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第二話

― 第二話 ―



   1



「……厄介ね」

 釧灘が、片膝をつきながらそう呟いた。

 僕も傷だらけだ。いくら稽古を再開したからとはいえ、こんな強い幽魔に素手で勝てるわけがない。

 僕らが相手にしている幽魔は、死神業界で上級と呼ばれる個体種だ。全長は三メートルを軽く越え、ゆらゆらとたなびく(たてがみ)を含めれば四メートルに達する。木の幹のように太い四本の肢には鋭い爪が、青い炎を散らす口腔には獰猛な牙が羅列している。

 上級幽魔・シージアス。

 手練の死神でさえ、苦戦すると言われる幽魔らしい。確かに、その見た目は冗談抜きに凶暴で、事実、腕利きの釧灘でさえ四苦八苦するほどに手強い。

 当初の執行内容は大量発生した下級幽魔・スカルの殲滅だったのだが、スカルを全て倒したところにこいつが出てきたのだった。

 獅子の姿を持つシージアスは、その巨躯に似合わず意外と速い。距離があると口から青い炎弾を飛ばしてくるし、近づくと前足で薙いだり太い尻尾を振り回したりする。

 しかし、威力もあってスピードも速いが、その分生じる隙も大きい。苦戦しつつも、なんとかシージアスの右前足を傷つけることには成功した。

「ったく、こちとらまだ日が浅いってのに!」

「バカなの? 弱音吐いてる暇があるなら、突っ込みなさいよ」

「お前は鬼かッ!」

「役に立たないんだから、せめて一矢報いる覚悟を見せなさいよ。せっかくこの私が愚かで惨めで弱い八代君のためを思って主人公的な見せ場を譲ってあげると言っているのに。その気持ちをまさか無碍(むげ)にする気?」

「いやいや、冗談抜きで死ぬって!」

「心配しなくても、骨は埋めてあげるわ」

 埋めるって。

 埋めるってお前。

 拾ってくれねえのかよ。

「仕方ないわね……。じゃあ、これあげるからせめて時間稼いで」

 そう言って投げ渡されたのは(すぐ隣にいるのに投げやがった)、手の甲から手首までを銀色のプレートで覆った篭手だった。掌などの内側は、伸縮性に富んだ動物の革で出来ている。

「対幽魔用の篭手よ。強度と威力は充分なはず」

「お前が僕に執行具(デスサイズ)をくれたことに関してかなりの感謝をするべきなのだろうが、しかし釧灘、なぜこれを最初から渡さなかった!」

 スカル討伐の時からくれていれば、もっと楽に倒せたのに! 拳を痛めながら九死に一生的な思いをした僕の時間を返せ。

「忘れてたのよ」

 悪びれもなくしれっと答え、釧灘は自分の執行具・七枝刀(セブンスウェル)を構え直した。

「次は攻撃重視で攻めるから、奴の注意を引いて」

「……解ったよ」

 釧灘が持つ七枝刀には特性がある。別に彼女の執行具だけでなく、業物の執行具には大抵特性が付与されているそうだ。付加特性は執行具によって様々だが、七枝刀の特性は一言で言うと『能力強化』である。

 視力・聴力・速力・腕力・(武器自体の)威力・治癒力の六つの能力を強化することが出来るのだ。しかし、強化出来る能力は一つだけで、例えば速力と威力を並行して強化することは出来ない。つまりその都度、強化する能力を選択しなければならないのだ。

 持ち手の戦略性に大きく左右する特性なので、到底僕なんかには扱えない代物である。

 まあ、実はあと一つ強化出来る能力があるらしいのだけれど、釧灘は教えてくれなかった。ただ、切り札的なものだということは言っていた気がする。

能力強化(アビリティ・ブースト)、『威力(ストレングス)』!」

 その一声で、七枝刀の威力が強化された。

 物理的な斬れ味もそうだが、特殊攻撃力(アーツ・エフェクト)も大幅に上昇する。

 死神の体内にはエナジーと呼ばれるエネルギー体が存在し、死神はこれを消費してアーツと呼ばれる特殊攻撃を繰り出すことが出来る。エナジーとは一般的な人間でいうスタミナのようなものであるらしく、つまりは死神が行動する際に失われるエネルギー源である。

 まあ、解り易く言えば、『なんか凄いことが出来る不思議成分』といったところか。

 ちなみに、幻霊である僕の中にある疑似的な命も、このエナジーであるらしい。

 理論的には、エナジーを持つ僕もアーツとやらを扱えるはずなのだが、未だに僕はそんな必殺技みたいなのを使えた(ためし)がない。まあ、普通は執行具を介して使うものなので、執行具を持ってなかったのだから仕方ないと言える。こればっかりは、僕の責任じゃない。出し惜しみをしやがったどこぞの死神のせいだ。

 僕は釧灘を援護するために、渡された篭手を装備する。()めてみると意外や意外、手にフィットするし羽毛のように軽い。しかし、甲の部分を覆った銀色のプレートは鉄のように頑丈だ。光を反射する様が美しい。

 そして、不思議と力が漲ってくる。

(これが、執行具……)

 死神が幽魔を屠るための装備。

 幽魔を、殺す武器。

「行くわよ」

 釧灘が疾走を開始した。彼女はシージアスの正面を迂回するような形で走る。奴の死角から有効打を叩くつもりなのだ。

「よしっ、やるか」

 僕の役目は釧灘の時間稼ぎ。彼女がより攻撃し易いように隙を作ることだ。

 今日のようなこんな時のために、僕は稽古を再開したのだ。幽魔を倒すまでとはいかなくても、せめて釧灘一葉の役に立てるように。中学の頃よりも技術は向上しているし、上級幽魔を相手にしても平常心を保てる。

 集中。

 僕は僕の仕事をするだけだ。それだけでいい。深く望むな。やれることだけをやれ。

 僕は釧灘とは対照的に、一直線にシージアスに突っ込んだ。シージアスは視線を僕に向けると、口を開いて四肢を踏ん張った。

(炎弾がくるっ!)

