いやいやなんのヨーコ、よくよく考えれば王様としてはこれ以上ない往生の仕方、見事な死に方じゃあないか」
「師匠、どういうことです」
「わからんかの、王様だけに、横死を遂げた」
*
まあそんなアンニュイな感じで、これまでの物語を置いてけぼりにするような、そんな重要な転換点を迎えてしまった訣なんですが、えー、この日はもう一つ別の出来事もあって、本来は『深川皿屋敷』という噺に続くんですが、今日はとにかく先に進めたいんでそこは端折りまして、さて、そんなこんなで新国王になることを承諾した鍵家茜、そうなると日本に居続ける訣にいかずグループの方もめでたく年季明けということに決まり、それはもう突然の大騒ぎ、ただ、茜が外国の女王になるとか、悪の組織に狙われているというようなことは内緒でございます。そんなことを公表したら日本中が大混乱になりかねませんので、そこはグローバルな活動のために海外留学するとかなんとか嘘の口実を作り、日本政府もそれをすぐさま特定機密に指定致します。まあ時の総理大臣も、茜人気にうまく便乗したおかげでどうやら参院選も勝てそうだというんで、今ではすっかり茜の味方で、国民栄誉賞の授与式を卒業公演の中で行おうなんて提案してきたりするんですね。当然その模様はテレビで生中継されるんですが、ただですね、それまでオハコ十八番の特番を独占していた千里テレビさんは、なぜだか再放送アニメ祭りを継続中でしたので、そこは厳正な抽選を行ってN丸Kさんが放送権を獲得します。
そうしてあっさりと茜の卒業公演の日を迎え、千代田区は隼町の国立演芸場で、朝と昼の二部公演なんですが、全員で歌ったり踊ったり、順番に芸能を披露したりして、さらにかつて在籍していたOG連中なんかも大勢駆けつけます。腹話術師の千林ハルカや曲独楽師で初代箱頭の松風竹子あたりは茜とも仲がよくて、その後も寄席やなんかで会ったりすると茜が先生なんていって呼び止めて長話をする間柄なんですが、あまり仲が宜しくなかった温泉芸者の藤ヤッコですとか、初代講談師でスキャンダルで脱退した照山紅葉なんてのも登場して、また仲がよくも悪くもなく別の派閥ということなら、万波紅子に柊冬子に本間佳奈、金剛二郎に啖呵売の清石亜澄なんていう脇役連中も登場して好色八人女が揃い踏み、これには客席の箱タクも舞台袖の桜子も大盛り上がりでございます。
そうして午前の部が終わり、午後の部はというと、舞台上は現役メンバーのみの真剣勝負で、そのトップバッターはといいますと、これが茜直々の指名で、奇術師の蕾亭桜子でございます。一時期は燃え尽き症候群でくすぶっておりましたが、梅ヤッコの励ましでやる気を取り戻し、今では笑顔も浮かぶようになっていて、そんな桜ちゃんがそこら中から鳩を出しては次々に消し去るという奇想天外なマジックを成功させますと、お次は日本舞踊の後藤舞ちゃんで、尺八の千年鶴丸と四年目加入・江戸三味線の弁天斎の演奏に、浪曲師の東天満橋蘭々が節をつけたりしての『船弁慶』でございます。『船弁慶』といっても落語の演目とは違って、そちらは能楽の真似事をする噺ですが、その元々の方でして、源義経との別れを惜しむ静御前と、その義経に滅ぼされた平知盛の怨霊とを一人二役で演じるという、見応えのある、やり甲斐のある演目なんですが、義経は三年目に加入した能楽師の鈴阿弥という寡黙な子が能面をかぶって、弁慶は脱退後の唯一の出戻り娘、丼楽協会所属の橘小太郎が一人器用に人形を操って演じます。また源氏方と平家方の合戦のシーンでは、大衆演劇の男前の女の子、四年目加入の桜木カツオがこう両手に刀を持ちまして、それを颯爽と振り回す大迫力の一人チャンバラを繰り出し、その脇では三年目加入・新時代華道の若葉詩織が舞いながら花を生けるという渾身のパフォーマンスを披露し、舞台袖では茜が鼓をポンと打ってはコンと鳴き、各自の個性が見事に発揮された、まさにオハコ十八番らしい、新世代のちぐはぐな真剣勝負でございます。
