寄席『カリメン』
えー、今日は久しぶりに電車できまして、普段は運転手付きのリムジンで寄席にくるんですが、こういうのもたまにはいいものですね。普通といいますか、庶民的で、選挙の時だけ自転車に乗って商店街を回ったりする政治家みたいな、そんなうさんくさい気分でございますが、あのー、自分で車を運転してもよかったんですが、手前はペーパードライバーというやつで滅多に車には乗らないんですね。滅多というか、一番多く乗っていたのが教習所に通っていた十代の頃というくらいで、皆さんくすくす笑っておられますが、これがまあ冗談ではなく事実なんですよ。あのー、路上教習、いわゆる路上なんてのがあって、普段運転される方はもうそんな経験は忘れてると思いますが、私はですね、それが毎日運転していたという唯一の記憶ですんで、いまだに強く覚えていて、教習所を出てすぐに踏切があって、教習車が行列を作るんですが、その教官がですね、「そろそろカンカン鳴るぞ、そろそろカンカン鳴るぞ」なんて嫌らしいこといってくるんですね。それで焦っていきなりエンストですよ、ええ。それで気が動転してるってのに、踏切を渡ってすぐに「次の信号を左折」なんて直前でいわれたもんですから、これまた焦ってしまって、今度は縁石に乗り上げて、いきなりパンクですよ。それで教官の先生と二人でタイヤを交換して、初日はほとんどそれだけで終わったという楽しい思い出がありますが、まあ都会にいる分には交通網が発達してますんでね、運転しなくても生きていけるんですよ。そうこうするうちに新駅ができたりもしますしね。
あのー、高輪ゲートウェイ駅なんていうので揉めてますが、そりゃ揉めるでしょ。しかも駅名の候補として落語でお馴染みの芝浜だとか、赤穂浪士の泉岳寺だとか、そういう乙な名前がいくつも挙がっていたのに、ふたを開ければ高輪ゲートウェイですよ。まあ芝浜に決まったところで浜なんかどこにもなくて、道路とビルしか見えなくて、風情もなにもあったもんじゃないですけどね。そういう意味ではゲートウェイで正解なのかもしれませんが、ただ、山手線の中で唯一カタカナ語の駅名になるってんで、そこの違和感ですか。あのー、これ皆さん、山手線の駅名に、全部ゲートウェイがついてるってんなら話は別ですよ、ええ。次は有楽町ゲートウェイ、次は新橋ゲートウェイ、次は浜松町ゲートウェイ、次は田町ゲートウェイなんて続いて、それで次は高輪ー、高輪ー、なんていわれたら、これはこれで逆に違和感しかありませんけどね。まあ駅名というのは興味深いもので、日本全国、誰がどんな理由で、どんな思惑で名付けたのかなんて調べるのも面白かったりして、九州新幹線の駅名で筑後船小屋なんてのがありますが、
「ああ、シメ茸か。ああ、わしだわし、声忘れたか、ワシワシ詐欺じゃなく、五十嵐だ、五十嵐新平、ああ、本名じゃわかりづらいか、紀伊ノ助だ、鍵家紀伊ノ助、おまえの師匠だ。ああ、そうだ、深川からかけてるんだがな、あのあれだ、おまえからなんか荷物が届いてな、クール便の、そうそう、その具材だ。それでな、うちのかかあがお礼の電話を入れろってうるさくてな、それで電話したんだ。いやいや、弓子、おまえがかければいいだろ、荷物受け取ったのはおまえなんだし、なんていったんだが、まあやはりわしから直接かけるのが筋だろうなんてことになってな。弓子の奴も戸ノ助やシメ茸なんてのは随分と可愛がってたはずで、なんせわしの弟子の中でも最初期の一番弟子と二番弟子で、慣れない共同生活で互いに戸惑ったりもしたし、その分だけ愛着も深いというか、特にシメ茸、おまえの場合はせっかく真打ちになったのに親父さんが倒れて家業の鍋料理屋を継ぐってんで落語を辞めてしまって、弓子の奴も残念がったり寂しがったりしてたんだぞ。まあでもほれ、最近はあれだろ、年賀状にも書いてあったが、おまえんとこの地元、なんていった、九州新幹線の、ああ、筑後船小屋か、そうそう、その辺の学校や催しなんかで落語やったりしてるなんて書いてあったんでな、わしも嬉しかったし弓子の奴も喜んでてな。まあそういう訣で弓子が電話してもよかったんだが、今日はわしからの電話ということでそこは一つ納得してくれ。えーと、それとこれはいつまで喋ればいいんだ、留守電ってのはピーッと鳴ってから話せばいいってのはわかるんだが、終わる時も、ああ、鳴った鳴った、これで終わればいいのか、まあそういうことだから、体に気をつけて、これからも元気でやってくれ、ああ、わしは大丈夫だ、あと百八十年は生きるから」
