第三話
― 第三話 ―
1
某県某市内の郊外。
不可視と侵入不可のアーツ《奄陣》が施された古城で、仮面を被った十二人の黒装束たちが会談していた。
――執行省長官直属対死神葬送機関。
釧灘一葉の父・釧灘源太郎が惨殺された事件をきっかけに設立された、死神による死神を対象とした武力粛清組織である。
彼らの専らの議題は、ある異常者集団についてだ。
――殺人者集団【栄冠】。
死神の力を妄信し、死神を選ばれた存在だと謳う組織である。なんの力量も持たない人類による支配ではなく、神のごとき力を振るう死神こそが世界を支配すべきという思想を掲げ、その思想を実現すべく、秘匿義務を遵守する数々の執行省重役を殺人してきた。そしてそれは、現在も続いている。
執行省は基本的に実力者が権限を持つシステムのため、権限が高ければ高いほどその実力も比例する。この【死神葬送機関】も基本的なシステムは右に同じであり、構成メンバーは実力順に序列化されている。数字が若ければ強く、その逆は弱い。ちなみに、【ニュクス】は執行省の長官直属という肩書きからも解る通り、与えられている権限は執行省長官に次いで二番目に強い発言権を持つ。
つまり、死神の社会構造は良くも悪くも実力によって決まるということだ。社会的地位を求めるにしても、富を求めるにしても、死神としての実力が問われるのである。
そんな対死神のエキスパートである彼ら【ニュクス】の頭を悩ませている存在が、【クラウン】なのだ。
【クラウン】が為してきた数々の殺人は、どれも執行省の重役が被害者となっている。このことが意味するのは、件の殺人者集団がかなりの実力を秘めている武闘派組織だということだ。
手練れの死神が、集団となって執行省に反旗を翻した――。
一般的に判明しているのはそれだけだが、しかし充分すぎるほどに【クラウン】の危険性は周知のものとなった。
今でこそ重役ばかりを狙っているが、彼らの蜂起理由から推測するに、必ず秘匿義務を無視して人間社会に姿を晒すことだろう。
それだけは、なんとしても防がねばならない。
故に、【ニュクス】は今日もこうして会談を行っていた。
「先日、また重役が殺害されました。今週で二件目、合計で二十四人目の被害者です」
円卓の周りに座する死神は、十二人。その中の一人、銀髪に美麗な顔立ちをした女性が、手元の資料に目を通して言った。その資料は彼女の手元にしかなく、恐らく彼女自身が自作したのだろう。その資料には、【クラウン】に関すること以外にも様々な資料が綴じてあるようで、かなりの分厚さである。まるで、百科事典か広辞苑のようだ。
「ンな確認はいらねェんだよ、キュグヌス! 要は、あのクソ野郎共をどうやってブチ殺すかだろうが」
銀髪の女性――序列二位のキュグヌスの発言に対して声を上げたのは、序列五位のアルジャーノンだ。言葉の悪さの通り、容姿もガラが悪いチンピラのそれである。耳や鼻や舌にピアスをつけていて、それがさらに頭の悪そうな印象を助長している。
「アルジャーノン、不躾な発言は控えなさい」
そんな風にキュグヌスはアルジャーノンを咎めて、会談を進行させる。
「……ですが、彼の言う通りでもあります。早急に対策を練らなければ、更なる被害者が出てしまうでしょう。それに、奴らがいつ人間社会に身を晒すかも解らないのです。やはり、我々が動くべきなのでは?」
「うーん、まあそのために設立された機関でもあるしねー」
と、相槌を打ったのは、まだ中学生ほどの年齢にしか見えない少年だった。
「けど、そう簡単にボクらが動けないのも、また事実だよね? ほら、立場上ボクらはお偉いさんたちの直属だからさ。お偉いさんの身辺警護とかもしなくちゃならないし、最近多発している反逆者たちの粛清もしなきゃならない。やること一杯あるのに大した予算もないし、時間もない。ボクらが動く暇って実際ないんじゃない?」
「確カニ、しりうすノ、言ウコトハ、正シイ」
少年の意見を肯定したのは、機械音声。その声の主は、先ほどから一ミリたりとも動いておらず、呼吸しているのかすら怪しい。装着している不気味な仮面も、無機質めいた怪しさを増幅させていた。
「我々ノ、設立目的ハ、死神ノ、粛清。デモ、時間ガ、ナイ。我々ニハ、不可能。誰カニ、任セル、ベキダ」
「しかしアルファルド、こんな重大な案件を引き受けてくれる死神などいるのですか? 私には、心当たりが……」
「心当たりなどなくとも、命ずれば良い」
そう言ったのは、坊主頭の厳格な雰囲気を持つ僧侶だ。序列四位に位置する彼の肉体は筋骨隆々であり、鉄骨ぐらいなら軽くへし折れそうな感じだ。
「我らにはそれが可能な権限がある。上に立つ者の役目は、下の者に命じることだ。名うての者に、指令書を渡せば良い。さすれば、有無も言えぬだろう」
「エルナトさんの意見に賛成でありんす! あちきたちが直接動くには、まだ情報が少なすぎるでありんすよ」
「トゥバンまで……」
キュグヌスは困った顔して溜息を吐いた。その仕草から、あれくれ者揃いの【ニュクス】を纏めることへの苦労が知れる。
「そう悩むな、キュグヌス」
その一言は、円卓を囲む座席の中で一番豪勢な椅子――まるで玉座のような椅子に座る男から発せられた。
男が発したのはその一言だけであるが、それまで協調性の見られなかった会議場が、瞬時に引き締まった。
「奴らの実力は確かに高い。だが、それはオレたちとて同じことだろう? 戦いに勝つには情報が不可欠。まずは、奴らがどれほどの戦力を持っているのかを調べるのが得策だ」
言って、男は立ち上がる。
金髪碧眼、筋骨隆々。浅黒く日焼けした肉体は、相手を殺すことだけに洗練された筋肉で覆われている。豪勢な椅子とは対照的に、その身体にはあまり装飾品が見当たらない。だが、男からは言い様のないオーラが滲み出ていた。
序列一位の死神にして、【ニュクス】の長。
レグルス。
それが、この男の名前である。
「レグルス様……」
「差し向けるのに、最適な人物がいる」
円卓を囲む十二人の注目が、レグルスに集まる。彼はその視線に恥じることなく、頭に思い浮かべた名前を口にした。
「――っ!」
「……あは、面白そう♪」
「ホウ……」
「なんと……」
「マジかよ……」
「……びっくりでありんす」
キュグヌス、シリウス、アルファルド、エルナト、アルジャーノン、トゥバン……それ以外の死神――つまりはこの場にいる全員が、その名前に驚愕した。
なぜなら、その名前はあまりにも有名なものだったからだ。
「異論は、ないな?」
レグルスの問いに、果たして全員が頷いた。
その反応を見て、キュグヌスはもう一度溜息を吐く。その溜息が疲労によるものなのか、それともレグルスが告げた名前に対する呆れなのか、自分でも解らなかった。
◇
――同時刻、笹凪市。
すっかり太陽は真上に昇り、その陽射しを日本中に振り撒いている。
場所は、私立雅丘学園二年A組。もっと正確に言うのなら、一番窓側の列の後ろから三番目である。
まあ、平たく言えば僕の席だ。平たく言わなくても僕の席だけれど。
今は、昼休みである。
僕は、例の通りに朝の残りものを詰め込んだ弁当を机に広げている。今日のメニューはサバの味噌煮とたくわんを中心とした漬物だ。
箸で身をほぐし、味噌煮を口に放り込む。うん、文句なしに美味い。我が妹ながら、料理のスキルは充分にお嫁さんに行けるレベルである。ていうか、料亭の味みたいだ。普通にお金を払ってもいいんじゃないかと思えるぐらいの出来に、僕は幸せな気持ちで箸を進める。
そんな僕の向かいには、茶髪の男子が同じように弁当を机に広げていた(こちらはコンビニ弁当である)。
「しっかしまー、相変わらず豪勢な弁当だよな」
「あげないからな」
「心配ご無用。お前、おれを誰だと思ってんだ」
ヘッドフォンを常時首に掛けているこの茶髪は、なにを隠そう僕の親友である。中学の時からの腐れ縁で、あの頃は彩音と三人でよく遊んでいた。
「おれが盗みなんてするわけないだろーが。そんな小さな男になった覚えはねーよ」
「ふ、友達を疑うとは……。僕も老いたものだ」
「ホントだぜ。弁当のおかずごときをつまみ食いするほど、おれは飢えてない」
「そうか、悪かったな」
「謝んなって親友! ……だがしかし、お前はおれのことを見くびってるぜ」
そう言って、不敵に笑う。
「な、なんだと!」
「おれはつまみ食いなんてしない……」
なにをする気だ、こいつ。タメを作っているからか、なにか今から想像もしないことをやってのけるのではないかという期待が、僕の胸をワクワクさせる。
「やるなら……」
「………」
ゴクリ、と唾を飲み込む僕。二人の間に、緊張感が漂う。
そして――。
「……その味噌煮ごと奪う!」
言葉が終わる時にはもう、奴の箸は僕の弁当におけるおかずの王様たるサバの味噌煮を華麗かつ俊敏に強奪し、僕がそれにリアクションをするよりも早く、口に放り込みやがった。じっくりと味わうように、僕の味噌煮が奴の口内で咀嚼される。
