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汀線の双子巫女(1)

 ただ一人で、黙々とカレーライスを口に運ぶ男がいる。とある大学の食堂の隅でのことだ。肩幅が広く、がっしりとした体型の男である。まだ肌寒いこともある時期だが、シャツとジーンズというラフな格好をしている。隣の椅子に無造作に置かれたフライトジャケットも、彼のものだ。髪は短く整えられ、顔つきはやや厳めしい。


 彼がスプーンにルゥとライス、たっぷりの福神漬をすくったところで、一人の青年が対面に腰かけた。細身で、ふてぶてしい目元をした男だった。


漕島そうじま、ゴールデンウィークは暇だな」


 青年は、問い掛けではなく断定的な口調で、切り出した。

 するとカレーライスの男、漕島清輝(きよてる)はスプーンを置いて答える。


「先輩、明日からですよ。もうとっくに、〝バイト〟を入れてるに決まってるじゃないですか」


 やれやれとでも言いたげに先輩、二楷堂(にかいどう)(れん)かぶりを振った。


「おいおい、この僕がここまで頼む前に断るって言うのか。なんて薄情な後輩だ」


 人に頼むということを、このように前借りして絶対に頭を下げようとしない人物など、漕島はこの人以外に知らなかった。そして、どこまでも尊大な口のきき方をする人も同様である。しかしそれでも、漕島は気分を害すことなかった。もはや慣れっこ、というやつである。


 カレーを黄金の比率──漕島にとってのだが──ですくっているスプーンを再び持ち上げ、よく味わった後に意地悪気味に言い返す。


「ほんと無理です。それに『信用第一だから受けた依頼は絶対にほっぽり出すな』って、二楷堂煉という人も言ってましたぜ」


 その格言を残した人物は、得心がいったような表情かおを浮かべた。

「僕の言うことなら間違いない」


 そして続いて、にやにやと意地の悪い表情になった。


「しかし〝バイト〟か、そうか、〝バイト〟、ふぅん……」

「……なんすか?」

「いや、なに、良い心がけだと思ってね。〝仕事〟と言うのは一流のみに許される。良くわかってるじゃないか。僕はお前の、そういう殊勝なところを評価している」

「はぁ……ども」


 このように唐突に褒められることには、漕島は最近になってようやく慣れた。キャッチボールに混ぜ込まれた変化球など、取りこぼしても構わないと思えば、なんてことのない話だった。


「まっ、連休はいいさ。常識的なバイトなら、マジでやめさせたけどね。違うんだろ? いや、違う。で、どこの依頼だ? 僕の〝仕事〟の手伝いを放ってまでする〝バイト〟ってのは」

「あー……言ってもいいんですかね、そういうの」


 漕島は困惑そうに訊きかえした。


「〝連盟〟のサイトで受けたんだろ。誰がどんな依頼をしたか、誰が受けたかも、バレバレだ」

「いや、そうでなく。こういうところで話して、大丈夫かなと」


 二楷堂は「あぁ」と納得の声を漏らした。昼時からずれているとは言え、食堂内にはまだ結構な数の人がいる。時間に都合のつけやすい大学生ならではだ。事も無げに二楷堂は答える。


「問題ないさ。僕らとは常識が違う。聞いてもわからない。わかるやつは御同類さ」

「そっすか。じゃあ……」


 けれども漕島は、声を少しだけひそめ、先の問いに答える。

「〝本庁〟からです」


 すかさず二楷堂が「はん」と鼻で笑った。

「しょうもない〝バイト〟だ。やっぱり辞退しろ、今からでも」

「なんで」むっとした表情で漕島は訊いた。

「汚いからさ」


 意味がわからないとでも言いたげな漕島に、二楷堂が丁寧に説明を始める。

 漕島はカレーを食べながら、それを聞いた。


「僕らのような〝根なし草(フリーランス)〟の退魔師に、〝神社〟が協力を頼むなんてこと、普通に考えたらないよ。退魔神社の間で、人員を融通させればいいからな。言うほど簡単でもないようだが、どこの馬の骨とも分からぬ輩よりマシさ」


