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―――― どの位の時間が経ったのだろう……。
これから向かわねばならないのに、たっぷりとジェネからキスの嵐がそこかしこに降り注がれてしまい、よし行くぞ! という意欲がしぼんでしまった。
折角気合入れたのに!
「ちょっとジェネ、離して下さいよ」
「まだ駄目だ」
「もういいでしょ?」
「駄目だ。これでも精一杯抑えているんだから、許せ」
ああ、もうっ!
ずるいじゃない、そんな言い方。私だって…… いやいや、『だって』じゃないよ、流されちゃそれこそ駄目だ!
―――― どうして私が冷静になっているかというと……。
「では光の。少しは協力願えるということでよろしいか?」
(はい、気持ちは充分通われているので。”繋がる”程にはまだ未熟ですが、今の姫の行動により些少ではありますが力をお貸しすることが出来ます)
「やったー! はやくやみのところ、いこ?」
視線を横にやれば宝珠にいた飛沫と疾風が、再びやってきた光の精霊と話し合いをしていた。
(私も早く皆様のお仲間になりたいです。姫が早くその殿方と契りを持って頂けたら直ぐにでも契約を交わした……)
「わーーー!!」
慌てて声をあげて、光の精霊の言葉を遮る。駄目ぇぇそれ言っちゃ!
「どうした? ショーコ」
「わ、あのっ! ななななんでも!」
「水と風の精霊がいるのは見えるが…… もしかして光の精霊と話しているのか?」
「へっ?」
と思ったが、ああそういえばと思い当たる。ジェネには四人の精霊達を見えるようにしてあるけど、光と闇に関しては適用外だった。
じゃあ、今のも聞かれてない…… よね?
ジェネは少し目を眇め、そして思案顔をした。
「光の精霊は二度ショーコの前に現れた。―――― 出現条件は一体?」
「ジェネ、私行かなきゃ!」
わざとらしい程に声を張り上げ、ジェネの思考を中断させた。だってまずいじゃない? 絶対前回の事、覚えてると思うもん。
ジェネはまだ私を離してくれないけれど、ようやく私の言葉に耳を傾けてくれた。
「わかっている。―――― 王太后の所、だろ?」
「うん。闇の子…… 闇の精霊がね、王太后と消える時に私に向かって言ってた……『助けて』って。私が行かなきゃ駄目なの」
「おそらくその場にはジュノーもいる。あいつはショーコを狙ってくるはずだ。そちらを引き受ける。―――― ショーコ、もう俺と一緒では嫌だとは言わないな?」
「言わない。…… ねえジェネ? 私の言葉、ちゃんと聞いてくれる?」
私の改まった声に、ようやく腕の拘束が解かれて、私はジェネと立って向かい合う。
二十三センチの身長差。武人らしく大きくて逞しい、けれどとてもしなやかな身体。整った顔立ちにのせる表情は、初めて会った時には考え付かないほど私に色々な感情を見せてくれる。
今も私を見つめる瞳は甘く、優しさに満ちていた。私を好きだと言ってくれて、私を溶かしてくれる唇の味も、甘いという事を知った。信じられない位幸せな気持ちを乗せて、ジェネに『お願い』をした。
「ジェネ、お願い。私と一緒に行って欲しいの」
するとジェネは、今まで見たことのない、全開の笑顔で答えてくれた。
「分かった。共に行こう―――― ”私の精霊姫”」
*****
「いつまでそうやっているんだ?」
あれからジェネは『仕事モード』にキレイに切り替えた。甘さの気配を微塵も感じさせない『隊長』の貫禄だ。
それに対して、私は……。
「だって……、あんなセリフにあんな表情は反則ですよ! 目が溶けて流れるかと……」
私は両手で目を覆っていた。正確には足元だけは見えるようにして歩く。
あの低音の美声で『俺の』って言われて…… さらにあの笑顔は目に毒だ。殺す気か!