 咄嗟に僕は左へとジャンプ。(すんで)のところで、炎弾を(かわ)す。転がるようにして受け身を取って、視線をさらに釧灘から遠ざける。そのまま、僕はシージアスが彼女に背中を向けるような位置まで孤を描きつつ接近。未だ口腔内に炎を溜める霊獅子の眼前まで来たところで、二発目の炎弾。

 飛来するそれを、僕は殴った。考えもなく、自然と。なんとなく、出来る気がしたのだ。

 篭手が炎弾に触れた瞬間、篭手が爆発した。しかし、僕にはなんのダメージもない。どころか、爆発の余波すら感じなかった。

 炎弾が瞬いて消えた――そんな感じである。

 いや、違う。

(吸収した……?)

 そう、篭手が炎弾の威力を完全に吸収したのだ。理屈がどうとかでなく、感覚的にそれが解った。

 恐らく、これがこの執行具の特性。

 そして――。

(吸収出来るのなら、きっとその逆も可能なはず)

 僕は迷わず、シージアスに駆け寄り。

「おおおっ!」

 力一杯拳を放った。

 振るった拳は狙い通りに顎へと命中し、霊獅子の顎が――爆発した。それは、アスファルトを抉る炎弾の威力と同等の破壊力。

 僕の篭手が、奴の下顎を綺麗に吹き飛ばした。奴は奴自身が持つ攻撃で、自分を傷つけたのである。

 咆哮が響く。

 夕闇に染まる市街地が、霊獅子の悲鳴に震える。

 消えた下顎の辺りから光の粒子を散らしながらも、シージアスは怒りの目で僕を睨んだ。さすがは上級幽魔である。強さも然ることながら、その攻撃意識も並みではない。

 怒り狂った霊獅子が、僕に向かって左前肢を振り上げた。鉄をも容易く切り裂くであろう鋭い爪で、僕をスライスチーズみたいにするつもりのようだ。

 けれども、僕は裂けたチーズにならずに済んだ。

 釧灘一葉である。

 彼女が、霊獅子の背後から強烈な一撃を見舞ったのだった。

 一刀両断。

 僕は、人間よりも大きい存在が刃物で両断されるところを初めて見た。まあ、もしも仮にそのような経験をしたことがある人間がいたのなら、その人は間違いなく病院へと行くべきだろうが。

 しかし、そんなとても現実世界にあり得ないような光景が、そこにはあった。これが、僕の生きる世界の光景である。これから僕は、こういう光景を頻繁に目にすることになるのだろう。むしろ、時期が経てば、僕がその光景を生み出す側になる可能性もなくはない。

 颯爽と現れ、いとも簡単に上級幽魔を屠る僕。

 格好良すぎる。

 まるで、少年漫画の主人公みたいだ。

「やっと片付いたわね」

 七枝刀を自身の影に納めながら、釧灘は疲れたように呟いた。珍しい。腕利きであるところの彼女が、執行務で疲れた様子を見せるなんて今までになかった。それほどに、シージアスと呼称されるあの幽魔は強敵だったということか。そんな敵の下顎を殴り飛ばすなんて、我ながら思い切ったことをしたものである。

「もう出てこないよな……?」

「さっき索敵したけど、近くに反応はなかったわ」

 彼女が言うのだから、心配ないのだろう。

 一件落着。

 今日の仕事終わり。あとは、帰宅するだけだ。

「さ、帰りましょう」

 そう言って、釧灘は辺り一面に掛けた補助系アーツを解除した。

 今の今まで派手な騒ぎを起こしていた僕らであるが、そのことが周囲に漏れることは一切ない。死神も幽魔も人間社会の理から逸脱した事象であるため、死神には機密保持が義務化されているらしい。だから、執行務に臨む際にはこうして補助系のアーツを掛ける。

 幽魔は俗に言う幽霊とか悪霊とかの類であるから、大抵の人には視認不可能なのだけれど、僕みたいな幻霊や釧灘のような死神は一応人間社会に属する類のため、一般人に視認されてしまう。幽魔と戦うことを役目とする僕らが武器を片手に大暴れしているところ(しかも目に見えない幽魔と戦っているせいで、それはさも滑稽に映ることだろう)を見られてしまったら、課せられた義務に反してしまうのだ。それに、アーツまでもが認識されてしまった暁には、ちょっとした騒ぎになる。

 そういった不祥事を避けるべく、死神は執行場所一帯に『あらゆる事象を認知されず、外部から侵入されない』アーツ《奄陣(えんじん)》を施すのである。

 まあ、いくら人に認知されないとは言っても、領域内に踏み入ることを無意識的に拒否させるものなので、例えば一度に大勢の人たちが一部分を避けて動くといったような形で戦闘の残滓が残ってしまい、完全に隠蔽することは無理なのだが。アーツは魔法ではないから、当然と言えば当然のことである。

