1 母の歴史
「まあザックリ説明するわ。お茶淹れてよ」
柔らかな布張りのソファにゆったりと腰を下ろし、まるで自分の部屋みたいに振舞うお母さん…… ちなみに王太后様は、意識が戻らずベッドに寝かされていた。
すうすうと、規則正しく呼吸がなされている。寝顔を見るとあの負に歪んだ表情は消えて、それこそ憑き物の落ちたような安らかな顔だった。私がした事、これでよかったのかな?
もっと上手く出来たのでは、もっと早くお会いすれば良かったのでは、と後悔渦巻く中、私は茶器を探した。
大体…… この辺りかな?
その様な物を置く場所は、大体どの部屋も決まっている。探り当てたものの、お湯はどうしたらいいのかな?
「お湯ぅ? 火の精霊に頼めばいいじゃない」
悩む私に、あっさり言ってのける『先代』精霊姫のお母さん。―――― こんな雑事に偉大なる精霊を使ってもいいのだろうか? どことなく釈然としないまま焔に頼んで水を沸騰させてもらった。
焔にお願いしたらすこぶる上機嫌で力を使っていたけれど、本当にこんな小さな事で使役していいのだろうか?
疑問をぶつけたけれど、母親はコロコロと笑った。
「いいのよ~? だってさ、精霊達ったら『主の喜び』が何よりのご馳走だもの。単純な事でも命令されれば喜びで力が溢れるのよ?―――― 力が増す、とも言うわね。だから、こんな湯沸しでもなんでも使ってやりなさいな」
湯沸しのために呼び出した焔以外は宝珠に戻していたけれど、心声を通じてみんな賛同の声を上げていた。えええ……。なんだか自分が楽を覚えてしまいそうで怖い、そう訴えても「その考えを持ってるから大丈夫よ~」なんて再び軽く言ってのけた。
カップ三つに香気が立ち上る。母親と、私と…… ジュノーの分。私が戻ったときにはすでに扉脇に背を預け座り、足は投げ出し腕を組んでいる。
「あら、翔子ったらジュノーちゃんの分まで淹れたのねー! 優しいわ~。さっすが私の娘ねっ! ほらジュノーちゃん、ありがたーく飲みなさい」
「…… なあ? 一つ確認してぇんだが」
『ちゃん』付けで呼ぶ母親に顔を顰めながらも、言った所で無駄と分かっているようで別段抗議の声は上げなかった。それよりも母親に聞きたいことがあるようだ。
ゆっくりと腰を上げ顎に沿って生える髭を撫でた。
「カケル、カケル、と言っていたが…… 竜帝の事か?」
「あはっ! 大層な名前を貰ったもんよねー。そうそう合ってる合ってる。それでもって、私の息子であり、この子はその双子の姉よ?―――― あんたま・さ・か・私のかわいーい娘に悪い事してないでしょうね?」
ジトッと剣呑な目つきでジュノーを見るが、それ所ではない衝撃が襲っているようだ。
「は、はぁぁぁぁ? 英雄クランベルグと精霊姫の息子だと? あいつがっ?! くっそ、俺の天敵がまさかっ! むぉぉ…… 世の中狭ぇ……」
「まっ、それについては同意するわね」
バリバリ頭を掻き毟り再びしゃがみこんで「ありえねえ」と項垂れるジュノーに、母親は足を組み優雅にカップを傾けた。
「で? アンザスのジュノヴァーンとして請けた仕事はなあに?」
内容によってはただでは置かないという、聞く人間によって卒倒しかねない迫力を込めた問いに、ジュノーは一瞬固まったけれど、即座に平静を取り戻した。
―――― お母さんのコレをいなせるなんて、流石アンザスの人。
私は物語の中で要所要所に出てくる傭兵や暗殺者を知識では知っていたけれど、このジュノーの様な人が沢山いるのだろうか…… 見てみたいと思ってしまった。
「ぐっ…… てめ、怒るなよ? 依頼主は宰相だ。―――― 恐らく断罪にあって成功報酬は無ぇだろうから契約は破棄されたとみなす。つーことでバラすと、俺の仕事としてはソコのおじょーちゃ…… いや、そこのお嬢様をお殺しにさせていただくというか、お亡くなりにさせていただくというか……」
グイングインと母親の怒りゲージが上がっていくのが、私には見えた。
そして……。
*****
「じゃ、ジュノーちゃん。また呼び出すかもー? ヨロシク。じゃ、出てけ」
―――― この間のことは、私ミテナイ キイテナイ。
噂に聞くイル・メル・ジーンの『災厄』とどちらが最凶だろうかと。らちも無い考えを振り払い、私は母親とジュノーを代わる代わる見た。氷の一瞥はかわせたが、直下の攻撃には流石にアンザスの者でも敵わない。
いっそ清々しいといえる程の笑顔で送り出す母親と、十日間飲まず食わずで日の当たらない所にじっとしていました! と思えるほどの変貌振りを遂げたジュノーは、やっと解放されたとばかりにヨタヨタと扉に手を掛けた。
「あ、あのっ! ジュノーさん。ジェネとはどういう関係なんですか?」
マルの部屋で対面した二人は旧知の仲らしく、それなのに切り合うとかただ事じゃない関係が気になっていた。
ジュノーは顔だけ振り向き声をかけた私を一瞥すると、溜息のような声を吐き出した。
「…… 俺の弟子。それ以上は言えねぇ……い、言えません」
…… 若干後半の声が引きつって聞こえたのは気のせいだろう。うん。きっと。
一言残して消えた扉を私はじっと見た。弟子と言うからには、ジェネはアンザスに所属していたことがあるんだ。十歳で国を出て、十七歳で騎士になる事を決めたジェネ。その間のことだろう。
私はまだまだジェネの事、知らない。
一つ溜息を落とすと、母親が優雅にお茶を飲んでいた正面に腰を下ろす。
「ね、お母さん。私色々知りたいの。私が生まれる前、生まれてから…… そしてこの世界の事を。教えて?」
決意を込めて母親を見つめる。その視線を受けて、母親はカップをそっとテーブルに戻した。
「―――― 長くなるわよ?」