「味は悪くないな!」
「悪いのはお前だ!」
しかも、なんで上から目線なんだよ。お前、一人暮らしのくせに自炊出来ないからコンビニ弁当なんだろうが。てかこの野郎、僕の弁当の王様たる存在になんてことしやがる。せっかく鈴が作ってくれたサバの味噌煮を一口で食いやがって。
「鈴ちゃんはいい奥さんになるなー」
「お前、サバの骨が喉に刺さって死ねよ」
あーあ。
テンションがた落ちである。だって僕、まだ味噌煮一口しか食べてないんだぜ? 同じ『一口』でも、意味合いが大いに異なるっつーの。
「日本語って、難しいよなー」
「お前、突然発作的に窓から飛び降りろよ」
微塵も悪いなんて思ってないところが、また腹が立つ。まあ、こいつの性格は昔から変わらないので、今更ぶん殴ってやろうとは思わない。こいつはこいつで結構黒い過去の持ち主なので、あまり突っ込んで言えないというのが正直なところである。
かと言って、許す気はないが。
「まあまあ、そう怒るなって。おれの梅干しやるから」
「わーい、ありがとー。斉木くんは優しいなー」
僕は笑顔で茶髪の親友――斉木雄二から小さい梅干しを受け取って、それを雄二のデザートなのであろうメロンパンの中に捻じ込んでやった。
「なにしやがる!」
「気にすんなって。ほら、最近流行ってんじゃん。食べ物にちょい足しするやつ」
「あー、確かにあるけどな! けど、メロンパンに梅干しってどう考えてもミスマッチすぎんだろう! 性格悪いぞ、慎!」
「お前にだけは言われたくねえ一言だ」
ザマアミロ。僕の味噌煮を強奪した報いだ。
「おれ、梅干し嫌いなんだよ……」
「ふっふっふ、僕を見くびっていたようだな雄二。こちとら、毎日のように嫌がらせを受けて生活してるんだ。この程度、造作もない」
僕が釧灘から受けている毒舌という名の暴力など、こんなレベルではないのだ。それに比べたら、梅干しを菓子パンに捻じ込むのなんてまだまだ可愛いものである。
「相変わらず、仲いいねぇあんたら」
そう言って雄二の隣に座ったのは、僕も雄二もよく知っている女子だった。
「まあ、おれら親友だしな」
「中学からの腐れ縁なんだよ。波長が合うのは仕方ないことだろ」
親友とか真顔で言うこいつの気前の良さみたいなのは、本当になんていうか格好いい。恥ずかしがらずに事実を飾らずに言うもんだから、こちらとしては結構照れる。真顔で他人に「こいつは親友なんだ」と紹介されたら、誰だって照れるだろう?
「ま、いいんじゃない? 仲が良くて悪いことなんてないしさ」
「他人事みたいな言い方だな、神崎。お前だっておれらの親友だぜ?」
「なっ……は、恥ずかしいこと真顔で言うなっての!」
「なに照れてんだ?」
雄二は小首を傾げる。いや、十中八九お前の発言が原因だぞ。どうせ、気がついてないだろうけれど。
「もうっ、お腹空いたっ! 食べよ食べよ!」
僕と雄二は既に弁当の半分ほどを食べ終えているのだが(僕の弁当が残り半分なのは雄二のせいだ)、彼女はまだだったらしい。見れば、右手に購買で購入したと思われるパック弁当とあんぱんが入った袋が提げられていた。
「部活の集まりがあってさ」
「えっと、なに部の?」
「ん? 水泳部」
「水泳部が集まりするって珍しいな」
「まあ、そろそろ夏休み近いしね。夏季大会に向けてのミーティングってやつだよ」
パック弁当を割り箸で豪快にかき込みながら、彼女はなんでもないように言う。しかし、僕らからすればそれは、とてもなんでもないようには聞こえなかった。
この女子――神崎碧は、恐るべき運動神経の持ち主である。そのため、彼女はいくつもの運動部を掛け持ちしているのだ(基本的にスカウトされたらしい)。しかも、どの部活でもレギュラー入りしているのだから驚きである。
現在確認出来ているだけでも、陸上部、バスケ部、テニス部、水泳部、弓道部に所属している。この中で、彼女が自主的に入部したのは弓道部と水泳部のみだ。
「なんてーか、本当に神崎は絵に描いたようなスポーツ少女だよなー」
「それ、褒めてんの? なんか斉木が言うと褒めてるように聞こえないんだけど」
「うん、だって褒めてねーし」
むしろ、女って感じがしないって意味での嫌味だったと無駄に付け足したせいで、雄二は碧に目潰しされることになった。ああ、こいつ可哀そうな奴だなと僕は他人事のように思いながら、さりげなく雄二のコンビニ弁当から唐揚げを頂戴する(味噌煮の恨み!)。
雄二の長所でもある変に正直なところが、こうして不幸にも裏目に出ることが稀にあるのだ。稀にというか、もうほとんどの割合で裏目に出る。んー、フォローの仕様がねえな。
「ぐおお、目が、目が燃えるように……ッ」
「自業自得ね」
悶える雄二にぴしゃりと碧は言い捨てて、食事を再開した。
みるみるなくなっていくパック弁当を見ながら、僕は碧の日焼けした小麦色の肌を眺めた。きっと今年の夏は水泳部に力を入れることにしたのだろう。白いブラウスから伸びる長い手足や中性的にも見えるボーイッシュな小顔が、浅黒く焼けている。
「? なに見てんの?」
「いや、別に深い意味はないけど」
「煮え切らない返しね。はっきり言いなさいよ。なんかそういうの、ムズムズするんだってば」
パック弁当を食べる手を止めて、碧が眉を歪めた。どうやら、僕が雄二のように嫌味を言うと思っているようだ。んー、違うんだけどなあ。
本当に深い意味もなく見てたんだけれど、言えと言われたんだからここは言った方がいいのだろう。
だから、僕は正直に答えた。
「碧って、(日焼けした肌が)かわいいよな」
「――っ?」
もぐもぐと口一杯に咀嚼していた弁当を一度に飲み込んだのか、碧は苦しそうに胸の辺りをばんばんと叩く。しかし、あまり効果はなかったようなので、手元にあったペットボトルのお茶をひったくるようにして取ると、ごくごくと一気に半分ほどがぶ飲みした。ごきゅごきゅと上下する細い喉も、綺麗な小麦色をしていた。
「――ぷはっ! え……、は? いや、あの」
「碧、落ち着いて落ち着いて」
「そ、そうだね。えーっと、こういう時はまず深呼吸……スー、ハー」
碧は、胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。その姿は、スポーツ選手が君が代を歌っている時のように様になっていて、改めてこいつスポーツ似合うなと思う僕である。
「……で、なんだって?」
「だから、(日焼けした肌が)かわいいなって」
「――っ」
どうしたんだろう、碧が急に赤面し始めた。空になったパック弁当を見るような感じで、俯いてもいる。覗き込んで見ると、心なしか目が泳いでいるように見えた。
「ほ、ほほほ本当……? どうせ、からかってるんでしょ?」
「本当だよ。からかってどうすんだ」
「――っっ」
心外だな。僕には女の子をからかって遊ぶ趣味はない。女の子にどころか、男にだってしたことねえよ。……僕のことをからかって(というか精神的にいたぶって)楽しんでいる奴には凄く心当たりがあるけれど、ともかく僕にはその手の趣味はないと明言していい。
「あの、碧?」
「……」
んー、だんまりときたか。悪く言えば、無視である。僕、なんか嫌われるようなこと言ったっけ? 全然心当たりがないのだが。
それにしても、自分で正直に言えと言っておいて、その答えを聞いたら無視するってどんな新手の放置プレイだよ。いくらなんでも傷つくぞ。あの釧灘にすら、こんな無視されたことないのに。
(どうしたものか……)
まずは整理してみよう。
僕は彼女の焼けた肌を見て思ったことを、彼女に催促されて発言した。その発言に嘘はなく、言われた通りに正直な感想を告げたつもりだ。しかし、現実には無視されてしまっている。
以上、整理終了。
んー、全然解らん。僕は女の子が自然に日焼けした感じがたまらなく好きだから、水泳部の練習で焼けたのだろう碧の姿にああ答えたのだけれど、なにかまずかったのだろうか。
日焼け止めは夏の必需品と言うほどに日焼けを嫌う現代女子にとって、日焼けを男に指摘されるのは、やはり傷つくことなのだろうか。
いかんな、あり得ることである。
どうやら、僕は知らず知らずの内に碧のコンプレックスをいじってしまったらしい。いくら異性に対してもオープンな友情を示してくれる彼女でも、さすがにこれはショックだったのか。ショッキングだったのか。問題は、それが過去系ではなく現在進行形だという点である。
謝るのが妥当な策。僕も男だ、腹を括ろう。
「碧……」
「――っ」
「ごめん、急に変なこと言って……」
「――っ」
「でも、うん。正直な気持ちだからさ……」
「――っ!」
「碧を困らせるつもりはなかったんだ……」
「――っ!」
顔を更に赤面させて、碧は小刻みに震え始めた。
(顔を赤くして小刻みに震え――ハッ、なんてこった!)
