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第一話

これは、私が高校生の時に書いた物語です。

例に漏れず、これも某小説出版社の新人賞用に書き下ろしました。しかし、結果は散々で、一次選考にも通らなかった駄作でございます。


もし、本作のような構成と設定に類似した作品を応募しようとしてらっしゃる読者様がおりましたら、少し御自分の作品を見直してみてください。

本作を、悪い例として参考にして頂ければと思います。

― プロローグ ―



 ――その日、僕は十七歳という若さで人生を終えた。

 考える暇なんてなかった。

 痛みさえも感じなかった。

 在ったのは、ただの浮遊感。

(ああ、死ぬのか)

 漠然と、僕は死の淵でそんなことを考えていた。というより、そんなことしか考えられなかった。

 走馬灯ってどんなものだろうと少し期待したが、別段美しいものではなかった。単に自分の人生を高速再生して眺めているような……そんな感じだった。

 不思議と、僕は素直に死を受け入れていた。

 別に暗い人生を送っていたわけでもないし、人生に悲観していたわけでもない。人並みに夢はあったし、仲のいい友達だっていた。

 それなのに、僕は不条理な運命を恨まなかった。

「―――っ!」

(……?)

 僕の傍で、背の小さい女の子が泣きながら僕になにかを言っているのが、視界の隅に映った。その顔は涙と降りしきる雨に濡れてぐちゃぐちゃだったが、かわいらしい顔立ちをした女の子だ。

「―――っ!」

 聞こえない。この子が一生懸命に何かを僕に伝えようとしているのは解るのだが、大型車に撥ねられた衝撃で壊れた僕の耳には彼女の声は届いていなかった。

(し な な い で ……?)

 唇の動きを見る限りでは、そう言っているようだ。

 その必死さに応えたいとは思うが、いかんせんもう助からない。自分の身体だ、今どのような状態にあるのかぐらい自覚している。肋骨が衝撃で内側に折れて右側の肺に突き刺さっているし、なんの内臓かは解らないが生命活動に重要らしい器官は激しく損傷している。

 間違いようのない確実な重傷。

 確か、周りには大人はいなかったような気がする。目の前の女の子が焦燥に駆られていることからも、それは確かなことだろう。

「―――っ、―――っ」

 ……そろそろ死が近いらしい。

 女の子の焦りようが増したことから、僕は他人事のように思った。多分、僕の瞳は光を失って虚空を見始めていることだろう。

 ああ、段々と視界が暗くなってきた。

 必死に僕に声を掛ける女の子の姿も、血に濡れたアスファルトも、冷たい雨を降らす灰色の空も、もう僕には霞んで見える。

(さむ、いな……)

 寒い。

 死という黒い影が、僕を包む。寒いのはきっと、死そのものの温度なのかなーなんてことを考えている僕は、もしかしたら案外大物なのかもしれない。自分で言っているのが情けないが。

 ――生命の灯が消える寸前。

 僕は、女の子が無事なことに安堵していた。

 自分のことなど二の次にして、そう思った――。




「――なんて、こと」

 近くで知らない女の子の声がする。

「あなたの死期は、まだ先だったのに……」

 その声音は、どこか呆れているようにも聞こえる。

「自らの運命を投げ捨てて、誰かの運命を変えてしまうなんて……」

 独り言のように声は続く。

「なんて、お人好し……バカなの?」

 ……ん? なんでわざわざ言い直したんだ。しかも、言葉が悪くなってるし。

「一体全体、どの分際でそういうことが出来るのかしら?」

 声に段々と怒りが込められる。え、なんで怒ってんの?

「今日はとんだ厄日ね。――あなた、万死に値するわ」

 その怒りの矛先は、誰に向いているのかは言うまでもなく……僕なのだろう。

「私の執行記録に汚点を残した罪は、その身体で払ってもらうわよ」

 え、身体で払うって内臓とかを売買するという意味だろうか。それとも、未成年は視聴してはいけませんっていう大人の娯楽ビデオへ強制的に出演させられるとか、そういうことなのだろうか。どちらにせよ、辞退したい。

 そんなバカなことをぼんやりと考えていたら、閉じている視界を白く眩しい光が埋め尽くした。

 少女の声が聞こえる。

「今日から、あなたは人間をやめる」

 ……人間を、やめる?

「新しく、生まれ変わるの」

 ……生まれ変わるってなんだ?

「詳しい話は、また今度しましょう」

 少女の声が遠ざかる。一面白しか認識出来ない僕の視界には、華麗に身を翻す少女の姿が映っていた。

「それまで――」

 そして、首だけをこちらに向けて彼女は――、

「――覚悟しておきなさいっ、バカ野郎!」

 とんでもない捨てゼリフを吐きやがった。



   ◇



「……」

 目を開ける。窓から差し込んでいる陽光が、質素な部屋を照らしている。

「……は?」

 ――生きている。

 確か僕は、背の小さい女の子を助けた代わりにトラックに撥ねられたはずだ。そして、女の子が必死に僕になにかを叫んでいて……。

「夢、なのか?」

 いやいやいや、あの感覚は間違いなく死だった。あ、別に死んだことがあるわけじゃないから断言は出来んけども。ん? いや、死んでるはずなんだから当たってるのか?

(だぁーっ、わけ解らん!)

 それにしても、とんでもない夢を見た。

 少女(推定:つり目で髪はセミロング、少し痩せ気味だけどスレンダーな肢体が魅力的。胸は控えめ)に、なんだかひどいことを一方的に言われる夢だ。

 今までの人生の中で、女の子に「バカ野郎」なんて言われたのは初めてだな。しかも、嬉しいことにビックリマークつき。いや、全然嬉しくないが。なにが悲しくて、女の子にあんな暴言を吐かれて、喜ばなきゃならんのだ。僕には、『痛み』を快感へとシフト出来るような素敵全開の性癖はない。痛いのは嫌いだ。

「また今度、とか言ってたな……」

 それはつまり、あの〝とんでも少女〟と現実に会う日がくるということなのだろうか。個人的には、あまり喜ばしいことではない。だって、「バカ野郎!」って口にする女子だぞ。「ブタ野郎!」よりもどこか現実味があって、面と向かって言われたら確実に傷つく。

 僕はベットから上半身を起こす。視界に映るのは、もう見慣れた自室。

 間違いない、生きている。

 しかし、

「……あれ?」

 どうやっても昨日の記憶が思い出せない。下校時までの記憶(正確にはトラックに撥ねられたところまで)はあるのだが、それ以降の記憶がすっぽりと抜けている。どうやって家に帰ってきたのか、いつ寝たのかが思い出せない。

「んー、記憶喪失……?」

 いかんな、この歳で痴呆症(ちほうしょう)にはなりたくない。ボケるのは老人になってからでいい。

「んー……」

 必死に記憶を手繰(たぐ)り寄せようと頑張っていると、ドアの向こうからドタドタという足音が響いてきた。そして、そのまま勢いよくドアがバターンッ! と開け放たれる。

「お兄っ、朝だよぉーッ!」

「うお、びっくり……って、あっぶねえ!」

 朝っぱらから元気なのは大変よろしいことだが、妹よ。寝起きの兄に向かってローリングソバットはないだろう。ほら、制服のスカートが風になびいて――フリルの白だった。ついこの前まで、キャラクターがプリントされたパンツを穿いていたと思っていたけれど、中学生になって下着の嗜好が変わったのか。

 娘の成長を微笑ましげに眺める父親のように妹を見ていると、彼女は乱れた髪を片手で直しつつ、上半身を起こしたままの僕を見下ろす。

「とっくに朝ごはんが出来て――って、なんだ。起きてるじゃん」

「せめて、ノックぐらいしろよ」

 お前、僕が寝てたらどうするつもりだったんだ。無防備な相手に蹴りを入れるような子に育ては覚えはないぞ。何事もフェアな精神が大事だ、うん。

 この朝っぱらから鋭い殺人的な蹴りを繰り出してきたのが、妹の(りん)。都内の私立中学に通っている二年生だ。ちなみに、今のような起こし方は、某ライトノベルのキャラクターから学んだらしい。『ヘタレな兄貴に対する妹の接し方』云々、それはもう悟りを啓いた高僧のごとくご高説たれた妹だったが、フィクションに感化されてしまう時点で、兄として彼女の将来が心配である。

「と、に、か、くっ! お姉がイライラしてるから早くした方がいいよ」

「……げっ」

 その瞬間、自分のテンションが急速に下がるのを感じた。朝からあの人に説教されるなんて、一体なんの試練だというのか。

 萎える精神に肩を落としつつ、鈴に急かされるようにして階段を下りると、テーブルには一家の大黒柱が腕を組んで座っていた。

「……お、おはよう」

「ん。……慎、そこに座れ」

 ゴゴゴゴゴッ……という地響きが聞こえてきそうな表情で僕を視線で殺そうとしているのは、姉の(ふう)。かわいらしいのは名前だけで、真実は見ての通り。風は風でも、某テレビ局のお天気お姉さんもびっくりするぐらいの暴風である。顔は綺麗でスタイルもいいのに、勿体ない。僕は彼女こそが、自然界の頂点に立っているのではと密かに考えている。それを証明する数多の伝説の一つを、紹介しよう。

 あれは、僕がまだ幼かった頃だ。クラスメイトにいじめられていた友人を助けるために、この人はいじめっこ軍団相手に一人で大立ち回りを演じ、かすり傷一つ負うことなく勝ってみせたのだ。閑静な住宅街の中にあるのどかな空き地が、クレーターでボコボコになる様を眺めていた僕は、この人には絶対に逆らってはいけないと幼心にも恐怖した記憶がある。