それが終わると今度はなにやら賑やかな雰囲気で、ピーヒャーラ・ピッピッピッなんてチャルメラを吹きつつ太鼓を叩くチンドン屋の万歳軒P子を先頭に、南京玉簾の鬼小町と四年目加入・音曲漫才アコーディオンの神田うららが登場しての大道芸大会で、お江戸文化保存会の日比野歩美が和傘を回してその上に枡を載せながら、「そーれ、かっぽーれかっぽーれ!」なんて器用に踊っておりまして、そのカッポレに先ほどの連中も加わって誠に楽しい宴でございます。さらには一年目後半に加入した大正琴の菊千代の演奏に合わせて紙芝居師のご新造さん、麦々舎未来ちゃんが茜のこれまでを振り返る寸劇なんてのを披露して、舞台袖の茜も照れ笑いの苦笑いといった表情でございますが、さあ、そうして客席が盛り上がったところでご案内の総理大臣が登場し、国民栄誉賞の授与式がはじまるんですが、寄席の舞台に立つなんてことは当然はじめてですので、頭の中で、「なにか面白いことをいわなくちゃ。支持率回復、支持率回復」なんて思ったんですかね、国民栄誉賞の額を手渡す前にマイクの前に立ちまして、
「えー、皆様、こういうところでは、ご案内の、と申すらしいんですが、そのご案内の内閣総理大臣でございます。昨日から今朝まで、視察の公務と正月休みとを兼ねて関西に滞在しておりまして、近畿二府四県の知事や、関西経団連の方々とも会談を致しまして、地方分権や地方創生などに関して有意義な議論を交わしました。実は今朝、新幹線で東京に戻る予定だったんですが、突然の大雪でダイヤやオパールが乱れていましたので、急遽、伊丹空港から飛行機で東京に戻りまして、なんとかこの場に間に合うことができました。それでは鍵家茜さん、国民栄誉賞、おめでとう! 伊丹にかえて、よく間に合った、安心した!」
おわかりになりましたでしょうか。えー、おそらくですが、参院選はかなり苦戦するんじゃないかと思ったりするんですが、まあそれは自業自得というやつで、こうして授与式も無事に終わり、卒業公演の昼の部も後半でございます。全員で異色アイドル路線時代の曲を踊ったり、昭和歌謡路線時代の曲を歌ったり、またヨーロッパツアー中のOGの梅ヤッコ姉さんと衛星中継を繋ぎまして、茜が「エッフェル塔と東京タワー」「凱旋門と雷門」「クロワッサンと苦労したおっさん」なんて意地悪なリクエストをしたりするんですが、さすがは芸歴の長い梅姉さんでございますな、これを見事に切り分けて拍手喝采でございます。
公演のトリは当然、茜の落語で締めくくるんですが、その一つ前の膝がわりも落語で、こちらは誰かと申すまでもなく、茜の因縁のライバル、上方落語の玉家玉子でして、こういう時は普通、別れや旅立ち、感謝や友情なんていう、そういう卒業にちなんだ演目を選ぶもので、落語にもそういう噺はあるはずなんですが、如何せんライバル心が強うございますから、午前の部ではなんと、卒業とはなんの関係もない上方落語の滑稽噺『時うどん』なんてのをかけまして、茜の方も負けじと、それの移植版『時そば』で対抗するという、なんとも意味不明な対決をしております。通常の寄席ではネタかぶりは御法度なんですが、この二人は前々からそんな感じで競い合っていまして、
「人の大事な卒業公演で『時うどん』をかけるとか、絶対ありえないんだけど」
「それをいうならそっちもや。自分の大事な卒業公演で『時そば』をかけるとか、時そばをかける少女かいな」
「なにそれウケるんだけど。時そばをかける少女とか、玉ちゃんチョー面白いんだけど」
「玉ちゃんいうなや。うちの方が入門は先やねんから、玉子姉さんや玉子姉さん。なんでうちだけ姉さんて呼ばへんねん」
「うーん、なんでだろ。どうしてだろね。なんかそういう運命なんじゃないかな」
「あー、ほんまいつまで経っても腹立つやっちゃなあ。頭ん中お花畑とちゃうんか」