「それにしても、八代君。初めて人の役に立てたわね。おめでとう」

「僕をまるで役立たずのように言うな。確かにお前の役に立てたのは初めてだけど、こう見えて僕は積極的にボランティアする人なんだよ」

「へぇ。ボランティアって言ってもあれでしょ? ゴミ拾いしてる途中でエッチな本を見つけてつい読んじゃう的な。それで結局全然ゴミ拾わないの。最低ね」

「んなことしてねえよ!」

 まあ、実を言うとボランティアもやったことないのだけれど。てか、想像を事実みたいに言うなよ。僕の好感度が下がるだろうが。

「あなたの好感度なんて、あってないようなものよ。いえ、ないわね」

「なぜ断定ッ? いやいや、あるって! ……あるんだよ、多分!」

「ハッ、めでたい男ね」

 鼻で笑われた。

 同年代女子に、鼻で笑われた。

「自分の存在価値を(わきま)えてない男に好感度なんてあると思う? あなたは多くの人に生かされてるのだから、感謝ぐらいすべきなんじゃない? そしてその額を地面に擦りつけてお願いすべきね。そうしてやっと、あなたの好感度はゼロじゃなくなるわ」

「好感度上げる過程が厳しすぎるッ! そんなんで上がるか!」

「上がる? そんなわけないじゃない。誰が上がるなんて言ったの?」

 ひでえ。最早、毒舌ですらない。

 単なる嫌がらせだ。

「むしろ、下がるわね。たとえ哀れに思われて上がっても、私がマイナスにするし」

 いや、すんなよ。

 僕の好感度に無意味に干渉するな。僕の好感度は僕のものだ。

「言っとくけど、お前の好感度よりは高い自信があるからな!」

 人に毒舌という名の暴力を行使してるのだ。そんな奴の好感度が僕より高いわけがない。一部の特殊な性癖をお持ちの方からは熱い支持を受けるだろうが、それを勘定に入れても勝てる自信がある。

「大丈夫よ。オブラートに包んで発言してるもの」

「あれでッ?」

 とても信じられないことである。オブラートで包むどころか、毒舌が凄まじすぎて破れてるって。剥き出しだって。あんな毒舌を包まなきゃならないオブラートに同情心が湧くぐらいだ。

 てか、もし事実なら、包まれてない毒舌は間違いなく人を殺せるレベルだろう。そしてこれまた間違いなく、最初の死人は僕であろうことは想像に難くない。

「ともかく、身に覚えのないオメデトウなんて言われても嬉しくねえよ」

「ふぅん、不感症なのね」

「僕は女性じゃないし、まだ未経験だ!」

 大人の階段の一段目すら、僕は踏んだことねえよ。もしかすると、永遠に一段目を踏みしめる機会などないかもしれない。僕ってモテないし。リア充なんて爆発しろよ。

「なに言ってるの? 私は『賛辞されることに慣れているのね』という意味合いでの発言だったのだけど。八代君は見た目通りに変態なのね。いえ、レベルが上がって今では超ド変態かしら?」

 ……不名誉なことに、不名誉なランクが上がってしまった。

 僕の気づかない内に、変態度数が上昇してしまった。価値のランクはホコリ以下だってのに。でも、普通はあっちの意味で捉えるって。だって、健全な男子高校生だもの!

 それと、ゴミ拾いの途中にエロ本見つけてサボった挙句、土下座して高感度の上昇をお願いする――そんな人物が実在したら、びっくりするわ。引くなんてもんじゃねえ。

 そいつこそ、本当に存在価値がホコリ以下である。

 念のために明言しておくが、僕は至極真っ当な人間だ。決して右のような人物でなければ、変態でもない。

「違うの?」

「意外そうな顔をするな! 僕が今までお前の前で変態な行為をしたことなんてないだろうがッ!」

「なにを言うのよ。ありすぎて、どこから話せばいいのかも解らないわ」

「くっ、お前のその演技力は称賛に値するぜチクショウ!」

「褒めてもなにも出ないわよ。強いて言うなら、毒舌くらいかしら」

「強いてもなにも、お前の口から毒舌以外の言葉が出てくることなんてないだろうが」

 たええ出てきたとしても、それは次なる毒舌の前置きである。それよかこいつ、毒舌を自分のポテンシャルとして認識してるのか。相変わらず、口撃に躊躇いがない。絶対に結婚出来ないな、こいつ。

「歯をくいしばりなさいバカ野郎っ、レディになんてことを言うのよ。ひどい男ね」

 パシィンッ、と。

 小気味いい音を伴って。

 理不尽に頬を張られた。

 そして折り返しについでと言わんばかりに、裏拳をこめかみに叩き込まれた。

「足元がふらついているけど、どうしたの?」

「自分でやっておいてなんて言い草だ!」

「今のは事故じゃない。腕のストレッチをしたら掠っちゃったのよ」

「ちょっと手を軽く振ったらちょうどいい場所にたまたま僕の頭があったなんて言い訳が通じるかよ! それに、掠ってないからな。ビンタも裏拳もピンポイントだったじゃねえか!」

「照れ隠しよ」

「なにに対してだ!」

 よくもこうポンポンと言い訳が思いつくな。というか、なにかしらの理由があれば僕に口撃していいとでも思ってるのだろうか。……思ってるんだろうな。

 しかし、釧灘がこういった一面を見せるのは僕にだけなので(学校では基本的に無口である)、心を開いてくれているのかと思うと、なんとなく許せてしまう。だからと言って、毒舌はやめてほしいが。

 そんないつも通りのやり取りをしながら、僕らが帰途につこうとした時だった。

「グガアアァッ……」

 背後から、獣の咆哮。

 振り返ると信じられないことに、背中を深く切り裂かれた霊獅子が。

「なんて、しぶとい……」

 ゆっくりとした動きではあるが、むくりと。

「嘘だろ……」

 起き上がってこちらを()めつけていた。その眼差しからは、少しの戦意も失われていなかった。

 これが、上級幽魔。

 想像を絶する攻撃意識である。

「ゴアアアッ!」

 霊獅子は怒りの雄叫びを上げると、自身を両断した釧灘の方へ疾走を開始した。全長四メートルに達する巨躯が、地響きを鳴らして一直線に突っ込んでくる。恐らく、もう炎弾を撃ち出す気力もないのだろう。

