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「受け取れない? どうして!」
やっと渡せるこの機会。なのにマルは受け取れないという。
目の前のゴールが霞んでしまった。
「言ったろ? 俺は飾りだと。何の権限もない俺がラスメリナ王から治安維持の書状を寄越されても、どうしようもないんだよ」
マルの目は長年の虚像としての自分のあり方に、疲れた色を滲ませていた。これからもなんの希望も感じられない未来に、ただただ浸っているようだ。
そんな姿に私はわけもなくイラっとした。
抑えられない気持ちが、言葉となって洩れ出る。
「……ねえ? マルちゃんって今まで流されてただけなの? 何か自分で主張した事、ある?」
声音の変わった私に少し訝しみながらも答える。
「主張? ……あるぞ。兄上が騎士に上がる時に揉めたと言ったろ? その時だな。俺は兄上が近くに存在してくれるというだけでこの上なく嬉しかったから、反対勢力……まあそれが大多数だったがなんとか認めさせようと努力した。結局事を収めたのはカケル様だったがな。――大体俺が何言ってもどうせ聞いてもらえないし、あいつら欲しいのは血筋だけだろ。俺はとにかく生きてさえいれば価値があるようだから、別段困ることもない」
「なに悟っちゃってんのよ! 大体ね、マルちゃん諦めすぎ。まだ十六でしょ? これからずーーっとこのままでいいの? 血筋とかいうけどその為だけに存在するのを黙って受け入れちゃうの?」
「仕方ないだろ。種馬にしかならないが、王は王だ」
「ばっ……! いやいいわ。でも王であることは自覚あるのよね?」
「生まれた瞬間から次代王と決められた俺は最低限の教育はされているからな。まあそれも諸外国相手の謁見でヘマしない為だが」
自嘲気味に笑うマルはそれでも私の剣幕に押されたのか、手に持っていた仮面をテーブルに置くと椅子に座りなおした。
私はずずずっと椅子を寄せて、膝詰めで話を続ける。
「この機会だから言わせてもらうけど。王の自覚があるとマルちゃんは言ったよね? ならばそれ相応の努力をしなさいよ」
「だからっ!」
「内外に認められてるんだよ? いくら傀儡だろうがなんだだろうが、諸外国にも国民にもマルちゃんが王なんだよ。いい事も悪い事もマルちゃんが責任あることなんだよ。王という力は強大だからハイリスク・ハイリターンなのは仕方ないけど、今手にしている立場、大きく出てもバチは当たらないよっ!
……マルちゃんには、手を差し伸べてくれる人がちゃんといるの。どうせ諦めるんだったら、やることやってからにしなさい!」
今なら分かる……私の傍には四人の精霊達が付いている。私の気持ちに同調し、とても大きな緊張感をマルに与えている。これでは確かにサーラも怯えてしまうだろう。ごめんねサーラ。
一気に言いたい事をぶつけ、マルの膝をパーーンと気合一発叩いた。
口をポカンと開けて私を見ていたマルは、その一撃でハッと我に返ったのか私の目をじっと見て唇をきゅっと結ぶ。
「マルちゃん。私も、応援しますから」
マルの手をギュッと両手で握りしっかりと視線を合わせると、スッと目線を逸らされた。心なしか赤くなってるような?
「――いつまで居てくれるんだ? お前は」
暫くの沈黙の後、少し躊躇いながらも呟くその声に、「うーん」とちょっと迷いながらも答える。
「えーっと…… マルちゃんってどこまで翔のこと知ってます?」
「カケル様の事か。あのお方は異世界より参られて、時空を旅する事が趣味だと言っておられたな」
「じくぅっ……!? アイツそんな事一言も! と、とにかく、異世界って事はご存知なのですね? 今回私はその異世界から弟の翔に召喚されたんですよ。レーン国王に書状を渡す事……これが翔が私に託してきた事です」
心の中の『翔に再会したらアレするリスト』にもう一文足して、マルに今回の旅の目的を伝えた。本当は召喚するときの契約事項として『レーン国にて国王謁見が成功を収めること』、確かこんなような内容だったかな? それが帰る為の条件だったけどこれは叶った。ただ、これに関しては翔と私だけしか知らない契約条項。体裁を整える為でもある書状を渡さないと、ラスメリナとレーンの関係は改善しないのだ。
マルは顎に指を当て、何かを考えるような顔をする。
うーん、こう見るとやっぱりいい男だな。十六歳という年齢は、男としてまだ未成熟な部分があるけど充分目の保養になる。頬の微妙なやつれ具合が堪らなく庇護欲を刺激するね!
さらりと頬に掛かる金の髪。肩に掛からないまでも少し伸びすぎた感のあるその長さもまた絵になるんだな!
「では、俺が……俺がしっかりと家臣を掌握するまでというのは無理か?」
「あぁ、そんなに長くは無理です。私もあちらの世界で仕事ありますし」
「き、キッパリ言うんだなお前」
「そうですね……期限決めましょう。それまでは居ますから、その時に書状受け取って下さいね?」
「――分かった」
マルの体力回復するまでならいいかな? 団長とジェネに要相談だ。私はとにかく早く帰るという目標がある。ああでも……
「ねえマルちゃん。どうしてそんなに私を信用してくれるんですか? 翔の姉とはいっても、別人なんですよ?」
振り出しに戻してみた。そう、まずここから聞かなきゃ。
するとマルは何故か笑顔を見せた。笑顔なのに泣きそうに見える、笑顔。
「それはな……あ」
「あ?」
突然マルは一点を見つめ、指し示した。
何の事かとキョトンとする私に、マルはこういった。
「肩にクモが乗ってるぞ」