 ――『鬼』。我が家の大黒柱を端的にかつ的確に表現した最高の単語と言えよう。

しかしながら、そんなことを言ったら最後、文字通り僕は今晩の夕食になってしまうので、心の中を読まれないように素直に椅子に座った。

「………」

「どうした、食べないのか?」

 相変わらず僕を威圧する眼差しを向けながら(ふう)(ねえ)が言う。食卓に並んでいるのは、手作りの和食だ。焼き鮭とみそ汁と白米――うん、やっぱり日本人の朝はこれだよな。

 うちには両親がいないので、食事は分担している。風姉は料理ベタ、僕は低血圧で朝はあまり早起き出来ないため、大抵朝食は鈴が作る。ちなみに、僕は夕食の担当。風姉は遅くまで働いているから夕食も作らない。まあ、あのどうやったら作れるのか解らない、一体なんの調味料を使ったのかも不明なスライム状の化学兵器を振舞われたところで、僕も鈴も風姉さえも口に出来ないのだから、仕方のないことである。

「い、いただきます」

 箸で鮭の身をほぐして、口に運ぶ。む、妹よ。また腕を上げたんじゃないか? 塩加減が完璧だ。このしょっぱすぎす薄すぎない絶妙なバランスが最高。和食バンザイ。

 ぱくぱくと食べていると、風姉がさらっと訊いてきた。

「慎、昨日はいつ帰ってきた?」

「へ? いつって……」

 んー、やっぱりそのことだったか。もしかしたら鈴か風姉が知っているかと思ったのだけど、どうやら二人も知らないらしい。ということは、僕は風姉と鈴が寝た後に帰宅したということになる。

 昨日、トラックに撥ねられたのは間違いない。あの時のことは鮮明に覚えている。だが、その死んだはずの僕がなぜこうして朝食を食べていられるのかは、僕自身にも解らないのだ。解らないのだから、説明のしようがない。

『今日から、あなたは人間をやめる』

『新しく生まれ変わるの』

 夢で聞いた少女の言葉はよく解らないが、意味を理解できる範囲で読み取るならば、僕は一度死んでなにか違うモノに生まれ変わった……ということになる。それが具体的になんなのかは不明だが。

「……まあ、いい。夜遊びはほどほどにしておけよ」

「あ、うん。ごめん」

 沈黙する僕に溜息つき、風姉は詮索することをやめて食事を再開した。風姉の推測は勘違いなのだが、今はありがたい。

「あれ、お兄。そんなゆっくりしてていいの?」

 リビングのドアを開けた鈴が、紺色のスクールバックを肩に提げた姿で言う。

「時間、ないんじゃない?」

「いやだって時計の針はまだ――」

 壁に掛かった時計は七時十分を指している。七時半に家を出ればいいので、まだ余裕がある。そんなに急いで学校へ行くほど、僕は青春をエンジョイしていない。

「あ、その時計二十分遅れてるよ? じゃ、いってきまーす」

「ん。気をつけてな」

 って、待ていっ! それじゃあ、バスに間に合わないじゃないか。風姉も知ってたんならもっと早く言おうぜ?

 ――自宅から五キロ離れた学校までダッシュとか、拷問すぎる。



   ◇



 クラスは騒然としていた。

 男女問わず、わいわいがやがや。特に、男子の声がうるさい。

「うおー、マジかよー」

「やっべえって、なあ?」

「すんげーなー。漫画みたいな展開だぜ!」

 ………。

 どうしてこうも盛り上がっているのかというと――。

「あー、ハイ。静かに。転校生を紹介するから静かにしなさい」

 そう、転校生である。

 高校生が盛り上がるイベントは多数あるが、学校行事を除いて一番盛り上がるのはこの『転校生が来たぜイェーイ!』だと断言していい。少なくとも、転校生が来てがっかりするクラスなど全国どこを探してもないだろう。

 しかも、その転校生が女子となれば、クラスはちょっとしたお祭り騒ぎになる。

「転校生の釧灘(くしなだ)一葉(いちは)さんだ。……じゃ、自己紹介して」

 初老の先生に背中を押されて、転校生が一歩前に出る。

 猫っぽい女の子だなーというのが、僕の感想だ。目尻がやや上がり気味で、吊り目というほどではないにしろ、少しだけ鋭さを感じる。大きい瞳と合わさって、野性的な印象のある女の子だ。

 外見もその印象を際立たせており、セミロングに切られた黒髪は毛先が少し外側に向かって跳ねている。あまりオシャレに興味がないのか、髪飾りなどの類は一切なく、その代わりに髪の毛の末端までが丁寧にセットされていて、少年漫画に出てくる気の強い女性キャラのようにワイルドな感じに仕上がっていた。

 短めのスカートから伸びるすらっとした足は学校指定の黒いハイソックスに包まれ、太股は健康感に溢れている。立ち姿がモデルみたいにキマっていた。

 そして、顔。これがまた凄い。目鼻立ちがくっきりとしているからか、どの角度から見てもかわいい。現役アイドルと言われたら誰も疑わないと思う。

 そんな美少女という言葉を体現したかのような転校生は、足を肩幅に開くと両手を腰に当てて、自己紹介を始めた。

「名前は釧灘一葉。趣味とか秘密とか特技とかは教えません。以上」

 ポカーンとしたのは、僕だけじゃないだろう。クラスの全員が、皆一同に口を開けて唖然としていた。「いや、教えないのかよっ!」なんてツッコミを誰もが忘れるほど、彼女の自己紹介は斬新だった。……いくらなんでも斬新すぎるだろう転校生。

 今までの期待を見事に砕いてみせた転校生こと釧灘一葉は、未だ呆然とするクラスメイトをさっと廊下側から窓側に向かって一瞥する。その視線は獲物を狙うかのように鋭く、それまでポカーンとしていたクラスメイトたちは一瞬にして息を吹き返すと、慌てて目を伏せた。

しーんと静まり返るクラスの中、彼女の視線はとある一点で止まった。

 ……というか、僕だった。

「(見つけた)」

 彼女の唇がそう動いたように見えたのは、僕だけだろうか。心なしか、彼女の瞳に歓喜の色が込められた気がしたんだが……。いや、勘違いだろう。うん、勘違いだ。……そう思いたい。転校生に初日から目をつけられるほど、僕はやんちゃ坊主ではない。

 ライオンに狙いを定められた草食動物の気持ちを体感している僕をしばし見つめ、転校生は担任にとんでもない提案をした。

「先生、私の席はあそこがいいと思うのですが?」

 言外に「あそこにしないとどうなるか解ってるわよね?」オーラを放っているのが、僕には見えた。色で表わすと、濃い紫。……って、待て。その席って僕の隣じゃないか。

「え……? あー、はい。いいでしょう」

 いや、いいのかよ担任。僕の隣はたまたま休みなだけだろう! その子の意志を聞くべきだと――こら、転校生。その猛獣が狙いを定めたような目を僕に向けるな。クラスメイトも、その「頑張ってね」的な顔で僕に合掌するな。今から死ぬみたいじゃないか。

 どうやら、担任を含むクラス全体が僕を生贄に選んだらしい。チクショウ、民主主義はどこへ行った。バカンスしている暇があるなら、今の日本をいい方向へと導いてほしいもんだ。

 しかしこの転校生、どこかで見たような気がするんだが――気のせいか?

(気のせい、だよな)

 うん、気のせいだと思う。だって、一度会ってたら忘れないぐらいのインパクトの強さだし。それに、こんな美少女な知人は僕にはいない。

「えー、じゃあ釧灘さんの席は八代君の隣ということで」

 反論しない僕をいいことに、担任は転校生の迫力に負けて要求を受け入れてしまった。この野郎、それでもベテラン教師かよ。教師が生徒(しかも転校生)に気圧されちゃいかんだろう。そんなんだから、大半の生徒に敬語を使われないんだぞ。

「先生、南さんの席はどうするんですか?」

 その通りだ。彼女だって勝手に席を変えられたら嫌だろう。よくぞ言った! さすがは委員長さんだ。きっと、いいお嫁さんになるに違いない。

 けれどそんなごもっともな指摘は、

「ああ、南さんにはあとでお家に連絡しておきますから大丈夫です」

 転校生の睨みに屈した担任に強引に捻じ伏せられた。その声音は、「そうしないと私の命が危ういんです」という思いが伝わってくるほどに切実だった。

 そんな担任を哀れに思ったのか、委員長さんはおとなしく「解りました」と言って引き下がってしまった。くそう、唯一の味方だったのに!

