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慰問公演『たんぽこたん』『色即是空』

 えー、今日は慰問落語ということで、手前もはじめての経験で緊張しておりますが、まあ皆さん、お勤めご苦労様でございまして、まだこれから先もそれぞれお勤めが続くかと思うんですが、決して逃げようなどとは考えず、しっかりと真摯(しんし)に向き合って頂ければ幸いでして、まあ今日はそのための息抜きを提供しにきたといった具合で、是非とも肩の力を抜いて頂いて、楽な気持ちで、少しでも笑って頂ければこちらとしても助かるんですが……、あのー、笑っていいんですよ、ええ。別にあのー、普段はそういうのが厳禁かもしれませんけど、笑って貰わないとこちらが困るんですよ、落語っていうのは。まあどれだけ笑わせようとしても全然笑ってくれないなんてお客様も普段からいて、そういう時はあとで隠れてこっそり泣いたりするんですが、まあ皆さんにもそういう時が多分あるんじゃないかというんで、今日これから致しますのが大河落語『茜の生涯』という連作落語で、ご存じですかね、聴いたことが一度でもあるなんて方はおられますかね。えー、無言でございますが、あのー、やはり普段はこういう会での私語は禁止かもしれませんが、私がこうして皆さんに問いかけた場合は答えて頂いて構いませんので、どうしますかね、願箋(がんせん)を提出して貰いますか、まあそれほどのことでもないんで、普通に手を挙げて貰いますかね。あ、はいはい、本当にそういうんですね、十八番願いますなんて、テレビで見たことある感じでびっくりしたんですけど、えーと十八番の方、発言をどうぞ。ええ、ああ、はい、はいはい、なるほどなるほど、先月にラジオを鑑賞する会ってのがあったんですね。それで手前の、あれを二時間も聴いちゃったんですか、できればあれだけはやめてほしかったんですが、まあ済んだものは仕方ないですし、大変面白かったですなんていわれますと、こちらもまんざらではありませんのでね、まあ今日はですね、主人公の鍵家茜ではなく、兄弟子の鍵家閉蔵による『たんぽこたん』という民話落語でして、冒頭は師匠の紀伊ノ助と弟弟子のピックの会話からはじまります。

「おいピック、早速噺に入るがな、おまえミンワをやってみんか」

「師匠、なんですかそれ。また新しいK流スターですか。それとも宗教の勧誘かなにか」

「そうじゃない、昔話や民間伝承というやつで、落語にも『桃太郎』なんかがあるだろ」

「ああ、そういうあれですか。でも自分、そういうのは間に合ってるんで」

「どこが間に合っておるんだ。いつも他人の新作ばかりでいまだ自分の創作を持っておらんでは話にならんではないか。それでだな、おまえにもなにか材料はないかと考えておって、ふと気づいたんだがな。おまえ、アニメの日本昔話に出てきそうな顔をしとると思わんか」

「なんですかそれ、そんな訣ないじゃないですか。面白い顔とはよくいわれますけどね、さすがに日本昔話に出てきそうな顔なんて、一度もいわれたことないですよ。ご飯だってあんなに細長く盛ったりしませんし、師匠とはいえ失礼ですよ」

「そんなこといってないで、ほれほれ、そこの鏡で一度よく見てみろ」

「見てみろっていわれても、そんな訣が、あ、あー、日本昔話に出てきそうな顔ですねえ。そういわれるとそうですねえ。うわあ、どうしよ、今日からご飯細長く盛らないと」

「だろ、まあそんな訣でだな、おまえにはそういう昔話や民話なんかが似合うと思うんだが、どうだ、なんかそういうので好きな話とか、アレンジしてみたい話とか、なにかないか。最初はダジャレでもいいんだぞ。たとえばだな、坊やよい子だインドシナ、なんてどうだ」

「ああ、そういう感じなんですか。なんかグローバルっぽくて凄いとは思いますけど」

「あとはそうだなあ、マタハリ(だま)した金太郎なんてどうだ。といってもマタハリはわからんかな、歴史上の有名な女スパイなんだが」

「ああ、やっぱりそういう感じなんですね」

「まあ実はだな、この民話落語というのは昔、二番弟子のシメ(たけ)がやっておって評判がよくてな」

「あ、師匠、それでしたら自分も見たことがありまして、社会人時代なんですけど寄席で」

「おお閉蔵、帰っておったか。それよりなんだ、シメ茸の高座、見たことがあるのか」

「ええ、それはもう爆笑の連続で、確か金太郎が女スパイを騙すという筋書きで」

「そうか、そういうことならピックじゃなく閉蔵、おまえがそれをやってみたらどうだ。なんなら新幹線のチケット買ってやるから、今すぐ九州の柳川まで行って、直接習ってこい」

