寄席『持つべきものは友』『いざ落語家』『国民栄誉賞』
えー、毎度のご贔屓、誠に有難く厚く御礼申し上げますが、今日これから致しますお噺は大河落語『茜の生涯』と申しまして、全十八話の大長編連作落語でございます。内容は題名からもわかるように一人の女の子の一代記なんですが、これがチラシの裏にでも書いてろというような荒唐無稽な筋書きで、現実にはありえないんじゃないかなんて怒る方もおられるかもしれませんが、そういう方は是非サクランボの種でも飲み込んで頂いて、自分の頭の上に桜の木を育てて、その木を引っこ抜いてできた池にですね、飛び込んで頂ければなんて思うんですが、まあ落語ですので、そこは小説さんや映画さん、ドラマさんなんかとは勝手が違って、作り話を作り話のまま、作り話として如何に面白く聴かせるかというのが目的であり手段でもあるといいますか、こちらとしての本望本懐ですのでね、まあ全然面白くないなんていわれることもままあるんですが、そういう時はこちらも諦めるしかありませんので、お客さん方も綺麗さっぱり諦めて頂ければ互角といいますか、痛み分けというやつでして、まあ寄席の常連や落語好きの面々にとってはそんなのも日常茶飯事なんでしょうが、今日は落語なんてあまり聴いたことがないというような、そんな顔ぶれも見受けられますのでね。えー、修学旅行ですか、違いますか、社会科見学、ああ珍しいですね、まあ社会といっても様々な社会がありますので、世間にはこういうごまかしの社会もあるんだということで、今日はいい勉強になるんじゃないかと思うんですが、まあ決して身構えることなく、是非肩の力を抜いて頂いて、楽な気持ちで、アンニュイな気分で聴いて頂ければ幸いでございますな。
まあなんといっても全十八話の連作落語というやつで、毎回その中から一つ、あるいは二つ三つ選んで高座にかけるんですが、なぜそんな長ったらしい噺を作ったかというと、和歌山県の方に南紀白浜演芸場という寄席がございまして、ええ、あるんですよ、そういう架空の寄席が。それでその架空の寄席の架空のこけら落としに手前が呼ばれまして、奥州での武者修行を切り上げて駆けつけたんですが、ところがそこで無茶な企画をやらされたんですね。あのー、落語の余興に三題噺というのがあって、お客さんから三つのお題を貰って、そのお題を組み合わせて一つの噺を作るなんて即興の遊びなんですが、その日は突然の大雪で交通機関が痲痺していて、出演者が六人ほど間に合わないという状況、それでその日トリの予定だった山葵亭の粉山椒師匠がですね、おそらくトリが嫌だったんでしょうねえ、おいおめえ、このままじゃあ時間があまっちまう、三題噺なんかじゃ間が持たねえだろぃ、どうだい、六人分まとめて十八題噺なんてえ面白えんじゃねえか、噺家の冥利に尽きるだろ、なんて馬鹿なことをいうんですね。まあ演芸場の人たちも困ってましたし、師匠も朝から酒が入ってたんですかね、断れる雰囲気では全然なくて、それで仕方なく引き受けたんですが、ただ問題はその酔っ払い親父ですよ。よし、お題を貰ったあとは俺に任せろ、一時間たっぷり稼いでやるからその間にじっくりネタを考えろ、なんていって、それで手前もてっきり珍しく大ネタでもやるのかなと思ったら、まさかまさかの前座噺のメドレーリレーですよ。これは完全に騙された気分で、それだったらもう師匠が酒飲みながら丸一日前座噺をやり続けるなんていう、そんな企画にすればよかったんじゃないか、なんて、まあでもそういう次第でこの大河落語が生まれた訣で、その時はしどろもどろのアオミドロ、顔面蒼白冷や汗まじり、どんなお題だったかも忘れてしまったんですが、ただですね、その師匠が後日、変なことをいうんですね。おいおめえ、こないだの白浜、和歌山でやった十八題噺か、あれなかなかの評判じゃねえか、あれ即興のまま終わらせるのはもったいねえだろぃ、『芝浜』だって元は即興の三題噺ってぇいうし、どうだいおい、ちょいと作り直して新作にしてみねえか、なんていって、まあ私もですね、粉山椒師匠に誉められるなんてのははじめてで、ああ、それならちょっとやってみようかな、なんて気になったんですが、ただですね、よくよく考えればその師匠、普段は自分の出番さえ終わればあとは楽屋で飲んで寝るだけですからね、こっちの噺なんざ聴いてる訣がないんですね、ええ。
まあでもせっかく苦労して作った噺ですし、結構ウケましたんでね、あっしの方もそのまま捨て置くのはもったいないってんで、一つの長編落語だったのを大体十八くらいに分割して、それを連作落語という形に整えて、まあただ最初に作った噺は和歌山県のご当地ネタやその頃の時事ネタなんてのが多くて、そういうお題だったんでしょうが、そのままじゃ通用しないってんで一部を残して作りかえまして、それからまた、こういう商売柄、色んな地方に行きますので、その都度新たなご当地ネタを仕入れたり、その方々の土地の女の子を登場させたりして、まあ主人公の友達というか仲間が十八人くらいいて、それがどんどん増えていくという物語なものですから、そのたびに色んな設定が生まれては消えていくという具合で、今日もこんなことを話しながらどういう設定で行こうかなんて考えていたりするんですが、まあ最初は落語の入門という感じで、あまり難しくない浅いところから攻めてあとはなりゆき次第、まあ毎回なりゆき次第なんですけども、えー、『茜の生涯』というタイトルですんで主人公は小林茜というんですが、芸名なんてものを持っていたりするという特殊な世界に進んだ子なんですね。ただ、最初からそういう世界に憧れていた訣ではなく、世間や周囲とは一定の距離を置いているような、蔭のある、ちょいとヤバめの女の子で、そもそもこの茜ちゃん、幼少時代から少しかわっておりまして、