 瀕死の状態での、最大の抵抗。

 しかしそれは、必殺の威力を有している。あんな巨体に突進されたら、比喩でなく身体がバラバラになってしまう。

 迫るシージアスに対して釧灘一葉は、しかし回避行動を取ることもなく、立ち尽くしていた。彼女もあの霊獅子同様、かなり疲労しているのだった。それもそうだろう。通常の攻撃では全くダメージを負わせられず、何度もアーツを重ねに重ねてやっとのこと追い込み、最大のエナジーを込めたアーツを用いてようやく倒せたのである。攻撃担当の彼女が、あれだけのエナジーを消費して疲れてないわけがない。

 また責任感の強い彼女にはきっと、逃げるなんて選択肢がないのだろう。一度引き受けた執行務は、たとえどんなハプニングがあろうとも成し遂げる。それが、彼女が腕利きたる所以なのだから。

 けれど。

 だからこそ、死なせるわけにはいかない。

 幻霊だからではなく、これが仕事だからでもなく。

 一人の、男として。

 目の前で大切なものを奪われてたまるか。

「な、なにを!」

 釧灘は驚きの声を上げた。そういえば、こいつの驚いた声なんて初めて聞いたなーなんて呑気なことを考えながら、僕は釧灘と霊獅子の間に立ち塞がった。

 篭手を握り締め、心を引き締めて。

 僕は向かってくる巨大な幽魔に集中する。

 勝算など元よりない。もちろん、死にたいわけでもない。

 ただ、釧灘を死なせるわけにはいかない。僕が、死なせたくないのだ。

 どうせ執行務ではろくに役に立てないのだ。こういう時でしか、僕みたいなちっぽけな存在が格好つけるチャンスはない。

 理由なんて、それだけである。

「ガアアァッ!」

 霊獅子が、迫る。

 その距離、約五メートル。

 近くで見ると、改めてその巨大さに驚く。僅かな骨と肉で辛うじて繋がっている肉体から光の粒子を散らしつつも、未だにその威圧さが衰えることはない。

 以前、執行務の手伝いを始めた頃、釧灘に幽魔のことを教えてもらったことがあった。彼女が言うには、幽魔は外見こそ化物じみているが、その本質は残留した思念体が集合化したものであり、幽魔の行動は核となるより強い残留思念に起因するらしい。だから、同じ種類の幽魔でも、核となる思念が違えばその行動パターンは変化する、と。

 残留思念の集合体。

 この世に思い残すことがあって彷徨ってしまった、逝き場所のない魂。

 なにを思い、なにを求めているのかは解らないが、この上級幽魔もなにかしらの強い思念に突き動かされているのだろう。

 僕としては、その思い残しを叶えて満たしてやりたいと思わなくもないのだが、しかし、そのことによって僕の大切なものが犠牲になるというのなら。

 僕は、全力で。

「阻止してみせるッ!」

 距離は縮まり、眼前。

 霊獅子は自身の巨躯を最大限の速度で加速させ、一つの砲弾と化したその巨体はまっすぐに僕へと激突――しなかった。

「やるな、少年ッ!」

 なんて、横合いから突然。

 場に似つかわしくないさも楽しそうな声と共に放たれた、一陣の斬撃系アーツによって。

「ゴ……アッ…」

 霊獅子は今度こそ、巨体を横に両断された。

 核を断たれた幽魔は光の粒子となって霧散し、その光の奔流のみが慣性の法則に従って僕にぶつかった。別段、それは質量も持たないのでなんの感触もなかったが、不思議と圧倒される光景だった。まるで、光の川みたいだ。

 横から強力なアーツを放ったのは、全身を黒一色でコーディネートした若い男だった。年齢は外見から推測するに、二十代前半といったところだろうか。そんな闇色の男の左手には、服装とは対照的に白く美しい木材で出来た白鞘が握られていた。アーツを放ったのはつい今のことなのに、刀は既に鞘へと納められている。

「いやー、今時こんなにも熱い心意気を秘めた少年がいるとはッ! まだまだ死神業界も捨てたもんじゃないってことか」

 と。

 快活に笑いながら、その男は未だ唖然とする僕と釧灘に向かって気持ちのいいくらいの笑顔でそう言った。

「あなたは……」

 いち早く気を取り直した釧灘が、闇色の男を震える指で指差した。

「え、知り合い?」

「ええ。嫌というほどに知ってるわ。むしろ、この業界で彼を知らない者はモグリね」

 一呼吸置いて、

「彼の名前は真井影統。幻霊の身でありながら数多くの幽魔を討伐し、死神を統括する執行省から〝真臓(エナジーコア)〟を授与された、歴史上唯一の昇格者よ」

 真臓とは死神の力の源――エナジーを生成する器官『臍下(せいか)丹田(たんでん)』を模造したもので、昇格者というのは幻霊から死神へとランクアップした人のことよ、と釧灘は続けた。つまり、この全身黒尽くめの男は幻霊時代に死神ばりの活躍をしたことで、死神になることを正式に許可された人らしい。

