第一話 混沌の大久保
「なぁ、明日も雨か?」
小雨の降る路地裏でコートを着た男は少女に問いかける。男はおおよそ平均的な身長だったが少し痩せていて、手には血まみれのナイフを握っていた。一方、少女は大人の一歩手前でまだ顔つきは幼さが残るものの、身につけているゴスロリのせいで顔の幼さは目立たなかった。そして男は返り血に、少女は自らが出した血に染まっていた。
「みたいだねー、で?それがどーしたのさ」
既に日は落ちていて、彼らのいる路地裏には光はほとんど入っていないが、その路地裏に転がっている物が死体だということは多くの人が認知できるはずである。
「なんとなく気になった、それだけだ」
少女はふーん、と呟くと腰掛けていた室外機から立ち上がる。
「帰ろっか」
男が軽く頷くと、2人は夜の東京に繰り出していった。
東京、と言っても範囲は広く23区だけでなく、その他の市町村部。23区は交通網が整備されており23区内ならどこからでも10キロ圏内、30分で移動可能だと謳う交通会社も多い。しかしその謳い文句があながち間違いでないことも周知の事実である。しかし、都外となると話は別なのだが。
2人が路地裏から出るとそこは東京随一の歓楽街、歌舞伎町であった。10年ほど前は治安が悪いことで悪名高かったが、今では歌舞伎町の治安が目立たないほど都内の治安も悪化の一途を辿っていった。
「新宿から乗る?それとも大久保?」
男は少し考えてから少女の方に向き直り、タオルを差し出す。
「新宿から乗ろう。ほら、顔をふけ」
少女はタオルを受け取り顔をふく。白かったタオルはあっという間に赤く染まった。
「大久保ってさ、あれがいるんだっけ」
「あー、そういえばいるな」
2人はくるりと体の向きを変える。そして歩き出す。
「やっぱりさ、痛いのやなんだけど」
少女はたのむよー、と手を合わせて男を引き留めようとする。
「1回も2回も変わんないだろ、ほら行くぞ」
男は少女の手を掴んで連れて行く。
***
ガード下で数十人が集まっている。その大多数がガラの悪い連中、サングラスをかけたりライダージャケットを着ていたり。中にはスーツを着たりしている奴もいる。彼らは全身黒コーデの集団だった。
「田原さん、最近の話なんですけど、新宿がやばいらしいっすよ」
スカジャンを着た男が集団の真ん中にいる男に問いかける。すると田原と呼ばれたいかにもリーダー格言ったような男は気だるそうに答える。
「新宿つっても広いだろうが、御苑に都庁、歌舞伎町。駅なんて更に細かい。新宿ってだけでも東西南北。そこに屯してる連中も場所によっても様々だ。駅前なら不良上がりの暴走族の坊っちゃん共。都庁にはカルト宗教みてぇな桐恵会だったか、医療法人の成れの果てだって噂だが詳しいことは知らん。御苑はいまや難民キャンプみてぇに女子供で溢れかえってるって話だ。だからさ田崎、どこがやばいのかってのをさ、それを教えてくれよ。な?」
あっ、そうですね...たしか歌舞伎町だった気がします、と田崎が慌てて付け足す。
「へー、んで歌舞伎町のどこがやばいって?」
そう言ったのは田原ではなかった。声の主はコートを着ていて、傍らに少女が佇んでいた。
「田原さん、多分アイツです、最近歌舞伎町を荒らしまわってるって奴は」
田原はふーん、と2人を凝視する。
「何しに来た、ろち。裏切ったのによりを戻そうってのはナシだ」
「まぁ虫が良すぎるってのは重々承知で今日は来たんだ、頼みがある」
田原は怪訝そうに路地を睨む。
「昔からのよしみだ、死んでくれないか」
おいおい、よしてくれよと田原は苦笑いをする。
「流血沙汰とか嫌いなタチだろ、お前」
「まぁな、俺も本意じゃないさ。いや違うな、死んでくれ田原。俺のために」
「おいおい、冗談キツいぜ?2年ぶりなのによ、そりゃないだろ」
田原は両手をヒラヒラとさせる。余裕ぶっているように見えるが田原の額には脂汗が浮かんでいる。
「俺さ、“円卓”に入ったんだ...仕事でここ数日は歌舞伎町にいた。だけどいつも仕事中にさ、お前の顔が事あるごとに脳裏をよぎって、苦しいんだよ、最近はさ、夢に星来が出てきて言うんだ。貴方の手って汚らしいわね、だけど貴方にはそうは見えていないのでしょう?って、もう2年たったじゃないか。開放してくれよ、頼むよ。だからさ、殺すんだ、お前のこと。今から。そしたら顔も思い出さなくなる。それで清々するさ」
路地はポケットからナイフを取り出して田原に向けて構える。ナイフの切っ先は路地が震えているせいかぴったり田原に狙いが定まることはない。ナイフは少しずつ形を変え、手に収まらなくなった。おおよそ両手剣と同じ大きさまで変形した。
「お前...“円卓”の一員なんだな?」
田原は心底嫌そうに尋ねる、路地は少し考えて首肯する。
「なら俺はレジスタンスの田原だ、東京に昼を取り戻す日までは死ねない。死ぬのはお前だ、円卓の騎士。さぁ名乗れ、殺してやる」
路地の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「我、11の席にて叛逆の時を待つ者なり。我が王の為、灰燼と化せ」
田原は目元を拭うと騎士に向き直る。
「野郎共、行くぞ。あいつが円卓の騎士だ、油断するなよ」
田原の周りには武装した者が数十人いる。彼らは田原の仲間のレジスタンスのメンバーなのだろう。
「いけるか?」
路地は少女に問いかける。
「たぶん。体力もバッチリだし、お好きにどうぞ」
そういうと少女は両手を広げて路地の方に体を向ける。路地は大きく剣を振りかぶって少女を両断する。少女は2つの肉塊へと変わった。レジスタンスの士気はその瞬間確実に下がった。少女の肉塊は少しの間、蠢いて元の形へと戻ろうとしたが分かたれたままで少女の形へと戻った。少女は2人になった。そしてその少女はまた切られる。そして増える。切られ、増える。それを繰り返しているのをレジスタンスの各員はただ黙って見ていた。
「よし、始めようか」
騎士がそういった時にはレジスタンスと少女には人数差がほぼ無かった。