「では、席に着いて。ホームルームを始めます」

 一連の自己紹介を終えた転校生は、まっすぐに戸惑う様子もなく僕の右隣の席に着席した。もちろん、動作に遠慮など欠片も見当たらない。もしかしたら、隣の席だった南さんはこの転校生になにか脅されて今日休みなのでは? と疑うほどにそれは自然だった。

 釧灘さんはクラスメイトの視線を意にも介さず、僕のことをあからさまに見つめてきた。いや、表現が甘いな。『ガン見されている』というのが適切。

「あ、あのー……なにか?」

 僕は我慢出来ずに彼女の方を見る。案の定、猫っぽい吊り目(ライオンのような鋭さを秘めている)をこちらに照準していた。なぜだかその視線は、僕のことを観察しているように思える。だってそうだろう? 上から下まで無遠慮に見られたら、誰だってそう感じる。

 一通り観察し終えたのか、転校生は視線を少し緩めると(それでも充分に威圧的だが)、桜色の端正な唇を開いた。

「どうやら、正常みたいね」

「は……?」

 はて、なんのことだろうか。最近病気になった覚えはないし、情緒不安定なわけでもない。〝正常〟というのはなにを指しているのだろう。

「なるほど、まだ自覚がないわけね……」

「………?」

 んー、わけが解らん。

「昼休みになったら、屋上に来て。そこで話してあげるから」

 僕が理解していないと察したのか、彼女は義務的な感じでそう言うと、僕から視線を外して前を向いた。

 ――ホームルームが、初めて長く感じた。




 そして、昼休み。場所は屋上。

 幸いなことに生徒たちは皆無だった。うちの高校では、よくある漫画やアニメのように屋上で昼食を取る生徒なんてのはあまりいない。なぜなら、この高校――雅丘高校の食堂のメニューはかなり充実しているからだ。安くて美味いことで有名な食堂は生徒たちの財布に優しく、また育ち盛りの高校生の胃袋を満たしてくれる。

 ちなみに、僕はあまり食堂を利用しない。いわゆる、弁当派ってやつだ。昨晩の残り物やら朝食の余りやらを適当に詰め込んで持ってきている。日中は家に誰もいないので、余り物を残しておくと結局誰も食べないでゴミになってしまうのだ。だから、こうして僕が余り物を処理している。うん、僕って偉い。

 そんなわけで、今僕の目の前には転校生・釧灘一葉がいる。

フェンスに体重を預けるようにして寄りかかっている彼女は、屋上から見える笹凪市の街並みを眺めている。

「で、どこまで覚えているの?」

「……なにが?」

「昨日のことに決まってるじゃない。トラックに轢かれたのも忘れたわけ?」

 唐突になにを……って、なんで知ってるんだ?

「当たり前でしょ、バカね。私があなたを蘇生してあげたんだから」

 僕の心中を見透かして、転校生は言う。

「蘇生――ってことは、僕はやっぱりあの時……」

「そ。死んだの」

 僕の驚愕をあっさりと肯定して、彼女はこちらを向いた。目尻の上がった双眸が、まっすぐに僕を射抜く。

「で、死んだ僕を助けたと……?」

「そうよ。あの時もそう言ったじゃない」

 ああ、じゃあやっぱり今朝のは夢じゃなかったのか。ん? ってことは、この転校生は死んだ直後に見たあの〝とんでも少女〟……ということになるのか。言われてみれば、似てなくもない。ホームルームで感じたのは、気のせいでなかったと。

「道理で、初めて会った気がしなかったわけだ……」

「なによ、バカ野郎。その落胆したような声は!」

 そりゃあ、がっかりもするだろう。人のことを「バカ野郎」呼ばわりする女の子が実在して、しかもその少女が転校生で僕の隣の席なのだから。って、また言いやがったな。

「それで? 『人間をやめた』とか『生まれ変わる』とかってのはどういうことなんだ?」

 取りあえず、話の先を促すことにする。夢の少女(転校生)の言った通りなら、今の自分は一体なんなのか、それが一番気になってたんだ。おかげで、授業に全く集中出来なかったんだぞ。次の試験で赤点を取ったらどうしてくれる。

「ふぅん……」

「なんだよ」

「別に。ただ、あまり落ち込まないのね。あなたは死んでいますって宣告されたのに」

「んー、もしかしたら……ぐらいには考えてたからな。むしろ、逆にあれが夢だったって考える方が現実味がないよ」

「そう。意外と理解がいいのね(やっぱりバカなのね)」

 風に吹き上げられそうになった髪を片手で押さえながら、転校生は視線を僕から逸らして空を見上げた。心なしか、その横顔は安堵しているようにも見える。時に、言外になにか聞き捨てならない副音声が混じっていた気がしたんだが。

 正午の青空を流れる雲を目で追いながら、

「ねぇ、幽霊とか魂とか――そういうのは信じる性質(たち)?」

 唐突に、転校生が言葉を発した。その質問の内容に首を傾げながらも、

「え? んー、どうだろう。絶対にいるとは言い切れないけど、やっぱり存在するんじゃないかとは思ってる」

 と、答えた。中途半端な解答な気もするが、僕の正直な認識だ。

「そうね、その認識は正しい。幽霊もいるし、魂もあるわ」

 まあ、あなたは幽霊じゃないけど、と付け足して転校生は続ける。

「魂とは、命の証であり自我の本質を指すもの。そして幽霊というのは、魂が逝き場所を失くして彷徨っている思念体のことを指す。幽霊は、死期をちゃんと迎えた魂からは生まれないの。つまり、なにかの手違いで死期をちゃんと迎えられなかった魂が幽霊になるってわけ」

 ふむふむ。完璧に理解することは出来ないが、なんとなく言っていることのニュアンスは解る。要するに、正しい死期で死ねなかったがゆえに、この世になにか思うところがあって幽霊になってしまうと。

「それで、そういった幽霊を放置しておくと大変なことになるんだけど……まあ、それはまた違う時でいいか」

 個人的には途中で切り上げられたその『大変なこと』というのが凄く気になるんだが、転校生はそのことについて話す気はないらしい。

「で、さっきも言った通りあなたは幽霊じゃない」

「じゃあ、なんなんだよ」

 訊く僕を彼女は横目でちらりと見る。その瞳にどんな感情が込められているのかは、僕には見抜くことが出来なかった。

「死神によって命の理から外された存在――〝幻霊(げんれい)〟と呼ばれているわ」

「幻霊……?」

「そ。通常は幽霊となるはずの魂に疑似的な命を与えることで、死神としての性質を部分的に得た霊体のことよ」

 む、なんか急に話がぶっ飛んだな。軽く人の理解の範疇を越えている気がするんだが。いや、僕の理解力が及ばないわけじゃないぞ。こんなこと、突然言われてもすんなりと「あ、なるほどねー」なんて頷けるか。もしそんな奴がいるのなら、是非とも会ってみたい。

「簡単に言うと、『現実社会に適応した霊体』ってところかしら。外見は人のまま、でもその内面は霊体。人として生活することは出来るけど、生物学的観点から見ると死んでいる……それが今のあなたよ」

 つまり、『生きている霊体』ということらしい。矛盾してるな。

 転校生の話によると、死んでいるからといって肉体が腐ったりすることはないようだ。肉体は今以上に成長せず、生命活動をしていないという意味で死んでいるのであって、決して死体ではないとのこと。

 なるほど、『人間をやめる』とか『生まれ変わる』ってのはこういうことだったのか。けれど、まさかそんな人外なモノになってるなんてな……。なんか、複雑だ。

「へー、なんか意外ととんでもないモノになってたんだな、僕は」

 空を見る転校生とは対照的に僕は笹凪市の街並みを俯瞰する。少し高台にあるってだけなのに、屋上から見下ろせる街並みはジオラマのように感じる。

「でも、どうして僕はその幻霊ってのになったんだ?」

「私がそうしたんだから当然でしょ、バカなの?」

 バカって、お前。いい加減そういう口癖はやめた方がいいぞ。女の子がそんなことを口にすること自体がどうかと――ん? ちょっと待て。私がそうしたからってのはどういうことだ? そもそも、なんでこんなことをスラスラと説明出来るんだ? しかもさっき、死神がどうとかって……。

「そんなの、私が死神だからに決まってるじゃない」

 僕の疑問に呆れるように眉を歪ませて、転校生がさも当たり前のように言った。

「なに、その『ゴメンナサイ、僕ってバカだから解らなかったの。えっへへへー』って顔は」

「……断じてっ、断じてそんな顔はしていなかったと神に誓える! お前の目に僕はどう映ってるんだよ!」

「…………変態?」

「チクショウ! 少し間を開けて出た答えがそれか! がっかりだ!」

「ああ、ごめんなさい。頭に〝ド〟をつけるのを忘れてたわ」

「変態の程度の低さにがっかりしたわけじゃねえよ!」

 そして、これまた断じて僕は変態ではない。念のため。

「ハァ……冗談も通じないなんて、本当にバカ野郎ね」

「人をここまで傷つける冗談を思いつくお前は確かに死神だな! 僕の心はもうズタボロだ」

「別にいいんじゃない? 所詮は牛乳が腐ったような臭いのする程度のものなんだし」

「さらっと僕のガラスのハートを使い古した雑巾と一緒にするな!」

「まあ、それは措いといて」

「措いてかれたーッ! しかも僕のハートは汚物のままかよ! 感激しすぎて涙が出るぜこんチクショウ!」

「なんだ、あなたってド変態でドMだったんだ。そこまで喜ばれるなら、これからも頑張らないとね」

「この野郎、一番拾ってほしくないフレーズに食いつきやがって! この毒舌女王め!」

「今さら気づいたの?」

「真顔で言われたーッ! しかも自覚がある!」

 なんて奴だ。自覚があるってことは、わざとやってるってことじゃないか。性質(たち)が悪いにもほどがあるぞ。

「私がツンデレだって話はそこまでにして。幻霊の役割について教えておくわ」

 お前のどこがツンデレなんだよ! っていうか、そんな話はしてなかったからな! というツッコミは我慢して、転校生の話に耳を傾ける。彼女の表情が打って変わって真剣なものになっていたからだ。まったく、この胸に渦巻くモヤモヤをどうしてくれよう。

「幻霊というのは、端的に言ってしまえば使い魔みたいなものね。主人の死神の手伝いをするのが普通。つまり、下僕的な存在」

「手伝いって、具体的になにをするんだ?」

 最後の言葉は聞かなかったことにして、僕は訊いた。問いに対して彼女は、

「詳しいことは、そうね……明日の放課後にでも教えるわ」

 と、しばし逡巡したあとに告げて、それじゃあね、と屋上からそそくさと去ってしまった。なんてマイペースな奴だ。

 まだチャイムは鳴らない。

 昼休みが終わるまで、まだ数十分はある。

 どうせすることもないので、転校生の話を整理しておこう。

 僕は昨日の学校からの帰宅途中に人としての人生を終えたが、死神・釧灘一葉によって新たに幻霊として生まれ変わった。幻霊とは死神によって疑似的な命を与えられた存在であり、『生きた霊体』である。肉体は成長せず、老いることも劣化することもない。通常、霊体とは不可視のものだが、命という概念があるおかげで外見は全く人と変わらず、しかし生命活動はしていないために生物学的観点から見れば死んでいるというひどく矛盾した存在でもあるようだ。