「あ、いや、明日も高座があるんで、それはちょいと難しいかと」

「なんだ、まあおまえも創作といえば現代版『擬宝珠(ぎぼし)』だけで、もう一つ二つ持っていても」

「それでしたら師匠、実は小学校時代から好きな民話ってのがありまして、それをそのままやってみたいなんて思うんですけど、どうですかね。これがもの凄く笑える話で、ええ、実は学校の給食の時間に、あれはラジオ番組か教育テレビかを録音したテープですかね、そういう子供向けの童話や昔話なんかが毎日流れてたんですが、その中に『たんぽこたん』ってのがあって、それが流れるなんて日はもう朝からみんなハイテンションで、おうおめえ知ってるか、今日『たんぽこたん』だってよ、ああもちろん知ってらあ、俺なんか風邪引いて高熱で頭がくらくらするんだが母ちゃん騙して無理に登校してきたくらいだ、そりゃ凄いな、尊敬もんだぜ、まあ俺より凄いのは隣のクラスだ、半年ぶりの『たんぽこたん』ってんで半年ぶりに不登校の奴がきてるらしいぜ、なんてそれくらいに人気の回で、いざ給食の時間に流れるってえと、笑いどころでクラス全員が爆笑どころか両隣のクラスからも同時に爆笑が(とどろ)いて、学校中が大爆笑、校舎の壁や窓が揺れるってくらいのどよめきで、まあただ給食の時間なんで、必ず牛乳を噴き出す奴がいたりするってんでそれはもう大変な騒ぎ。でも五年生六年生くらいになると、もうどこが笑いどころかわかってるんで、真っ先に牛乳を飲み干して、口の中にはなにも入れず、集中して聴くというか耐えるというか、そんなような按配で」

「おまえがそこまで興奮するとは興味深い。思い出せる範囲でちょいとやってみてくれんか」

 そういわれましたので閉蔵が座布団に座り、少し思い出してからなんですが、

「えー、落語の方に『権兵衛(ごんべえ)(だぬき)』なんてのがありますが、今日はある村に住む太郎兵衛(たろべえ)という若者が主人公でございます。ただ、これがかなりの怠け者で、畑仕事も人づき合いも面倒くさいといってさぼってばかり、体を動かすのも億劫(おっくう)だといって朝から晩まで寝転がっておりますが、ある晩、太郎兵衛が眠ろうとしますと、庭先でなにかが動く気配がして、なんだろと思った瞬間、たーろべえーはたんぽーこたん、と静かに不気味な声が聞こえます。しかも何度も何度も、たーろべえーはたんぽーこたん、と繰り返しますので、これには太郎兵衛も怖くなり、火を(おこ)そうとするんですが炭も薪も切らしていて、真っ暗闇の中で金縛りにあったように身動きが取れず、それが朝まで延々と続きます。夜が明けて、太郎兵衛が物識りのご隠居、というか庄屋さんですかね、そこに駆け込みますと、ほほお、それは魔性の者、(もの)()の仕業だな、おまえが怠けてばかりなんで()らしめにきたか、煮て食おうか焼いて食おうか迷ったか、おまえのあばら家を巣にするつもりかもしれんぞ。ど、どうすればいいんでしょうか。それはだな、そうそう、口争いというやつで、たとえばそいつがな、たろべえはたんぽこたんといったら、すかさず、そういう者こそたんぽこたんといい返すんだな。それを繰り返して、ああ、あとは根比べだな。もしそれに負けたら。うーん、その時はどうなるか、わしにも見当がつかんが、コンクラベなんていうんでカソリックの神に召されるんじゃないか。し、死ぬんですか。なんていうんで太郎兵衛、村の若者に助太刀を頼むんですが、普段は寄合にも顔を出さないくせに、物の怪にも太郎兵衛にも関わりたくないってんで断られてばかり。ただ、噂を聞いた四人の若者が、それは面白そうだ、わしらに任せろといって太郎兵衛の家に集いまして、その五人で物の怪を待ち受けます。長期戦になるだろうというんで水やお茶や握り飯、あとはアルフォートやコーラなんかも用意して、囲炉裏の火も絶やさず、今か今かと待っていますと、しんと静まった庭先でかさかさっと物音がしたかと思うと、たーろべえーはたんぽーこたん、と静かに不気味な声。ほほお、これが物の怪か、よし、それならわしからだ、というんで一番気概のある若者が恐る恐る、そういう者こそたんぽこたん、といい返します。これには物の怪も驚いたのか、少し間を空けてから、たーろべえーはたんぽーこたん、と再びの声。よし、次は俺に任せろ、というんでこちらは順番に一人ずついい返し、喉が乾けば水を飲み、腹が減っては握り飯を食べ、そうして意気揚々といい返しますので物の怪も苛立ちを隠せず、たろべえはたんぽこたんっ、と声が段々と強く速くなってきて、負けて堪るかと若者たちも、そういう者こそたんぽこたんっ、とやはり声を強く速くして張り合います。たろべえはたんぽこたん、そういう者こそたんぽこたん。たろべえはたんぽこたん、そういう者こそたんぽこたん。たろべえはたんぽこたん、そういう者こそたんぽこたん。そうして激しくいい争い、物の怪もここが踏ん張りどころだとばかりにそれまでにない大きな力強い声を振り絞り、たーろべえーはたんぽーこたん! と叫びますと、五人の若者、ここぞとばかりに顔を見合わせ、一斉に声を揃えて、そういう者こそたんぽーこたーーーん!」

