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汀線の双子巫女(4)

 漕島との試合めいたものを終えた後、千代は自室に引っ込むと、布団を敷いてその上に寝転がった。仰向けになり、じっと天井を睨み付ける。そうしながら考えるのは、彼のことだ。


 漕島清輝、突然にやって来た退魔師の男。それも気功使いという稀有な存在。


「身体能力の強化こそ、霊力などよりも優れているけど……」


 わざわざ選ばない。やってやれないことはないが、どうせ退魔師をやるなら、対妖怪の優位性が欲しい。だから退魔師になろうという者で、生まれついて霊力を作り出す器官──霊巣れいそう──を持たぬ者は、後天的にそれを作るため、時として秘薬などに頼ることが多い。先天性のものよりは劣るとしても、退魔を生業にするつもりならば、それが良い。あるいは別の道──魔術、呪術の類──を採る。気功よりもできることの幅が広いから。


「それに……激氣ゲキ? 聞いたこともない」


 しかも硬身功が満足に発揮できないなんて、あまりにも欠陥品ではないか。


 千代には少しだけ気功の知識がある。それと照らし合わせれば、防御力を高める硬身功、速力を高める軽身功の二つは、人対人の闘いにおいてもよく使用される、言うなればポピュラーな技術だ。人以上の力を持つ妖怪との闘いにあっては、尚更、必須技術のはず。それが満足に使えないなど、あまりにも不利な話である。


「……なにか他に隠している能力でもあるのかしら」

 と呟き、千代は自身の青い瞳に手を遣った。


 それはただの眼ではない。言うなれば〝波〟を視ることができる、特異な眼である。波、つまり起伏だ。例えば感情や、霊力、妖気などが上下する様子を視覚で捉えることができる。サトリ妖怪が如く、心の中を透かして視ることはできないものの、簡単な表層の感情くらいなら読み取ることができる。嘘の中身はわからなくとも、嘘を吐いたかどうかは丸わかりだ。


 それで視る激氣の〝波〟は、通常、極めて低い位置にあった。停止した心電図のようなそれは、攻撃時となれば跳ね上がるように高くなる。戦闘中、何度も上がったり下がったりを激しく繰り返していた。霊力の場合でも戦闘の最中には、上下する。だが、もっと安定感がある。


 思い返しても気になったのはそのくらいで、他に能力がある様子はない。


「ただ……荒ぶる波は爆発的」


 特にカウンターを放たれたときは驚かされる程だった。

 攻撃に向いている。その言に嘘はない。

 青い目で視ても、彼は嘘つきではない。

 だから漕島清輝の駐留を、ひとまずは許したのだった。


「──千歳?」

 ふと部屋の外に気配を感じて、千代は上体を起こす。


 すると戸の向こう側から、妹が入室しても良いかどうかを訊ねる声がした。千代は二つ返事で答える。そっと引き戸が開かれて、千歳がにこりと笑みを覗かせた。千代は微笑みながら、彼女を招き入れる。


「どうしたの? 仮眠しないと。千歳も眠いでしょう?」


 なにせ毎晩、妖怪たちと闘っているのだ。肉体的にも精神的にも、辛いものがあった。ゴールデンウィークに突入し、学校へ行く必要がなくなったのは幸いだが、もしも、この間になにかしらの決着がつかなければ……。千代の脳裏に、最悪の光景が過る。


 それでも、妹だけは守らなければ。それが姉としての最期の役目だ。


「うーん……さっき漕島さんと話したんだけどね? と言うか、色々訊かれて」


 千歳が腰を下ろして話しだす。


「なに? 変なことじゃないでしょうね? なにかされたらすぐ言いなさいよ?」

「あはは。お姉ちゃんは心配性だぁ。……んとね、龍宮城から攻撃される心当たり、とか」


 千代の目がきゅっと細まる。


「それで? 貴女はなんて?」

「もちろん。『知らない』よぉ」

「そう。それで良いわ」


 溜息を一つ吐き、千代はどこか遠くを眺め見るようにした。まるで岩の上で休む人魚のような、静謐な佇まいだった。千歳は姉の思索を邪魔しないよう、じっと待つ。しかし疲れがあるのか、すぐにでも舟を漕ぎ始めた。千代が、ふと我に返る。そして妹の頭をそっと撫でた。


「ねぇ千歳」

「ん……なぁにぃ?」


 少しでも眠気を払わんとしてか、千歳は首を振る。


「漕島清輝は、たぶん、根っこは良い人よ。私たちのことを心配しているように視える」

「うん、お姉ちゃんが言うなら、間違いないね。わたしも思ってたけど!」

「貴女はこの眼がなくても、人を見る目があるものね」


 千代は妹の頭を撫でるのをやめて、今度は自分の青い右眼に触れる。


 漕島の感情の起伏を視る限り、悪意のようなものはない。音に聞く〝根なし草〟の噂とは違って誠実らしい。だから信用できるはずだ。しかし善き人が常に、良き〝流れ〟を引き込んでくれるとは限らないのではないか。