 そして、忘れてはならないのが死神である。

 一体、どのような仕事をしているのかはまだ解らないが、幻霊は蘇生者の死神の手伝いをするのが通例らしい。

「死神、ねえ……」

 僕の呟きは、青い空に吸い込まれて消える。自分で呟いた言葉が、僕の耳にはひどく現実味のあるものに聞こえていた。

 ――こうして僕は、死神・釧灘一葉の幻霊となったのだった。


 ……そして、自分が弁当を食べるのを忘れていたことを、チャイムと同時に思い出すのだった。



― 第一話 ―



   1



 結果から言うと、死神の仕事というのはとんでもないものだった。それはもう溜息が思わず出るほど現実離れしている。

 正しい死期を迎えなかった思念体が一つに集合化した化物――幽魔(ゆうま)の討伐。

 そんなことを言われても、ピンとこないのは解る。実際、僕だって体験するまでは信じられなかった。

 しかし、真実なのだ。

 荒唐無稽で一見フィクションのようにも思えるそんな仕事が、死神に課せられた使命であり、存在理由――そう彼女が言っていたから、間違いないのだろう。

「まさかここまで役立たずだったとはね……」

 僕の隣をイライラした様子で歩いている釧灘一葉は、さっきからブツブツと愚痴を零している。それも、僕にわざと聞こえるようにしてだ。

(こいつ、本当に性格悪いな……)

「なにか文句が?」

「……ないです」

 キッ! という紙なら切り裂けそうな一睨みで、死神転校生が僕を威圧した。なんで考えてることがこうもバレるのだろうか。もしや、死神であると同時にエスパーなのでは? と僕は密かに疑っている。

 死神の仕事(執行務というらしい)を手伝うようになって一週間が経っていた。

 最初の執行務の時はさすがに異形としか言いようのない幽魔の外見にビビッていた僕だったが、今ではビビることもなくなっていた。ってか、毎日毎日手伝わされ、挙句の果てには丸腰なのに無理やり戦わされていたのだから、嫌でも慣れてしまった。いくら死なない身とはいえ、スパルタにも程がある。

 そんなこんなで、慣れって怖いなーなんて思っている今も、執行務の帰りである。

 今日の仕事は、スカルと呼ばれる下級幽魔の討伐だった。名前の通りの外見を持ち、刃こぼれの激しい両刃の剣を片手に構えているのが特徴だ。スカルは群れで行動する習性があり、ゲームでいうところのやたら数の多いザコキャラに値する。なんか言葉だけだとゲームの話をしているみたいだ。

 本日も毎度の通り、僕はスカルの群れの中に丸腰のまま放り込まれたわけで、素手で殴ることすら出来ずに右往左往していたのだが、死神転校生はそれが気に入らなかったらしい。なので、

「徒手空拳すら使えないなんて、あなたの存在価値は雑草以下ね」

 と、こんな感じでご立腹である。まあ、僕からすればじゃあなにか武器を寄越せよと声を大にして言いたいのだが、先日そう彼女に申し出たところ、

『勿体ないじゃない、バカなの?』

 と一蹴されてしまった。

 通常、幽魔を相手にする時は〝執行具(デスサイズ)〟というなにかしらの武器を用いるのが当たり前なのだが、執行具の借用はとても面倒な申請書類を執行省(死神を統括する機関)に提出しなければならないらしく、皆さんご存じの通りの人格破綻者である釧灘一葉がそんな手間を僕ごときに割いてくれるはずもないわけで、こうして僕は素手のまま幽魔と戦っているのだった。先のセリフの勿体ないというのは、時間が勿体ないでしょの意味なのは言うまでもない。

「あのな、素手であんな化物と渡り合えるわけがないだろうが! あんなのと素手で戦えるのは、仮面ライダーかウルトラマンぐらいだ」

「だったら、なればいいじゃない。この前、私にあれだけ自慢してたんだし」

「してねえよ! この前っていつだ!」

「ほら、一昨日の仕事帰りに言ってたじゃない。『僕が本気を出したら特撮ヒーローみたいになれるんだからね。今はまだ本気を出してないだけなんだから』って。忘れたの?」

「釧灘、ないことをさも本当にありましたって顔で語るのはやめてくれ。ってか、僕はそんな可哀そうな言い訳を口にした覚えはないからな!」

 さすがに僕だってそこまで落ちぶれてない。現実逃避にもほどがあるじゃないか。僕は小学生か。

「なんだ、なれないの?」

「そこでがっかりした顔をするな。僕が全部悪いみたいになるだろ!」

「じゃあ、ただのザコじゃない」

「……く、完全に否定出来ないのが悔しい!」

「哀れね。所詮、あなたの存在がホコリ以下だってことは変わらないのよ」

「ランクが下がってる! 僕の価値が気づかない内に低下している! さては、今の会話が原因か! チクショウ、なんの役にも立たないところが自分に似ているのがなんとも言えない……」

 雑草ならまだしも、ホコリって。

 生きてすらないじゃないか。

「これからあなたのことをゴミ山ゴミ太郎と呼ばせてもらうわ」

「くそう、一文字も合ってない……。毎度のことだけど、お前の毒舌は僕の予想を軽く飛び越して行くよな、マジで!」

「あなたの乏しい想像力で測れるほど、私の毒舌は軽くないのよ。甘く見ないでほしいわね」

「確かにお前の毒舌もとい暴言は、ヘビーなのばっかだよな! 言葉でここまで人をズタボロに出来るなんて僕は思ってもいなかったよ。なあ、言葉の暴力って知ってるか?」

「なにそれ? 食べ物?」

「ツッコミにくいボケかましてきたーッ! お前、僕にどうしてほしいんだよ!」

 孫悟空みたいなこと言いやがって。ってか、顔に似合わず漫画とか読むのな。

「まあ、それは措いといて」

「措いてかれたーッ! またしても会話の途中で措いてかれたーッ!」

 こいつ、本当は単に僕の発言を無視してるんじゃなかろうか。心なしか楽しそうだし。

 最近、こいつと行動を共にして解ったことがいくつかある。

 ご存じの通り、この死神転校生は僕の隣の席を脅迫というシンプルな方法を使って強奪したのだが(それは僕を近くで観察するためだった)、別段楽しくお喋りなんてするはずもなく、むしろ僕らの間には沈黙が多い。しかし、こうして執行務を手伝い、二人で帰途についている時のくだらないやり取りを楽しんでいるのか、学校では絶対に見せることのない笑みをふと浮かべることがあるのだ。まあ、それはお前をズタボロにしてるからだろと言われてしまえばそうかもしれないのだけど、しかし僕はそうではないと最近になって思うようになった。

 暴言に棘がないのである。

 執行務が終わる度に暴言を浴びせられている僕だったが、こうしてあまり精神的ダメージを追っていないところからも、そのことが解るだろう。……いや、僕のメンタルがタフになった可能性も捨てきれないけどさ。

 夕焼けに照らされる並木道を並んで歩く男女の高校生は、きっと他人には恋人のように映っているのだろうか。死神転校生こと釧灘一葉の外見はアイドル級なので、僕としてはこんなかわいい彼女がいたらそれはもう万々歳なのだけれど、現実は残酷というようにその実、釧灘は僕のことなんて恋愛対象として見ていないだろうし、僕だってまだそんな風に彼女を意識していない。いや、まあ、完全に意識していないと言えば嘘になる。けれど、僕が釧灘に対して抱いている感情は少なくとも恋心ではない。

それは、感謝や憧れに近いものだ。

 執行務を体験してみて実感した。見た目が化物なら、強さも化物なのが幽魔である。しかし、釧灘一葉はそんな化物をあっさりと倒してしまう。確かに彼女は【七枝刀(セブンスウェル)】という執行具を使ってはいるけれど、その強さは武器だけのものではない。扱いが難しそうな七枝刀を使いこなす時点で、幽魔を上回る化物なのだ。

 僕もいつか、釧灘一葉のように幽魔を軽く打倒する力が欲しい。

 幽魔――。

 思い残すものがあって現世に囚われた思念体の集合体。

 奴らは世の中全てを憎み、不条理な運命を恨み、人生を謳歌する生者を妬む。負の塊である幽魔はだからこそ、人間を襲う。無差別に、気の向くままに襲う。襲われた人間は魂を引き抜かれ、存在が消える。いなくなってしまう。

 そして幽魔は、楽しく人生を送っている人間を好んで襲う傾向があるらしい。

 僕の周りには、毎日を楽しく過ごしている人で溢れている。

 だから。

 だからこそ、僕は僕を幻霊にしてくれた釧灘一葉に感謝しているし、憧れているのだ。

 風姉や鈴、クラスメイト……皆、僕にとって大切な存在だ。

(護りたい……)

 たとえ、どんなことがあっても。その結果として、見ず知らずの他人が消えてしまうようなことになったとしても、僕は大切なものを護りたい。

(そのためにも、取りあえず手伝いを頑張らないといけないな)

 そう、せめて死神転校生の足を引っ張らないぐらいまでにはならないと。なんてったって、このままじゃ格好悪いし。

 強く、強く。

 今よりもっと強く。

(久しぶりに、あいつの家に顔出すか……)