「どうだろ、見たことないし。桜が生えたら面白いかなあとは思うけど」
「そういうことやのうて、あー、もうほんまあかんわ。茜と一緒にいると頭がおかしくなるいうか、『愛宕山』から飛び降りたい気分じょ」
「うん、あたしも玉ちゃんといると、『あたま山』の池に飛び込みたい気分かな」
「ああ、いつでも飛び込んだらええがな、頭ん中からっぽなんやし、なんやったらサクランボの詰め合わせでも送ったるさかい、好きにすればええわ」
「ほんとに? ほんとに送ってくれる? できれば缶詰とかじゃなくて、綺麗な箱に入ってるサクランボがいいんだけど」
「なんやそれ、綺麗な箱て」
「ああほら、うちのお母さんがさ、絵里子っていうんだけどね、お嬢様育ちでよくいうんだよね。なんか高級品は綺麗な箱に入ってるんだって。おじいちゃん家が練馬の地主の家系とかで、それでたまには綺麗な箱に入ってるサクランボが食べたいなあ、なんてお父さんにねだったりして、それでお父さん、なんだかんだいってごまかして有耶無耶にするんだよね」
「そんなんどうでもええがな。てか自慢かいな」
「自慢というか自虐かな、だってほら、あたし綺麗な箱のサクランボ食べたことないし、見たこともないし、噂でだけ知ってるというか。全然知らなかったら興味なんか持たないんだけど、そうやって聞きかじってるもんだから、どんなサクランボなのかなって昔から気になってて」
「なんやそれ、そんなに食べたいなら、その練馬のおじいちゃんに頼めばええやろ」
「そうなんだけど、ほら、なんかあそこ仲が悪いというか、大昔になんかあったみたいでさ、あたしには優しくてロボットのおもちゃとか買ってくれたりするんだけど、お母さんにだけは今も厳しいというか、それでそういうの見て知ってるから、なんかこっちも遠慮しちゃうんだよね。まあロボット買ってくれるからそれで大満足なんだけど」
「そんなん知らんがな。てかそれ、綺麗な箱やのうて、桐の箱とちゃうんか」
「あ、そうなんだ、よく知ってるね。もしかして玉ちゃん、見たことあるとか、まさか地主の家系で育ったお嬢様とか?」
「なにいうてんねんな、何度いわせるねん、うちは先祖代々の和歌山県の漁師の家系、漁師の家庭や。うちのおとんもうちのおにいも現役バリバリの漁師やで。特にうちのおにいなんか、航海って言葉があるやろ、悔やむとか反省とかそういうんやなくて船の航海やけどな、その航海という漢字二文字でワタルいうて、航海の航っていう漢字一文字でワタルなんて人はぎょうさんおるけど、航海という漢字二文字でワタルや。まあおとんとおかんがどうしてそんな変な名前つけたのかは知らへんけど、そうなるとそらもう生まれつきの生粋の漁師ってやつで、どうや凄いやろ」
「うん、よくわかんないけど凄いねそれ」
「やろ。まあそないな感じでうちは漁師町の出やさかいな、鯛でもヒラメでも新鮮な刺身が毎日食べ放題いう点ではお嬢様以上に贅沢いうか、恵まれた環境やけどな。しかも和歌山やさかい、冬になればミカンはタダで手に入るし、そうそう、桐の箱に入った高級ミカンだって拝んだことあるで」
「へえ、そうなんだ。ミカンも綺麗な箱に入ってるんだ、それ凄いね」
「ああ、しかも近所の果樹園いうたらミカン以外にも南高梅なんてのがあってな、梅干しの加工工場なんかもあって、それを近所の人がタダで持ってきてくれて、かわりにこっちは獲れたての魚を差し出すいう感じで、物々交換が今も根付いてるいうんが和歌山の田舎町の特徴や。まあ和歌山人は金を使うのが嫌いというか、六日知らずでドケチな県民性やさかい、これは東京者には理解できへんやろうけどな」