 てか、幻霊って死神になれんのか。真臓ってどんな素敵アイテムだよ。

「いやぁ、照れるぜお嬢」

「あなたにそう呼ばれることを許した覚えはないわ。二度と私の前に現れないでと言ったはずだけど?」

「まあまあ、そうツンデレんなって。相変わらず、俺のこと大好きだなー」

「冗談じゃない、虫唾が走る。私は今すぐにでもあなたを葬送したくて仕方ないの。うっかりと手が滑って、七枝刀を抜いちゃうかもしれないから気をつけることね」

「あはははー」

 ………。

 僕は素直を驚愕している。開いた口が塞がらないというか、なんかもう関節とか外れちゃうんじゃないかってほど開きっぱなしである。

 あの、あの釧灘の毒舌を笑顔で受け切る人を、僕は今初めて目にしているのだ! それに、彼女が僕以外の人に口撃の矛先を向けることも初めてである。まあ、普通に考えれば僕だけに向けられる専売特許なわけはないのだけれど、しかし釧灘は学校では無口だし、仲のいい友達もいない。だから、釧灘が僕以外の人と会話しているのはどこか新鮮な感じがする(と言っても、あれを会話と呼んでいいのかは甚だ疑問だ)。

 そうは言っても、黒尽くめの男――真井さんという死神の同業者に出会ったのも初めてのことだ。釧灘は元々そっちの業界人なのだから、仲のいい同業者だっていてもおかしくはない。むしろ、そっちの方が知人は多いのだろう。

 だが、そんな事情を差し引いたとしても、彼女の毒舌もとい言葉の暴力を笑顔で受け切るなんて所業を行える真井影統が、とんでもない人なのは間違いない。凄まじいアーツを軽々使ったり(瀕死だったと言っても上級幽魔を一撃で葬る威力だ。しかも発動が速い)、心を粉々にする釧灘の口撃を意にも介さなかったり、本当何者なんだこの人。

「まあまあ、そうツンケンすんなって」

 釧灘一葉から放たれるアーツ級の暴言の嵐をこれまた清々しい笑顔で止めて、真井影統は黒いロングコートの内ポケットから茶封筒を取り出した。封は厳重に閉じられているので、なにやら重大なものらしい。

「今日はお前に仕事を持ってきたんだ」

 釧灘に封筒を手渡し、真井さんは少し真面目な面持ちで、彼女が封筒の中に入っていた手紙を読み終わるのを待った。

「これって……ッ」

「おうよ。あいつらが動き出した」

 一瞬にして場の空気が変化したのを感じ取った僕であるが、正直なところなにがなにやら解らない。疎外感MAXである。

「詳しくはその指令書に記してある通りだ。いいか、独断で動くなよ。これは最早お前だけの問題じゃないんだからな」

「……言われなくても解ってるわよ」

「だったらいいんだが」

 そんな短い会話を交わして、釧灘は僕の方を向かずに「先に帰っていいわ」とだけ告げると、足早にどこかへと去ってしまった。

 個人的にはなにが起きているのか教えてほしかったのだけれど、どうやら察するに、いつも冷静な彼女が取り乱すほどに深刻なことであるらしい。

 指令書。

 それは、死神の統括機関である執行省からの重要案件が記された封書である。

 つまり、その良からぬ事態は死神業界を揺るがすレベルだということだ。そしてそれは、素人の僕にでさえ二人の会話から読み取れるほどに現在進行形なのだろう。

 きな臭い話になってきた。

 釧灘の幻霊であるところの僕も、無関係ではないのである。僕の意志ではなかったとはいえ、死神業界に片足を突っ込んでいるのだから。

「少年には少しばかし理解出来ない状況だよな。いやぁ、すまんすまん」

 事態が呑み込めないといった顔をしていたのだろう、真井さんが後頭部を掻きながら軽く頭を下げた。僕としたことが、きょとんとした顔を浮かべていたようだ。年上の人に気を遣わせるなんて、情けない話である。風姉に知れたら、説教もんだ。

「ちょうどいい機会だし、少し話をしないか。料理が美味い居酒屋を知ってるんだ」

「え? いや、僕未成年なんですけど……」

「大丈夫大丈夫。所詮、酔っぱらうだけだって」

「いや、それが問題なんじゃ……」

「なぁに、些細なことを気にするな。行っても最悪、アル中になるだけさ」

「行きすぎてますって! 行きすぎて通り越してますって! ってか、未成年にそんなに飲ませる気ですか!」

 この人、間違いなく親戚の子どもとかに飲酒を勧める人だな。「ほら、美味しいジュースだから飲んでごらん」とか言ってそう。

「さあ、行こうか」

「え、ちょ、ちょっと……」

 真井さんは僕の腕をがしりと掴むと、いかにも自然な感じでぐいぐいと引っ張っていく。一応、初対面なんだけど。しかも、まだ出会ってから十分近くしか経ってないんだけど。……どうも、真井さんにはそこらへんの躊躇いとかがないらしい。

 てか、掴まれた腕、全く離れねえ。なんて力してんだ、この人。さすがはプライドの高い釧灘が認めるほどの実力者である。

 んー、痛いとかのレベルじゃなくて、なんかもうこれ僕が幻霊じゃなかったら血とか止まってんじゃねえのかな。腕が痺れてきたんだが。

「わ、解りましたから腕離してください! 自分で歩きますから!」

「あはははー」

 やべえ、この人全然話聞いてないよ。こんなんで、会話とか出来るのだろうか。釧灘が嫌う理由が、ほんの少しだけ解った気がした。出会って十分で解ってしまうほどに、彼は強引だった。



   2



 そんなこんなで、僕は真井さんに連れられて居酒屋にいた。

「少年――八代慎くんだっけか。まさか君みたいな有名人と飲めるとはなぁ」

 いや、誘った(しかも強引に)のはあなたでしょうが。なのに忘れてるって、どんだけだよ。マイペースなんてもんじゃねえ、都合がいいように記憶が改ざんされている。

 それにしても、なんのことだろうか。僕が、有名人?