 これには紀伊ノ助とピックも爆笑でして、ピックなんかはもう寝転がって腹を抱えておりますが、閉蔵の方はまだまだ噺を続けて、庭先を見ると一匹のたぬきが倒れていて、慌てて山に逃げ帰ったなんていうんで、庄屋さんに報告しますと、たぬきは気力や活力というのを吸い込んで、それを化ける力にするんだが、おまえみたいな怠け者は、活力が内にみなぎらず留まらずおならのように漏れ出ておって、それが漂っておったのかもしれんな、なんていいましたので、その日から太郎兵衛、畑仕事にも精を出し寄合にも顔を出し、一転して働き者になりましたとさ、とまあそこまでが元々の民話なんですが、落語となるとオチが必要ですので、閉蔵が即興で続けます。

「えー、その働き者という評判を聞いたのか、ある日太郎兵衛に縁談話が持ち上がりまして、どうだ太郎兵衛、いい話だと思うが。それはもう、おいらなんかのところにきて貰えるんだったら、どんなオカメでもオタフクでも。というんで数日後のある晩、太郎兵衛がどきどきしながら花嫁を待っていますと、しんと静まった庭先でかさかさっと物音がして、お、きたなと思って太郎兵衛、戸を開けますってえと目の前には(しろ)無垢(むく)姿の女、賤妾(せんしょう)浅短(せんたん)にあって()れ学ばざれば(われ)(きん)たらんと欲す、なんて難しい挨拶をして、その顔を見ますとどことなく愛嬌のある可愛らしい顔をしております。ああ、こんな可愛いお嫁さんを貰えるなんて夢みたいだ、でもどうしておいらなんかに嫁いでくれるんだい。それはもちろん、この顔を見て思い出しませんか。んん、前にどこかで会ったかな。はい、以前に二度、こちらに寄せて貰いました。はて、近所の婆さん連中ならいざ知らず、若い女子(おなご)がこの家を訪れるなんてことはただの一度も、以前は男衆も寄りつかなかったくらいで。でもあの時は四人の若者がご一緒でした。ん、ということは、まさか、あの時の、またおいらの活力を吸い取ろうなんてつもりじゃ。いえいえ、安心してくださいまし、そうではなく。じゃあ復讐かい。いえいえ、そうでもなく。じゃあなんだい。はい、恩返しでございます。恩返しだって、でもあの時おまえさんはおいらたちにやられて。やられはしましたが、私は生涯この姿のまま、憧れの人間の姿のままでございます。それはどういうことだい。はい、あなた様が何年も怠けてくれた、そのおかげです」