「ねえねえ、千代子ちゃんは大人になったらなんになりたい」
「うーん、千代子はね、パティシエになりたい」
「なにそれ、どんなロボット?」
「ロボットじゃないよ、パティシエはケーキや甘いお菓子を作ったりする人のことだよ」
「なんだ千代子ちゃん、デザート屋さんになりたいんだ」
「デザートじゃなくてスイーツなんだけど、じゃあ茜ちゃんは将来なんになりたいの」
「あたしはね、超合金!」
「えっ、なに、なにそれ」
「超合金、それも変形型のやつ。それでね、敵に改造されたモアイと戦ったりすんの」
「う、うん、よくわからないけど、お互い叶うといいね……」
なーんて感じで女の子なのにロボットに夢中で将来の夢は超合金、小学校の卒業文集では将来の夢はサイバトロン、中学校に入ると本格的に機械いじりを覚え、将来はロボット博士なんて大真面目に書いたりするような子でして、しかも工業高校に進んで実際にバイクを改造したりもするんですね。ただ、その子がその先どうなるかというと、これが誰がどう間違えて誰がどう勘違いしたのか、国民的アイドルグループなんてものの一員に選ばれまして、最初はただの人数合わせだったのが、ひょんなことから大人気となって日本中を茜フィーバーに包み込み、さらには世界を舞台にしてグローバルに活躍し、果てはノーベル平和賞に一番近いといわれるまでの伝説的な存在、人類の救世主に成長致します。そんな波乱万丈なのか順風満帆なのかいまいちわからない、荒唐無稽な地球規模の生涯を送ることになる我らが主人公なんですが、芸名の方を鍵家茜、鍵家茜といいまして、皆様なんとも変な名前とお思いでしょうが、それもそのはず、この茜が所属するアイドルグループは正式名称をオハコ十八番と申しまして、様々な伝統芸能に携わる女の子たち、あるいはそういう分野を志している、ちょいとアレな女の子たちを十八人集めた色物で、キャッチコピーは「寄席でしか会えない箱入り娘」「娘十八、番茶も出花」「目指せ未来の人間国宝」だったり致します。
鍵家という屋号からもおわかりのように、この茜は江戸落語の担当なんですが、結成当初の目玉はなんといってもオハコ十八番の絶対的エース、歌舞伎界に生まれ育った梨園のプリンセス、一流大学に通いモデルもこなす才色兼備のクールビューティー、楠美郷という子でして、それ以外にも日本舞踊の家元のお嬢様で初代センターの後藤舞ちゃんですとか、茜をライバル視する上方落語の玉家玉子ですとか、ほかにも浄瑠璃に能楽師に狂言師、浪花節の浪曲師の東天満橋蘭々に、軍記物の講談師の照山紅葉、長唄・端唄に三味線・胡弓をこなす一人マルチな温泉芸者の藤ヤッコ姐さんと続きまして、さらにお琴の流派の師範代に尺八教室の若先生、寄席の演芸からは太神楽の見習いと腹話術師の千林ハルカ、大道芸からは南京玉簾の愛好家と曲独楽師の松風竹子、賑やかしにチンドン屋のチャルメラ娘の万歳軒P子、とどめは紙切り芸の梅ヤッコ姉さんなんてのもいて、この梅ヤッコと藤ヤッコの二人はすでに三十路だったりもするんですが、メンバーの枠が十八しかございませんので、それはもう大変な奪い合いでございます。ただまあ、結成当初はコンセプトも定まっておりませんで、個人個人の芸能や芸事よりもグループ全体を異色のアイドルとして売り出そう、若い女をそれだけ集めれば話題になって寄席の客も増えるだろうなんて単純に考えていましたので、まったく売れず、売れる気配もなく、すぐに抜ける子なんかも多くて、むしろ十八人揃えるのに苦労したんだそうですが、苦労したんだそうですがって、自分の創作落語なのに伝聞口調はどうかと思ったりもしますが、それはそれとして、ある時ひょっと人気が出てブレイク致します。
特に今はあれですね、インターネットの動画サイトなんてのがありますから、こういうのは日本の文化や歴史に興味のある外国さんの方が先に盛り上がって、それから人気が逆輸入されるというパターンで、なんと申しますか、国内海外問わず、どんなマニアックなジャンルにも一定数の固定ファン、熱烈なファンというのがいるんでございまして、結局のところ、流行の最初のきっかけなんてものはそれが取り上げられるかどうかという、ただそれだけが重要だったりもするんですね。まあ皆さんは、落語はそれほどマニアックなジャンルでもないんで、安心して頂いて構わないんですが、とにかく、そうなると各伝統芸能の協会さんや家元さんも黙っちゃいませんわな。是非うちの弟子をオハコに、いやいやうちの流派から、という声がひっきりなしに届くようになりまして、オーディションの模様が千里テレビの特番で放映されたり致します。そういう子たちが何十人と集まって、ご新造さんを決めるための試験や合宿を行うんですが、現役の箱入り娘もうかうかしてはいられませんで、過酷な試練を与えられたりして、あのー、大昔のなんとか娘さんがそんな感じでございましたかね。どうでしたか、違いましたか、申し訣ないんですが、あっしはそっち方面には全然詳しくなくてですね、ええ、顔と名前が一致するのが、サヤッチとフクッチと、あとはマリアンヌ嬢で、その三人……、を足しますので三十六人ですかね。今はもっと増えてるらしいんですが、そういうメンバーの加入だとか卒業だとか、そういう部分にドラマチックな物語があったりなんかして、あとはスキャンダル発覚による強制解雇、ですか、まあそれはまた別の種類のドキドキなんですが、とにかく新メンバーを決めるための選考やなんかを見ていますと、半ば演出半ば出来レースだとわかっていながらも、ついつい応援したくなったりするものでございますな。