「ん? なんだ、知らないのか」

 真井さんは僕の問いにそう返して、日本酒をおちょこに注いだ。

「巷じゃ有名人だぜ、八代くん。幽魔と戦う信じ難い幻霊が現れたってな」

「? どういうことですか?」

 真井さんの言葉の意味が解らない。だって、幻霊は蘇生者の死神を手伝うのが役目なのだ。執行務をサポートするのも、幻霊の仕事のはずである。

「バカだな、君は」

 当然の顔で、真井さんは僕の意見を否定した。そのせいで、僕の頭の中は「?」だらけになる。

 呆れ顔で日本酒をくいっと飲むと、真井さんはまた新しく注ぎながら続けた。

「本来、幻霊というのは幽魔と戦う存在じゃない。そもそも、執行務は死神に課せられた役目だ。プライドの高い奴らが、その一端を手伝わさせてくれるはずがない」

 まあ、例外もあるっちゃあるがなと言って、おちょこを口へと運ぶ。

「死神と幻霊の間には、絶対の主従関係が築かれるんだ。幻霊の本当の役割は、主人たる死神に服従すること。それは時に身辺の世話だったり、パシリだったり、性奴隷であったりと――死神によって様々だけどね。まあ俺が知ってる中で、主人と共に幽魔と戦う幻霊なんて、八代くんか死神伝承に出てくる聖女様くらいだよ」

「え、じゃあ、僕がしていることって……」

「実は常識を覆すようなことなんだなぁ、これが。かなりイレギュラーなことだよ」

 有名人とは、つまりそういった意味でのことらしい。

 本来なら服従を誓う存在であるところの幻霊が、主人たる死神の仕事にどういった分際で手を貸しているんだと。下僕は下僕らしくしていろというのが死神業界の常識であり、僕はその常識を根本からひっくり返すような所業をしていたのだ。いつかの屋上で釧灘が言っていた通り、信じたくないことだが幻霊は死神の下僕として認知されているようだ。

 それに、と真井さんは説明を再開した。

「幽魔を倒すための執行具ってあるだろ? 実のところ、幻霊は通常あれを持つことが出来ないんだ。執行具は普通貸与されるものでね。手にするには、まず執行省に申請書を提出して然るべき審査を受けて、初めて許可されるものなんだ。そして、その権利は死神にしかない。当たり前の話さ、執行務は死神の仕事なんだから」

「でも真井さん。僕、執行具持ってますけど……」

「それはお嬢から直接渡されたものだろう? 執行省から貸し渡されたものじゃない。つまり、八代くんが持っている執行具はお嬢の私物ってことさ」

「私物……?」

「おうよ。それにさぁ、それってかなり喜ばしいことなんだぜ? 執行具の個人所有は、名家にしか許されていない権利なんだ。そして、大体そういった個人所有の執行具ってのは、庶民が羨んで止まないような業物のことが多い。ほら、例えばお嬢の七枝刀。あれはお嬢の家に伝わる宝刀でさ、当主の証でもあるんだ」

 執行具・七枝刀。

 釧灘一葉が持つその執行具は、そんなに凄い代物だったのか。

 いや、それよりも、当主の証だって? それって、あの毒舌女王が一家の主ということだよな。スゲーあいつ。しかも、執行具を個人所有しているってことは、釧灘一葉の実家は業界屈指の名家ということか! マジかよ、冗談抜きでお嬢様だったのか。

 それにしても、名家でお嬢様で当主なのに、なぜあんなに言葉が悪いのだろう。お嬢様とかって、英才教育受けて育つものなんじゃねえのかよ。

「お嬢の口が悪いのは、厳しすぎた教育の反動だって噂だ」

 うおいっ、なにしてんだよ。せっかくの教育が教育になってねえ! 反動で毒舌家になるほどの教育ってどんな教育だ。

「こういう言葉は口にしてはダメですよーってのを、重点的に教えていたらしいぜ」

 なんてこった! 完全にそれが裏目に出てんじゃねえか! あいつの毒舌のバリエーションが豊富なのは、間違いなくそのせいだ。教えるなら、ダメじゃない方を重点的に教えろよ。やり方間違えてるって。

「なんでも、一日十時間は教育されてたとか言ってたな。そんで、無駄に長い教育に飽き飽きしたお嬢は、覚えたての言葉で先生をいじめてストレスを発散してたとか」

 んー、なんていうかもう、完全にあいつの毒舌は良かれと思って行われた教育によって培われてんな。言っちゃダメな言葉を実践するチャンス与えてどうすんだよ。覚えたての言葉をつい口にしちゃうほど教育するって、どうかと思うぞ。結果的に、その受験生的な教育はなんのプラスにもなってねえし。だって釧灘が学んだのって、毒舌だけじゃん。

 教育し直してほしいものである。

 釧灘が毒舌以外の会話表現を学ぶためなら、僕は尽力を惜しまない。

「しっかし、それにしてもやっぱり君は凄いな」

 熱燗をもう一本おかわりしながら、真井さんは僕の肩を叩いて言った。

「お嬢と一緒だったとはいえ、あのシージアスを瀕死状態にまで追い込むんだもんなぁ」

「え、それってそんなに凄いことなんですか?」

「ぶっちゃけ、凄いなんてもんじゃないよ。そもそも上級幽魔自体、二人で討伐するような相手じゃないしね」

 ……マジかよ。道理であんなに強かったわけだ。苦戦を強いられたのも頷ける。

「特にシージアスに至っては、普通は腕利きの死神四人ぐらいで戦うような幽魔だぜ? それをたった二人……しかもその内の一人は幻霊だってのに、討伐寸前まで追い込んでんだから、こりゃあまた騒然となるね」

 ………。

 霊獅子こえーッ! マジかよ! 死神四人掛かりが普通って、どんなラスボスだよ! てか、よく死ななかったな僕。知らず知らずの内に、村を救った勇者的な経験してんじゃん。齢十七でこんな経験してる奴なんて、世界中どこ探してもいねえよ。

