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暁の八宝丸(2)

「なにがあったんだ?」

 漕島が再度、千歳に訊ねた。


 千歳は申し訳なさそうな表情を浮かべ、事情を説明する。勿論、〝玉手箱〟には触れずになのだが、漕島がそのことに気付くはずもない。龍宮城の狙いは今はまだ言うべきではないと、千歳は流れを視ながら考えた。


 話を聞き終えた漕島は「すまん」と深く頭を下げた。


「いえいえっ! 別に、漕島さんが悪いわけじゃ……」

「いや、海底に攻め込むことを提案したのは俺だ。その所為で、井戸からの侵入を許すようにしてしまった」

「ううん! わたしも、賛成したことだから! お姉ちゃんは、たぶん、わたしが賛成しなかったら、やらなかったはずだから……。わたしの所為だよ」

「いやいや、それは違うだろ。言い出しっぺは……」

「いえ! 最後の一押しはわたしがっ……!」


 しばらく「いえ」の応酬が続いたが、千歳の腹が鳴ったのを機に、その話は仕舞いとなった。


「……飯、作るか」

「あぅぅ……お願いします……」


 顔を赤くした千歳と共に、漕島は台所へ行く。ただ妹巫女は、料理を手伝うつもりはないようで、適当なところで壁に寄りかかって、漕島が料理を作るのを眺めている。


 今だけは戦争のことも話す気持ちにはならなかった。料理や食事ほど、なにごともない日常を感じられる瞬間はないから、大事にしたかった。この気持ちは姉も同じだろう。


 漕島がこの日作るのは三品。


 まずは豚汁。豚のばら肉、大根、ごぼう、里芋、ニンジン、こんにゃくを煮て、味噌と顆粒出汁で味を付ける。豚肉は多め。具材はできるだけ大きく、ごろごろっとなるようにする。椀によそった後に、刻んだ白ねぎを散らすのが、漕島家流と言ったところ。


 次にカレー。漕島家では、ひき肉で作るキーマカレーが頻出する。今回、彼が作るのもそれだ。野菜はニンジンとジャガイモ、タマネギのみ。前二つはすりおろして後で加える。タマネギを、まず炒める、飴色になるまで。そうしたら、他の野菜、ひき肉を鍋にいれて、一緒に炒めていく。肉の色が変わったら、水を投入。続けてカレールゥを入れる。市販のもので、甘口と中辛を混ぜて使うと、甘くも辛くもなく、スパイスを感じるデミグラスソースのような味になる。どろりとなるよう、多めに投入。それから、マンゴーピューレも加える。これも市販のものであり、スーパーのカレーコーナーにあった。これで、およそ完成となるが、最後に砂糖を足す。


 そのとき「えぇ!?」と千歳が素っ頓狂な声をあげた。


「甘くなっちゃわない?」

「そこまで入れてないからな。適度にやれば、味にコクが出る」


 漕島が言うと、彼女は感心したように頷き、ようやく笑顔を見せる。


「楽しみだなぁ。カレーと豚汁って組み合わせも珍しいけど」

「いや、カレーは一晩寝かせてくれ。今日のメインは豚汁だ」

「なるほどぉ。次の日のカレーの方が美味しいもんね」

「それもあるが、まぁ、数日は飯作らなくても済むようにな。だから豚汁もカレーも多めに作った。なにがあるかわからない……って」


 漕島は言い掛けて、自虐的に笑う。


「まぁ、もう起きちまったけどな」


 千歳は「そうだね」とだけ答えた。


「……で、だ」


 次の料理に取り掛かる。白菜の浅漬けだ。塩で揉み込んでから、昆布と鷹の爪と一緒に袋に入れて、冷蔵庫に仕舞っておく。


「これで今夜は、豚汁と漬物、それにご飯だけでいける」

「おぉー! ……お昼は?」

「握り飯にする。あと卵焼きだな。豚汁も付けて良い。さっきも言ったが量あるし」

「卵焼きは甘めにしてください! お姉ちゃんが好きなんで」

「わかった。……あ、握り飯は磯魚妹に任せても良いか?」

「まぁ、そのくらいならぁ」


 不思議そうな目をする千歳に漕島は付け加える。


「ほら、他人の握ったものは食べられない奴もいるって言うだろ」

「あぁー……」

 千歳は納得し、けれど、と続けた。


「お姉ちゃんは、そんなことないと思うけど」

「そうか? まぁ、それはそれだ。そこで見てるならやってくれ」

「はぁーい」

「ちなみに具材は、梅干しと、鮭フレークだな」


 千歳は「ツナマヨ……」と呟いた。切なげな声だった。


「缶詰開けて、自分で作ってくれ。ツナ缶があるならな」


 そうして出来上がった昼食を、千歳には姉に持っていくよう言って、漕島は一人で食べることにした。正直に言えば、気まずい思いがあった。お前の所為だとの言葉が、脳裏に何度もリフレインしている。それを否定することが、漕島にはやはり出来ない。


 服越しに、胸の傷をなぞってみた。この傷は、千代を庇った為に付いたのではない、決して。己が油断からなのだ。漕島はそのことを強く覚えるためか、無意識のうちに力を込めて、その傷を押していた。もうおよそ皮膚同士はくっついていたが、まだ痛む。