赤面してたのは、ショックだったのではなく怒っていたからなのか! だとしたら、僕にとっては途轍もなく困ったことである。他人のコンプレックスを土足で踏みにじったような男を許せるわけがない。そんなことにも気づかずに、僕は愚かにも言い訳じみた謝罪をしてしまった。
碧は、思わず小刻みに震えてしまうほど怒りを我慢しているようだ。両手を固く握り締めるようにしているのも、きっと僕をブッ飛ばすのを必死に堪えているためなのだろう。握り締めた両の拳は、顔色とは対照的に白くなっている。
友達だから、友達だから殴ってはいけない! と、彼女の中には壮絶な葛藤があるに違いない。
神崎碧。
成績普通、スポーツ万能。性別を問わず、年齢すら問わず、多くの人から頼りにされる十七歳の少女。
なんて、なんていい奴なんだ! 僕は、彼女がここまで友達思いだったなんて知らなかった! いや、知ろうともしなかった!
(くそう、僕って人間はどうしてこうダメなんだ!)
自責の念が、怒涛のように押し寄せてくる。自分の不甲斐なさと情けなさに、涙が出そうだ。
いや、それは許されないことである。僕なんかに、涙を流す資格はない。泣く権利は、彼女にあるのだから。
もう、言い訳は言うまい。
自分の愚行を、素直に謝罪しよう。
「碧、本当に悪かった!」
「え、ちょっと! ……慎っ?」
椅子の上で土下座する僕を見て、碧はびっくりしたようだ。察するに、僕にこんな謝罪が出来るわけがないと思っていたのだろう。なんてこった、彼女の中での八代慎はそこまで落ちぶれた人間として認識されていたのか。
これじゃあ、釧灘に価値のランクがホコリ以下だって言われたことにも頷ける。僕に自覚がないからこそ、価値がホコリ以下ということだったのか。
「な、なにしてんのっ? 顔、上げてよ」
「いや、全て僕が悪いんだ。僕には碧に土下座しなきゃならない理由がある」
そう、むしろこれは僕に課せられた義務である。
僕は覚悟を決めて、思い切って新たに謝罪した。
「日焼けがかわいいとか、無神経なこと言ってごめん!」
「…………は?」
しかし、碧の反応は。
「なに言ってんの?」
僕の予想とは異なり。
「かわいいって……ああ――そういう、こと」
目を丸くしたなんてもんじゃない。
修羅のごとくゆらりと椅子から立ち上がると、碧は一歩一歩踏みしめるような歩調で僕の傍まで歩いてきた。その身体からは、鬼神のようなオーラが発せられているように感じる。こ、これがスタンドかッ! まさか実在するとは……っ。
「あ、碧……?」
「ねぇ、慎。あまり女の子の気持ちを弄ぶと、いいことないよ?」
にっこりとした笑みだが目は一ミクロンも笑ってない顔で、碧はゆっくりとした動作で左の拳を引いて腰を落とした。
そして、力の開放。
一撃必殺。
この表現が、日常生活においてこれほどまでに的を射ているシチュエーションなど、そうそうないだろう。
まっすぐに放たれた碧の左拳は、教科書通りの正確さで僕の顔面の中心を捉えると、力任せに振り抜かれた。恐らく男子高校生の平均体重と同じくらいの体重であろう僕は、しかし軽々と宙に浮き、慣性の法則に従って放たれた拳の威力のままに空を滑空した。
そう、滑空したのだ。
窓を粉々に粉砕して、僕は空を飛んだのだった。
時間は経って放課後。
僕は傷だらけの身体を引き摺るようにして帰途についていた。
思い出すだけでも戦慄ものなのだが、僕がどうして傷だらけなのかを説明せねばなるまい。
殴り飛ばされて空を飛んだ初めての人間であるところの僕だったが、その飛翔時間は思いのほか短く、すぐに校庭に全身を強打することとなった。
しかし、恐ろしかったのはその後である。
心優しい下級生に連れられて保健室へと搬送された僕を待っていたのは、未だ怒り冷めやらぬ碧と呆れ顔の雄二、そしてなにやら僕が飛行した際に破壊した窓の請求書のような書類のようなものを手に持った担任教師だった。
碧は保健の先生の制止を振り切るようにして僕を殴ろうとするし、雄二は呆れ顔でなにもしないし、担任はいつも通りの頼りない顔でなにやら書類のことを伝えようとしては、碧の怒声に声を掻き消されていたしで、保健室はちょっとした野次馬を集めてしまい、職員室に待機していた鬼の生活指導者こと体育教師が飛んでくるわ、騒ぎを聞きつけた近所の住人が事件と勘違いして警察に通報するわ……とにかく、とんでもない惨状になってしまったのだった。
住民は暴走族とかヤクザとかが校内に侵入したと思ったらしく、現場に来たのは四課の刑事さんたちだった。俗に言う、暴力団やヤクザなどの犯罪を担当する部署である。
そして運の悪いことに、現場に来た刑事さんの中には僕の知っている顔があったのだ。
その人の名前は、八代風。
つまりは、僕の姉である。
結局は住人の勘違いによる誤報だったのでなんともなかったのだが、風姉だけは先生たちに呼び止められ、僕がどうして保健室にいるのかという理由を懇切丁寧に説明されたようで、怒り心頭の碧よりも怖い顔で僕の耳を地獄の鬼よろしく引っ張ったり、僕を土下座させてまるで頭をバスケットボールをドリブルするかのように地面へと連打したり、乙女の気持ちを弄んだという雄二の密告のせいで碧にも同様の対応を強要されたりなどなど、想起するだけでも身体が震える出来事だった。
ていうか、風姉って絶対に刑事に向いてないって。明らかに、捜査対象の人たちよりも暴力的だと思うんだが。怪我してる弟の頭をドリブルするとか、発想がもう人類じゃないね。きっと風姉の前世は、悪魔かなにかに違いない。
まあ、そんな感じで身体的にも精神的にもズタボロの僕は、我が家へと向かって歩いていた。
珍しく、今日は一人での下校だ。いつもは執行務がある時は釧灘と、ない時は雄二と下校していたので、今日みたいに執行務のない日に一人で帰るのは久しぶりである。
(そういや、今日も釧灘は休みだったな)
真井さんから指令書を受け取ってから、釧灘は学校に来ていない。なにをしているのかは解らないが、危険なことはしていないと思う。執行省からは動くなという命令が出ているらしいし、いくら釧灘でもその命令を無視出来まい。
大方、親父さんの仇が活発的になったことに関して、独自に調査でもしているのだろう。自分の人生を大きく狂わせた存在なのだ、冷静でいられるはずもない。そんな状況で学校に来いなんてのは酷な話である。