さて、このオハコ十八番、寄席限定とはいえ一応アイドルグループですので当然ファンの前で歌ったり踊ったりもするんですが、最初の半年は異色アイドル路線で完全に失敗し、お次は寄席の客層に合わせて昭和歌謡路線で勝負をかけるんですが、素人に毛の生えたようなふざけた連中が裕次郎やひばりを歌ったらどうなるか、これも完全に失敗に終わり、そうした混迷の中で見出したのがお祭り演芸路線というやつでして、そこはもちろん、日本舞踊や歌舞伎踊り、能楽舞や白拍子、田楽舞や猿楽舞、獅子舞踊りや神楽舞、花笠踊りに盆踊り、念仏踊りに阿波踊り、ヨサコイ節にソーラン節、義太夫節に炭坑節、泥鰌掬いの安来節、パーマン音頭に佐渡おけさ、なんていうトラディッショナルな寄せ集めでございます。
日本舞踊の後藤舞ちゃんなんかはそれはもう専門ですので、寄席のセンターでスポットライトを浴びて、華麗も華麗、華麗ライスに舞い踊るんですが、落語担当の二人は踊りはからっきしの素人ですんで、ラッキョか福神漬けかというような感じで隅っこの方で適当に、「チンチロリンのーサークサクーのポーリポリ」「ガンガラガンのーザックザクーのボーリボリ」なんてやってまして、その横では負けて堪るかと、お江戸文化保存会からオーディションを勝ち抜いた二代目の太神楽、日比野歩美がこう、ねじり鉢巻きをしまして、気合いを入れて、「そーれ、かっぽーれかっぽーれ!」なんてやりながら和傘の上でバナナを回しております。また浪曲師の東天満橋蘭々なんかは、「ええじゃないかええじゃないか!」と半ば錯乱状態で、紙切り芸の梅ヤッコはと申しますと、「おっかげっでさ、ぬっけたっとさ!」と、これは江戸時代に六十年周期で流行した伊勢神宮のお蔭参りというやつで、誰よりも芸歴が長いですから、踊りながら、手に持っていた紙をハサミで鳥居の形に切り抜くという神業を見せたり致します。
そんな統一感のないちぐはぐなグループで、女の子ばかり十八人、しかもそれが抜けたり入ったりしますので、それはもう色んな派閥や確執、温度差なんてのがあって、やる気のある連中なんかだと枠に入ってからが勝負という感じで、まったく売れていないにも関わらず、センター争いなんていう不毛なバトルを繰り広げるんですね。特に最初の半年は一応はアイドル路線ですので、とにかく目立ちたい、注目されたい、人気者になりたいなんて考えてる至極まともな連中もいて、あのー、靴に画鋲を入れられる、衣装が切り刻まれるなんて怖い話がありますが、手ぬぐいを出したら真ん中が蝶々の形に切り取られていたなんていう極悪非道のおぞましい話があったりするんですね。まあその犯人は、皆さんご推察かもしれませんが、紙切り芸の梅ヤッコではないか、というような感じで本人と真犯人以外、大方は一致していたりするんですがね。また本番前に衣装を隠されるなんて単純な嫌がらせも耳にしますが、結成半年がすぎたくらいのある時、日本舞踊の後藤舞ちゃんの着物の帯がなくなり、そのかわりに畳んだ着物にぐるぐると、なにやら長い紙が巻きついております。ほどいてみますってえと、「この頃オハコに流行るもの、幼稚な後藤の偽人気、ぶりっこあざといお嬢様、帯を忘れててんてこ舞い」なんて筆でしたためてあるんですね。しかもかなりの達筆で、ご丁寧にも隅には落款、日本画や水墨画なんかの朱色の印鑑ですが、あれが押してあったりもするんですね。
さすがは伝統芸能を志す女の子たち、嫌がらせにも教養がにじみ出てしまうというんで感心ですが、狂歌といいますか、落首・落書の類で、首が落ちると書いてラクシュ、ラクガキと書いてラクショと訓むんですが、この文章はあれですね、皆さん日本史の授業で、と申しましても、大昔の、ですね、若かりし頃に、ですよ、一応習ったと思いますが、鎌倉幕府が滅亡して後醍醐天皇が建武の新政をはじめた頃、その混乱の世の中を皮肉る落書が話題になりまして、「この頃都に流行るもの。夜討ち、強盗、偽綸旨。召人、早馬、虚騒動」という小気味のいい文章でしたが、そのパロディでございますな。まあ現役の学生さんはじめ、教養のある皆さんにはわざわざ説明するまでもないことだとは思うんですが、中には、世界史や地理を選択したって人もいますんでね、一応なんでございますが、ただ先ほどの蝶々とは違ってこちらの事件は迷宮入りで、怪しいのは講談師の照山紅葉や途中加入の都々逸の女の子あたりですが、表向きは仲のいい友達ばかりで、聞くに聞けず、疑うに疑えず、後藤舞ちゃん、すっかり疑心暗鬼になって笑顔を失ってしまいます。また容疑者にはほかにも、紙切り担当ながら歴史が大好きなレキジョの梅ヤッコなんてのがいたりもするんですが、ただ、この舞ちゃんを実の妹のように可愛がっていたのが最年長の梅姉さんで、しかも今回のぐるぐる巻きの紙は一切、切り取られてはおりません。ここ、重要ですよ。これがもしスカイツリーや新国立競技場の形だったりしたら、まああっしが犯人を予想するまでもないんですが、そんなこともなく、しかも梅姉さん、その日は同じ落語伝統協会に所属する音曲漫才、アコーディオンの神田ブラザーズと一緒に学校公演なんてものに出かけていてオハコの寄席はお休みでしたので、そうなると疑うにも相談しようにも相手がおりませんで、
「私、もうセンターなんて無理、ほかの子にかわって貰う。ううん、アイドルも無理。もういいの、ほかの流派の子だって入りたい子いるだろうし、私が辞めさえすれば……」