 *


 えー、有難うございます。どうなるかとひやひやだったんですが、大いに笑って頂いて、まあこの噺には続きもあって、ピックが自分もやりたいなんていって真似するんですが、にわか仕込みですのでまったく面白くなく、しかも自分一人で笑ってばかりでしたので、おめえの民話なんか誰も見んわ、なんていわれてしょげたりして、まあただ可哀相だというんで師匠の紀伊ノ助が、若い頃に作って今はやらなくなった自作の噺を教えるんですね。

 それが『いたちごっこ』といいまして、江戸時代の子供の遊び、今は芸者遊びとして残ってるんですかね、両手の拳固(げんこ)を数人でこうやって交互に重ね合わせて、いたちごっこ、ねずみごっこ、といいながら一番下の拳固を一番上に乗せかえて、順番や言葉を間違えると負けなんですが、この芸者遊びを寄席の高座にあがって一人でやり続けるんですね。もちろんちゃんとカミシモを決めて登場人物を演じ分けた上での一人芝居落語なんですが、

「なんかつまらなそうなんですけど」

 なんてピックが嫌そうな顔をして、それならというんで三人で実際に遊んでみますと、

「いたーちごっこ」

「ねずーみごっこ」

「いたーちごっこ」

「ねずーみごっこ」

「いたーちごっこ」

「ねずーみごっこ」

「いたーちごっこ」

「ドン!」

「な、なんすかドンって」

「こらこら閉蔵、今のはおまえが順番を間違えたんだぞ、だから鉄砲で撃たれて負けだ」

「師匠、これのどこが面白いんですか、ピックのいうように全然つまらないじゃないですか」

「いやあ師匠これ面白いっすねえ、滅茶苦茶面白いじゃないですか、まさか世の中にこんな面白い遊びがあるとは」

 なんて感じでピックは大喜び、それで正式に伝授したんですが、ただピックの方がやはり一人で楽しんでしまって落語として全然成り立たず、見る側を置いてけぼりにする残念な感じでしたので、これは駄目だというんでネタ下ろしの許可が出ず、あいかわらずの成長しない男でございます。

 まあこの遊びは是非皆さんも覚えて頂いて、レクリエーションの時間なんてのがあるんですかね、そういう時にでも試して頂ければと思うんですが、まあただ鉄砲ってのは駄目ですかね、駄目ですよねそりゃ、そういうことでしたらドンではなくニャンにしますか、間違えた人に猫が飛びつくという感じで、犬好きの人ならワン、馬面の人はヒヒーンという感じでお願いしたいんですが、そんなことをいいながら次をどうするかなんて考えていまして、えー、主人公の鍵家茜がインドで修行していた頃の噺で、落語の方では鍵家紀伊ノ助という師匠に出会いましたが、仏門の方でもチャパ亭グプタなんて素敵な師匠に巡り会いまして、まあこのグプタ師匠は実は日本語ができて、英語がからっきしの茜が悟りを開くのに大いに貢献したんですが、なぜ日本語が話せたかというと、この師匠、ネパールの出身なんですが、技能なんとか制度というやつで日本にきたことがあって、ただ、香辛料の栽培技術を学ぶと聞いていたのに、派遣された先は山葵亭粉山椒という変な芸名の落語家の家でして、そこでなぜだか落語の研修を受けるんですね。まあおかげで日本語はすぐに上達して、見習いをわずか一年で済ませてすぐに前座にあがって、ただまあ前座というのはお客さんの前で噺をするだけではなく、雑用の仕事なんかもたくさんあって、また色んな師匠から怒鳴られたりもする懲役(ちょうえき)のような毎日というんで、研修期間の満了を待たずに精神を病んでしまって、それで仮出所というか帰国して放浪の旅なんかをしていた時に仏教に救われたなんていう人だったりするんですね。

「師匠、これどういうことなんですかね。色即(しきそく)是空(ぜくう)ってのはわかるんですけど、その逆の空即(くうそく)是色(ぜしき)ってのが全然わかんないというか。それに色即是空とか毎日唱えたり写経したりしてる人いるじゃないですか。でもあんなのまさに色即是空じゃない典型じゃないですか」