「それはいいんだけど、玉ちゃん、そろそろ出番だよ。次はなにかけるの。船とか海とかいってたから『船徳』でもかけるのかな、それとも魚で『芝浜』とか『骨釣り』とか、あるいはミカンで『千両蜜柑』とか、和歌山ってことならなんだっけ、『弥次郎』もあるのかな、それとかドケチとかいってたから『しわい屋』とか、あ、上方ではなんていうんだっけ、あ、はいはい、『始末の極意』っていうんだ、まあいいけど、でもあたしの卒業公演の最後でまさかそういうのはないよね。さすがに疑問というか、なんでっていう感じで、それにN丸Kで完全生中継してるのにそんなのかけたら、玉ちゃん日本中の笑い者だよ、冷や汗たらたらになったりして、汗が漏れて水溜まりができたりして」
「なんやそれ、後輩の分際で先輩の心配とかいらんねん。それより自分の出番の心配でもしたらどないや、うちより断然レパートリー少ないくせに、まさか漫談とかやあらへんやろな」
「あ、そういう手もあるのか、いいかもね」
「なんやそれ、最後の最後で漫談とか、それこそ笑い者やんか。冷や汗ぽたぽたやで」
なーんて感じで堂々といい合ったりなんかして、まあオハコ結成時からの長い長いつき合いで、裏も表もお互いに熟知しているというような、そんな相思相愛の間柄だったりするんですが、さあ、その玉家玉子、午前のただの部を終えての次の部、午後の部はというと上方落語の『はてなの茶碗』で、これも卒業とは関係のない噺で、しかも普通はこんな大ネタをトリの前にぶつけたりは絶対にしないんですが、これを聴いて茜は苦笑いを浮かべます。それというのもこの『はてなの茶碗』、東京の方では登場人物の名を取って題名を『茶金』と申しますが、ただ水漏れするだけの価値のない駄茶碗が、割れてもおらずひびもなく、どこからどうして漏れるのかわからない不思議な茶碗だという評判が立ったことで千両もの値がつくという噺で、まさにライバルらしい、皮肉のたっぷり詰まった餞別なんですが、これを受けての茜の方はといいますと、同じ噺の『茶金』は一度も教わったことがなく、考えに考え、茶碗繋がりということで古典の大作『井戸の茶碗』に挑みます。まあこちらの噺もネタ下ろしはまだなんですが、ソロデビュー曲の元ネタでもありますし、茜の方に思い入れや、のちに続くようななんらかの予感予兆があったのかもしれません。
どんな噺かというと、「金だらいにぬるま湯に塩、支度をして持ってこい」といいまして、それでお侍さんがクズ屋から買い取った古い仏像を洗うんですが、中からぽろっと大金が出てきて、それをクズ屋を通して元の持ち主に返そうとするも、施し無用、頑として受け取って貰えず、その正直清兵衛というあだ名のクズ屋が大金を持って二人の間を行ったりきたり、何度も往復して困惑するという筋書きでございます。えー、仲裁役が入りまして、そのお金を三人それぞれに割り当てて、さらにお侍さんが元の持ち主から古ぼけた茶碗を譲って貰い、そのお代としてお金を渡す、一種の商取引、貸借対照表ということで一度は解決するんですが、その茶碗が実は隠れた名器で、さらに大金に化けてしまったからさあ大変、という噺でございます。玉子の方は、駄茶碗が駄茶碗のまま名器並みの扱いを受けるという噺でしたが、茜の方は名器を駄茶碗と思い込んでいたという噺ですから、これはまあ、そこまで考えて選んだ訣ではないんでしょうが、かつての日蔭時代やただの人数合わせに甘んじていた頃の姿に重なるような、突然の『茜なんとフィーバー』を想起させるような、そんな噺であるやもしれません。
さあ、そうやって茜が、「金だらいにぬるま湯に塩、支度をして持ってこい」なんて気っ風よくいいまして、仏様を洗うしぐさなんかをして、「中からぽろっと」なんて懸命に進めるんですが、箱入り娘、オハコ十八番のメンバーとしての最後の高座ですので、もちろんほかのメンバー全員が舞台袖に集い、それぞれ色んな思いを胸に抱きながら見守っておりますし、そこには授与式に同席した師匠紀伊ノ助の姿もあって、「ほうほう、なかなかやるなあ、わしは一切教えてないけど」なんて別の意味で感心していたりもするんですが、娘を嫁に出す父親さながら、その目にはうっすらと涙が浮かんでいたり致します。