これに異論を挟んだのが、楽屋の隅ーーーっこの方にいた、ちょいと根暗な感じの金髪の女の子でして、両目が真一文字に、こう、真横に長くてですね、鼻は高くて縦にすーっと長いんですが、昭和のご家庭でよく目にした手押し式のポットのようでもありまして、全体的にはロボットアニメを実写化したような、あるいは特撮ヒーロー物のロボットを人間化したような、そんな感じでもあるんですが、そういう個性的な独特のパーツを持ちながらも、確かに美少女、というようなそんな女の子が、うしろで一本に束ねたポニーテールを、こう、ビュンと勢いよく振りまして、楽屋の鏡に向かって独り言を呟いているアザトカワイイ舞ちゃんの方を向いたかと思うと、その真横に長い目で刺すように睨みつけます。
「は、そんなの気にしてどうすんのさ。舞ちゃんは人気だけじゃなく実力だってあんじゃん。一人で堂々と踊れるし、陰口くらいで弱気になる意味が全然わかんないんだけど」
「で、でも私……」
「いいよいいよ舞ちゃんはさ。あたしなんか歌も踊りも全然駄目な上に、繋ぎのMCで落語やっても全然ウケなかったし。しかも会心の出来だってのに途中で席立つ法被連中が多くってさ、ついつい、ざっけんなトイレ休憩の時間じゃねえんだよ脳天ぶっ叩いて狐にしてやっぞゴラ、なんていいそうになって。まあ、いわなかったけど」
「は、はい……」
「それに笑っちゃうけど、あたしもさ、こう見えて嫌がらせ受けてんだよね。毎週のように、何語かもわかんないような呪いの手紙が届いたりして、一度さあ、上等だゴラやんのかオラ、ツラ見せろツラ、って返信してやりたいんだけど、相手の住所が読めなくってさ」
「は、はい……」
「まあ、人に敬遠されたり期待されないなんていつものこっだから別にいいんだけど」
「そ、そんなことないよ、昨日のコンポンだっけ。あ、ポンコンなんだ。あ、でもあれ正式には『初音の鼓』っていうんだよね。うん、私ちゃんと聞いてたから、あれ凄く面白かったよ?」
「マジそれ、マジで聴いてた?」
「う、うん、聞いてたよ」
「ふん、嘘くっせ。そういうの、別にいいから」
「嘘じゃないよ。本当だよ。ほんとにほんとだってば。えーと、これ三太夫、はい、なんでございましょうか、御前様、そなた今、わしが鼓をポンと打ったらコンと鳴きおったぞ、はて、夢となく現となく、前後忘却致しまして、一向に存じおりません」
「マジっ、てか舞ちゃん凄い、よく一度で覚えたね。カミシモは逆だったけど……」
「うん、昨日の茜ちゃんのお噺、すっごく面白かったから、それでちょっと覚えちゃった」
えー、皆様すでにお気づきのことと思いますが、この後藤舞ちゃんを震え上がらせております金髪ポニーテールの女の子こそ、我らが主人公の鍵家茜でして、かつてレディースなんてものに所属していたというチャキチャキの日蔭育ちなんですが、ただ、一番人気でセンターの、それもお嬢様育ちで天真爛漫な舞ちゃんが、その茜の落語をちゃんと聴いてくれていたというのが茜にとっては青天のなんとかで、すっかり舞い上がってしまいます。落語家としてもまだまだ前座で、まあ東京の噺家には、見習いの期間を除けば前座・二ツ目・真打ちと三つの位がござんして、その一番下っ端の奴隷階層ですので、噺の中身だけで勝負して客にウケるなんてことは滅多になく、内心嬉しくて仕方がないんですが、そこは日蔭育ちですので他人に弱みを見せてはならないとばかりに喜びを隠し、ちょいと言葉の語尾を揚げながら、
「ま、まあ? そういわれると? そりゃあね? たとえ世辞ってやつでもバリバリオッケーっていうか? まあ昨日のポンコンは? 自分でも? これヤバくね? ヤバいよね? 剣呑だよねってくらい? 結構イケてたとは思うんだよね。結局んとこ、客層にセコ金やドサ金の法被連中が混じってて、落語をまったく理解しねえってのが問題な訣で、しかもあいつらのせいで普段の寄席の客が白けまくって空気が最悪だし、あいつらいつかゼッテー絞める」
「そ、それはちょっと駄目だと思うけど、うん、うん、でもそうだよね、やっぱりこっちのやってることとお客さんの求めてることとが、ちょっと開きがあるというか、客層にもだいぶ開きがあるし、メンバーにも色々と開きがあるし」
「そうそう、開きといえばさ、今度ネタ下ろしすんだよね。まあ開きじゃなくてそのまま焼くんだけど、よかったらその前に一度聴いてくんねえかな。『目黒のさんま』っつってマジヤバい噺なんだけど」
まあ別にヤバかあないんですが、おそらくチョー面白い、ヤバいくらいに面白いという意味で使ってるんだと思いますが、とにかく、こうして一番縁遠いところにいたはずの二人が大の親友となりまして、二人でモツ鍋を食べに行ったりするんですね。
「へえ、茜ちゃんモツ鍋とか好きなんだ。なんかもっとクールなイメージだったんだけど」
「いやあ別に好きとかじゃないんだけど、ただほら、昔からいうじゃん、モツ鍋食えば友」
「えっ、いや、いわないし。それをいうなら持つべきものは友、だよね」
「あ、う、うん、それはそうなんだけど、あれ、あれれ、今の駄目だったかな。なにがって、えーと舞ちゃん、今あたしが頭下げたの見てたよね、見てたよね」
「うん、見てたけど、なんで突然頭下げたのかなって、凄く不思議で」
「いや、不思議とかじゃなくて、わかんないかなあ、あたし一応落語家なんですけど。昨日舞ちゃん見てたんだよね、あたし最後どうしたっけ」
「あっ、もしかしてあれかな、オチとかサゲとかいうんだっけ。あ、ああ、そっかそっか、そうだったんだ、それで頭下げたんだ。なんかごめんね、気づいてあげられなくて」
「いや、うん、まあ地口オチというかただのダジャレだし、いきなりこれで締めるのもありやなしやっていう感じではあるんだけど」
「うーん、じゃあさ、お詫びというか、モツ鍋は今度にして、私あれ食べたいな。ほら、魚のすり身なんだけど、かまぼこじゃなくて、なんていったっけ、あの穴が開いてるやつ」