「いや、でも、俺は〝連盟〟のサイトから確かに……」

「普通じゃないことが、よくあるのさ、実際は。そこには美味しい話が転がっている」

「美味い話?」


 漕島が訝しげに眉を寄せる一方、


「勿論。僕らにとってじゃあ、ない。〝本庁〟の椅子を脂で濡らす豚どもにとってだ」


 言葉選びだけでなく、二楷堂の声音、顔つきにも、じわじわと怒りが染み出るようであった。その豹変ぶりに、流石の漕島も動揺の表情を見せる。初めてのことだった。


 二楷堂がふっと息を吐く。


「すまない。少し冷静になろう」

「水でもいりますか?」

「いいさ。……まず前提として、まぁ知ってるだろうが、退魔神社というのは公務員だ。表向きには内緒だがな」

「へー、そうなんですか?」


 漕島の軽い反応に、二楷堂が椅子からずり落ちそうになった。


「いや知っとけよ、そのくらい。……まぁお前の恩師は、そういうの興味ない人だったか」

「業界のことは、ある程度は教わりましたけど、公務員だとかは今知りました」


 だが言われてみれば、納得できることだった。


 退魔師の仕事は、妖怪が人の世を混乱させることがないように、またその逆がないように、守ることである。彼らは、常識と非常識との間に建つ防波堤なのだ。


 現代人の間には〝妖怪は存在しない〟という常識が存在している。すると妖怪──非常識──を認識することは叶わない。つまり目に見えないし感じることもできない。となれば当然、自衛などできるはずもない。その代わりに、退魔師が武器や異能でもって闘うのである。


 退魔師は、その多くが家業である。その家では、親が子へ〝妖怪は存在している〟と、代々──かつてそれが世の常識だった時代からずっと──に渡って教えてきた。それがその家系における〝常識〟なのだ。あるいは漕島清輝のように、妖怪に襲われた際のショックで、幸か不幸か、常識を破壊されてしまった者が、退魔師になることもある。そのようなケースを極力なくすことも、退魔師の仕事なのだが、現実には年に十数件ほどある。


 退魔師の基本能力は、妖怪を認識でき対処できることだ。しかしだからと言って、命の危険がまるでないわけではない。


(だから見返りとして、安定した立場が与えられてるっつーことだな。正義感や義務感だけじゃ、腹が膨らまねえのも事実だしな)


 うんうんと一人納得して頷く漕島を、二楷堂は椅子に座り直しながら呆れた目で見ていた。


「そうかよ、まったく……。で、一方で僕らみたいなのは」

「公務員ではないですよね」

「フリーランスよりも派遣社員だな、言ってみれば。神社がやらない、やりたがらない問題を解決する受け皿さ」


 例えば一個人からの依頼。神社は自らの管轄地域を定め、それを越えて活動することを好まないのである。と二楷堂先輩が補足し、所見を述べる。


「まぁそれには文句ないよ。自分の才能ちからを生かした仕事ができるなんて、上等なもんだ」

「そうかもしれませんね」

「そういう奴の受け皿でもあるな。一度、常識外に出て、戻れない奴とかの受け皿でもあり、他には……」

「ともかく、広い受け皿っスね」

「だから困るわけだ、依頼がなにもなかったら。退魔神社はなにもなくとも、その地域の平穏無事を保っているということでお金が貰えるから良いが、僕やお前は違う」

「……そうっスね」


 漕島は、内心では否定したい気持ちもあった。自分はお金が貰えずとも、平和であるなら良いのだと。警察や軍隊、それから退魔師などの職が不要な世の中であるに、越したことはない。それが決して叶わぬ夢物語であることは、漕島も分かっている。だから、ここは合わせておくことにした。