「あ、師匠、電話終わりましたか。そろそろ稽古つけて貰おうと思ったんですけど。今日は閉蔵あにさん営業に出てるし、『天狗裁き』の天狗の段そろそろ覚えたいなあなんて。それか師匠がアレンジした『あたま山』でもいいですけどね。あの途中で『愛宕山』が混じって、頭の上で瓦笥投げとかやるやつですけど、あれCD聴いてはまっちゃって」
「ああ、フランソワか、最近はあれだな、そうやって自分から積極的に学ぼうなんていう姿勢が見えて、いい傾向というか、うん、かなり落語にはまってきたんじゃないか」
「はまったというか、面白いと思える噺はいいんですけど、でも理解できない噺もかなり多くて、『寿限無』なんてただ適当に名前つけてるだけだし、『金明竹』は前半は面白いけど、後半が意味不明で覚えたくもないし、『転失気』はなんか全員が全員むかつくし、『蒟蒻問答』はなにがなんだかさっぱりわからないし」
「まあわしも若い頃はそんな感じで、わからんでもないが、おーい、ピック、ああ、いたか、よしよし、二人ともちょいとそこに座れ、ああ。なんというか、ピックもそろそろ二ツ目に向けての総仕上げ、フランソワもいよいよ前座を目指すという頃合いで、二人とも稽古に熱が入って、それぞれ落語というものに慣れてきたことだろうと思う。どうだピック」
「そりゃもう、前座からあがれるんだったら毎日でも稽古しますって」
「うん、毎日稽古するのが普通なんだがな、まあそれはいい。実はな、今日は簡単な試験というか、いやいや、別に合格不合格を決めるのが目的ではなく、ちょっとした実験なんだが、これから同じ噺の頭だけを繰り返しやってみせるんで、どういうことか考えてみてくれ」
そう告げてから紀伊ノ助、すっと表情をかえまして、「こんちは。おや、熊さんか、まあこっちへおあがんなさい。へえ、ども……。あのー、御隠居……、あ、頂戴しますんで、へい」「こんちは。おや、熊さんか、まあこっちへおあがんなさい。へえ、ども……。あのー、御隠居……、あ、頂戴しますんで、へい」とまあ、これだけを何度も何度も繰り返します。
「どうだフランソワ、なにかわかったか」
「んー、考えろっていわれたんで考えてたんですけど、でもあたしまだまだ素人みたいなもんだし、今のも冒頭ばっかで意味不明というか」
「どんなことでも構わん、なにか気づいたことをいってみろ」
「よくわかんないけど、なんとなく感じたのは、その御隠居って人、引っ越ししてませんか」
「こらこらピック、笑うでない。これは落語がどういうものか、それを知る大事なことだからな。それにわしはフランソワに尋ねてフランソワはそれに答えた、なにも間違っておらんではないか。それならピック、おまえはどうだ」
「そりゃ決まってますよ。最初にきた熊公は毎日のようにきてる熊公で、さっと入ってさっとあがって、互いに遠慮がないというか、水も平気で飲み干したりして、次にきたのがひと月ぶりくらいの熊公、そんで最後は半年ぶり、いやいや一年ぶりくらいじゃないですか。疎遠になって申し訣ないってなもんで、それが所作にも出てましたよ」
「なるほど、フランソワは引っ越しと答え、ピックは間柄の違いと考えた訣だな。フランソワ、それを聞いてどう思ったかな」
「そういわれればそんな感じもしますけど、ただ、やっぱり引っ越しはしてますよね」
「なにを馬鹿な。これだから見習いは」
「こらこらピック、確かにおまえの答えは正解だが、最後に限っていえばフランソワも正解だ。フランソワ、ちょいと説明してくれんか、おまえがなぜそう思ったのか」