「ああ、ちくわの友」
*
えー、まばらな拍手を頂きまして、有難いことは有難いんですが、実はまだ終わらないんですよ、これが。あのー、今日は結構たっぷり時間を貰ってまして、三つくらいやろうかなあと思って、その最初が今の『持つべきものは友』という噺で、主人公の茜と舞ちゃんとが大の親友になるという、その重要なきっかけのシーンを落語にした噺なんですが、まあ実際はさほど重要でもないんで、聴き流して頂いても一向に構わないといいますか、まあ大体毎度毎度こんなアンニュイな感じで進めてまいりますので、あのー、お客さん方もですね、今のうちに慣れておいた方が、のちのちお互いのためになったりしますので、そのことを頭の片隅にでも覚えておいて頂ければと思うんですが、大丈夫ですか、怒ってませんか、宜しいですか。
さて、この茜という女の子、今の噺でおわかりのように完全にレディース出身の元ヤンでして、どこか冷めた感じのドライな子でもあります。皆様、なぜ落語家を志したのかと不思議にお思いでしょうが、実は求人広告を見てキャバクラに電話をかけたところ、間違えて落語家の家に繋がってしまったという、ええ、今皆さんが無言で、あるいはビミョーに反応したような、それは無茶なという経緯がありまして、それが『いざ落語家』という噺でございます。
いくら間違い電話で声だけのやり取りとはいえ、キャバクラと落語家の違いくらい誰にもわかりそうなもので、また電話を受けた方も受けた方で普通なら断るところですが、この鍵家一門、師匠の鍵家紀伊ノ助からしておかしな男でございます。鍵を英語にしたキーを和歌山県の旧国名、紀伊国にあてはめて紀伊ノ助と申しますが、本人も家族も親戚も新潟生まれの新潟育ち、誰一人和歌山県とは縁もゆかりもございませんで、それなのに和歌山県の観光PR大使を務めていたりして、その就任式の時にはじめて和歌山の地に足を踏み入れたというほどで、ついつい断れよといいたくなりますが、貰う物は夏も小袖がモットーの、細かいことを気にしない飄飄としたお師匠さんで、古典落語の名門鍵家の本家嫡流の二番弟子、若い時分には東の鍵家紀伊ノ助、西の玉家玉葱と呼ばれるくらいに注目されていたんですが、師匠の三代目鍵家鈴ノ助が亡くなったあとは、古典は覚えるのも話すのもどうにも面倒だし、聴く側に教養や知識を求めるような噺ばかりでは落語に未来はないってんで新作や即興落語ばかりをやっております。まあ即興や枕には定評があって、枕というのは本題に入る前の雑談や導入のために仕込む小ネタのことなんですが、即興の魔術師、枕営業の達人なんて呼ばれていたりして、しかもそれだけではなく、高座にあがるなり座布団の前に百人一首を並べるふりなんかをして、一人で詠んで一人で札を取り合う、というようなシュールな芸をやったりするんですね。
ちなみに西の玉家玉葱というのは玉家小ダシ巻師匠の若い頃の名前で、オハコ十八番の上方落語担当、玉家玉子のお師匠さんでもあるんですが、東の鍵家と西の玉家は大昔から因縁がござんして、しかもその二人、生まれたのも入門したのも同じ年の同じ月というんで昔からのライバル関係、紀伊ノ助が連日即興落語をやるようになると、小ダシ巻の方も客席からお題を貰って毎日のように三題噺をやる、小ダシ巻がマジックをして手ぬぐいから鳩を出したと聞くと、紀伊ノ助の方は一番弟子の戸ノ助を伴って二人羽織をやる、紀伊ノ助がヒトリ百人一首をやったと聞くと、小ダシ巻の方はトランプを持ち込んでヒトリババ抜きをやるというような、なんだかよくわからない、相思相愛の間柄でございます。
その紀伊ノ助師匠、そんなふうに飄飄とした異端児でありながら、いや、だからこそかもしれませんが、中には是非紀伊ノ助師匠の弟子に、なんていう奇特な弟子入り志願があるもので、まあ奇特といっても珍しいという意味合いではなくそいつらの頭の中身の方でして、そういう頭のおかしな連中が毎月のようにいたりするんですが、ただ一言、めんどくさいなんていって追い払ったりして、ほとんどの輩は鍵家の本家嫡流、両国に住んでいる兄弟子の四代目鈴ノ助のところに送ったりするんですね。ただ、この四代目が堅物で剛直すぎる男なもんですから、ちょいとこいつを両国にやるのは可哀相だ、なんて思ってたまに弟子を受け入れたりもして、まあそうやって逆方向に選抜された連中ばかりの風がわりな一門ですので、「あのー、キャバクラの求人募集を見たんですけど……」という電話がかかってきましても、それが間違い電話だとわかっていながら、面白がって面接に呼んだりしますわな。
「え、なに、キャバクラ、求人募集、ああ、えーと、どうしようかな、ちょいと待っててくれる、大丈夫かな、今、あにさんにかわるから。あにさーん、あにさーん」
電話を取ったのは一番下っ端、前座仕事から帰宅したばかりの鍵家ピックでございます。その日は師匠の紀伊ノ助は古参の二ツ目連中と新潟に遠征していて、二ツ目の鍵家閉蔵が留守番として残っていたんですが、ピックが受話器を手にしたまま、どうすればいいか尋ねます。
「閉蔵あにさん、なんかよくわかんない電話なんですけどね、なんか求人雑誌かなんか見て、キャバクラのバイトをしたいとかって女の子がいってるんですけど、間違いですよね」
「それはおめえ、いくらなんでも違うんじゃねえのか。ここは落語家の家だぞ、そんな間違いするような奴が世の中にいる訣がねえだろ。てことはあれだ、それは巧妙な罠ってやつで、おそらくツケを払えという遠回しな催促の電話だ、切れ、今すぐ切れ!」