「この借りは返さねえとな」


 食事を終えた後は、こっそりと神社を出て、浜辺に行く。漕島の手には武器が握られていた。届いたときのように、布にくるまれたそれを地に横たえて、持ち主はその上に砂を軽く掛けた。本当ならば、これの素振りの一つでもしたいところだったが、もしも、そのような場面を人に見られたら──人通りが少ないとは言え、有り得ることだ──警察沙汰になるだろう。身の丈ほどもあり、顔よりも大きい穂先だ。誤魔化しようがない。退魔師であるからやがては釈放されるとしても、余計な時間が掛かってしまう。


 だから、武器はなにがあっても良いように手元に置いておくが、漕島自身はそれを用いないで鍛錬をする。例えば、走り込み。生命エネルギー、つまり体力は、何事においても土台になり得る。これを鍛えることは、退魔師にとっても極めて有効だ。また、優れた脚力は、逃亡する際にも必要となる。激氣の特性上、退くことは、自らを弱体化せしめることに違いないが、勝てる相手ばかりではない。そして逃げ切ってしまえば、そのようなことは問題でなくなる。昨晩がそうだったように。


(だが、汐杜ここからは逃げねえぜ。仕事は絶対に放棄しねえ)


 何度逃げようとも、最後に勝てば良いのだ。退魔師なら死ぬなと、師匠にも言われた。


 漕島は浜辺を七往復ほどする準備運動を終えると、見えざる槍を手に構えを取った。


 彼と兜蟹との付き合いは、退魔師としての経歴と同じだ。しかし、大学生活の合間合間に退魔の仕事を受けている以上、実働としては一年に満たない。鍛錬のために握る日を含めたとしても、どうだろう。それでも彼の肉体には、槍の質感、重量が染みついていた。それは日々の鍛錬において、どれほど深く集中しているかを証明している。


 相対するイメージは、ガタロウと名乗る妖怪侍である。闘ったのは、ただ一度のみ。再現性には大いに不安がある。他にもなにか、隠し持っている能力や武器があるかもしれない。だが、今はそのような不確定要素は排除し、確定したものだけを想起する。即ち盾と刀だ。


「なんと言っても……あの盾はやばい」


 渾身の必殺技を喰らわせて無傷だった。二回目でようやく僅かな掠り傷。


 一方、漕島の自負は存分に傷つけられた。

 あれへの対策なくして、勝利は考えられない。


「……よし」


 脳内で工夫のついた漕島は、肩に担いだ構えから、槍を振り下ろした。イメージ上で、ガタロウが甲羅を盾にする。まずは吼哮斬、これで相手の動きを止める算段であった。次いで漕島は、助走からの跳躍で、ガタロウの頭上を跳び越える。そして空中で前に転がるようにし、その反動を生かして、下方へと剛槍を振るう。


 これをガタロウは、痺れからまだ回復していない左手から、盾を右手で奪い取って背負い、防ぐだろう。このとき、侍と言えども、刀は地に落とすほかない。身を守れない刀と盾ならば後者を選ぶのが道理。


 漕島は続いて足元を狙う。相手に痺れが残っていれば、両脚を斬りおとすこともできよう。残っていないのなら、跳んで躱される。侍はそうして躱しつつ、身体をひねって、対面してくる。その着地の瞬間、二発目の吼哮斬だ。盾で再度、身体の前面を守ろうとも、このときならば、踏ん張りが満足に利かず、吹っ飛んでいく。地に転がるガタロウは、しっかりと盾で衝撃波を受け流したとき以上のダメージがあり、全身を襲う痺れからの復帰にも更なる時間を要するに違いない。そこへ追撃。地に伏す侍へ槍を振り下ろし、頭と胴体を切り離す。妖怪だからすぐに死にはしないだろうが、動けなくなれば決着も同然。


「──完璧だッ!」


 想像上の兜蟹が奴の頭を撥ねるのと同時に、漕島の手刀が地面を抉っていた。その全身から汗が吹き出し始めたのは、これがイメージトレーニングの域を超えていたことの証左である。


 砂を払い落として、彼はぐっと握り拳を作り、もう片方の掌に叩きつける。パァンッと気味の良い音が、浜辺に響き渡った。そして漕島は海に向かって、静かに宣言する。


「ガタロウ、次こそお前を討つ」


 その心に退魔師としての大義はない。吼哮斬をもってしてでも倒しきれなかった強者。それを越えたいという、ただ純粋な、男の願望ゆめと、自尊心の回復という目的があったことに、漕島自身、気付いていなかった。公私混同、悪く言えばそれまでのこと。


 その後、漕島は三度、同じシミュレートをして、休息を取ることにした。休息も大事な鍛錬であるとは、彼の師が言葉である。ただし、漕島は磯魚家に戻ることはしなかった。この浜辺で、腰を下ろして仮眠を摂る。気まずさと、申し訳なさ、少しでも責任を取りたい──つまり自らに罰を与えたい──という精神が、柔らかな布団で眠ることを良しとしなかった。自己満足に過ぎないと言われようとも。


 夕飯の時刻になっても戻らない彼を心配して、千歳が探しに来るときまで、漕島はそうしていた。そして豚汁などを黙々と口に運んだ後には、やはりまた、浜辺に行こうとする。


 千代はなにも言わなかったが、千歳は困惑した様子で静止の言葉を放つ。

 それに対して、漕島は断固とした口調で答える。


「浜辺からの敵は任せてくれ。信用できないだろうが、必ずや、守ってみせる。だから、二人は井戸の方を頼む」


 二手に別れることは、現況、確かに必要なことだ。まだ万全でない千代と、万全かつ妹で連携の慣れがある千歳とが組むことも当然と言える。だから千歳には返す言葉がまるでなかった。


 それを了承と捉え、漕島は独り浜辺にて敵を待つ。

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