二人で、早朝の静かな回廊を歩く。この城の人達が起きるには早すぎる時間。ジェネと私の足音だけがコツコツと律動的に聞こえるだけ。
向かうは『王太后の間』。
私は場所を知らない。けれども、闇の精霊の気配が濃い場所に向かっている。徐々に濃くなるその気配に少しずつ息が詰まる。
小さく、疾風に声をかける。
「疾風、結界を。私とジェネにお願い」
「わかりました、ひめさま」
途端、先程までいた中庭の、緑濃い爽やかな空気が身を包む。
昨日の夜は、イル・メル・ジーンに精霊達の扱い方『実践編』を学んだ。闇の精霊と対峙する時にうんと有効活用出来るように。
私がうまく扱えなければ、折角の精霊達の力が生かせない。
地・水・火・風の精霊の力は、お互いに作用する物であって、闇にはあまり効かないらしい。四つの力が合わさったからこそマルの部屋にあった障壁が取り除けたのであって、単体同士ではどうしても敵わない。
部屋に向かう前に、マルに付けていた焔と息吹を引き上げた。四人揃え、闇の子と対峙するためだ。
―――― 闇に対抗するには、光。
光の精霊を契約して闇に対抗させるのが一番手っ取り早いのだけど…… ね? うう、ジェネに頼むというか、そのタイミングってどうなのよ?
そりゃ私としてもジェネがいい。いいというより、むしろお願いしたい。でも、どう切り出すの? ハルにお願いしたとき…… 思い出してみても今ほど緊張はしていなかったように思える。義務だからと自分に言い聞かせていたし、ええと…… 『ソレがどういう事をするのか』を深く考えていなかったからじゃないかな。
今ここでジェネに切り出すのは……。無理無理無理!! 想像すら出来ないし!
―――― 闇を何とか出来そうな考えもある。現に私にはまだ視えないはずの闇の精霊が視えたから。そして一度だけ光の精霊は力を貸してくれるらしいので、これらで王太后から闇の精霊を切り離そうと思う。
それにしても…… なんて濃密な闇の気配なの?
一歩ずつ歩く度に、足が重みを増していく。徐々に深くなる泥沼を歩いているかのようだ。
おそらく、普通の精霊使いでは敵わないだろう。それほどまでに強すぎる瘴気。精霊使いであるからこそ、気配を敏感に感じて取り込まれる。
すぐ隣を歩くジェネは、その気配を余り感じないのか特に変化は見られず普通に歩いている。でも私は…… 結界を張ってもらったにも関わらず、足を一歩踏み出すのも、空気を一つ吸い込むのも過分な努力が必要だった。
徐々に歩く速度が弱まり息切れをする私を、ジェネは心配してくれたけど、それよりも早く行かなきゃ! というその思いだけで、鉛でもくっついたかのような重い足を動かして一歩ずつ前へ進む。
「まってひめさま」
闇の気配が凝縮されたような場所から一つ角を残して、疾風が緊張した声で制止の声をあげた。
私はグッタリと壁に身を預け、制する理由を心声で問う。これから先の相手に気付かれない為と…… 息切れがして声にならないからだ。
「かどまがったら…… ぼくたち、やみでせいいっぱいになっちゃう」
「姫さん。俺達が束になって、やっと闇のに向き合えるんだ。悔しいがこればっかりはどうにもならねぇ。だからよ…… 敵意ある人間を相手にしてる余裕がねぇんだ」
「……」
疾風、焔、息吹、飛沫がそれぞれ悔しそうな顔を隠せないでいた。それぞれその分野では最も強い力を持つ精霊なのに、闇には敵わない…… それでも、私を守ろうとしてくれている。
「姫君、私達は人間相手に関わる余裕が不本意ながらありません。全力で闇のに相対して、必ずやこちらに戻せるよう力を尽くしますので…… そこの騎士よ。姫君を、頼む」
「俺も」
「ぼくも」
「……」
四人の精霊達が、ジェネに頭を垂れた。
「!!」
精霊が、契約者以外に礼をする事はまずありえない事。それは服従を意味するからだ。ジェネに向かって四人とも『私を守るように』頼んでいる。私の為にそんな…… 胸がきゅうっと痛くなった。
ジェネは頭を垂れる四人の前で、驚いた様子は一つも見せずただ短く「わかった」と言った。
「ねぇっ…… ジェネ。精霊達がここまで言うほど危険な場所なのよ? ジェネがまた怪我しないか…… 怖いのっ!」
今度こそ怪我で済まないかもしれない。私を守るために、すでに幾つか怪我を負っているのだ。私はいい。だけど、ジェネが傷つくのは怖い。一緒に行って欲しいと言ったくせに、それでもそんなお願いは聞かなかったことにして欲しいと訴える。
引き返すなら今だと見つめる私にジェネは視線を合わせ、私に言い聞かせるように声に出した。
「一度守ると決めた誓いぐらい、最後まで守らせろ」