「それはな茜、悟りというのは誰でも簡単に開けるんだが、いざ悟りを実践する、生涯実践し続けるとなるとどうだ、それには並大抵ではない強靱(きょうじん)な精神力が必要であって、如何にしてそれを養うか、鍛えるかというのが最大の問題になるんだな。それで大昔から大勢の僧侶が色々と試し、そうした経験の中からもっとも的確で効率がよくて、万人に通用するなんて修行法がまとめられて、まあ語弊(ごへい)はあるだろうが楽ちんマニュアルというやつでな、毎日の座禅や日常の作務(さむ)、写経や読経(どきょう)声明(しょうみょう)滝行(たきぎょう)護摩行(ごまぎょう)断食(だんじき)乞食(こつじき)なんてえ諸々の修行だが、坊さんたちもな、あれは悟りを開くためにやっておるんではなく、悟りを実践するための精神力を鍛えるためにやっておるんだな」

「あ、そうだったんだ。でも意味不明なお経を暗記して意味もわからずに唱えたり、仏像をがむしゃらに拝んだりするのは、さすがに色即是空とは正反対かと」

「こらこら焦るでない。まあ坊さんたちは毎日修行すればいいが、普通の人間には毎日の生活や仕事なんかがあってそういう訣にはいかんだろ。でもそういう衆生(しゅじょう)の人々を救ってこその仏の教えというんでな、大昔の偉い坊さん連中が考えに考えて、精神を鍛えるのではなく精神を和らげよう、それで苦悩から解放されるんならそれはそれでいいじゃないかというんで一般向けの楽ちんマニュアルを作ったんだな。まあ厳しい修行はわしらに任せろということだ」

「でもなんかまだ納得がいかないというか。だって仏陀(ブッダ)はまじないを唱えるなとか、神の像に祈るなとか、そういう中身のないものに惑わされずに物事の本質を見ろって」

「うーむ、今のおまえに必要なのがまさに空即是色というやつかもしれんな。まあ世の中には色んな教えというのがあってな、それぞれに長所もあれば短所もあって、どれが正しいとか間違いとかいうんではなく、人それぞれに相性というのがあって、その相性が一番大事なんだな。こういうところだと神父さんや牧師さん、仏教の僧侶なんてのも定期的にきたりすると思うんだが、一人の話ではなく色んな話を聞くというのが大切で、たとえば茜、孔子(こうし)様というのは知っておるかな。ああ、そういうと思ったがドナドナじゃないぞ、荷馬車に乗っておるんじゃなくて、古代中国の偉い思想家の先生でな、この人は戦乱の世の中がどうやったら穏やかになるかと悩みに悩み、考えに考えて、すべての物事に序列をつけてそれを守れば社会が安定すると考えたんだな。極端にいえば王様が上で家来が下、男が上で女が下、兄が上で弟が下というような感じだが、ただ、これでは上の者がいばるばかり、下の者も刃向かうばかりでどうにもならんだろ。そこで上は下を慈しみ助け、それによって下は上を敬い従うという理想の循環社会を目指して、仁、義、礼、智、信なんて概念を編み出して広めようとしたんだな。その教科書が儒教(じゅきょう)というやつで、ただ、すべての物事というのは山ほどあるんでな、これがまた難しい問題で、ある時儒教の学者、儒者(じゅしゃ)が酒場で酒を飲んでいると、道教(どうきょう)の修行をする道士(どうし)がやってきた。道教というのは仙人を目指すというスピリチュアルな教えなんだが、最初は仲よく飲んでいたんだが、やがて口論になった。たとえば儒者が、父親と息子が溺れていたらどちらを助けるかなんて訊くんだ。儒者は父親には生み育ててくれた大恩があるのでそちらを助けるのが当然の孝行で、長幼(ちょうよう)(じょ)は絶対だというんだが、道士の方は父親は人生経験を積んでいて助かる(すべ)を持っているはずで、もし溺れたら術を身につけなかったのが悪い、子供はまだまだこれからで、教えればすぐに泳げるようにもなるし、修行次第では仙人になる素質を持っておるかもしれないなんていって、それから父親と母親なら、じゃあ年下の父親と年上の母親なら、母親と息子なら、姉と甥っ子ならなんて様々なたとえを出すんだが、どれも食い違うばかりで喧嘩になってしまうんだな。まあ道士というのは山奥で一人きりで修行に励むような孤高の生活をしておって、それに対して儒者はいつも部屋の中で書物を読み漁り、毎日のように集団で机上の議論ばかりしておるというんでな、ちょいとからかってやろう、逆のことをいって怒らせようなんて思ったのかもしれんが、ただ、その二人の論戦を隣の席でへらへら笑って聞いていたのが仏教の坊主(ぼうず)。これには二人揃って激怒して、やいそこの生臭(なまぐさ)坊主、僧侶のくせして大酒なんざ飲みやがって、貴様ならどうだ、父親と息子が溺れていたらどちらを助ける。わしか、わしならそうだな、近くにいる方を助けるかな。これには二人の酔いも一瞬で醒め、顔を見合わせたりするんだが、その生臭坊主がさらに続けて、まあわしは泳げないんでな、口論なんかせずに縄や板きれを探すか、あるいは大声を出して泳げる者を呼ぶか。それにもしわしが泳げたとしたら、まずは近くにいる方を助けるが、そのあとでもう一人も助ける」