 僕の脳裏に、元気ハツラツ百二十%の幼馴染みの顔が浮かんだ。ボーイッシュな風貌の賑やか乙女(自分でそう言っていた)。彼女の実家は我流の武術道場である。

(あいつ、元気にしてるかなー)

 中学までは一緒だったが、高校が違うのでぱったりと会わなくなってしまった。携帯電話は高校に入ってから買ったので連絡先も知らなかったし、わざわざ家の電話で話すなんてこともしなかった。てか、普通しないだろ。幼馴染みと家の電話で雑談って、どんな関係だよ。明らかにそれ以上の関係じゃん。

(明日、放課後に寄ってみるか)

 アポなしの訪問だが、仕方あるまい。追い返されるなんてことはないだろう。

 最悪、幼馴染みにブッ飛ばされるだけだ。

 決意を胸に、僕は並木道を歩く。



   2



 案の定、僕はブッ飛ばれた。

 それはもう、派手に。例えるなら、逆流れ星。

 大気圏を越えてしまうんじゃないかというぐらいの見事なアッパーカットだった。

「信じらんないっ!」

 どうやら、僕が今まで一度も連絡を寄越さなかったことにご立腹のようである。でも、だからってアッパーカットはないだろう。僕じゃなかったら死んでたな、間違いなく。幻霊でよかったと実感した瞬間だった。

「いや、悪かったって。てか、怒らなくてもいいだろ。そんなに連絡してほしかったなら、お前からしてくりゃあよかったじゃねえか」

「ばっかじゃないのッ! なんであたしがそんなことしなきゃなんないのよ!」

 意味解らん。自分からするのは嫌なのに、なんで僕が連絡しないのは駄目なんだ。しかも、殴られるし。理不尽にもほどがある。

「そ、そんなのっ、決まってるじゃない!」

 右ストレート、着弾。

 幼馴染みの拳は、僕の心臓をえぐり出すかのように振り抜かれた。ぐえ、痛いな。

「なにすんだッ! ガラスのハートが砕けたらどうする!」

「うっさいっ!」

 一喝された。

 抗議を無視して一喝された。

 ツッコミすらされなかった。

 まさかここまで拒絶されるなんて……泣きそうだ。

(んー、僕が悪いのか?)

 幼馴染みは本気で怒っているらしい。連絡がなかったってだけなのになんでそこまでと思うのだが、目の前で涙目になってわなわなと震えている姿を見せられては、段々と僕が悪かったのかもと思えてくる。ここは男として、頭を下げることにしよう。

「悪かったよ、彩音(あやね)。この通り」

 腰を深く折り曲げて謝罪の意を示す。角度は四十五度なのがポイントだ。この時、気をつけをするのも忘れてはいけない。

 そんな僕の誠意のこもった姿勢にようやく怒りを解いたのか、幼馴染み殿は目に溜まった涙を指で拭った。

「仕方ないから許してあげる。でもっ! 今はケータイもあるんだし、これからは毎日あたしにメールすること!」

 え、なにそれ。強制かよ。

「いいっ?」

「……解ったよ」

 僕の意志は完全無視らしい。なんだか、いじめられてる気分だ。

 けれど、幼馴染みの機嫌は直ったようだった。スキップして家に向かう後ろ姿からも、それは容易に確認出来た。不機嫌になったり上機嫌になったり、忙しい奴だな。

「おう、慎くんか! 久しぶりじゃないか」

 玄関で靴を脱いだところで話し掛けてきたのは、彩音のお祖父さんだ。

 藤間(とうま)國重(くにしげ)

 彩音も習っている武術道場の主だ。確か七十四歳ぐらいだった気がする。だが、その肉体に一切の衰えはなく、まるで老化現象に逆らっているかのようだ。相変わらず、陽気で気さくな笑みが似合う人である。

「どうも、お久しぶりです」

「がははっ、随分見ない内にでかくなったもんだ! おい、母さん。慎くんが来とるぞ」

 國重さん(稽古時代に名前で呼べと仕込まれた)の声を受け、奥の部屋からお祖母さんが出てきた。

「あらあらまあまあ、慎くんよく来たねぇ。しばらくぶりだけど、元気にしてたかい?」

 柔和な笑みを浮かべている喜美代(きみよ)さんは、昼食の支度をしていたようだ。濡れた手を和エプロンで拭きながら、お辞儀して挨拶してくれる。僕もお辞儀を返す。

「お腹空いてるでしょう? 今ちょうどカレーうどんが出来たとこなのよ。食べていきなさい」

「あ、頂きます」

 昼飯を食べてくればよかったと思っていたところだったので、お言葉に甘えることにする。それに、カレーうどんは僕の大好物だ。

 喜美代さんに連れられてリビングへと入ると、室内にはカレーのいい匂いが漂っていた。もう、この匂いだけでよだれが出てくる。食欲をそそるスパイスの香りが、僕の鼻孔をくすぐった。

「さあさあ、伸びない内にどんどんお食べ」

 喜美代さんはそう言うと、どんぶりを僕の目の前に置いた。

 完璧だ。

 このツヤといいとろみ加減といい、まさに匠の業と呼ぶに相応しい。

 じっくりと時間を掛けて煮込まれたカレーは、コシのあるうどんによく絡まり、その絶妙な辛さが僕の味覚を刺激する。

 箸が止まらない。

 なんの用で来たのかも忘れて、僕はひたすらうどんを食べ続けた。

「それで、突然どうしたんだ」

 皆がカレーうどんを食べ終えてから、國重さんは切り出した。そうだった、あまりにもカレーうどんが美味すぎてすっかり忘れていた。

「あー、えっと……」

 コホン、と咳払い。佇まいを正して僕は國重さんに頭を下げた。

「また、僕に武術を教えてください!」

「ほう。これまた突然だな」

 國重さんは、僅かに目を細めて僕を見た。

(そりゃそうだよな)

 中学を卒業してからぱったりと通わなくなったのに、今更また教えてくれなんて言っているのだから。

「虫が良すぎるのは、自分でも自覚しています」

 僕だって、國重さんの立場なら同じ反応をするだろう。

「細かい事情は話せませんけど、どうしても、どうしても力が必要なんです。誰かを護るための力が」

 紆余曲折あって幻霊となったが、基本的な身体能力は生前のままである。いくら武術を習っていた過去があっても、それはせいぜい路上喧嘩で通用するぐらいのものでしかない。真性の化物である幽魔を相手にするには、とてもじゃないが非力すぎる。

 頭を下げ続ける僕を國重さんはしばし無言で見つめ、喜美代さんが淹れた熱いお茶を一口啜ると、僕の頭を上げさせた。

「ふむ、慎くんの周りでどのようなことが起きているのかは解らんが、切実な思いは伝わってきた。……うむ、いいだろう。明日から放課後、道場に来なさい」

 承諾してもらえた。

 これで、僕は強くなれる。その力はきっと微々たるものでしかないのだろうが、しかし、なにもしないよりかはマシだろう。

 明日から、また厳しい稽古が始まる。

 僕は、気を引き締めた。



   ◇



 道場には、覇気が木霊している。

 我流の武術道場ではあるが、以外と門下生は多い。

 その門下生の中に、あたしのよく見知った顔があった。

「はああっ!」

「甘いっ!」

 そいつは、お祖父ちゃんと拳法の組手をしている。

 ――八代慎。

 幼馴染みだ。

 中学を卒業するまでずっと一緒だった人であり、あたしの初恋の人でもある。けれど、あいつの朴念仁っぷりは筋金入りなので、きっとあたしの気持ちなんて微塵も感じていないのだろう。

 だから、一度も連絡してこなかったくせに、ひょっこりと突然家に来た時は心臓が口から飛び出るかと思った。つい照れ隠しにアッパーしてしまったが、あたしの乙女心を弄んだのだから、当然の報いだ。

 ていうか、あたしってあいつにとって放置されるぐらいの存在なのだろうか。

 もしそうなら、ショックどころの話ではない。

 寝込むレベルだ。

(な、なによ。あんなにやる気出しちゃって)

 あいつが稽古を再開してから数日が経つが、中学時代の頃よりも明らかに気合いが違う。それどころか、あたしは今まであいつがあんなに必死なのを見たことがない。

 お祖父ちゃんに頭を下げていた時も感じたが、なにか良くないことに巻き込まれているような気がしてならないのだ(おかげで数日眠れず、すっかり寝不足である)。

 あたしに黙ってなにやってんのよと言いたいのは山々なのだが、あいつは昔から他人に迷惑を掛けないようにと、一人で背負いこむ癖がある。そして、どんなに自分がそのことで苦しんだとしても、決して周囲に弱音や愚痴は零さないのだ。変なところで頑固なのは、間違いなくお姉さん譲りだと思う。

 しかし、久しぶりに会って驚いた。

 格好いい。

 本人には絶対に言えないし言いたくないけれど、昔以上に格好良くなっていたのだ。

 顔立ちや体格もそうだが、雰囲気が違う。

 十代後半の少し大人びた落ち着きのある感じの中に、一緒に遊んでいた頃の子どもっぽい面影が垣間見えるところが、たまらなくいい。

 そんなあいつが稽古で汗をかく姿は、本当にどうしようもなくあたしをドギマギさせる。あいつはイケメンではない。しかし、落ち着きのある雰囲気と愛嬌のある目元や優しげな言動は、あたしの女性的な部分を刺激して止まない。中学の頃も、別にモテていたということはなかったが、気軽に話せる友人として多くのクラスメイトから慕われていた。恋愛経験はないくせに、人を観察して理解することに長けていた幼馴染みは、よく同年代の女子から恋愛相談をされていたらしい。