ただ、僕は悔しかった。
釧灘が苦しんでいる時に傍にいてやれない自分に、もどかしさを感じる。自惚れも甚だしいのは承知しているが、僕は釧灘の幻霊なのだ。どんな時でも、彼女の傍にいるのが僕の役目だろう。
釧灘一葉が僕に恩を感じているのならば。
八代慎も同様に恩を感じているのである。
しかし、そこになあなあの関係はない。蘇生した者とされた者というだけのシンプルな関係でもない。言葉で上手く表現出来ないような複雑な関係が、僕と彼女の間にはある。
――釧灘一葉が死を望むのならば、八代慎は彼女を殺すし。
――八代慎が死にたくないと言うのなら、釧灘一葉は全身全霊で僕を護るだろう。
そういうのが、僕らの関係だ。誰にも踏み入れることの出来ない見えない糸で、僕らは互いを縛っている。
そんなことを考えていたら、誰かに呼び止められた。
「少年ッ! 探したぞ!」
振り向いた先にいたのは、真井さんだ。彼が僕を呼び止めたらしい。
「どうしたんですか、そんなに息を切らして」
「大変……大変だ」
腕利きの釧灘が認める凄腕の死神が、その冷静さを欠くほどに重大な事件が起きたようだ。
そして、恐らくそれは――。
釧灘絡みのことだろう。真井さんが僕に知らせに来ること自体が、彼女絡みの情報だということを裏付けている。
「お嬢が、奴らのアジトに向かっちまった!」
案の定だ。
詳しい理由は不明だが、釧灘に件の殺人者集団の一派が潜伏している隠れ家の位置情報が漏れたらしい。願ってもいない特ダネに自制出来なくなった彼女は、いても立ってもいられず独断先行してしまったようだった。
多分、七枝刀を片手に。
彼女はいろんな思いを胸に、その柄を握り締めていることだろう。その中の感情を読み取ることは、彼女の事情を人伝にしか知らない僕には出来ないけれど、しかし一つだけなら想像出来る。
絶対に一人で始末をつける――。
プライドの高い釧灘のことだ、そんなことを考えているに違いない。
「真井さん。それを僕に知らせたということは、あいつのところへ行けということでいいんですよね?」
だから、僕は彼女の代行はしない。それは釧灘自身がやるべきことだ。
「おうよ、行ってやれ。お嬢の横に立てるのは、幻霊の少年にしか出来ないことだ。傍に立って、支えてやりな」
「はい!」
だからこそ、僕は。
釧灘一葉を支えに行く。
彼女が挫けそうになったり、自分を見失いかけたりした時に背中を押してやるために、僕は釧灘一葉の横に立つ。
これからも、ずっと。永遠に変わることのない、僕が僕に課した役割。
それが八代慎の、幻霊に対する心構え(プレイスタイル)だ。
2
状況は最悪だった。
今になって私は、一人で来てしまったことを後悔していた。
「もう終わりかしらン?」
「くっ……」
着いてすぐに戦闘になったのだが、ザコなど私の相手ではなかった。それこそ、私の幻霊でも倒せるぐらいのレベルだ。
しかし、数が多いのが誤算だった。落ち着いて考えてみれば、当たり前の話である。相手は組織なのだ、数人のはずがない。
やっとの思いでザコを倒したと思ったら、真打ちの登場である。それが、今私の目の前でニヤニヤ笑いを浮かべている男だ。
「中々の暴れっぷりだったわネ。生きのいいお嬢さんで、アタシ嬉しいワ~」
一目見て解る。態度はふざけているが、こいつは只者ではない。かなりの実力者と言っていいだろう。下手すると、私よりも強いかもしれない。
(さすがにそれはないわね)
自分の観察眼は確かだと自負しているけれど、それでも自分の意見を否定しよう。だって、私がこんなオカマより弱いはずがないもの。断言出来る。というより、プライドが許さない。
「あなたがボス? 見た目通りに弱そうね」
「あら、挑発してるのかしらン? 案外、小物なのネ」
身体をくねくねさせて言うオカマ。
挑発を挑発で返してくるあたり、精神的にも余裕があるということか。
(けど、それが命取りよバカ野郎)
いくらアーツの連続使用で私が疲れているとは言っても、一対一の勝負で屈するほどに弱ってはいない。相手は私が疲労困憊だと思っているようだし、その余裕につけ込む隙がある。
私は、負けられないのだ。
執行省の命令を無視したからではない。こいつらが――【クラウン】が父の仇だからでもない。
単純に、そう。
私の人生を大きく狂わせた存在だから。
平たく言うと、ムカツクから。
だから、私はこいつらを恨む。
私はいつだって、私のために武器を取り、戦っている。今回も例外ではない。
これは私の問題だ。
誰にも介入する資格も権利もない。
「そっちがこないなら、アタシから行くわよン?」
言って、オカマはアーツを発動。両手を前に構えて、指先からエナジーを放つ。
(射撃系のアーツ?)
だったら、七枝刀で弾くことが出来る。私は七枝刀をいつでも盾に構えられるよう、適度に身体の力を抜いておく。
しかし、オカマの指先から放たれたアーツは私には命中せず、当たったのは先ほど私が葬ったザコの死体だった。よく見れば、エナジーは指先から飛ばしているというより、伸ばしていると表現した方がしっくりくる感じだ。
エナジーの糸。
オカマのアーツを端的に説明すると、これが一番適切である。
(なにをする気……?)
私は油断なく構えながらも、オカマのアーツがもたらす効果を見極めようとした。
だが、それが間違いだった。
「突っ立ってていいのかしらン?」
「――っ!」
刹那。
私の身体は後方へと吹き飛ばされた。アスファルトの地面に全身が削られて、皮膚が裂けて血が出る。それだけではない。あまりの痛さに感覚が麻痺していたが、自身を見れば無数の切り傷がいたるところに刻まれていた。
(斬撃系? バカな……)
あり得ないことだ。
斬撃系のアーツは飛ばすことが出来ないため、至近距離から発動するのがセオリーである。確かに種類によっては攻撃範囲の広いものもあるが、そんな広範囲型のアーツを使う前にはそれなりの予備動作が必要となる。私とオカマの間合いでは、斬撃系を命中させることは不可能だったはずだ。
けれども、オカマはそんな動きはしていない。奴がしたのは、エナジーの糸をザコの死体に繋げただけだ。
………。
繋げた?
糸を――死体に?