 しかし、真井さんの言っていることが本当ならば、本当に凄いのは僕ではなく、やはり釧灘ということになるだろう。なぜなら、先の戦いにおいて攻撃を担当していたのは彼女なのだ。シージアスを追い込み、さらには瀕死の重傷を負わせたのも、彼女の実力である。それに比べれば僕など、奴の下顎を殴り飛ばすことしか出来なかった。

 改めて考えると、僕はとんでもない死神の幻霊になったものである。

 けれど、僕がそう言うと真井さんは、

「君はバカだなぁ」

 と、再び僕の言葉を否定した。

「確かにお嬢の強さは化物級だが、彼女は経験豊富なんだぜ? それとは違って八代くんはどうだ? 霊獅子と戦う前は、下級幽魔のスカルとしか交戦経験がないって言うじゃないか。下級に次いで強いとされる中級幽魔と戦わずして上級と戦うなんざ、はっきり言って無謀なことだ。しかも、懐に飛び込んで下顎を殴り飛ばすたぁ、これまた正気の沙汰じゃない。今までにそんなことした奴なんて、死神にだっていないよ」

 だから君は有名人なんだよと続けて、真井さんは枝豆を口に放り込んだ。僕は反応に困って、烏龍茶を飲むことでそれをごまかす。独特の苦みと風味を舌と鼻で味わいながら、サラリーマンで賑わう店内の空気に溶け込めるように身体を弛緩させた。変に固くなっていると、余計に浮くと思ったのだ。

 まあ、僕の(あずか)り知らんところで僕が有名人になってしまったことは措いておくとして、僕の頭の中には一つの疑問がループしていた。先ほどから考えてはいるのだけれど、全く答えが出ない。真井さんなら答えられるだろうか。

「さっき言ってましたたけど」

「ん?」

「幻霊は戦闘要員じゃないんですよね? だったら、どうして釧灘は僕を……幻霊である僕に執行具まで渡して戦わせるんでしょうか」

「あぁ、うん。そうだなぁ……」

 しばし思案して、真井さんは一つの答えを教えてくれた。

「多分……あくまで俺の予想なんだけどね、お嬢は君を俺みたいな存在にしたいんじゃないかな」

「真井さん……みたいに?」

「そう。君は幻霊だろう? で、俺は元幻霊。お嬢が君を蘇生させた経緯を含めて考えると、つまりはそういうことになると思うんだよね」

「僕を蘇生した経緯?」

 なんだろう。そんなに深い理由があったのだろうか。

「あれ? 本人から聞いてないの?」

「はい……」

「あー、でも仕方ないっちゃあ仕方ないか。そんなに楽しいエピソードじゃないし」

 真井さんは「んー、どうしたもんか」と唸りながら数秒思案して、

「まあ、いいか。これから先、お嬢が真実を口にすることもないだろうしね」

 と言って。

 釧灘が僕を蘇生した経緯を、話してくれた。

 以下、その内容。

 釧灘の実家は死神業界有数の名家で、代々執行省の重役を任されるほどの家系だった。彼女の親父さんも、例にならって執行省の重役を務めていたらしい。

 教育こそ厳しいものであったが、家族間の絆は深く、誰もが認める仲のいい家庭だったそうだ。

 釧灘家は死神としての才能をより強力なものにするべく、親族間での交際を義務づけていた。これは、死神の能力が親から子へと継承されることに因り、死神の純血を血族間で頑なに貫くことで、より恵まれた能力を子孫へと継承することが目的だったと言う。解り易く言えば、『死神の力=親が持っていた力と生まれ持った才能を合わせたものが、強さに比例する』ということだ。親から継承したエナジーの総量と自身が生まれ持った才能で、死神としてのスペックが決まるのである。

 だが、この奥の院のようなシステムのせいで、釧灘は悲劇を見る。

 釧灘には三歳離れた妹がいた。

 双葉(ふたば)と名付けられたその妹は、しかし死神としての力を全く受け継いでおらず、エナジーは有しているものの、アーツを振るうような才能は皆無であった。釧灘自身は双葉ちゃんを溺愛していたのだけれど、なんの才能も持たない双葉ちゃんは名家であるところの釧灘家からすると、必要のない存在でしかなかった。しかも子どもはこの姉妹だけであり、このままでは奥の院システムが途絶してしまうという理由から、新たな子どもを作るために、双葉ちゃんは死神とはなんの縁もない人間社会に養子に出されることになった(親族間交際を確実にするため、子どもは二人までと定められているらしい)。

 双葉ちゃんが養子に出されるにあたり、死神の秘匿性を確実にするため、彼女の記憶をアーツを用いて封印することになった。封印……というのは名ばかりで、その実態は記憶の改ざんである。偽りの記憶を双葉ちゃんの中に植えつけるのだ。