「そんなこといってあにさん、キャバクラなんて軟派な店、一度も行ったことないでしょうよ。師匠も南京錠あにさんも愛妻家だし、門扉あにさんがそんな店にはまればみんなに知れ渡ってるはずだし、てことは残るは閉蔵あにさんですけど、でも近所のスナックのママに色目使われたって話くらいしか聞いたことないっすよ。しかもママさんとかいってたくせに試しに覗いたらもの凄い婆さん、しかも苗字まで馬場さんだったっていう凄いオチ。さすが二ツ目」
「やい貴様、前座は酒も煙草も禁止だというのにスナック馬場に出入りするとはいい度胸。とはいえ、そういわれればキャバクラなんぞ一度も行ったことないな。いやしかし、その電話はなにやら詐欺の匂いがする。それはもしや今話題の、老舗の味噌会社を名乗って大金を」
「うんうん、フリコメ詐欺っていいたいのはわかるんすけど、あにさん、一応相手を待たせてるんで、かわって貰えます?」
「仕方ないな。ほれ、よこせ」
そういって閉蔵が受話器を受け取ります。実際にはその二人のやり取りはもう少し長くて、いつまで待たせるんだと茜が苛々したそうなんですが、二ツ目と前座のかけ合いですからそこまで面白くはなくて、そこは大幅にカットということで、宜しゅうございますか。
さて、その二ツ目の閉蔵、キャバクラと間違えてかかってきた奇妙な電話ということは聞いておりますので、そこはそれ、頭の中を切りかえて役になりきります。
「はい、お電話かわりました、求人担当チーフの閉蔵と申します。求人雑誌を見てのご応募ということですが、まずその雑誌の名前を教えて貰えますでしょうか」
普通、落語家に入門しますと、師匠の家に住み込みで入り、師匠のお世話や鞄持ち、家事手伝いなんかをしながら朝から晩まで落語漬けといった按配で、それ以外にアルバイトをする余裕もなく、その許可も出ないってんで落語の世界しか知らないというエリートが多いんですが、この閉蔵、一応は大卒で、学業の方はさっぱりながらバイトの経験だけは豊富といった類で、その無名大学を無事に五年で卒業して社会人となってからは営業の仕事なんてものも経験していて、年寄り相手に羽毛布団を売りつけるなんてことになりますと、そんじょそこらの営業マンでは太刀打ちできないというくらいの実績があったりするんですね。ただ、ノルマを達成するほど次のノルマを増やされる、しかも給料据え置きのブラック企業というんでいつしかやる気を失い、営業をさぼってぶらぶらしているうちに、ふと寄席に立ち寄ったのがきっかけで落語にはまってしまったという、遅咲きのエリート、社会人からの落伍者でございます。
対する茜の方はと申しますと、夏休みにガソリンスタンドのバイトを一週間も勤め上げたことがあるんですが、如何せんたった一週間の経験で、それ以降は受験も就活もせず、高校を卒業した翌日にいきなりキャバクラに応募するというような、無鉄砲というか世間知らずというか、別の意味で純粋な女の子ですので、
「あ、えーと、なんかアゲアゲワークとかいう雑誌なんですけど、初心者カンゲー週一オーケーとか、高給ホショー十八イジョーとか、おさわりゲンキン絶対アンシンとか書いてあって、あと、なんか今すぐ電話ロベ、電話ラブ、とか書いてあったんで」
「ああ、はいはいアゲアゲワークさんですね。いやあちょうどよかった。実は今、アゲアゲワークさんからのご応募ですとポイントが九倍になる特別キャンペーンをやっておりまして、さらに応募当日に面接を受けられますとさらにポイントが倍になるという、誠にお得な、年に一度の大感謝ロベロベキャンペーン中でございます。ええ、ええ、はい、ああ、そうですそうです、そりゃもう名犬も喜ぶくらいラッキーでございますよ。ただですね、そうしますと面接は今日中ということになるんですが、その辺は、ああはい大丈夫ですね。あとですね、雑誌に場所が書いてあると思うんですが、どこになってます。たとえば上野、浅草、新宿、池袋、国立、あ、新宿、するってえとご案内の歌舞伎町ってやつですかね。あのー、実はそちらは移転前の住所でして、えーと、今から新しい在をいいますんで……」
なんて感じで強引に丸め込まれてしまうんですね。そうして茜がその鍵家一門を訪れて、閉蔵とピックの二人が面接をするということになるんですが、残念ながらここはまったく面白くなくて、完全にカットする次第なんですが、さて、こうして偽の面接を終えて茜が一門をあとに致します。かなり緊張して面接に臨んでいて細かいことには気が回らなかったんですが、歩いているうちに段々と緊張が解けてきて、
「なにか違う気がする……。大体ここ深川だし、ただの民家だったし、みんな地味な着物着てたし、ボーイさんの言葉が時代劇だったし、話す時に顔を左右に向けてたし、扇子とか手ぬぐいとか持ってたし、あたしのこと植木屋さんとか呼んで接待してたし、絶対絶対違う気がするんだけど!」
なんて思いながらも、そういう茜もですね、面接にどういう格好をして行けばいいのかわからなかったものですから、なぜだか着馴れない、濃紺のリクルートスーツ姿で、キャバクラだろうと落語家だろうと、それは絶対に違うと思うんですが、そういうところは変に生真面目な子でして、帰宅したあとも電話の前で正座して返事を待っていたりして、そうして無事に採用の通知を受けたりしたんですが、さあ、そういう次第で翌日の夕方から一応バッチリと化粧をほどこしまして、この小林茜、深川の鍵家一門に出勤致します。