また、その卒業公演はテレビで生中継されておりますので、当然深川の鍵家一門でも門下連中全員が集まって茶の間でその様子を見守っていたんですが、閉蔵とピックなんかはもう最初から最後まで号泣しっぱなしで、感極まって二人で抱き合ったりなんぞするもんですから、ほかの連中は皆そちらの方も気が気ではなく、特に見習いの鍵家鈴々なんかは女の子としてそういうボーイズラブに敏感で、あることないこと自分の中で妄想を膨らませては外部に内緒の話として漏らしていましたので、その疑惑はそれから数年間、閉蔵が意中のあねさんと同棲するまでくすぶり続けたという、そんな裏話があったりも致します。
さて、こうして無事に卒業公演を終え、皆との別れを大いに惜しむんですが、翌日にはもうはや出発でして、予約していた飛行機がボーイング社の飛行機だったりしたもんですから、ボーイング矢の如し、あっという間に外国に到着し、翌日には早くも新国王の即位披露興行が催されて大盛況、ただ、茜が国王になったあとは一歩も大門の外、王宮の門の外へ出して貰えませんで、あまりの退屈さに茜が怒りますと、皆、外に出るのは危険だというばかり、そういわれて窓から外を見てものどかな田園風景、牧歌的な景色が広がっているだけでして、
「ねえ、全然危険には思えないんだけど」
「そんなことはございません。外は危険に満ちております。日本の歴史書でいうところの、満つ満つし、久米の子らが、頭椎、石椎持ち、撃ちてしやまむ、でございます」
「なにそれ、全然知らないし、それにどこが危険なのさ。車も通ってないし人も歩いてないし、なんか動物の群れがいるくらいじゃん。あれが肉食だったりドーモーだったりとか?」
「いえ、あれは草食の、それはもうおとなしい温厚な動物でございます。陛下はまだご存知ないかと思いますが、世界的にも珍しい黒い羊の品種で漆黒羊と申しまして、普通、黒ずんだ羊毛は価値が低いんだそうですが、この国の黒羊毛は混じり気のない黒一色で、保温性や伸縮性にも大変優れ、丈夫で長持ち、加工もしやすいというので我が国の数少ない高級特産品となっております。特に昨年の暮れなどは、映画かなにかに用いるというので毎週のように注文が入り続け、そのおかげで貿易収支も数年ぶりに黒字に回復し、今ではヒツジミクスなんて呼ばれておりまして」
「あー、ウザい。そういう難しい説明はいいから、とにかく外に出してよ」
のんびりとした田舎の国ですので外に出ても退屈は退屈なんですが、散歩をしたり買い物をしたり、自然の中でハイキングをしたりバイクで爆走したりと茜の方にはやりたいことがいくつもあって、手にスパナなんかを持ってバイクを違法に改造しながら外に出たいと何度も催促するんですが、やはり皆、口を揃えて外に出るのは危険だといい張ります。
「もう、なんで駄目なのさ。前の王様もずっと王宮にいた訣?」
「いえ、先代の王は毎日のように外に出ておられました」
「じゃあなんであたしは駄目なのさあ。あたしが女だからとかいわないでよね」
「陛下、それがまさにその通りでございます。先代の王は男の王様でございましたが、陛下は女の王様、女王様でございます。外に出るのは危険です」
「は、この国ってそういう国なの、男女差別とか男尊女卑とか女は家庭に入れっていう」
「そうではございません。先ほども申しましたように陛下は女の王様、女王様でございます。外に出るのは危険です。日本の歴史書にも、満つ満つし、久米の子らが……」
「それはもう聞いたっつーの。どういうこっだよ、ぶちかまっぞゴラ!」
さすがの茜もその堂々巡りには耐えられませんで、昔取った杵柄とばかり、おつきの王室大臣の胸ぐらを掴もうとするんですが、その大臣、慌てず怖れずゆったりとした態度のまま、してやったりとばかりに自信満々な表情を浮かべまして、
「陛下、昔からいうじゃありませんか。出るクイーンは撃たれる」