 千代は訊ねる。


「千歳の眼からは、どう視える?」


 妹巫女の左眼は、対して〝渦〟の眼と言うものだった。物事の〝流れ〟を視覚で捉える。流れとは運気、因果の傾向とも言い換えられる。これは、些細なこと──右足から歩き出すか左足からか、など──で変わったり、変わらなかったりする。


 実際にどう視えているのかわからない千代は、もっと単純に〝嫌な予感〟や〝良い予感〟がはっきり目に映る能力と解釈している。


 二人の瞳に宿る異能ちからのことも、汐杜神社が秘密の一つだった。


「うーん……わかんないなぁ」

「そう」


 千歳がそう言うとき、流れに変化はない。遠い未来を見通す能力とは違うのだ。その時が、もっと近くなければ、良いか悪いか、判断つかない。あるいは、なにかしらのきっかけがあって、急速に変化した場合だ。漕島の登場は、流れを急変させるものではなかった。


「もしも、あのことを言ったら、どうなるかしら?」


 千代は首を傾げる。自問自答に近かった。龍宮城に狙われる理由、それを伝えたら〝流れ〟はどう変化するだろう。千歳は彼に嘘を吐いた。管理者代行の判断なしに喋ってはならない、それほどに重大なことだった。


「悪い方向に流れるかもしれないよぉ。あんまりお勧めしない」

「……そうよね。うん。予言とは違うものね」

「言おうとしたら、そのときには、わかるかもしれないけどぉ。……でもねぇ」

「なに?」

「それでもしも、悪い流れになるって分かったら、わたしたちは、彼を始末しなきゃいけなくなるよ?」


 千代は固まった。まさか妹から、そんな物騒な言葉がでるとは思ってもみなかった。


「どうして?」

 そう訊き返す声は震えていなかっただろうか。


 千歳はきょとんとした表情をして、さも当然のことのように答えた。


「だって、そのためでしょ? 根なし草が派遣されたのは」

「えっ?」

「例えば、わたしたちの要求を本庁が飲んで、近場の退魔神社から派遣されたとするよね?」

「え、ええ」

「その人たちが〝箱〟のことを知ったとき、悪い流れになったら、やっぱり始末しなきゃ……」

「ま、待って! どうして始末しなきゃいけないの?」

「……お姉ちゃん。わかってるはずだよ、ほんとは」


 じっと見つめられて、千代は観念したように項垂れた。


「……〝玉手箱〟は、妖怪だけじゃない、どんな善人だって、欲しがりかねない」

「それを阻止するのが、汐杜神社(わたしたち)の役目だもん。悪い芽は摘まなきゃ」

「そう、よね」


 頭では理解しているつもりだ。

 でも実際に人間を相手にすることなど、千代は一度も考えたことがなかった。


「で、話を戻すけど」

「うん」

「神社の人を始末しちゃったら、色々問題になるんじゃない? わたしは、あんまりそういうことわかんないけども。身元もハッキリしてるし、誤魔化すのが難しぃかなぁって」

「まぁ……そうね。そうか、だから、根なし草」


 段々、気持ちが落ち着いてきた千代も合点がいった。


 根なし草には後ろ盾がない。誤魔化すことも容易い、行方不明にでもすれば良い。問題を起こした根なし草が、行方知らずとなるのは、なにも本人の意思だけではない。しかも、神社の秘密を守るためなら、本庁の権力をフルに使うことも可能だろう。つまり最初から、本庁は後始末が楽にできるように、退魔師連盟に依頼を出したに違いなかった。


「だからぁ『根なし草なんて寄越すなんて! 本庁に文句つけてやるっ!』なんて思わない方が良いと思うよ」

「お、思ってないわよ!」図星だった。


 千歳は「えへへ」と人懐っこい笑みを浮かべて、すっくと立ち上がる。


「それじゃあ、わたしもそろそろ寝るっ」

「ええ。おやすみなさい」


 妹を見送って、千代は布団に潜り込んだ。いい加減に寝なくては夜が本当にきつくなる。そうでなくとも、眠気が限界だった。布団の魔力に誘われて、彼女はすぐに寝息を立て始めた。


 その一方で、千歳は襖越しに、ぽつりと呟く。


「もしものときは、わたしがするからね。お姉ちゃんの手は汚させないから」


 妹がそのような決心を抱いているなど、姉は知らないだろう。

 姉の心を、妹が知らないように。妹の心を、姉は知らない。

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