「えっと、なんか最初は長屋っていうんですか、時代劇なんかで見る部屋、あんな感じだったんですけど、最後だけはマンションみたいな。しかもオートロックっていうんですか、一階の玄関がそんな感じになってて、そこを通って入ってきたんですけど、なんか熊さんの方も指を突き出してたし、それに背伸びみたいな変な動きしてたんで、あれ八階とか九階とか、エレベーターのシーンを一瞬で飛ばしたんじゃないですか」
「エレベーターて、オートロックて、師匠、そんなことある訣ないですよねえ。えっ、あるんですか、ほんとに、ほんとにマンション、オートロック?」
「気づかなんだか、視線が違っておったろ。あれは壁のインターホンで、その映像を見て、おや熊さんか、まあこっちへおあがんなさい、といった訣だな。しかも指でわかりやすく開錠ボタンを押したんだがな」
「あれ開錠ボタンだったんですか。てっきり熊公が久しぶりにきたんで、思わず指差し確認でもしたのかと。熊公の方もそのあとで同じように指差し確認してたし、じゃあそっちも茜がいうようにエレベーターのボタンだったんですか。でもそれはなんか、違うというかせこいというか、騙された気分というか」
「なまじ中途半端に落語をかじっていると、そうやって自分の勝手なように解釈してしまうんだな。見えるものも見えなくなる、見なくていいものを見てしまうというやつで、大体教習所じゃあるまいに、いくら久しぶりでも指差し確認なんてする訣がなかろう。ん、まあ教習所でも指差し確認はしないか。まあそれはいい、それじゃあその最後のやつをもう一度だけやってみるんで、今度は頭の中を真っ白にして、ただあるがままに見てみろ」
「へえ。うん、うん、ああ、はいはい、ああ、ああ……。うわあ、師匠凄いっすね、本当にオートロックじゃないですか。それに熊公の奴ネクタイなんかきつく締めてて、しかもあれ水じゃなくてコーヒーだったんですね、しかもブラックで苦そうに飲んでたりして、あれ場合によってはそのまま『天狗裁き』に移行するなんていう、そういう意図が見え隠れしたりもして」
「まあちょいと引っかけ問題のようで心苦しかったりもするんだがな」
「いやいや全然平気っすよ、最高っすよ師匠」
「そんな訣でだな、落語というのはただ口で話すだけではないし、人物を交互に演じさえすればいいというものでもない。その視線やしぐさや息遣い、所作の一つ一つに意味があって、部屋の様子や人物の間柄、身分や立場、その日の天気天候、そういう描写や説明、まあこの違いはこれまた深くなるで二人とも知らなくても構わんが、とにかく、たとえば御隠居を演じておる時は、それがどういう人物なのかというだけではなく、実はそのしぐさで相手の熊のことをもお客様に伝えておって、熊として話をする時は、実はそのしぐさで御隠居のことをも伝えておるという訣なんだな。わかりやすくいえば、相手の背が高かったら当然視線も上に向くし、威厳のある相手なら、直接目を合わせることなく目を逸らしたり揺らしたり、もちろんそれは人物の心情の表現でもあるが、それと同時に相手をしぐさや間合いで語る、間接的に伝えるという訣だな。講談だとそういうのをナレーションでささっとやってしまって、それはそれで勢いがあって乙なんだが、落語の場合は会話の機微や所作というところに重点を置いておって、だからたとえば落語を文字にするだろ、そうすると途端に訣がわからなくなったり、つまらなくなったりする。それにそうして文字になったものを再び口で演じようとしても、間合いや所作を一から作り直さなきゃならんで、それもまたどうにも変になるんだな。まあ会話の一切ないナレーションやあらすじだけの地噺なんてのもあるが、それはまた別で、それにまあ落語というのは同じ噺であっても演者によってまったく別の表情になるし、知らず知らずのうちに作りかえながら伝えておるようなもので、どれが正解ということではないんだが、まま、ちょっとフランソワが退屈しておるんでこれ以上はいわんが、単純に噺が面白ければそれでいいんだが、そうした機微が備わると、面白い噺はより深く、たとえつまらなくても不思議な説得力というものが出て、それが味わいになったりする。そういうところが落語の魅力であり奥の深さという訣だな」
