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――何から話そうかしらね? うーん。ま、順を追って話すわ。翔子も翔もあの小説読んだから大体のこの国の歴史、知ってるわよね? そう、間違いなく私がその当時精霊姫だったリィンよ。そしてあなた達の父親があの騎士様……アルゼル・クランベルグ。先の大戦のさなか出合って、恋して、叶って。でも戦後の処理でなかなか結婚を公にするタイミングがなかったの。
――あはは、そうそう! あの小説はホント私たちの事なのよねー。私の侍女をしてた子がドイツから召喚されてきた人と結婚して、彼と一緒にドイツに戻ったのよ。で、物語を書いたってワケ。
なかなか良く書けていたわー。物語の中での私、とっても純情っ! 可愛いっ! 最高ー!
……何よ。いいじゃない多少の脚色あったって。腹黒上等よ。
――それから……あれはジェネシズ君が三歳の頃だったかしら? 私のお腹に、生命が宿っているのを気付いたの。アルゼルと二人でそりゃあ喜んだわ! 私達の愛の結晶ですもの。大戦中と戦後処理のストレスでなかなか子供できずに悩んでたから、より一層! これを期に結婚を公にして、と具体的に話を進めていたのだけれど……
私気付いちゃったのよ。
徐々に精霊を使役する力が弱まっている事に。
――その頃のタチアナは、それはそれは荒れていて。闇の力は……そうね、王がジェネシズの母親であるティミルに手をつけた辺りから侵食されてたようね。負の感情に囚われた者が闇に憑かれやすいのよ。
アルゼルと相談して、私は異世界へと行くことにしたの。今のままここにいても、精霊と繋がっていられない上に、それによって王座に影響を及ぼしこの国を荒れさせてしまう危険を回避する為。
――精霊達を解放したのち、闇の手の及ばぬ異世界へ。
*****
「もっとやりようがあったのかも知れないわ。でもあの時の私達に出来たのは、異世界へと逃げるだけだった……。あんた達を産みたかったし」
「双子ってのはびっくりだったけどね」と、母親は一方的に喋り続け、喉の渇きを潤すように一気にカップに残ったお茶を流し込んだ。
私は、話を聞きながら徐々に頭の中にあった霧が晴れていくような気がしていた。
だから、父親の存在がなかったんだ。
だから、親戚もいなかったんだ。
だから、母親は一日中働いていたんだ――と。
「最初は異世界に着いて怖かった。全然文化違いすぎるんだもん。でもさ、先に異世界トリップしてる人が何人かいるの知ってたから、なんとか連絡とって助けてもらって。お陰で安心して出産できたわ。今やってる仕事も、その人達の紹介なのよ?」
その笑顔の裏には、歴史が刻まれている。妊娠しながら一人で異世界に来て、右も左も分からぬなか出産に望み、仕事をして。辛くないわけが無いのに、どうしてこう笑っていられるのか。そう聞くと「過ぎてしまえば、辛い事も思い出に変わるのよ」と。
確かにそう……かも。
常に母親がいない状態の日常。翔と二人きり。何をするにも二人きり。正直辛いと思ったこともあった。いない母親を恋しく思ったり、生存すら不明の父親を想像してみたり。
だけど成長するにつれ、深く傷ついた心は時間をかけて徐々に痛みが引いていった。
「でね? 私は異世界に渡る時に指輪を置いてきたの。そう、その今翔子が手にしているヤツ。必要な時に一度だけ……戻れる座標になってたの。私が大戦中ずっと身につけていたものなのよ?」
懐かしそうに私から指輪を受け取り、そっと指に嵌めた。
「じゃ、翔子の話聞かせてよ。まずこっちに来たとき、誰の所に落ちたの?」
母親の独白を聞いて沈んだ気持ちになっていた私に、その質問は唐突過ぎて意図をはかる間もなく即座に「ジェネだけど?」と答え、それが何か? と不審に思っていたら、母親は大きく頷きニッコリと笑った。
「そっか、翔が言った通りね!」
「何がよ?」
胡乱げな視線を送る私に、母親は私の胸の中心をトンと指で突き、「運命の人っ」と私の顔を覗き込むように見つめた。
「う、運命っ?」
「そ。私が出会った全てのトリップ経験者は、皆こっちに来た時落ちた相手と結ばれてるのよ? 赤い糸でもあるのかしらねー?」
えええっ? 聞いてないよそんな話! そんなこと翔ったら一言も出さなかったよねっ? うろたえる私に、母親はコロコロ笑った。
「なんだ知らなかったのね? まあいいじゃない。ジェネシズ君の事、翔子好きなんでしょう?」
「うっ……」
しかし母親に否定した所ですぐバレるに決まっている。顔に血が上りながら辛うじて頷いてみせた。それを少し目を細め、満足そうに母親は私を抱き締めた。
「もっとその事について話したいんだけどね? ちょっと私も顔出しに行かなきゃいけないわ」
「行かなきゃって……! ねえお母さん、私も行く。行かせて!」
実は父親であった団長と、翔、ジェネがいる場所に母親が行くという。宰相との対決の場。ついて行きたいと強く訴えたけれど、「駄目」と即座に却下された。
「どうして? 私もなにか力になりたいの!」
「ねえ翔子、こっちの世界に先に翔が来た理由分かる?