 こういったデリケートな作業は相当な実力者でないと不可能なことであり、釧灘家の中で最大の実力者に任されることになったのだが――。

 その実力者というのが、釧灘一葉だったのである。

 彼女は妹とは異なり、一族で最高の能力を持っていたとされる初代当主に匹敵するほどの才能に恵まれていた。

 本来なら喜ばしい事実が、仇となってしまったのだ。

 いくら釧灘でも一族の決定には逆らえず、果たして彼女は双葉ちゃんの記憶を改ざんしたのだった。

 だが、これにて一件落着とはいかない。

 災厄は、いかなる時も立て続けに起こるからこそ災厄なのである。

 執行省の重役たる父親が、死神に殺されたのだ。

 力に溺れ、他人を一方的に攻撃することに快楽を覚える殺人者集団に、自らの存在を死神業界全体へと知らしめるためだけに、彼女の父親は殺された。

 妹の記憶を偽ったことへのショックが癒えぬままに起きてしまったこの悲劇は、釧灘の心を破壊するのに充分すぎる威力を有していた。

 空虚。

 恐らく彼女は、哀しみも悲しみも通り越して、空虚しか感じられなくなってしまったのだろう。この一連の出来事以降、釧灘は人前で笑わなくなったと言う。

 一族最大の実力者として当主の役目を引き受けて。

 独り孤独に幽魔を七枝刀で狩り続けて。

 執行省から授与されるはずの数々の褒章も受け取らず。

 名誉すら拒絶して。

 彼女は――釧灘一葉は心を閉ざしてしまった。

 けれど神という存在は、(ことごと)く残酷な存在であるらしい。これだけ彼女に苦行を強いたというのに、更なる苦行を与えたのだから。

 死神に課せられた執行務には、二つの種類がある。

 ――一つ目は、死期を迎えた命の回収。

 ――二つ目は、幽魔の討伐。

 そして、ここで重要なのは、死神本来の役割は前者であるということだ。

 執行省最奥部には『宣告の眼』と呼ばれるものがあり、この装置で死期を迎える命をリストアップしているらしい。死期というのは普通、命が誕生した瞬間から定められているもので、どんな過程を辿っても基本的には死期に大きな変化はない。同時刻の死期を持った他人との接触により死期が交錯し、運命が歪んでしまうこともあるようだが、これは滅多にないことらしい。ちなみに、幽魔が生まれる原因は後者によって歪んだ死期を迎えた魂にあるそうだ。

 釧灘を襲った最後の悲劇。

 それは、彼女が当主となってからしばらく経った日のことだった。

 『宣告の眼』が、リストアップした命の中に。

 佐倉双葉という。

 とても見知った名前が記されていたのである。

 不幸なことに、その命は釧灘がよく知る人物に相違なかった。

 彼女は苦渋の決断の末、執行省にその命の回収を志願した。佐倉双葉――かつての釧灘双葉をよく知るからこそ、他の死神に任せるわけにはいかなかった。

 そして、あの日。

 この僕、八代慎が人としての人生を終えた日。

 僕の命日に、話は繋がる。

 死期に従い、トラックに轢かれることで命を終わらせるはずだった佐倉双葉の運命は、一人の高校生によって変えられてしまった。同時刻の死期を持っていないにも関わらず、佐倉双葉の死期はどういうわけか延期されたのである。

 死期交錯なしに『宣告の眼』が死期を延長をしたのは、死神業界史上初のことだった。

 けれどまあ、釧灘にとってそんなことはどうでもよかったのだろう。

 だって、実の妹が死ななくて済んだのだから。

 真井さんは、このことで彼女は僕に対してなにかしらの思いがあったからこそ、僕を幻霊として蘇生させたんじゃないかと言った。

「そんで、君に幽魔を死神ばりに倒させることで、俺みたいに幻霊からランクアップさせるつもりなんだろうぜ。死神とは違って幻霊は死なないから、そうでもしないと寿命を取り戻すことは出来ないしな」

 ツンデレのお嬢なりに考えた恩返しってやつさと付け加えて、真井さんは話を締め括った。

 つまり、釧灘は妹の運命を変えた僕を本当の意味で蘇生するために、死神とか幻霊とかの本来の関係を無視して、僕を幽魔と戦わせていたのか。

 なんていうか、スケールのでかいツンデレだな。まあ、これをデレと称していいのかは解らないけれど、プライドの高いあいつのことだからと納得も出来る。

 んー、それにしても、あの時の女子中学生は釧灘の妹だったのか。言われてみれば、確かに目元とか少し似ていた気もする。姉とは違って、優しそうな雰囲気のある子だったな。まったく、妹を見ならってほしいものである。

「お嬢の話題も終わったし、次は八代くんの話を聞きたいね」

「え、僕ですか? ないですよ、面白い話とか別に」

「またまたぁ。モテモテなくせしてよく言うぜー」

「モテたことなんて人生で一度もないですよ……」

「おいおいツレないなー。いつも傍に女子を侍らせてんじゃない」

「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ!」

 ニヤニヤした顔して、なに言ってんだあんた。修学旅行の中学生じゃあるまいし。いい歳して、なんてテンションでなんてトークしてんだ。せっかくのシリアスな回想が台無しである。

「隠しても無駄だぜ? 美人なお姉さんと可憐な妹と、休日ならオハヨウからオヤスミまで一緒なんだろ? 最近はボーイッシュな幼馴染みと仲直りしたみたいだし、お嬢はわざわざ言うまでもなくパートナーだろ? 酒池肉林じゃん! そんな状況でなにも起きてないはずがない!」

「いや、全然ないですよ! てか、後半は目を瞑るとしても、前半のは絶対にあり得ないですから!」

 姉妹にイケナイ想いを抱くなんてのは、フィクションの専売特許である。『姉萌え』や『妹萌え』など、今後一切抱くことのない感情だ。

 それに、あの姉とあの妹だぞ。意見を言ったり説教したりする時、まず最初に手か足が出るような姉妹だぞ。そんな暴力姉妹に対して(よこしま)な感情抱くかよ。むしろ、普通に恐怖しかねえよ。邪な行為した瞬間、僕は間違いなくミンチになる。

 それから、ひたすら中学生トークに花を咲かせた真井さんを約一時間ほど相手して、僕はやっと解放された。身体的な疲労以上に、精神的な疲労が凄まじい。上級幽魔よりも疲れるとか、やっぱりあの人、只者ではない。

 釧灘が苦手とする理由が、より解った気がした。


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