 二楷堂の話が続く。


「〝退魔師連盟〟他の退魔師派遣業は、依頼がなにもなかったら困る。仕事の紹介料が取れなくて潰れちまう。〝神社〟は〝連盟〟他がなくなると困る。余計な仕事が増えることもそうだが、無職になった〝根なし草〟が、犯罪に走るかもしれない、その非常識な能力を使って。厄介だ、ただでさえ妖怪なんてものがいるというに」


「持ちつ持たれつ、ってとこですか」

「そうだ。だから〝仕事〟が尽きないように、〝神社〟は〝業者〟に委託してくれる」

「別に問題はないように思えますが?」


「この委託が曲者なのさ。〝神社本庁〟はいつでもこれができるように、〝業者〟側へ渡すための依頼料を貯金(プール)している。そう、いつでもできるんだ。〝業者〟が〝仕事〟をしっかりと確保していようが、いまいしようが。実際、定期的に〝仕事〟が来てる、〝神社〟経由のな。これは彼らが本来やるべき〝仕事〟を、僕らにやらせて楽しようという魂胆だろうか。いや、違う。それもないわけじゃないのだろうが、本質は違う。彼らは時として、本当にどうでもいいような〝仕事〟を作り出してまで、〝業者〟に寄越すくらいだ」


 漕島はぴんと来た。


「中抜き、ですか?」


「正解だ。僕らの給料は依頼者より支払われるが、その前に、間を取り持つ業者、つまり〝連盟〟などが、仲介料という名目で一部を貰っていく。それにまで文句はつけない。だが〝神社〟からの依頼の場合、かなり多めに持っていっている。どんな仕事でも。だからわかりやすい。いや、少し語弊があるな。かなり多めなのは、そもそも〝神社〟が渡す金からして、そうだ」


「調べたんですか?」


 と口に出してから、漕島は訊くまでもないかと思い直した。二楷堂煉は〝根なし草〟の退魔師であると同時に、情報屋でもあるのだ。どういう伝手があるかは不明だが、十二分に調べているに違いない。漕島は質問を取り消した。二楷堂が意地の悪い笑みを見せる。


「正直、調べるまでもなかったがな。定期的に神社からの依頼が来ているし、その内容と給料がまるで見合ってないもの──極端な話、ハイリスク・ノーリターンになっているもの──も散見された。だから豚だと言うんだ。血税(エサ)にがっつきすぎて、脳まで脂肪でぶよっている」


「……ちょっと疑問なんですが、神社に得ありませんよね?」


「当然、見返りがあるさ。その中抜きを仲良く半分こ……しているかどうかは知らないけどな。仕事の紹介料だか、斡旋料だかの名目で。それを貯金プールに返すなら、まだマシな豚だが、そんなことあるはずもない」


「なるほど。よくわかりました」

「じゃあ、辞退するんだな」


 漕島は首を横に振る。


「やっぱり一度引き受けたからには、辞めませんって。依頼自体が嘘ってわけじゃないんすよね? だったら、やりますよ」

「……ふん。そういう奴だとは知っていたさ。短い付き合いだけどな」


 厭味ったらしく口角を吊り上げる先輩に、漕島は一言お礼を告げて、空になったカレー皿を載せたおぼんを持って立ち上がる。


「それじゃ、俺はそろそろ。次の講義がありますんで」

「ああ。いや待て。派遣先はどこなんだ? それだけ聞きたい」

「あー……確か汐杜神社ってとこです」


 二楷堂が「へぇ」と興味深げな声を漏らして言った。


「面白い噂があったな、そこ」

「へ?」

「そこを守護する磯魚家ってのは、妖怪の子孫らしい」

「本当ですか?」

「そこらの人に家系を訊いたら『武士の家系だ』と返ってきたときの心境」

「日本人の大半は農家ですよね」


 噂は所詮、噂ということか。漕島には、あまり興味のない話だった。


「まっ、死なない程度に頑張ることだ。死んでも一銭の得にならない。忘れるなよ」


 漕島は愛想笑いを浮かべながら頷いた。

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