「くっ……」
勘違いをしていた。今のアーツはオカマが放ったのもだと、無意識の内に思い込んでいた。そんなこと、誰も言ってないのに。
よく見れば、簡単なことだった。
死体に糸を繋ぐ。
それが意味するのは、たった一つしかない。
「人形使い……」
「あらン? バレちゃったかしらン?」
オカマが指先から伸ばしているエナジーは、死体に直結している。
数は十。
そしてその内の一体は、私の近くの死体に繋がっていた。つまり、斬撃系アーツを放ったのはオカマではなく、その死体である。
「アタシの名前は『死体傀儡師』。【クラウン】切っての芸術家よン」
死体を操り、その死体が使えるアーツをも操る。自分と人形を繋ぐのは糸のみ。そこに物理的な干渉はないから、人形へのダメージは操者へフィードバックしない。
他力を自力へと変換する者。
傀儡師。
技術を極めるのが難しいとされるバトルスタイルでありながら、極めてしまえば最強の部類に匹敵する職業である。
私が最初に感じた奴の強さは、嬉しくないことに的中してしまったようだ。
(死体のアーツまでも扱えるのは、少々厄介ね)
私が倒したザコは、全部で三十近い。オカマが死体を操って戦う腹積りなら、私はもう一度全てのザコを相手にすることになる。
しかしそれは、ザコと再戦するという意味ではない。
アーツの使い方を熟知し、戦略を組み立てられる者が熟練者と呼ばれるのは言うまでもないことだが、オカマの傀儡師としての技量はそれに値するレベルだ。つまり、私が今から相手することになる三十体の傀儡は、全て熟練者の強さということになる。
正直言って、万事休すだ。
やはり一人で戦えるような敵ではなかった。しかし、今更後悔してももう遅い。後悔したところで、戦局は有利にはならない。
だったら、必死に活路を見出すだけだ。
私はいつだって、そうしてきたじゃないか。
誰の力も借りず、自分だけの力で。
この七枝刀を握って。
私はいつだって、一人で――。
「能力強化、『速力』!」
七枝刀を構える。
攻撃は最大の防御。圧倒的な速度で敵を撹乱し、生じた隙に至近距離からアーツを見舞う、手数を主眼においた戦闘スタイルだ。
呼気一回、私は駆けた。
能力強化で増幅された私の速度は、残像を引くほどに速い。目にも留まらぬスピードで、私はオカマの操る死体傀儡を切り裂いていく。
だが、やはりオカマも只者ではない。
私に再度殺された死体は思い切りよく手放し、次の死体へと糸を繋げる。その手際の速さが尋常じゃない。一体、どれだけ訓練を積めばあの域に達するのだろうか。私が殺した時にはもう、次の死体が稼働しているのである。
そして、オカマもただやられるだけではない。
私の姿が追い切れないので、通過するであろうポイントを予測してアーツを放ってくる。その攻撃がまた正確で、私は幾度も進路を強制的に変更せざるを得なかった。
「そこよン」
「ぐっ!」
能力強化の限界がきて、私の速度が落ち始めた瞬間を狙って放たれた斬撃系アーツが、私の身体を切り裂いた。ブシュッ、という濡れた音と共に、鮮血が辺りに飛び散る。
「燃費の悪い能力ネ。最初はびっくらこいたけど、慣れたらそうでもないワ」
そう告げて。
オカマは十体の死体傀儡を操り、跪いた私を近距離から様々なアーツで蹂躙した。
斬撃系に皮膚を裂かれ。
打撃系に骨と内臓を潰され。
爆破系に肌を焼かれ。
射撃系に肉を破壊された。
多種多様なアーツによる攻撃の連鎖は、確実に私の命を削っていく。
(死ぬ、わけには……)
もう痛みすら感じない。
血を流しすぎたのか、意識すら朦朧としてきた。
(嫌だ)
オカマの高笑いが、ひどく遠くに聞こえる。
自分がもうすぐ死ぬという事実。
そんなことが、これほどまでに恐ろしいことだとは知らなかった。だとするならば、妹は――双葉は実の姉に記憶を改ざんされることに、どれだけ恐怖したことだろう。自分の記憶が偽りのものへと変わり、自分はそれを真実だと思う――それは、死と同義のことである。
妹の生きた証を奪った私には。
釧灘双葉という一人の少女を殺した私には、醜く生にしがみつく資格がないのかもしれない。……いや、ないのだろう。
でも、死にたくない。
まだやり残したことがいくつもあるのだ。
そう、例えば。
私の幻霊――八代慎。
まだ彼に恩返しをしていない。自らの運命を投げ捨ててまで、妹の死期を書き換えてくれた恩人に、私はまだなにもしていない。どころか、素直に気持ちを伝えられず、彼をいじめるようなことばかり口にしている。本当は感謝しているけれど、気恥ずかしくて言葉に出来ていない。
彼に「ありがとう」すら言えぬまま。
いつの間にか感じていた好意を告げぬまま。
私は死ぬ――のか?
(嫌だ)
嫌だ。
死にたくない。
こんなにもやり残したことがあるのに、死ぬなんて嫌だ。
私はいつだって、一人で戦ってきた。
誰の力も借りず、自分だけの力で。
七枝刀を片手に。
――でも、それは私が望んだことじゃない。
誰も助けてくれなかったのだ。
父が殺されたことで、強制的に当主を継承させられて。
七枝刀を握らされて。
私は一人で戦うことを求められたのだ。
私が妹の記憶を改ざんすることになった時も、父が殺された時も。
家族はおろか、近しい人すら私から遠ざかった。面倒ごとは御免蒙ると、誰一人として私に手を差し伸べてはくれなかった。
むしろ、当主らしく強くなれと。
いつまで泣いているのだと、私を叱咤した。
だから、私は強くならざるを得なかった。
でも、しかし、だって、けれども。
そこに、私の意志はない。
私にだって気持ちはある。いくら能力が高くても、感性が人間離れしているわけではないのだ。
辛かった。
辛くて傷ついたからこそ、私は誰も信じなくなった。心を開かなくなった。
(助けて……)
それは誰に対しての願いだろう。
(お願い……)
決まっている――と、私は自答する。
私が信じ、心を開いた人なんて、たった一人しかいないじゃないか。
決して強くはないしイケメンでもないけれど、彼は私のことを見捨てたりはしない。絶対に、傍にいてくれる。
だから。
かつて妹を救ってくれたように、今度は私も救ってくれる気がするのだ。
(なんて……)
なんて、バカな考えだろう。
けれど、その願いが叶うのなら――私はバカでいい。
「さあ、フィナーレよン」
オカマの声が聞こえたのとほぼ同時、私を囲む十体の死体傀儡から一斉に必殺のアーツが放たれた。
様々な閃光と光波を生みながら迫るアーツの奔流は、凄まじい爆音を伴って私を殺そうと息巻き飛来する。しかし、私にはもうそれらの光景は見えていなかった。いや、認識することすら億劫になっていたというのが正しい。まともに思考する気力すら、今の私にはなかった。
射撃系のズガガガガッ、という地面を削る音。
斬撃系のヒュンッ、という風を容易く切る音。
爆破系のキュィンッ、という力が凝縮する音。
打撃系のブオンッ、という鈍く空気を潰す音。
それら死の旋律が、まるでボリュームのつまみを捻ったかのように段々と大きくなるのを、私は朦朧とした頭でかろうじて認識していた。
そして――。
死の旋律の音量がピークに達した瞬間、私の周囲に渦巻いていたあらゆる音がかき(、、)消えた(、、、)。
テレビの電源を切ったかのごとく、忽然と消えたのである。
一瞬、私は自分が死んだのかと思った。
しかし、そう思った次の瞬間にはそれを否定した。
なぜなら、
「釧灘ッ!」
そう叫ぶ声が耳朶を打ったからである。
(ああ、来てくれた……)
それは、私のよく知る声であり。
私が、待ち望んでいた声だった。
◇
僕が真井さんから教えられた場所に到着した時にはもう、釧灘は敵にやられてボロボロだった。
ちなみに、彼女に向かって放たれていた全てのアーツは、既に篭手で吸収済みである。
「あらン?」
釧灘を囲む十人の死神(死んでいるのか?)から伸びる光る糸の収束先に立つ、髪の白い男が間の抜けた声を発した。見た目は明らかに男だが、服装や仕草は女性のそれである。まるで、オカマのような奴だ。
「見ない顔ネ。でも、人の芸術を邪魔するって野暮じゃないかしらン?」
口調はふざけているが、状況から察して釧灘はこいつにやられた可能性が高い。戦闘に関してはまだ素人の域を出ない僕でも、このオカマはかなり強いのが解る。立ち方とか重心がブレていないとかの技術云々ではなく、単純に本能的にそう感じた。
間違いなく、殺される。
そういうレベルの相手であることには違いないだろう。
(まあ、釧灘が負けるんだから当たり前か)
腕利きと名高い彼女でも負けてしまうのだ。僕なんかが敵うはずもない。
しかし、退くわけにもいかないのもまた事実である。
「なにが芸術だ、オカマ野郎。こんな悪趣味な芸術があってたまるか」
釧灘とオカマの間に割って立つ僕を、聞きわけのない子どもを見るような目で見て、オカマは僕を嘲笑った。
「ンフフ、かわいいボクちゃん。ここはアナタが来るような場所じゃないのよン」
「わざわざ言われなくても解ってるよ」
そんなこと、百も承知だ。
大体、死神ですらない僕が死神に勝てるはずがないし、そもそも僕には大した実力がない。僕が自力で勝てるのは、下級幽魔がせいぜいといったところだろう。
だが、そんな些細なこと(、、、、、)などどうでもいい。
僕はオカマを倒しに来たわけじゃない。
釧灘一葉に助力するために来たのだ。
「や…しろ、くん」
「なんだ、その格好。制服をそんなにビリビリにして横たわるなんて、お前、僕を誘ってるのか? いくら紳士たる僕でも、魔が差すかもしれないぜ」
「なにを……」
「らしくねえって言ってんだよ。なに勝手に悲劇のヒロイン気取ってんだ。そんなの、お前のキャラじゃねえだろうが」
そう、僕が知っている釧灘一葉はか弱いヒロインではない。ヒロイン的ポジションにいながらも主人公の座を食ってしまうのが、僕の知る釧灘一葉である。
「だから、へばってんなよ。こんな僕でも時間稼ぎくらいは出来るんだ。その間に、必死こいて回復してろ」
「……解ったわ。だけど気をつけて。そいつ、死体を操る傀儡師だから」
かなりの実力者よ、と付け足して釧灘はアーツを展開した。淡い光が彼女を中心にして発光する。回復系アーツの特徴だ。
「もういいかしらン?」
「待っててくれなんて言った覚えはねえよ」
オカマの質問に僕はそう答え、深くを呼吸を繰り返す。
精神を鎮め、集中する。
「ンもうっ、ツれないボクちゃんネ」
オカマは身体をくねらせながら、両手の指から伸びるエナジーの糸を手繰り寄せた。
「でも、仕方ないから遊んでア・ゲ・ル」
オカマが臨戦態勢を取った。僕も気を引き締めて構える。
「芸術を魅せてあげるワ!」
先手を打ったのは、オカマである。
右手の指を忙しなく動かしたと思ったら、その動きに連動するようにして、僕の左前に立っていた五体の死体傀儡が一斉に駆け出してきた。五体もの死体を同時に操作しているというのに、各傀儡には一切の乱れが見られない。
統一された死体傀儡が、直線的な軌道で僕に迫る。
(舐められてる)
複雑な回避行動を織り交ぜた軌道でないことからも、そのことは容易に感じ取れる。これという武器も持たず、実力者ですらない相手に本気を出す必要はないと思われているのだろう。左手で操っているもう五体の死体を使用しないのも、自身が絶対的な優位に立っているという自負があるからに違いない。
(けど、そこにつけ込む隙があるッ!)