――それはね、翔が高校に入学したばかりの頃だった。私がつい最近この世界から戻ってきた人と話す機会があってね? ……度重なる諍いや乱れる世界情勢に居ても立ってもいられなくなって、翔に事情を話したの。
翔と翔子に尋常ではない『力』が備わっているのは分かっていたから、レーンに行って父親であるアルゼルを手伝って欲しかったの。でも、翔が……
『ダメだよ、ねーちゃんに行かせるなら僕が! 僕が頑張るから、ねーちゃんはまだっ……』
って言ってね。あの子、姉に残虐さや人の心の淀みを見せたくなかったのよ。翔なりに守ろうとしてたんだわ。そして単身向かう事になったんだけど――
……あの子があんな『チート』だとは思わなかったわ」
半ば呆れたように呟く母親を、私はじっと見ていた。
――翔から、私は守られていた、の?
小さい頃からずっと『姉』だからと守っていたつもりが、守られていた。
私、一人で立っていた気になっていたけれど、ふと周りを見回せば色々な支えがあってこそだったんだ。
じわりと心がほぐれていく。
私の中の最後の枷が、カチリと外れた音が聞こえた。
「うん、わかった、待ってる。……でも何か私に出来ること、ないかな?」
それを聞いた母親は、私の手を両手でギュッと握った。
「あのねっ……! おかーさん、翔子の料理食べたいのっ! お酒に合うやつ!」
うわぁ……飲むつもりだこの人。
「う、うん分かったわ。お母さんに作るの久し振りだから頑張るね」
「でね、私アルゼルと会うのも久し振りだし、とにかく皆で宴会したいなって思うんだわ。多分そんなに時間がかからず例の件は片付くでしょう。気分悪いまま次の日に引っ張りたくないし、もう大勢集まって宴会! もー、近衛だろうが誰だろうが大勢! だからその指揮とってね?」
「ちょっ! 話大きくなってきてない? 私の気のせい?」
「まあいいじゃない」
「よくなーいっ!」
そして母親は王太后の部屋の机に向かい、引き出しから紙を取り出し羽ペンの先をインク壷に突っ込んでサラサラッと何かを書き付けた。
「はいっ、これ近衛騎士団の厨房の責任者に見せなさい。――分かるかしら?」
ええ勿論。充分存じ上げております。
こちらの文字で書いてあるから私は全く読めないけれど、母親が言うには私に全権預けてあるから命令に従いなさい、と記したらしい。
そして、精霊の力をバリバリ使え、と……
じ、自信ないなあ。
でも私がやれるといえば料理だけだ。沢山美味しい物を作って、喜んでもらえるのならいいな。
「じゃっ、よろしくー」
と言うなり、母親は勝手知ったる王城をカツカツとパンプスのヒールを慣らして歩いていった。
――カバンとレジ袋に入ったゴミを置いて。
ちょっと、コレ忘れ物ー!