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浦島花子の一生

作者: ゆうや

1.夜明け


カーテンは草色に限ると、花子は考えていた。

朝日を迎え、カーテン越しに草色の日光が室内を照らし、部屋一面が草原のような緑に染まるからだ。

その日も爽やかな緑に包まれて朝を迎えたのだが、どうにも気分が優れない。


「あの人のせいだわ」


億劫にベッドから身体を起こし、花子は誰に言うわけでもなく呟いた。

あの人とは、花子の夫。浦島太郎のことである。



2.浦島太郎という男


飄々としながらも、義理堅く人情に厚い人柄に惹かれた。あんな人やめておきなさいと言っていたのは親友の真由美だった。捨てられた子犬を拾おうが、ヤンキーはヤンキーなのだ。私たちとは住む世界が違う。

今思えば、あの時の真由美の忠告を真面目に聞いていれば良かった。男にしろ女にしろ、恋にのぼせた者は呆れるほど盲目である。

くぅんという声がして、ベッドに犬がすり寄ってきた事に気づく。


「ポチ、おはよう。朝ごはんにしようね」


そう言って花子はベッドから立ち上がった。

あれからもう三ヶ月、タバコを買ってくると言ったきり、太郎は戻ってきていない。


3.帰還


浦島太郎と花子は籍を入れていない。

引っ越し祝いに真由美に買って貰ったピンク色のケトルにスイッチを入れ、ティファールのフライパンに卵を軽く叩きながら、花子はため息をついた。

入居費用も家具一式も全て花子の親が出したものだ。太郎は気前よく出世払いで返すと言っていたが、その言葉を信じている者などいない。

結局は惚れた者が負けなのだ。

冷蔵庫から取り出したパンケースから、トースト用のパンを2枚取り出していると、廊下の方からポチの吠える声がした。


「なあにポチ、どうしたの?」


コンロのスイッチを消して、怪訝そうに廊下に顔を出した花子は目を疑った。


「ようポチ、久しぶりだな」


「た、タロちゃん…?!」


「よう花子、ただいま」


しっぽを振るポチを足元に従え、玄関に立ち日光を背に笑っていたのは、誰でもない浦島太郎だったのだ。



4.物語


「花子、三ヶ月も悪かったな」


ベーコンエッグをトーストに乗せ、豪快にかぶりつきながら太郎は笑っていた。

花子は応えることなく、テーブルに頬杖をついて太郎を見つめている。

太郎の話は荒唐無稽で、到底信じられるものではない。

何でもこの三ヶ月、浜辺で虐められていた亀に連れられて竜宮城でこれ以上ない接待を受けていたのだと言う。


「でもお前のこともあるし、戻ってきちまったわ」


「これ以上ない接待ね」


(どうせまた他の女の人の所にでも言っていたのでしょう)


ポチにパンを分け与え、無邪気に笑う太郎の横顔を見つめながら、花子はため息をついていた。

太郎の女癖の悪さは今に始まったばかりではない。一緒に住めば変わってくれると思っていたのはあまりにも若い発想だった。何度も泣かされ、その度に真由美から戻ってくるよう勧められた。

意地になっていたのもあったのだろう。あそこまで反対されてでも一緒になることを選んだのだ。間違いがあるはずがないのだと。


「あら」


ふと、花子は太郎の足元にある箱に気がついた。



5.八橋蒔絵螺鈿硯箱のような


それは美しい箱だった。

黒く四角い漆塗り容器に、金の模様。随所に七色に輝く石が嵌められているのは貝殻だろうか。トンボ玉のついた和風の赤い紐で丁寧に結ばれている。


「その箱はどうしたの?ずいぶん立派だけど」


食後のコーヒーを入れながら尋ねると、珍しく太郎が身体を震わせた。珍しい、怯えているのだ。


「ああ、いや。これはほら、玉手箱だよ」


「たまてばこ?」


聞き直すより早く、太郎は玉手箱を持って立ちあがる。


「美味しかったよ、ご馳走さま」


そう言って太郎は足早に寝室へ去っていく。そんな太郎の小脇に抱えられた箱を花子はずっと眺めていた。

揺れる房を止める赤いトンボ玉が印象的だった。


6.夕暮れ


三ヶ月が経つころには、いつもの日常が戻っていた。


「ただいま」


仕事帰り、ヒールを脱ぎながら力なく花子が呟くと、ワンと元気の良い声と共にポチが駆け寄ってくる。


「ふふ、いつもありがとうね」


茶色のしっぽを振り、潤んだ黒い瞳を見ていると、仕事の疲れも吹き飛ぶというものだ。

晩ごはんの支度でもしようかとリビングに進んだとき、花子は思わず声をあげた。


「タロちゃん?!」


夕陽さすリビングのソファーの上。深い影を地面に引き伸ばしながら、浦島太郎が腰掛けていた。


「やだ、電気ぐらいつけなよ」


照明リモコンを手探りで探しながら、花子は太郎の足元に駆け寄った。体調でも悪いのか、逆光で表情が読めない。

ふと、太郎の足元に玉手箱があることに気がついた。



7.日没


開封された玉手箱には、一枚の紙が入っていた。


「これは…」


ぐったりと項垂れて動かない浦島太郎の横で、花子は玉手箱の紙に手を伸ばす。

綺麗に四つ折りにされた紙を広げると、それは朱色の枠線で書かれた書類だった。


「タロちゃん…」


そこに書かれていた内容を読んで、花子は胸の中からかつてないほどの熱いものが込み上げてくる感触がした。

なんということだろう、ああ、神様。素敵なプレゼントをありがとうございます。


「タロちゃん!」


込み上げてくる感情を抑えられず、花子は太郎に抱きついた。

夕陽から暮れ行く部屋には黒い影が二つ。長い背をさらに伸ばしていたいく。

廊下から覗き込むポチの足元に、一枚の紙が流れ落ちてきた。

暗く染まった紙には、かろうじて読める朱い文字で『婚姻届』と書かれていた。



終わり



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