僕は篭手の存在を確かめるように握り締め、重心を低く落としながら前へと踏み出した。やがてその歩みを疾走に変え、僕と五体の死体傀儡の間合いはあっという間に縮まる。緊張からか、喉が渇いて唾が湧かない。
やはり、先に攻撃してきたのはオカマだった。
傀儡の一つ――レイピアを装備した死体が、走る勢いをそのままに剣先を突き出した。レイピアの切っ先はまっすぐに僕の顔を狙っている。僕はレイピアの刀身を左手の甲で弾くことでそれを躱し、直後に右手で突き出したままの死体の腕を掴んだ。未だ慣性に従う死体の身体を、掴んだ腕を引き寄せることで態勢を崩させる。前のめりになった死体から右手を離し、腰の回転を利用して左の肘を顔面に叩き込んだ。
メキャリッ、という骨が割れる音を振動と共に認識し、僕は視線を左右に走らせる。
次に僕を攻撃しようとしているのは、右側の戦槌を持った死体だ。その傀儡は既に、巨大な戦槌を振りかぶっている。
「くっ!」
僕はそれを横転することでなんとか躱した。あのオカマ野郎、傀儡は所詮死体だからってお構いなしかよ。今の攻撃でレイピアを持った死体が粉々じゃねえか。
ドゴォンッ、という地響きを鳴らして地面を砕いた戦槌をゆっくりとした動作で持ち上げる死体目掛けて、僕はソバットを放った。蹴り抜いたのは、軸足の膝関節だ。横から衝撃を受けた関節は構造上耐えられなくなり、死体の左足は内側に折れ曲がった。
死体なので痛みはないだろうが、バランスを崩したことに変わりはない。僕はすかさず、その場で回転。上段後ろ回し蹴りを顎に決めて、死体を蹴り飛ばしておく。
「背中がガラ空きよン!」
オカマがそう言って、三体目の傀儡を操作する。ちらりと後ろを見れば、その死体は僕と同じく篭手を装備した奴だった。
(だったらッ!)
走りながら右の拳を繰り出す死体の腕を左手で掴み、力一杯引き寄せつつも右腕全体を振り向きざまに死体の腹部へと押し当てて、僕は勢いを殺さずに死体を投げ飛ばした。
死体である以上、痛覚も平衡感覚もないから怯むことなんてないのだろうけれど、時間稼ぎにはなる。
オカマの傀儡を倒したいのなら、もう一度死体を殺さなければならないことは、戦槌で潰された死体を放って奴が別の傀儡に糸を繋げたことから解った。釧灘を助ける際に吸収したアーツを解放すれば、死体をもう一度倒すことなど容易なことだが、なにせこの場に転がっている使えそうな死体は二十弱にも及ぶ。オカマがアーツを連発して攻撃してくれるのであれば話は別だが、そうでなく物理攻撃で攻められたら一溜りもない。ただでさえ一杯一杯なのだ、使いどころを限定しないと確実に負けてしまう。
三体を往なした僕は、オカマに向かって全力疾走する。実力差がある以上、短期決戦に持ち込むしかない。
途中で盾を装備した死体が進路上に立ち塞がったが、左手に吸収してあった先ほどのアーツを殴って解放することで、構えた盾ごと死体を撃破する。
アーツを防ぐ盾ごと傀儡を破壊されたことに、オカマは驚愕していた。それもそうだろう、ただのザコだと思っていたのに、死体を一撃で粉砕するような隠し玉を持っていたのだから。
距離、数メートル。
しかし、オカマの判断は早かった。右の拳を振りかぶる僕の前に、五体の死体傀儡(左手で操っていた奴だ)を並べて即製バリゲードを作ったのである。
僕の拳が死体の壁に触れ、轟音が響き粉塵が舞った。吸収してあったアーツを一気に解放したのだが、 あまり手応えがない。
果たして、オカマは無事だった。無傷でこそなかったが、かすり傷程度の負傷である。
「ボクちゃんったら、なかなかやるなじゃなイ」
オカマの顔色が、真剣味を帯びている。どうやら、本気にさせてしまったようだ。それはつまり、釧灘を屈服させた実力者の力量が存分に発揮されるということである。
(僕、生きて帰れないかもな)
今になって、恐怖心が湧き出てきた。
けれど、ここで逃げ出したら男が廃るというかなんというか……そう、単純に格好悪いじゃないか。
だから、僕は逃げない。
釧灘が回復するまででいい。僕は、負けるわけにはいかないのだ。
どうせ一度は死んだ身である。今ある命を恩人が必要としているのなら、僕はなんの躊躇いもなくそれを差し出せる。
真井さんが話してくれた、釧灘の事情を思い出す。
実力者だったがために妹の記憶の改ざんを命じられ。
親父さんが殺されたことで強制的に当主を継承させられ。
当主らしく強くあれと叱咤されて、釧灘は心を閉ざしてしまった。
身内にも友人にも味方はおらず、彼女は一人で生きることを強いられた。一人で歩むことが当たり前だと錯覚してしまうほどに、釧灘一葉は孤独だった。
だが、今は違う。
僕――八代慎がいる。
釧灘が僕のことを信頼しているかどうかは措いておくとして、少なくとも僕は彼女の役に立ちたいと心から思っている。そして、彼女も僅かながらそれに応えてくれている。
だったら、迷うことはないだろう。
八代慎は決めたのだ、釧灘一葉の支えになると。彼女の傍にい続けると、決めたのだ。
その心構え(プレイスタイル)は、不変的である。
「遊びは終わりよン」
オカマが、僕に告げる。もしかしたら、それは死刑宣告にも等しいものかもしれない。
「……上等だ」
でも、怖いけれど。
やっぱり、どうせ死ぬなら格好良く死にたい。ヒーローになれるような器じゃないし、物語の主人公にすらなれないような僕だけれど。
最期くらいは、女性のために死ぬような二枚目を演じたい。
「アタシの芸術に酔いなさイっ!」
新たに繋ぎ直した死体傀儡が(さっきの一撃で接続が切れたらしい)、今度は一斉に迫る。しかも、その内の数体はアーツを放つ予備動作を取っている。正直言って、同時とか洒落にならない。
アーツの奔流が飛来した。それをなんとか篭手で吸収しながら、間合いに入ってきた死体に向かってアーツの解放――名付けて《排撃》を叩き込む。
そうやって向かってくる死体傀儡を撃破しながら、僕は少しでも前進してオカマとの間合いを詰めようとする。しかし、オカマも本気なようで、立ち位置を変更しながら傀儡を操作しているため、なかなかその距離を縮められないでいた。
まだ、釧灘の回復は完了していない。
(負けられないッ!)
戦いは、熾烈を極める。
3
回復系のアーツで傷を癒している私の視線は、とある幻霊の背中に注がれていた。
もちろん、八代慎である。
先日、私が彼に渡した篭手の執行具【粉砕篭手】を巧みに使って、死体傀儡師相手に善戦している。
そう、善戦しているのだ。
(どういうこと……?)
