戸惑いのれんこん少女
ピンポーン、と珍しくインターホンの音が鳴り、誰かしら、と思いながられんこんの塔の上から双眼鏡で誰が来たのか見てみると、見知らぬ男女が二人。塔の下からこちらを見上げていたのです。「こんにちはー、隣の塔に引っ越してきた者です。引っ越しれんこん持ってきました!よろしくおねがいします。」そう言って二人は頭を下げていました。「あ・・・どうも、こちらこそよろしくお願いします。」慣れない出来事に頭をぼーっとさせながら、気づけば彼女はそんなふうに答えていました。
その夜、少女の思い人でもある同居人の彼も不思議に思ったのでしょう。「結局、あのピンポンはなんだったの?」と聞いてくる彼。「カップルが引っ越してきたみたい、隣の塔に。その挨拶に来たみたいでした。」そう少女が答えると、彼はそれ以上追及することなく、テレビの方に没頭していきました。
それ以来何事もなく、いつも通り平和な毎日を繰り返していたある日「ピンポーン」、またインターホンの音が鳴ったのです。今日は何かしら、また引っ越しの挨拶かしら?そんな頻繁に引っ越してくる人もいるはずがないのに、そんなバカげたことを考えつつ、また双眼鏡で下の様子をうかがったところ、そこには例のカップルの片割れ、女性の方が立っていたのです。「しょうゆをきらしてしまって・・・。貸していただけないでしょうか?」この辺りにすぐに買いに行けるお店なんてないし・・・しかたないな、と思いながら「はい、今持っていきますね。」そう言って窓からはなれました。
すると後ろから「どうしたの?」という声がふってきました。「ほら、このあいだ引っ越してきたカップルの女の人のほう。しょうゆきらしちゃったみたいでかしてほしいって。」そう答えると彼が、じゃあ俺が下まで届けに行くよ。お前下りるのたいへんだろ、と言ってくれたのでその言葉に甘えることにした少女。
しょうゆを渡して帰ってきた彼に「ありがとう」と言うととても嬉しそうな笑顔がかえてきました。
幸せな気分になれた翌日のこと、またインターホンの音。状況をたしかめてみると今度はソースを借りに来たとかなんとか。その日も昨日と同じようにさほど気にすることなく彼にソースを持って行ってもらうことにしました。
今までにはなかった人との交流に嫌な気はせず、むしろ、ご近所づきあいってなかなか楽しいのでは、と思った一瞬でした。
しかし、問題が発生したのです。
借りものに来るペースが尋常ではないのです。一回や二回なら気にすることはないのでしょうけれど、ここ最近を考えると一か月ほぼ毎日なにか違うものを借りにやってくるのです。最近では、下へと渡しに行く彼にものを借りに来たついでとばかり、なにやらお悩み相談らしきものをしいるお隣さん。聞き耳をたてることに罪悪感をおぼえ、すぐに台所に向かうようにはしていてもやはり気になる少女。それに最近、二人を見ているとなぜか胸がちくちくと痛む気もするのです。もしかして、病気になったのかしら、だとしたら日に日にちくちくするのがひどくなってるし・・・なんて進行のはやい病気なのかしら・・・などと恐ろしい考えに至りそうになるがしかし、よく考えてみれば、そのちくちくは意外とすぐにおさまるのです。それを思い、あまり深く考えないようにしようと思ったようでした。
ある日、買い物ついでにれんこん中央広場の共有掲示板をちらりと見てみると、少女の大好きな彼の名前が載っていたのです。それをちらりとみただけで胸がざわざわして、一文全て読んでみると、なぜだかぽろぽろと涙がでてきてしまったのです。
彼の名前の続きにあったのは
「昨日はとっても親身に相談にのってもらいました。彼の話を聞いているととてもおちつきます。隣の塔にすんでいらっしゃるんですが、大好きなお友達です。みんなも、何か悩み事があるときは、お友達に打ち明けてみるのもいいかもしれませんよ!」
という文章。
それを見て気力が抜けてしまった少女。なんとか家には帰ったけれど、帰り道のことはあまりおぼえていないようでした。
塔に帰ってすぐ少女はテーブルに突っ伏して静かに泣きました。泣きたいと思っているわけでもないのに涙がとまらないのです。シャーシャー、と彼がシャワーを浴びている音が聞こえます。戻ってくるまでに、泣き止まないと、そう思っていても掲示板の文章がいやでも頭に浮かびどうしようもないのです。ガチャっとドアを開ける音とともにこちらに来る彼。「どうして泣いてるの?」心配そうな声がします。泣き顔を見られたくなくてつっぷしたまま「泣いてなどいないのです!」そう小さく叫ぶと頭にぽんっと温かくて大きな手が優しくのせられました。聞きたいことはいっぱいあるけれど、そこまで踏み込んでいいのかどうかなんてわからないし、たかが友達として好きという言葉にそこまで過敏に反応してしまう自分が嫌な子のように思えるのです。
そうしてしゃくりあげていると、「お前が悲しそうにしてると、俺も悲しくなる。だから言ってみ?」彼がそう言ってくれたのです。ああ、やっぱり優しいな、ちょっとだけなら聞いてみても許してくれるかな、そんなことを思いながら恐る恐る口を開く少女。「今日ね、買い物のかえ、りにっ、・・・うぐっ・・中央広場の掲示板を、見たのっ。そしたら、いつも借りものに来る女の人が、大好きって・・はうっ。」そうしている間も抱きしめながら頭を撫でてくれる彼。そのしぐさにだんだん心が穏やかになってゆくのが感じられました。「その女の人が、あなたに相談にのってもらったって。そうしてもらうととっても安心するって、大好きな友達って・・・!そう書いてたみたいなの。それを見てとたんにどうしてだかわからないけど涙が出てきたの。しかも、最近あなたと彼女が一緒にいるのを見ると胸がちくちくするのです。なんでなのでしょう・・・。」息も尽かさずそう言い切り、見上げると、彼がポカンとした顔をしてこちらを見ていたのです。そのあとすぐにまた少女の頭をなでながら「相談にはのったよ。でも俺は彼女のことをべつになんとも思ってない。そりゃあ嫌いではないし、話せばまあたのしいご近所さんだとは思っているけどね。たぶん向こうもそう思っているよ。」「ちがうの!わかってるんです!あなたが彼女のこと何とも思ってないのは。それに彼女も。でもね、なんとなくやっぱり苦しくなるの。好きなのは私なのにーって、それを言うのは私なのにって。きっとわがままなんです私。取り乱してごめんなさい。」「いいよ、べつに。そう思うのはおかしいことじゃないから。それを嫉妬っていうんだよ?」そんなふうに言われて、私は知らないうちに嫉妬していたのかと初めて少女は気づきました。彼に会うまではこんな気持ち知らなかったし、こんなにしんどくなることもなかったのに。けれども知らなかった頃の自分に戻りたいとは思わないのだから不思議なことです。
ドロドロした部分をもつことっていやだなとか、それが原因で彼を問い詰めてしまうんじゃないかとか、そんなふうに思ってこわくなったりもしたけど、「全部うけとめるから大丈夫」そう言ってくれたことによって彼女のもやもやはすっきり晴れたのでした。