衣装は用意するといわれていたので今度は私服でまいりますが、うちは高級店だからといわれ、なぜだか着流しの安っぽい着物を渡されて、まずはママさんから着付けの仕方を教わります。また、最初は研修のインターンだからといわれ、これまた扇子と手ぬぐいを渡されて、それを使ってお酌の作法なんかを叩き込まれ、さらにはまだ未成年ということもあって、お酒を飲むふりの練習なんてことをやらされます。フロアチーフを名乗る閉蔵がこうやって、オムッオムッ、オムッオムッ、なんて手本を見せたりするんですが、帰宅した紀伊ノ助師匠もなんだか面白そうだなあというんでキャバクラ「キー・ハウス」のオーナー兼店長を名乗り、自ら手本を見せたりして、そんなことを延々と二時間やり続けて、その日は二時間分の給料、研修中は時給九百円という口約束でしたので、千八百円の初任給を貰ってから帰宅します。
また翌週になりますと、開店準備といわれて縁側の雑巾がけや庭の草むしりなんかをさせられて、さらにサービスタイムの合図といわれて太鼓の叩き方や出囃子を習ったり、客との会話の練習といわれて『饅頭こわい』を教わったり、果ては同伴出勤なんていって浅草の寄席に連れて行かれ、楽屋のしきたりやなんかを覚えさせられます。楽屋の下準備ですとか、師匠連中やあにさん連中にお茶を出したりですとか、着物を出したり畳んだりですとか、座布団の向きを直したりですとか、座布団を裏返してメクリをめくったりですとか、そういうのはどことなくキャバクラっぽい感じが、特殊な業界っぽい感じがしないでもなく、「あー、やっぱりキャバクラだキャバクラだ。うん大丈夫大丈夫」なんて自分にいい聞かせたりもするんですが、「でもちょっと待って。キャバクラって普通、ほかにも女の人が大勢いるはずなんだけど」というような当然の疑問が沸いたりもして、ボーイを名乗るピックに訊いてみますってえと、ほいと扇子で差したその方角に、着物姿のお囃子のお師匠さんたちがいて、その奥にはのちにオハコで一緒になる紙切り芸の梅ヤッコが出番を待っていたりもして、
「あー、やっぱりキャバクラだキャバクラだ。うん大丈夫大丈夫。ちょっと年いってる人が多いみたいだけど、大丈夫大丈夫。高級店高級店」
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まあそんな感じでこれまた自分を納得させて、それがキャバクラの研修ではなく落語家の修行だと気づくまでに半年かかったという、嘘みたいな噺なんですが、これが本当なんでして、あのー、茜という子にはそんなところがあって、一つのことに集中するとほかのものが見えなくなる、自分だけの世界にすっと入ってしまう、はまれば最後、一度思い込んだら一直線というタイプで、高校時代もですね、工業高校ですけど、趣味の機械いじりに没頭していたら評判が評判を呼んでいつの間にかレディースを結成していたなんてことがあって、またその改造バイクで毎晩仲間と走り回っていますと、当然ほかのチームから喧嘩をふっかけられるなんてことがあったりもして、まあでも基本にあるのは常に夢の超合金でございまして、ロボットを開発したい、ロボットを操縦したい、ロボットに搭乗したいというんで、その開発資金をどうするかと悩んでいた時にたまたま目にしたのが例のアゲアゲワークという求人雑誌。ただですね、その高給保証という文字に目がくらんだせいか、手っ取り早く資金を稼ごうなんて考えた罰なのか、普通なら工業大学や工学部なんてところに進むのが筋ですのでね、番号を押し間違えるという初歩的なミスを犯してしまい、ロボット博士でもなければキャバクラ嬢でもない、落語家というさらなる日蔭の道を進むことになってしまったんですが、まあまあ、さすがに一本の間違い電話でそのように人生が大きくかわってしまうなんてのはちょいと設定が安易なんじゃないかと、そう思われるかもしれませんが、ただ、世の中にはそういう間違いからはじまる物事なんてのも往々にしてございまして、今日ここにおいでになる皆さんの中にも、もしかすると家庭菜園をやろうなんて思って、間違えて辿り着いてしまったというような方がおられるやもしれませんで、突然の都々逸でございますが、「ガーデニングをはじめようかと、やってきたのは演芸場」なんて、えー、オリジナルなんですがね、まだほかにもございまして、「間違えなければ生まれていないと、父ちゃん笑って僕にいう」なんて、これは結構覚えのある方もおられるんじゃないかと思うんですが、それに対しまして、「私の方こそ間違えたのよと、母ちゃん真顔で僕にいう」なんて、まあそんなふうに子供の前でいえるだけその家庭は幸せということになるんでしょうが、えー、「間違いだらけの人生だけど、見返す景色は青い海」なんて、まあ人生に正解不正解なんてものはござあせんで、あとになって思い返せばそれも青い海、セイカイだったんじゃないかなんて、人生なんてのは結局そういうものなのかもしれません。茜の場合もそうでして、運命とは誠に不思議なものでございますな。その間違い電話の時に一体誰が想像できたでしょうか、この一歩間違えればキャバクラ嬢になっていたかもしれない茜という女の子が、思いもしなかった落語家になるばかりかアイドルグループのメンバーとなり、最初はやる気もなくあまり目立たず、ただの人数合わせを満喫していたりもしたんですが、ある日突然センターポジションを守るという重責を担い、それがきっかけとなってのちには歌手としてソロデビューも致しまして、『井戸の茶碗』というタイトルのテクノ風端唄ポップスを数百万枚も売り上げたり、邦画の興行記録を塗りかえる大ヒット映画『芝の浜』の主演を務めたりして女優としても大絶賛を浴び、さらにはその勢いで初出場ながら紅白の紅組のトリを務め、果ては落語界では史上初となる、国民栄誉賞を受賞するという快挙を、しかも二ツ目の段階で成し遂げようとは!