本来ならば、あり得ないことである。
彼が成長しているのだと納得してしまえばそれまでだが、しかし私にはどうにもそれが腑に落ちない。私を倒した敵とほぼ互角に戦っていることへの負け惜しみではなく、なぜか胸騒ぎにも似た思いを感じるのである。
彼は確かに幽魔との交戦経験がある。下級のみならず、上級幽魔とも戦ったことがある。だが、言ってしまえばそれだけだ。
幻霊という観点から見れば、彼は強いのだろう。しかし、死神という観点から見ると、八代君は非力の部類に入る。アーツもろくに使えないのだから、当然の話だ。
しかし、現実はどうだろう。
その非力なはずの幻霊が、熟練者の死神と善戦しているのだ。これはおかしいと感じるのが妥当である。そしてその疑問は、恐らく死体傀儡師も感じているのだろう。時折焦りの表情を見せているから、間違いないと思う。
(成長速度が尋常じゃない。まさか、八代君は戦いながら成長しているの――?)
戦闘中に強くなるなど、聞いたことがない。どんな実力者でも、地道な訓練の繰り返しによって技術を昇華させるのである。ローマは一日にしてならず。千里の道も一歩から。そういう気の遠くなるような努力を重ねに重ねて初めて、高い実力を得ることが出来る。
最近になって拳法を習い始めたというのは聞いていたけれど、いきなりあそこまで強くなることなど、到底あり得ないことだ。そんな簡単に強くなれるのなら、誰も苦労はしない。
元より戦闘に関する才能があったとしても、あれは人外の成長っぷりである。
こうしてあれこれ考察している今も、彼の動きはより俊敏かつ的確になってきている。敵のアーツを吸収してそれを解放する《排撃》も、回数を重ねる度に解放する力を調節して長期戦に対応させるなんて器用なこともしていた。
(そういえば……)
ふと、私の脳裏をある噂が過った。
――『死神業界に伝わる伝承は、作り話ではない』。
伝承とは、世界最初の死神と世界最初の幻霊のエピソードを神話化したもののことだ。死神とは具体的にどうあるべきかの理想像として書かれた話であり、物語を面白くするために幻霊は死神のパートナーとして活躍する。
伝承の中で世界最初の死神は〝死〟と呼ばれ、世界最初の幻霊は〝死〟と呼ばれている。
その〝デス〟に匹敵する実力者とされる〝タナトス〟の姿と八代君の姿が、どうしてか私にはだぶって見えたのだった。
そして、噂には続きがある。
――『死神の存在に深く関わる事象が発生した時、二つの〝死〟は調停者として現実に君臨する』。
もし、この噂が真実なのだとしたら。
(八代君が――〝タナトス〟……?)
「なにをバカなことを……」
そう、それこそあり得ない話だ。私ともあろう死神が、一体なにを考えているのだろう。噂は噂、所詮は根拠のない作り話である。
しかしそれでは八代君が強くなっている理由が解らないままなのだけれど、私はそれについて考えることを放棄した。解らないものは解らないのだ、考えたって仕方がない。
(それより今は、一刻も早く回復することが先決)
いくら成長していると言っても、勝てるまではいかないだろう。その証拠に、戦況は死体傀儡師が巻き返し始めている。やはり、キャリアが違うのだ。
八代君は、私のために戦ってくれている。
私が理解する事実はそれだけでいい。小難しいことなど、後でゆっくりと考えればいいのだ。
(もう少し……)
私は、さらにエナジーを練って回復速度を上げた。
◇
「おおおっ!」
《排撃》で十七体目の死体を葬り、僕は間合いを開けてオカマの追撃を回避した。
戦闘が始まって数十分といったところだろうか。もう、かなり息が上がってきた。いくら稽古を再開したと言っても、こんな連戦を楽にこなせるほど、僕には持久力がない。
正直言って、寝転びたいぐらいだ。
(まあ、そんなことしたら殺されるけど)
相変わらず、オカマの強さは凄まじかった。奴も疲弊してきてはいるけれど、直接的なダメージは負っていない。
「倒れなさいったらンっ!」
声に僅かな怒気を込めて叫ぶオカマは死体傀儡を操り、三方向から僕を攻め立てる。最初に仕掛けてきた時とは違って、動きは軌道に回避行動やフェイクが織り交ぜられた戦略的なものとなっている。
迫る三体の傀儡が、アーツを放つ動作を取った。しかし、素人の僕にはそこからどんなアーツがどのタイミングで放たれるのかが解らない。泣き言を言っても仕方ないので、死体の動きに集中する。
だが、それがまずかった。
「隙ありよン」
「なっ!」
ヒュンッ、という風切り音が聞こえたと思った直後には、僕は全身を見えない刃で斬り裂かれていた。全身の皮膚を斬られ、周囲に血煙が噴出する。
(痛ッ!)
あまりの激痛に怯んだところを狙われて、今度は背後から爆破系のアーツに襲われた。熱さよりもその純粋な破壊力に、僕の感覚神経が悲鳴を上げる。
爆破の衝撃に強制的に前へと煽られた僕の進路上に待ち受けていたのは、先の三体の傀儡だった。アーツは今にも放たれようとしている。
(ダメだ、躱せない……)
痛みに朦朧とする頭で、僕が死を覚悟した時だった。
ザンッ! という包丁で大根を切ったような音を立てて、三体の傀儡は横一文字に切断された。
斬撃系アーツ――《殊閃斬》。
上級幽魔・シージアスに致命傷を負わせたアーツである。
もちろん、アーツを放ったのは――。
「やっとか……。待たせやがって」
「悪かったわね。いえ、私が謝ることかしら? あなたが勝手に時間稼ぎをすると言ったのであって、私がお願いした覚えはないのだけど」
「お前には優しさって感情がねえのかよ!」
「優しさ? ああ、お店で売ってるのを見たことがあるわね」
「優しさって売ってんのッ? いくらでッ?」
「百五十円くらいだったかしら」
「安ッ! コンビニ弁当よりも安価じゃん!」
だったら買ってこい。そうすれば、もれなく僕の日常が幸福になるだろう。
「生憎と売り切れているのよ、毎日」
「なんてこった!」
誰だ、優しさを衝動買いしているのは! おかげで僕は今日も傷だらけである。
とにかく、今は戦闘中だ。こんなやり取りにかまけている暇はない。
「まあ、その……なんだ。時間稼ぎが出来て良かったよ」
「万全とはいかないけどね。なんとか動けるくらいには回復したわ」
あの短い時間では、その程度が妥当なのだろう。元より、回復系アーツにRPGのような魔法的効果はない。あくまでも、アーツは純粋な技術の結晶である。
(取りあえず、なんとかなるかな)
アーツを存分に振るえるほど回復はしていないが、それでも釧灘が僕よりも遥かに強いことに変わりはない。これで、幾分か戦況が有利になるはずだ。
「さすがに二対一は厄介ネ……」
「形勢逆転だな、オカマ野郎」
言う僕を、しかし釧灘は窘めた。
「気を抜くのはまだ早いわよ、八代君。あいつは――認めたくないけど、今の私よりも強い。たとえこちらが人数で勝っていても、実力差が対等になったわけではないわ」
んー、確かにそれもそうだ。あのオカマはかなりの実力者で熟練者である。怪我が完治しきってない釧灘と弱者たる僕が共闘したところで、大きく優勢になることはないだろう。
「かと言って、負ける気はないけどね」
釧灘は最後にそうつけ加えて、七枝刀を構えた。僕も彼女の隣で拳を握る。
「先に死体傀儡を潰すわよ」
「おう!」
オカマがいかに強者だとは言え、主戦軸となっている死体を全て破壊してしまえば、奴に戦う術はない。急がば回れではないが、オカマを確実に倒せる戦法はこれしかない。
釧灘が駆けた。七枝刀を後ろ手に構えて、一直線にオカマへと向かう。
一見それは作戦違いの行動にも見えるが、しかしこれでいいのだ。僕よりも実力のある釧灘がオカマの方へと迷いなく向かえば、オカマは身を守るために傀儡の大部分を釧灘に回すしかない。
「……っ!」
案の定、オカマは計六体もの傀儡を釧灘に差し向け、彼女の接近を阻止しようとする。
釧灘を止めることに集中し始めたところで、僕の出番だ。