 当時のあたしがそのことにひどく嫉妬していたのかどうかは措いておくとして、ともかく、あいつは意外に頼れるところもあるのだ。

 あいつのことだから恋愛は今でもしていないだろうけれど、その頼れる性格に助けれた女子はきっと山ほどいることだろう。

 かくいうあたしも、幼馴染みに助けれられたことがある。

 あれは、小学生の時だった。

 あたしは死んだお父さんから貰った誕生日プレゼントをとても大切にしていた(四葉のクローバーのデザインのヘアピンだった)。四葉のクローバーは幸福の象徴。誰もが知っているジンクスだ。もちろん今は信じていないけれど、当時のあたしは純真無垢な小学生。ピュアだったのだ。

そのヘアピンは常に身につけるようにしていたのだが、実家が武術道場で幼いながらも稽古をつけていたあたしは、クラスの男子から「オトコオンナ」と呼ばれてからかわれていた。女子とはいえ、それなりに 武術を習っていたので、当然男子は複数である。

 まあ、殴り合いになれば圧倒的にあたしの方が強いのだけれど、勝てない勝負をするほど男子もバカではなく、複数であたしを囲んでからかうのが常だった。

 そんなある日の放課後、いつものようにからかわれていたあたしは、男子の一人に四葉のクローバーのヘアピンを強引に取られ、教室の窓から投げ捨てられてしまった。

さすがにこれはショックだった。男子たちに仕返しする気力も湧かず、あたしはただ泣き崩れた。大袈裟かもしれないけれど、その時のあたしは絶望に打ちひしがれていたのだ。

 泣くあたしを「ザマアミロ」と笑う男子たち。見て見ぬふりをするクラスメイト。凍りつく教室と時間。

 そんな状況に、飛び込んできたのがあいつだった。

 あいつ――慎はあたしと男子たちの間に割って入ると、激情のままに拳を振るった。

 「謝れよ」と怒りながら、慎は複数相手に大立ち回りを演じてくれた。

 あたしのために本気で怒ってくれた。

 相手は複数だったし、あの時の慎はまだ武術なんて習ってなかったから袋叩きにされていたけれど、決して慎は負けなかった。

 それだけでも充分に格好いいのだが、慎の魅力を語るにはまだ足りない。

 傷だらけ痣だらけになった慎は、男子たちを追い返したあとであたしに「ここで待ってて」と言い残し、教室を飛び出した。

 あたしは言われた通りに待っていたのだが、あまりにも遅いので家に帰ってしまった。

 沈んだあたしを励まそうと、お祖母ちゃんは豪勢な夕食を作ってくれたのだけれど、あたしの気持ちは晴れなかった。

 箸を手に取り、「いただきます」を言おうとした時。

 ピンポーン、とチャイムが鳴った。

 次いで、若い女性の声。

 声は、「八代という者ですが」と名乗った。

 玄関先にいたのは、傷だらけ痣だらけの体をさらに泥だらけにした慎と、同じように黒いカジュアルスーツを泥だらけにしたお姉さんだった。

 それはもう、びっくり。

 こんな時間にどうしたのかと思案顔のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにお姉さんは頭を下げながら、慎の背中を押して促した。

 慎はあたしの前まで歩いてくると、泥がついた右手を差し出した。

 握られていたのは、本物の四葉のクローバー。

 それをあたしに渡しながら、

「こんなのでごめん。暗くてヘアピンは見つけられなかったんだ」

 ――と。

 そう言ったのだ。

 ヘアピンを見つけられなかった慎は、クローバーの生えている公園を探し歩いて四葉のクローバーを代わりに持ってきてくれたのだった。

 この一件以降、あたしと慎は友達になり、いつしか幼馴染みになった。

 ちなみに、慎がくれた四葉のクローバーは親戚のアクセサリー職人の叔父さんに加工してもらった。透明度の高いプラスチックの板に挟まれたクローバーのペンダントは、あたしの一生の宝物である。

 慎はあたしの自慢の幼馴染みであり、あたしのヒーローであり、白馬の王子様なのだ。

 これからも、ずっと。

「なにぼーっっとしてんだ?」

「わひゃっ!」

 突然話し掛けれらて、思わず変な声が出てしまった。

 声を掛けてきたのは慎だ。今さっきまで懐かしの回想をしていたので、まともに顔を見れない。それどころか、鼓動が……鼓動が!

 やばい……ヤバいヤバイやばいYABAIッ!

 自分でも顔が赤くなっているのが解る。恥ずかしいというか照れ臭いというか、もうそこらへんの感情とかがごっちゃになって、あたしの思考はパニックに陥る。

「なんだ? 顔、赤いぞ」

「う、うう……」

 どうしようどうしよう。頭では「冷静にならなきゃ」と思っているのだが、それがどうしてか言葉にならない。口から出たのは、呻き声のようなものだった。

 真っ赤な顔で呻くあたしをなにかの病気と勘違いしたのか、慎は俯くあたしの顔を覗き込むようにして顔を近づけた。

 って、近い近いッ! か、か、顔がッ、顔がッ!

「熱でもあるのか?」

 慎はそのまま、あたしの顔を上げさせると、自分のおでこをあたしのおでこにくっつけた。って、それって普通は女の子がやるやつでしょうが!

「んー、熱はないみたいだな……」

 慎は小首を傾げるようにして、そんなことを言った。当たり前じゃない。顔が赤いのはアンタのせいなんだから!

 しかし、あたしの焦りと動揺と少しの高揚を微塵も感じていない幼馴染みは、

「なんか、拾い食いでもしたのか?」

 と。

 あまりにも予想外かつ信じられないセリフを口にした。

 幸か不幸か、その一言のおかげで冷静に戻ったあたしは、頭の奥の方からブツリとなにかが切れる音を聞いた。

「こんの……」

 言って、右の拳をゆっくりと腰だめに引く。

 そして。

「――万年幼児頭脳がぁっ!」

 音速に達するかのようなキレのあるアッパーを、慎の顎に叩き込んでやった。

「のあーっ!」

 乙女心を弄んだ愚かな幼馴染みは、断末魔を叫びながら空に舞った。

 時折、あいつの朴念仁っぷりに腹が立つ。今時の小学生でさえ、多少の乙女心は感じ取れるというのに、しかし、それが出来ないあいつは幼児並みの頭脳なのだろう。頭がどうとか精神がどうとかではなく、恋愛方面の感受性が皆無なのだ。

「慎のばーか!」


 八代慎、十七歳。

 違う意味で、罪な男である。



   3



 稽古の帰り道。

 僕は釧灘から連絡を受けて、笹凪セントラル駅前に立っていた。どうやら、執行務が入ったようだ。

 まだ稽古を再開したばかりなので中学時代ほどの実力しかないが、泣き言を言っても始まらない。幽魔はこちらの都合に合わせてはくれないのだ。

 しかし、釧灘の告げた内容は僕の予想とは随分と異なったものだった。

「回収業務に行きます」

「なにそれ?」

 聞いたことのない単語である。

「死神の本来の仕事よ。死期を迎えた命を回収しに行くの」

 そういや、正しい死期を迎えずに死んだ魂が集まって幽魔になるとか言ってたっけ。なるほど、今回の仕事はその逆なわけか。正しい死期を迎えた魂を回収する、と。

「僕はてっきり幽魔を狩るのが仕事だと思ってたよ」

「バカなの? いつ私がそんなことを言ったのかしら」

「知らなかっただけで、なんでそんな(さげす)まれなきゃならないんだよ!」

「諦めなさい。それがあなたの存在証明よ」

「僕のアイデンティティを勝手に定義するな」

「心外ね。八代君の存在証明を考えるために、徹夜したんだから」

「時間の無駄遣いにもほどがある!」

 睡眠時間削ってなにしてんだ。どうせ削るなら、もっと有効的に使えよ。

「おかげで寝不足よ。どうしてくれるのかしら?」

「どうもしねえよ。僕に責任を押し付けるな」

「ひどい言い草ね。女の子にとって夜更かしは大敵なのよ」

「僕の知ったことじゃない。お前が自分で夜更かししたんだろうが」

「ええ、ええ。どうせ私が悪いですよーだ。いつも秘め事で夜更かししている八代君にとって、遅くまで起きているなんて日常的だものね」

「また僕の好感度を下げるようなことを言いやがって! 僕は今までに、お前みたいな心が真っ黒な人間に出会ったことはねえよ!」

「じゃあ、私は八代君の初めての人というわけね」

「変な言い方すんなや!」

「事実じゃない。なにを赤くなってるのかしら?」

 確かにそうだが、お前の発言は意図的なものだろうが。この悪女め、僕をいじめてそんなに楽しいか!

「楽しくなんてないわ。せいぜい、お腹が(よじ)れるか思わずスキップしちゃうくらいよ」

「楽しみ度MAXじゃねえか!」

「嘘じゃないって言ってるでしょう。楽しくないのは本当よ」

 なにを言う、この大嘘つきめ。お前はオオカミ少年ならぬ、オオカミ少女だ。シリアスな雰囲気を纏ってない時のお前の言葉は、八割以上が嘘か毒舌と決まっている。

「楽しくないなら、なんなんだ」

「暇潰しね」

 ひでえ。

 聞かなきゃよかった。まだ、楽しんでもらってる方が救いがあるよ!