「あのー、グプタ師匠、今のはなんですか、頭下げてましたけど、もしかして落語ですか」

「まあ仏法落語というか説法落語というか、そういう感じでたまにやっておるんだがな。まああれだぞ、前座(ぜんざ)前座(まえざ)なんて言葉は元々そういう仏教の説法をする者のことを指す言葉だったりするし、如何にして聴く者を満足させるか納得させるかという点では同じような苦労があって、実は今の噺もな、それは違うだろ、やっぱり父親が先だろ、いやいや子供が先だなんて、そんなことをいわれたりもするんだな。たとえば茜、おまえにもし自分の子供がいるとして、その子供が遠くで溺れていて、近くに見知らぬ爺さんが溺れていたら、どちらを助ける」

「それは、うーん、あたしには子供はいないし、いないからわからないけど、でも」

「おそらく自分の子供を真っ先に助けるんじゃないかと思うぞ。ま、わしはな、それはそれで別に構わんと思うし、人間として当然だとも思うんだがな」

「でもそれは仏教の教えとは違って、渇愛(かつあい)というか、爺さんだって助けてあげたいし」

「茜、前にもいったが、仏教の教えは無欲ではなく少欲だ。しかもそれもな、真理とか規範とかというんじゃなく、その方が(わずら)わされずに済むという、そういうただただ単純な智慧(ちえ)なんだな。わかりやすくいえば、人に好かれたい、認められたいなんて思うと毎日が煩わしくて大変だろ。相手や自分に苛立ちを覚えてしまって不満もたまれば焦りも生じる。特に今のSOSか、違うか、SNSか、そういうのはその典型だな。ところが人に嫌われなければそれでいいかと考えると、その分だけずっと楽になるし、悩まずに済む。不満のある人間とない人間とでは自ずと印象も違って、それが結局は好かれる認められるということにも繋がるしな」

「それはあたしは全然大丈夫というか、昔から嫌われても平気というか」

「でもおまえ、寄席でウケなかったらどうだ、平気ではいられんだろ、ほれほれどうだ」

「あ、それはまあそうだけど」

「な、そこで大爆笑を取りたい、爆笑王と呼ばれたいと思ったら渇愛だが、そこそこ笑って貰ってそれなりに満足して貰えたらいいか、ちょっと拍手が少ないけど罵声(ばせい)が飛んでこなかっただけまだましか、なんてのが少欲で、おまえの場合はすでにそれを身につけておるんで大丈夫なんだが、ただ、自分の子供が溺れていたら、それは当然そっちを助けるだろ。無私無欲の慈悲の善人なんてのは心のないロボットのようで不気味だぞ」

「確かにあたしは心のあるロボットが好きで、サイバトロン万歳ですけど、でもやっぱり」

「まだ納得がいかんようだが、それならそうだな、実際に写経でもしてみたらどうだ。しばらく続ければ心も落ち着いて、広い目で物事を考えられるようになるんじゃないか」

「いや、楽ちんマニュアルなのは聞きましたけど、でもやっぱり意味がないというか。だって色即是空ですよ。色即是空とかいいながら色即是空と書き続けるなんて、完全なる矛盾じゃないですか」

「いやいや、なにをいうやら、それこそ矛盾というもの。おまえさんは自分では気づいておらん様子だが、どうやら色即是空に囚われてしまって、そこから抜け出せないでおるようだの」

「どういうことです」

「ああ、今のおまえに必要なのがまさに空即是色というやつで、わからんかの。色即是空なんかにこだわるなという尊い教えだ」

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