「なんか深いんですね。自分そういうの全然考えたりしないんで、いわれてはじめて気づいたというか、終盤はさっぱりわからなかったですけど」
「ああ、やっぱりか」
「でも師匠、そんなこといって師匠の高座、漫談や百人一首ばっかじゃないですか。たまには古典もやってくださいよ。実は凄いって噂だけは耳にするんですけど、高座でかけたの『碁泥』くらいしか見たことないですよ。まあ本寸法じゃなければ『天狗裁き』や『あたま山』なんかもありますけどね。あとは若い頃のビデオテープで『井戸の茶碗』とか『茶金』とかも見たことありますけど、なんでやらないんですか。稽古だって古典となると戸ノ助師匠や閉蔵あにさんにばっか押しつけて。あにさんも古典は上手ですけど、別にあにさんに弟子入りした訣じゃないですし」
「うむ、まさにそれだピック。確かにわしはいつも新作や漫談ばかりかもしれんが、わしの漫談、実は内容自体はそれほど面白い訣でなく、文字に起こせば全然笑えないという粗末な代物だ。しかしお客様は毎度毎度それを笑ってくださる、なぜだと思う。なんでですって、ちっとは考えろ。百人一首だってそうだ。あんなもん普通なら面白くもなんともないだろ」
「そりゃ意外性っすよ。そんでドッカンドッカン、毎回抱腹絶倒じゃないですか」
「なにもわかっとらん奴だな。意外性だけで二十年もお客様が笑い続けてくれる訣がなかろう。まあ今のは具体的な数字ではなくたとえばの数字だがな」
「あ、もしかしてあれ、百人一首というか落語じゃないですか。そうだそうだ、そういえば毎回対戦相手が違うし、そういう説明とか全然ないはずなのに、二人の勝負だったり大勢だったり、しかも大金がかかってそうな真剣勝負もあれば、正月に家族で楽しんでるような感じだったりもして、あー、あれ落語だったんですね。しかも師匠お得意の即興落語」
「その通り、即興というやつだが、正直にいうとこの即興というのは古典よりも難しい。古典は一度覚えさえすればあとは研鑽を積むだけだし、三題噺なんかはお題を貰ってから考える時間があるでいいが、即興はその場で考え、考えながら喋り、喋りながらオチを探らにゃならん。わしがなんで百人一首を選んだかわかるか。あー、またそれか、ちっとは考えろ。まあいいが、百人一首はな、要は材料が百個ある訣だ。材料というかオチの候補だな。しかも色んな詠み人の色んな種類の歌があって、その場がどんな空気になろうとも、その日の客層がどんなだろうとも、真剣に探せばこれだというようなオチが必ず見つかる。それを探したり繋いだりするのがなんともいえず楽しいんだな、うん。まあそんなこんなで寄席のお客様と二十年以上、これもたとえばの数字だが、そうやって札を取り合って楽しませて貰っているという訣で」
「うわあ、自分、師匠に弟子入りしてよかったっす、ほんとよかったっす!」
「なにを感激しておる。というかフランソワ、おまえさっきから眠っとらんか」
「ああ、ごめんなさい。なんかよくわかんなくて、だってあたし最近やっと本格的に蕎麦のすすり方とか、お酒のポムッポムッていう飲み方とか、そういうの特訓しはじめたところで、難しすぎるというか。今のもポムポムがいいのか、オムオムなのかウムウムなのか、なんて表現すればいいかわかんないくらいだし」
「なんだちゃんと聞いておったんじゃないか。そうやって文字には表せないようなところ、言葉では表現できない機微というのが落語の要であり魅力であるということであって、うん、二人ともとりあえず仮免は合格だな」
「え、今の仮免の試験だったんですか。じゃあこれから路上とかあるんすか、路上に出てストリート落語とか」
「そういうことではなく、言葉の綾、たとえなんだがな。まあでも二人とも精進してきておるんで、路上のかわりに合格祝いというか、今夜はおまえらの大好きな鍋にでもするか」
「やった、おかみさんの作る深川鍋っすか!」
「いやいや、実は今日は珍しい鍋の材料が手に入って、それというのも九州にいるシメ茸の奴がな、でっぷりと肥えた本場の具材をクール便で送ってくれて、そこはいつもの深川鍋じゃなく、柳川鍋だ」
「ああ、泥鰌……」