まあ、そもそもがそういう無茶な噺でして、また、そこに至るまでにも色んな出来事があって、その辺はまた別の機会に聴いて頂ければと思うんですが、えー、その国民栄誉賞、どういう訣か本人に打診なく年明けにいきなり発表されまして、正月の寄席で忙しい茜の元にマスコミが殺到します。ところが本人は一向に信じませんで、いくら記者連中が説明しても、政府からメディアに配られたプレスリリースを見せても、そんなことがあるはずがない、あたしは絶対に信じないといい張ります。そこで時の総理大臣自ら茜を訪れて、なんとか信じさせようとするんですが、茜は頑として信じない。総理の方は支持率回復のためにどうしても受諾して貰わないといけませんで、まあ参院選が迫ってましたんでね、あの手この手を繰り出すんですが、あまりにヒつこいので茜は深川に逃げ帰り、門を閉ざして立て籠ってしまいます。ところがマスコミ各局がこれはチャンスだとばかりにその籠城戦の生中継をはじめてしまい、そうなると総理の方もあとにはシけませんで、茜の両親を連れてきて拡声器を渡したりするんですね。
「茜ー、お母さんよー! あなたの大事な大事な、大切な大切な、大好きな大好きなお母さん、本名・小林絵里子よー! おねがーい、信じていいのよー!」
「おい茜、お父さんだ。本名・小林貴弘だ。なにやってんだ馬鹿。もしかしてあれか、お父さんが民主党の支持者だからって気を使ってんのか。そんなことは気にするな」
「いや、そんなの全然知らないし」
「いいか茜、おまえみたいな不良娘がこんな大それた賞を貰えるなんて、落語でもなければ絶対にありえないことなんだぞ!」
「お父さん、それはいってはいけない決まりなんですのよ。それに、不良娘なんてあんまりですわ。茜は確かに、レディースなんていって、ちょっと道を外れた時期もありましたけど、昔から素直で優しい子なんですよ。お父さんがそうやっていつも怒鳴るから」
「怒鳴るからなんだ、娘をきつく叱るのは父親の責務じゃあないか!」
「ほらまた怒鳴った。大体、茜がグレたのはお父さんのその目と鼻の遺伝のせいなんですよ。小さな頃からロボットみたいな顔だからって、ロボ子とか狼王とか呼ばれ続けて、中学生の時は真一文字瞳って、宝塚みたいなあだ名で、それは茜も、ちょっと気に入ってたみたいですけど、高校に入ったらまたロボットみたいだからって、お父さん知らないでしょ、クラスの男子から美少女戦士ボットン茜って呼ばれてたんですよ。私、もう可哀相で可哀相で」
「ちょっとお母さん、テレビの前でそんな恥ずかしいこといわないでよ!」
「そうだぞ母さん、茜が可哀相だ。大体だな、この目と鼻は小林家に代々伝わる、由緒正しい誇るべき顔なんだぞ。明治時代のご先祖様なんか、外国人にも負けない立派な鼻だからっていうだけの理由で外交使節団の一員に選ばれて、一年近くも留学して、外国の女性にもモテまくってだな、あろうことか異国の女性と恋に落ちて子供までこさえたんだぞ。しかも、帰途にそのことを知ったご先祖様がその赤子の片割れを日本に連れ帰り、その子孫がわしらという訣で、おまえが生まれつき金髪なのもその隔世遺伝のおかげなんだぞ」
「ちょっとお父さん、その話ももういいから、お盆とか正月とか法事とかで親戚が集まるたびに聞かされてるから、もううんざり!」
「そうそう、それは茜のいう通りですわよ。小林家の人たちって、いっつもその目と鼻の自慢と、あとは外国のお姫様の話ばっかりで、正直聞かされる方は迷惑なのよね」
「なんだと母さん、小林家にとって一番大事なアイデンティティを迷惑だと!」
「まあまあ、お父さんもお母さんも落ち着いてください。冷静に、冷静にお願いしますよ」
「あ、これは総理、どうもお恥ずかしいところをお見せしてしまいまして」
「あらお父さん、いつも家では与党の批判ばっかりのくせに、いつもの元気はどうなさったんです?」
そんなこんなで事態が一向に進まない中、師匠の紀伊ノ助が寄席から帰ってきまして、なぜ信じないのかと茜に尋ねますと、「あたし、二ツ目にあがってまだ二年目の平平で、地に足がついてないというか、まだまだ脚元が盤石じゃないんで、だから信じるなんて絶対無理」とその理由を打ち明けます。これを聞いた紀伊ノ助、思わずポンと手を打ち、「なるほど、信じる者は、だな」とあえて口に致しましたから、周りもようやく納得して、「ああ、そういうことか」「へえ、さすが落語家。粋だねえ」なんて声が次々にあがります。まあ中には、「え、なに、どういうこと」「なんだおめえ、わかんねえのかよ、野暮だねえ。信じる者は救われるっていう言葉があんだろ。あるんだよ、そういう言葉が。そんで、その救われるってのと脚をすくわれるってのをかけてだな」なんてカメラの傍で得意げに解説しているヤカンな野郎がいたりもするんですが、よくよく見ると、どこかで見たことのある着物姿の二人組だったりして、テレビに映るかもなんていってはしゃいでいたりするんですね。
ただそうなると困ったのがわざわざ深川にまで出張ってきた支持率低迷中の総理でして、
「ああどうしよう。電撃発表の方が話題になるって幹事長や選対委員長がいうからそうしたけど、これじゃ赤っ恥だなあ。あいつら俺のこと嫌ってるからなあ。わざと失脚させるつもりだったんじゃないかなあ。やっぱり官房長官がいうように事前に打診しておくべきだったよなあ。あいつ頭は一番まともだけど、いつも押しが弱いんだよなあ。それに断るなら断るで正式に辞退してくれればまだ有権者の理解も得られるのに、断る以前に信じて貰えないんじゃなあ。まずいことになったなあ。二期目はないかもしれないなあ」
なんて淡々と呟いております。
それを憐れんだのかどうか、紀伊ノ助が拡声器を茜の方に向けまして、ピイー、ピイー、「あ、こうか。確かに茜、脚をすくわれたくないのはわかるが、こういう言葉もあるぞ。貰う物は夏も小袖。別に信じなくてもいいが、夏に冬の小袖を貰うくらいだ、冬ならなおさら、賞だろうが大だろうが、貰えるもんは貰っとけ。小袖だけに、こそっと貰っとけ」と諭します。
この説得によって茜もようやく外に出てまいりまして、総理に近づいてその耳元でなにかをこそっと囁くんですが、ただですね、この総理大臣、もうほとんど諦めかけていましたから、その茜の言葉がまったくもって信じられませんで、
「ああ、どうしよう。受けてくれて嬉しいけど、二期目はないかもしれない」