 そんなやり取りを交わしながらも、僕らは仕事場所に到着した。

 場所は開けた空き地だ。

 中央には積み重ねられたコンクリート製の細長い筒があり、まるでドラえもんに出てくる空き地みたいである。入口から見て右側は生憎とカミナリさんの家ではなく、ビルを建設している途中らしく、工事現場である。

 空き地にはまだ幼い子どもが、一人サッカーをして遊んでいる。

「具体的に、回収業務ってどうするんだ?」

「見てれば解るわ」

 釧灘が、珍しく感情のこもっていない声で答える。なんだろう。毒舌を口にする時でさえ悪意を込めるこいつが、感情を押し殺しているように思えた。

 釧灘の視線は、サッカーに興じている男の子に注がれていた。僕も彼女に倣ってその子を見つめる。

 数分後、隣の釧灘が腕時計を見て「そろそろね」と呟いた。なんのことだか解らなかったが、その答えはすぐに出た。

 釧灘が見ていた男の子が、右側――工事現場の方へと転がっていったサッカーボールを拾いに行った時である。

 ビルの上階に鉄骨を持ち上げていたクレーンのワイヤーが、重さに耐え切れずに途中で切れたのである。

 ブツンッ、と重い音がして、赤さび色の鉄骨は落下した。

 その落下地点と推測される場所には――ボールを手に取った男の子。

「危ないッ!」

 思わず駆け出した僕は、しかし勢いを突然殺され立ち止まる。見れば、釧灘が僕の腕を力一杯に握っていた。

「ダメよ」

 僕がなにか言うよりも早く彼女はそう告げると、腕を握る手にさらに力を込めた。

 轟音。

 上がる土煙。

 そして、地面を濡らす赤い血溜まり。

 男の子が即死するまでの時間の流れが、僕にはストロボ写真のように見えた。

 釧灘が僕の腕を握ってくれていなかったら、僕は腰を抜かしていたかもしれない。

 ………。

 人が死ぬところを、初めて見た。

 男の子は僕の知らない子だったけれど、なぜだろう、僕の心はまるで穴が開いてしまったかのようだ。上手く言葉に出来ない感覚が、僕を支配する。

「時間通り、ね」

 しかし釧灘は、僕とは違って普通に立っていた。彼女のことを知らなければ、なんて冷血な女なんだと思うかもしれない。だが、僕には解った。

 彼女は、我慢している。

「回収業務を始めましょう」

 そう言って、釧灘は指を鳴らした。

 パチンッ、という音が鳴って、その瞬間――時が止まる。

 それを確認してから、釧灘は事故現場に歩み寄った。彼女は未だ僕の腕を握ったままなので、僕も連れられる形となる。

 出来るだけ男の子の惨状を見ないようしていると、釧灘は影から執行具を取り出した。

 七枝刀(セブンスウェル)

 その剣先を、釧灘は男の子の亡骸へと向ける。すると、七枝刀を中心とした大きな円陣が、僕らと男の子の亡骸を囲った。

 その光の輪の中で、釧灘が言葉を紡ぐ。

「あなたは死期を迎えました。釧灘一葉の名を以て、ここに葬送権を発動します」

 光の輪が輝きを増し、男の子の亡骸から燃えるように煌めく球体が出現する。

 それは、人の命。

 男の子の命が七枝刀に触れた瞬間、爆発的な閃光が僕らを照らした。

「永き平穏の眠りを祈ります」

 釧灘がそう締め括ると、光の輪は急速に縮まり、やがて消失した。

 執行具を影へと納めながら、

「安らかにお休み」

 と。

 とても優しい表情で、釧灘は。

 男の子の亡骸に、そう告げた。




 回収業務を終えて、僕らは来た道を戻っている。

 死神の本来の仕事。

 それは、僕が想像していたのよりもずっと過酷なものだった。個人的には、幽魔と戦う討伐業務よりも厳しいものがある。

 しかしながら、考えてみれば当然かもしれない。死神とは、文字通り『死を司る神様』である。彼らの仕事場は生者の住む光ではなく、死者が住まう闇にある。文字にすると一字にしかならない『死』という言葉が内包する意味。その本質を司る死神の仕事が、楽しいものであるはずがない。少年漫画などのフィクションに描かれる死神が、いかに抽象的に描写されているのかを認識すると同時に、僕は腹立たしさを覚えた。

 釧灘が言うには、今回のように死の瞬間を直接目にすることは少ないらしい。どうやら、あの男の子の死期よりも早く現場に着いてしまったことで、死期が訪れるところをたまたま目撃してしまったらしかった。

 でも。

 だとしても、回収業務を行う際には亡骸の傍へと行く必要がある。死期がどのように訪れるのかは様々だが、結局は亡骸を目にすることになるのだ。

あの釧灘でさえ、多分慣れないのだろう。執行務を終えてからしばらく経つが、毒舌の一つも言ってこないのがその証拠である。

 会話のないまま、僕らは駅前に着いた。釧灘とは家の方向が違うので、ここで別れることになる。

 別れる直前、彼女は僕に言った。

「回収業務は、これからもある」

 それは、当然のことだ。幻霊の僕は、死神の彼女の手伝いをするのが役割である。それに、回収業務が死神本来の仕事なのだから、むしろ討伐業務よりも多いだろう。

「慣れろとは言わないわ。でも、今日のような状況になっても、助けようとしてはダメ。私は死神で、あなたは幻霊なの。執行務としてあの場にいるのだから、決して助けてはならない。……回収業務の鉄則よ」

 事実を、彼女は告げる。

 死神として、幻霊(ぼく)にルールを教える。

「命を回収出来るのは私たちだけ。いくら正しい死期を迎えた魂でも、放置していたら幽魔になってしまう可能性があるの。それは、防がなきゃいけないことだから――」

「言いたいことは解ったから……。最後まで言わなくていい」

 僕は彼女の言葉を遮った。

 僕にルールを教えるために、なにも彼女が苦しむ必要はない。言い辛そうに顔を歪める釧灘の顔は、見たくなかった。

 むしろ、僕よりも釧灘の方が辛いはずなのだ。回収業務を実行している本人なのだから、見ていただけの僕なんかよりもずっと精神的なダメージは大きいに決まっている。

 僕は釧灘と別れ、家路についた。

 思い返してみれば、僕が釧灘と行った執行務は全て討伐業務だった。それはつまり、彼女はもう一つの執行務――回収業務を今日まで一人で行ってきたということである。それは、どんなに厳しいことだったろう。何度も経験しているとは言え、今日みたいなことはあまりなかったはずである。

 僕は彼女に掴まれた腕を見下ろした。

 あの時の釧灘は、僕の腕を力一杯握っていた。それは助けに行こうとした僕を引き止めるという意味合いもあったのだろうが、それ以上に彼女自身が精神的な圧迫から逃れるためだったのではなかろうか。

 死期を迎えた命を回収し葬送するのは死神の仕事だが、対象が死ぬ瞬間を見ることは業務内容に含まれていない。

 今回の回収は、きっと彼女にとってもイレギュラーなことだったのだ。

 プライドが高く、他人に弱みを見せない釧灘が、無意識に僕なんかに精神の拠り所を求めてしまったほどに、想定外のことだったのだ。

 彼女は腕利きの死神だけれど、それ以外は普通の女の子なのである。いくらプライドが高いと言えど、たまには挫けそうな時だってあるだろう。

 僕はそんな彼女に蘇生された幻霊で、彼女の横に立つことを許された存在だ。

 だったら、八代慎が為すべきことは明確である。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか家に着いていた。

「あ、おかえりー」

 リビングに入ると、夕食の支度をしていた鈴が首だけをこちらに向けて言った。僕はそれに「ただいま」とだけ返して、階段を上る。部屋着に着替えて階下に下りると(稽古の帰りから直行したので制服だった)、食卓の上には夕食が並んでいた。本来は僕が夕食の担当なのだが、執行務があって遅くなる日はこうして鈴に作ってもらっている。

 メニューは、デミグラスソースの掛かったハンバーグにポテトフライだ。ごはんの横にはみそ汁が置いてあった。

 相変わらず、完璧な料理スキルである。こいつ、いつの間に洋食作れるようになったんだ。

「ほら、食べよ。いただきまーす」

「いただきます」

 ハンバーグを食べてみる。デミグラスソースの濃厚な味が、ハンバーグによく合っていて美味い。ポテトフライもいい感じに揚がっていて、ケチャップではなく岩塩で味付けされていたのが、僕的に最高だった。

 唸るぐらい美味しい夕食を食べ終え、僕と鈴はソファに座ってテレビを見る。食後は基本的にこうしてだらっとテレビを小一時間ほど見るのが、日課となっていた。

 八時を回ったところで、番組がクイズものに変わった。

「お、クイズじゃん」

 鈴が乗り出すようにして言う。放送されているのは、今時珍しく真面目な問題を集めたクイズ番組である。

「あれ、お前ってクイズ得意だったっけ?」

「お兄、私はもう子どもじゃないんだよ? クイズくらい朝飯前だって」

「ふうん……」

 んー、確かこいつ偏差値低かったよな……。テストの点数が悪くて、風姉にこっぴどく怒られている姿が記憶にある気がするのだけれど。でも、言われてみれば最近は叱られてるところを見てない気もする。

 まあ、頭の良さが並みになったのなら、それは兄として喜ばしいことである。

 テレビ画面の中で、司会者が問題を提示した。

 テロップには、『第一問 DVDを略さずに言うとなんでしょう?』と書かれている。

 もちろん、答えは『デジタル・バーサイタル・ディスク』である。真ん中が『ビデオ』ではないのがポイントだ。意外と間違えている人が多いらしい。

「さあ、答えは?」

 僕の急かしに妹は、自信満々に答えた。

「ドメスティック(D)バイオレンスをしたのは(V)誰だ(D)ッ!」

「犯人探しッ?」

 いや、無知にもほどがあるだろう! 誰があいうえお作文を作れと言ったんだ。

 次いでテロップに表示されたのは、『第二問 武道の言葉である〝守破離〟とは、一体どのような意味でしょうか?』というものだ。

 答えは、『師の教えを守り(守)、その教えに自分なりの応用を加えて教えを打ち破り(破)、形に囚われない自由な境地に達する(離)』である。武道だけではなく、スポーツや茶道などにも使われる言葉だ。