釧灘とは異なり、オカマの側面を取るような軌道で走る。わざとオカマの視界に入るようにすることで、正面と側面を同時に見なければならない状況を意図的に作ったのだ。
横から攻めようとする僕を止めるために、オカマは残った四体の傀儡を僕に向かわせ、牽制を目的としたアーツを放つ。僕はそれを篭手で吸収し、迫る傀儡目掛けて《排撃》。ドンッ! という重い衝撃が音となって空気を振動させた。
一度の《排撃》で三体の傀儡を潰され、オカマは新たに傀儡を補充しようと指を動かした。だがそれは、釧灘が放った《殊閃斬》によって阻止される。
「ンぐぅ……っ!」
低い呻き声を漏らして、オカマは後方に大きく跳躍して間合いを離した。着地した時には、新しい傀儡が接続されている。
「小賢しいマネを……」
最早、おネェ言葉を使う余裕すらないらしい。いや、素に戻るほどに真剣になったということか。
「次、行くわよ」
釧灘が告げて、走り出す。
僕らの見事なコンビネーションは、次もまたその次も傀儡の破壊に成功し、オカマは段々と追い詰められていった。
単に共闘しただけでは実力差は埋まらなかっただろうが、生憎と八代慎と釧灘一葉の付き合いは短くないのである。こうやって肩を並べて一緒に戦うことはまだ二度目だけれど、不思議なことに僕らは互いの行動を自ずと理解出来、まるで昔からそうしてきたかのように戦えたのだった。
「もう、後がないわね」
「ぐ……っ」
気づけば、傀儡はオカマが今繋げている十体で最後だった。オカマの顔には、はっきりと驚愕と焦燥の色が浮かんでいる。
「あ、アタシを殺したところで、【クラウン】の活動に変化はないわヨ」
「ああ、そう」
オカマにそう返して、釧灘は冷淡な眼差しを向ける。
「別に奴らの動きなんてどうでもいい」
彼女の双眸に込められた感情は、怒りか恨みか。僕には窺い知れない。
「私はただ――」
つり目が細められ、宣告する。
「――殺すだけだもの」
それは、明確な敵意表明だった。
自分の人生を狂わせた敵への、宣戦布告。
釧灘一葉はそれだけ言うと、エナジーを練り上げる。アーツを発動する予備動作だ。光の渦が、釧灘の周りで踊り狂う。僕が今まで見たことのない光景だ。繰り出すアーツは、《殊閃斬》ではないらしい。
「これで――終わらせる」
荒れ狂うエナジーを七枝刀に凝縮させて、釧灘が告げた。
◇
「ぐっ、この――っ!」
オカマが十体の死体から、一斉に多種類のアーツを放った。怒涛のごとく飛来するそれらは、まるで映画の大津波みたいだ。
アーツの津波が、私目掛けて一直線に向かってくる。
なんの対策もなくそれを受ければ、釧灘一葉という存在はひどく呆気なく消え去ることだろう。
けれど、今の私は一人じゃない。
動かない私の前に、飛び込むようにして割り込んだ一つの影。それが津波とぶつかった瞬間、アーツの怒涛は霧散するようにしてかき消えた。そして、その影は篭手を前へと向けて《排撃》する。解放された力の奔流がオカマの死体傀儡を吹き飛ばし、盾をなくしたオカマの姿が露わになった。
「走れ、釧灘ッ!」
八代君の声が、私の背中を押す。
今は戦闘中だと言うのに、私の心は躍っていた。楽しいわけでも嬉しいわけでも、はたまた相手を倒せることに歓喜したわけでもない。
なんという気持ちなのか――それは、私自身にも上手く説明出来ないものだった。
「ふふっ」
思わず、小さく笑みが零れる。
死体傀儡師の元へと走りながら、私は八代君と出会った時のことを思い出していた。
初めて彼と会ったのは、もちろん彼を蘇生した時である。
私が最初に見た時の八代君は、トラックに轢かれて死亡した後だった。彼の傍らには妹の双葉が跪き、雨に濡れるのも厭わずに必死に声を掛けていた。
妹の死期が延長されたことを悟った私は、無意識に彼の傍へと歩み寄っていた。
『きゅ、救急車を!』
私の姿を見つけてそう叫ぶ双葉を宥めて、私は妹に記憶操作を施した。八代君が死亡した記憶のみを改ざんし、轢かれそうになったところを助けてくれたという偽りの記憶を植えつけた。八代君の存在自体を双葉の中から消さなかったのは、命の恩人のことを覚えていてほしいという思いからだった。
双葉が去った後、私は八代君を蘇生させた。
幻霊として再び生を得た彼を家まで運び(家族に見られないよう侵入不可・認識不可のアーツ《奄陣》を張った)、ベッドに寝かせた時。
私は――彼に運命を感じた。
素直に認めよう、一目惚れというやつである。まだ目を覚まさずに眠る彼の寝顔に、どうしようもなくやられてしまったのだ。
妹の恩人だからという気負いからではない。それは断言出来る。ではどこが好きなのかと問われれば答えに困るが、好きなものは好きなのだ。それ以外に理由はない。
八代君と行動を共にするようになってから、私はさらに彼を好きになった。他愛ない日常を送る彼を隣で見て(私の席は八代君の隣だ)、この人に恩返しをしたいと強く思うようになった。
恩返し――八代慎を死神に昇格させること。
幻霊には核となる命がないから、殺されない限り永遠を生きてしまう。人によっては不老に憧れたりするけれど、八代君はきっとそれを望まない。友人たちや家族と、共に時間を過ごすことを楽しんでいる八代慎は、幻霊に蘇生した私を多少なりとも恨んでいることだろう。
だから、私は彼を昇格者にしたい。
そして、寿命を取り戻した暁には、彼の日常に帰ってほしいと思っている。彼が笑顔で人生を満喫する未来を、私は願っている。まあ、そうなると私と彼との関係は解消することになるのだが、それはそれだ。私が我慢すればいいだけの話である。
釧灘一葉の幻霊――八代慎。
私のかけがえのない人。
その人とこうして肩を並べていることに、私は高揚しているのかもしれない。
(ああ、そうか)
解った。
私が今抱いている気持ちは、〝幸福〟なんだ。
そう気がついたところで、
「ふふっ」
また笑みが零れてしまった。今度は、幸福からくるものではない。
戦闘中――それも、相手に止めを刺そうという場面で、なにを考えているのだろうと自嘲したのだ。
距離は、近い。
死体傀儡を失くした死体傀儡師が、死への恐怖に顔を引き攣らせている。
「ひっ――」
オカマの口から呼気が漏れる。
間合いが詰まった。
アーツ発動――《轟雷閃》。
私が会得するアーツの中で、最高の破壊力を秘める必殺の一撃。そしてこの斬撃系アーツは、今は亡き父に教えてもらった釧灘家に伝わる奥義でもある。
今の私が持ち得る全てのエナジーを込めたアーツが、七枝刀を媒体にして大気を震わせ両断する。
七枝刀の軌道に光の尾を引き、《轟雷閃》は炸裂した。
ドゴオオォンッ、という落雷にも似た轟音が響く。
死体傀儡師は断末魔の叫びも上げることなく、また細胞一つ残すことなく、圧倒的な一撃によって蒸発した。
戦いが終わった。
エナジーを使い果たしたことによる立ちくらみでよろめいた私は、しかし倒れることなく、がっしりと八代君に抱き止められた。
「お疲れ」
短くそう言う彼に、私はつい恥ずかしくなっていつものように返してしまう。
「別に疲れてなんてないわよ。私を気遣って好感度を上げようとしても無駄だから」
「なっ! そんなこと思ってねえよ!」
「信じられないわね」
「なんでだッ!」
「だって、ちゃっかり抱き止めるふりして胸を触ってるもの」
「おわッ?」
「相変わらず、超ド変態なのね」
……ああ、どうしてこうもっと友好的な会話が出来ないのだろうか。心の中で、ちょっぴり自己嫌悪に陥る。ちなみに、胸を触られていたのは本当である。
(でもまあ、今はこれで……)
今は、これでいい。
今はまだ素直に気持ちを表現出来ないけれど、時間が経てばそれも少しは改善されることだろう。……多分。
「さあ、帰りましょう」
私は先立って歩く。幸せな気分にほころびそうな顔を見られないようにするためだ。
帰って、シャワーを浴びよう。
そんなことを考えながら、私は八代君と一緒に家路についた。