 一応、体育会系っぽい妹なのでこれぐらいは知っているだろう。

「お前、僕と同じ中学なんだから解るだろ? ほら、体育館に掲げてあるやつだよ」

「これぐらいは知ってるよー。だって国語の授業で習ったもん」

 鈴は唇を尖らせつつも、今度こそ自信満々に答えた。

「地道に稼いで家族を守り(守)、でもリストラされて自己破産(破)、そのせいで離婚になった(離)!」

「間違ってるけど、変に上手い!」

 悲しいわ! エピソードが悲しすぎるわ! なんでそんな涙を誘うような意味の言葉が体育館に掲げてあんだよ。どう考えてもおかしいだろうが。それよかお前、本当に授業で習ったんだろうな。もし国語の先生がその意味で教えてたのなら、僕はその先生をぶん殴らなきゃ気が済まない。中学生になんて言葉を教えやがる。

 んー、やはり鈴はバカだったようだ。兄ちゃんそろそろ、お前の将来が心配になってきたぞ……。

 次の問題。

『第三問 夏目漱石の著作で、猫の視点から描かれた小説はなんでしょう?』

 サービス問題にもほどがある。これはもう知識というよりか、常識の部類に入る問題だ。むしろ、夏目漱石と言ったらコレ!的な代表作と言えよう。

「吾輩は考える葦である!」

「お前の答えがなしである!」

 なんだよその解答。思わずツッコミも雑になったじゃねえか。『人間は考える葦である』と混ざってるって。夏目漱石が知ったら泣き崩れるわ。

 次の問題。

『第四問 人でないものを人に見立てて表現する技法をなんと言うでしょう?』

 これは、中学生なら知っていないと恥ずかしい知識だ。ラノベといえど活字媒体に触れることを趣味としているのだから、擬人法くらいはさすがに答えてほしい。

 鈴は自信満々に拳を突き上げて――。

「トランスフォーム!」

「映画は確かに人気だったけども!」

 まあ、確かに車が人っぽくなるけどね。鈴、バンブルビーが好きだったもんな。つーか、CGであそこまでリアルにしちゃうんだもんなー。科学技術って本当に凄い。

 次の問題。

『第五問 [ He took the thief ]を和訳すると?』

 英文和訳問題か。僕は英語が苦手だけれど、これぐらいは訳せる。

「彼は泥棒を抱いた!」

「その答えは今すぐ忘れなさい!」

 家に入った泥棒とチョメチョメするとか、一体どこのエロ漫画だ。シチュエーションが斬新すぎる。それにしても、最近の若い女の子は性に早熟だと言われているが、まさか僕の妹までそうなのか? 鈴お前、僕に内緒で彼氏とかいないよなッ?

 次の問題。

『第六問 フランスの作家でロマン主義の父と呼ばれた人物は誰でしょう?』

「ソテー…?」

「美味そうな名前だな」

 惜しいのかもしれないけれど、取りあえず具体的になんのソテーなのかを教えてくれ。

 次の問題。

『第七問 中世から近世初期のヨーロッパで行われた、異端迫害運動のことをなんと言うでしょう?』

「オヤジ狩り!」

「スケール小さッ!」

 国を挙げてなんてことしてんだ。懸命に働くおじさんたちのおかげで、今日も地球は回ってるんだぞ。臭いとかキモイとか言うんじゃない!

 次の問題。

『第八問 一八五四年に、アメリカと締結した日米和親条約の内容を答えなさい』

「お前のものは、オレのもの。オレのものも、オレのもの」

「さすがに、そんなジャイアニズム丸出しじゃねえよ」

 アメリカがそんなこと考えてたんなら、とっくに日本は植民地になってるっつーの。

 次の問題。

『第九問 海上での風の強さを表した段階のことをなんと言うでしょう?』

「ス、超サイヤ人2……?」

「風って風姉のことじゃないからな!」

 お前、今テロップだけ読んで答えたな? 『風』を『ふう』とナチュラルに読んでしまう辺り、風姉の存在がいかに大きいか察するけどさ。でも確かに、風姉は海上や海中でも戦闘力一億二千万はありそうだよな。だってあの人、強さがフリーザみてえだもん。

 次の問題。

『第一○問 ガリレオ・ガリレイが宗教裁判で有罪判決を受けた際、発言したとされる言葉はなんでしょうか?』

「てめぇは俺を怒らせた」

「お前が僕を怒らせた!」

 それは決めゼリフに使う言葉だ。ガリレイさんを裁いた人たちは、ガリレイさんに粉微塵にされたとでも言うのかよ。怖すぎるわ。

 てか、まさか妹がここまでバカだとは思わなかった……。学力が低いとかのレベルじゃねえ、皆無じゃん。お前今までどうやって生きてきたんだよ。

「失礼なこと言わないでよ。確かに私はちょーっとだけバカだけどさ、意外と身振り手振りでなんとかなるもんなんだよ」

「へえー。そんなんで本当に解ってくれるのか?」

「ううん。解らせるんだよ、お兄」

「笑顔で物騒なことを言うな」

 鈴、それは完全にチンピラの発想だぞ。意志が通じなかったら力ずくって、いつの時代の人だお前。てか、身振り手振りで訴える前に、まずちゃんと言葉で会話しような。人類が編み出した画期的なコミュニケーションツールなんだから。

「ジェスチャーでもコミュニケーション取れるよ? ほら」

 言って、鈴は。

 いきなり僕の頬をグーで殴った。

 中学生の妹に、わけも解らずに殴られた。しかしそれ以上にショックだったのは、女子にグーで殴られたという事実の方だ。せめて、ビンタにしてほしかった……。

「ね?」

「お前のジェスチャーは一方的すぎるッ!」

 なにが、「ね?」だよ。かわいらしくウィンクなんてしたって、なんの効果もねえよ。つーか、中学生女子のパンチ力を遥かに越えてるのはどういうことなんだ。顎の関節が綺麗さっぱりなくなったかと思ったわ。

「お兄。女の子にはね、拳で語り合う時があるんだよ」

「いや、あってたまるか! 十七年生きてきたけど、そんなシーンを目にしたことなんて一度たりともねえよ!」

 もし、仮にお前の言っていることが真実だとしたら、シュールすぎるわ。グーで本気で殴り合っている中学生女子とか、少年漫画にすら出てこないって! 学校生活にスパイスが効きすぎだろうが。

「心配いらないって。私は青春をエンジョイしてるだけなんだから」

「ハッ、お前の心配なんざ、生まれてこの――肩が砕けるーッ!」

「痛みは気のせいだよ、お兄」

「関節技掛けてる本人が言うセリフじゃねえ!」

 なんて奴だ。実の兄に笑顔で関節技掛けるとか、もう思考パターンが完全にジャイアンだ。風姉より性質悪いっつーの。それに、日常的に殴り合うのを青春とは言わない。

 言うなればそれは、赤春だ……って、全然上手く言えてないな。きっと、肩関節の痛みのせいに違いない。

 たとえ、黒い制服がさらに返り血で色濃くなるような地獄絵図と称すべきスクールライフがあったとしても、そんなもんを心行くまでエンジョイすんじゃねえよ。八代家はお前を最終兵器にするつもりはない。

 そんなこんなで、やっとのこと見事なダブルリストロックから兄を解放した妹は、

「……良かった」

 と笑みを浮かべた。

「それは関節技が期待通りの結果を生んだことに対する喜びかッ?」

「もう、違うよ」

 僕の抗議に首を振る鈴。その表情は安堵しているように見える。

「お兄が帰ってきた時、この世の終わりだーって顔してたからさ」

「………」

「でも、よかった。お兄は、いつものお兄だった」

 どうやら鈴は、僕のことを気遣ってくれていたようである。妹に心配をさせてしまうほどに、僕は暗い顔をしていたらしい。まあ、関節技を掛けるのはやりすぎだけどな。

「たった三人の家族なんだからさ、あんまし心配掛けないでよね?」

「……解ってる。ごめんな」

 解ればいいのだー、と鈴は破顔した。その笑顔を見て、僕はふと思った。

 そう言えば、鈴の珍解答にツッコミを入れてから、僕の心を鬱に染めていたものはすっかり消失していた。妹の言う通り、いつの間にか普段の僕に戻っている。

 我が家。

 そして、家族。

 ――僕の帰る場所。

 そうだ。僕には帰ってくる場所がある。

 僕が死んで、生き返っても。

 人間じゃなくて、幻霊になっても。

 その事実を知らないとはいえ、僕にはこうして帰ってくる場所があるじゃないか。

 しかし、釧灘一葉はどうだろう。

 僕はあいつの家に行ったことがないけれど、彼女自身の口から家族の話や日常生活の話を聞いたことがない。さすがに家族がいないってことはないだろうが、一緒に暮らしているとも限らない。

 もしかすると。

 違っていたら失礼だけれど。

(あいつ、帰る場所がないのかな)

 精神的に休まる場所が、釧灘一葉にはないのではなかろうか。

 今の僕みたいに、前を向くことが出来るきかっけとなった心の安らぎが。

 それは、訊いてみないと解らないことだが。

 でも僕には、どうしてかその推測は当たっているように思えた。

 だったら僕は――

(彼女――釧灘一葉の支えになりたい)

 そんなこと言えば間違いなく嫌がられるだろうが、僕がそうなりたいのである。

 自分勝手なことだけれど。

 心から強く、そう思った。


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