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王族ということで、よく侍女の手を借りないと着替えも出来ないーなんて物語を見聞きしたけど、マルはちゃんと自分の事は自分で出来ていた。
お湯にはカモミールのハーブを入れてある。布を湯に浸け絞るたびにそれがほのかに香り立ち、ほっと息をついた。
届かない背中だけ私が手伝い、あとは自分で拭いてもらう。私は拭き終わるまで後ろを向く事にした。マルが拭いている間に、どうしてそんなに自分の世話が出来るのか? と、それを聞くとポツリと寂しそうに零した。
「俺はな、最初から飾りなんだよ。形だけでもそこに王として『居ればいい』からな。食事は一応用意されるし、服は表に出た時、王らしい格好をしなきゃいけない為にそれも用意される。ただ…… 誰も俺の周りにはいないんだ」
「……」
自嘲しながら体を拭いている姿は、心が苦しくなった。マルは己の立場という物を充分理解している。本当の意味でのお飾りな王として存在させられているのに気付いている。それはつまり玉座が安定していない…… だから精霊達が暴走する、というのに繋がるんだ。
「お前が来て、飲み物飲んでまた寝て。目を覚ましたら、やっぱりあれは夢だったのかと思ったら傍にいて…… 。―――― 嬉しかったんだ。誰か傍にいてくれることが」
「マルちゃん……」
「最近は何故か外に出る気がおきなくて…… 体の調子が一気に悪くなったんだ。全然食べられないし、寝台から起き上がれなくて。でも、何故か今日は起きてからやけに調子がいい……」
変だなあ? と呟くマルに、私はドキリとした。ひょっとしたら、『精霊姫』である事が、マルの調子を整えてるんじゃないのかと。
「やっと起きられたし。―――― 久し振りに、兄上のお顔を見たいな。遠目でもいいから」
兄上……? ポツリと小声で呟かれたその声を耳が広い、私は思わず反応した。
「へ? ジェネ?! …… きゃっ!」
兄上イコールジェネシズの図式に繋がり、どういう事かと振り向いたらほぼ素っ裸のマルが見えてしまった。いや、マルのマルは見えてなかったから良かったけどね!
「お前…… 兄上を知っているのか?!」
衣擦れの音からこちらに来そうな雰囲気を察して、慌てて「ダメダメ! 服着て!」と制し、止まらせた。
「マルちゃんこそ…… 兄上って。ジェネシズよね?」
「ああそうだ。腹違いだが俺にとって大事な兄上…… 賓客が来た時の護衛で謁見室の片隅に配置される時か、たまに開催される俺名義の夜会で、庭の警戒に当たる姿を見かけるぐらいだが、それを見るだけでも安心するんだ」
ようやく新しい衣服を身に纏い、落ち着いた様子でベッドの近くに置いてある小ぶりなテーブルに向かい、同じ装飾のセット物だろう椅子に腰を下ろした。
「お前ちょっとこっち来い。ちゃんと話が聞きたい。―――― お前の事情もな」
あら、ばれてましたか。
マルはただ単に専属侍女として来たとは露ほども信じていなかったようだ。しかし何故か信用されているような気配はする。
なんにせよ、ちゃんと腰をすえて王様と話が出来るのだ。「じゃあちょっと待って下さい。準備しますから」と伝え、私はお茶の準備ともう一つを用意した。
茶器などは、私の部屋から発掘済だ。暖炉から沸かしておいたお湯をポットにいれ、暫く浸出させる。中身はエキナセアとセージ、ペパーミントとレモンバーベナ。免疫力高めたほうがいいと判断してだ。そして……
「はいマルちゃん。ここに足、乗っけて下さい」
「足?!」
「一本ずつですよー。これからマッサージしますね。ほら、左足から」
リゾートホテル勤務時代の同僚から簡単な足裏マッサージを教わっていたので、是非ともマルにもしてあげたい。そう思い、元々持っていたアロマオイルをオリーブオイルみたいな油に少し垂らしてマッサージオイルとした。ちなみにホホバオイルを使う。私はベタベタするのが苦手なのでこのオイルを希釈した物を持ち歩き、乾燥した所にサッと塗るのだ。私はマルの向かいの椅子に座り膝にふわふわの布を置いて、早くここに! と言わんばかりにポンポン叩いて催促した。
一体何をされるのかとビクビクしながらもマルは左足を私の両膝の上に置く。
「さ、血液の流れを良くして行きましょうね」
「俺、こんなの初めてだ」
「痛くしませんから」
言ってから、ん? なんか会話おかしくないか? と思ったけど、流すことにした。
両手にオイルをつけて、脛を両手で膝に向かってなで上げ、返す手で足を挟んだ形にして踝まで戻る。何度か繰り返し、今度は足指をクルクルと一本ずつ回し。
「それで…… 何をお聞きになりたいですか? 私も聞きたいです。色々な事」
ゆっくりとオイルにより滑りやすくなった指で、教えられた通りにマッサージしながら、マルに促した。
一体何をされるのかと体全体で緊張していたマルは、しかし気持ちがいいのか次第に力を抜いてリラックスしていった。
「お前、誰かに頼まれて俺の所に来たのか?」
「そうです。もうね、こうなったら正直に言いますけど、主に三人から」
「三人?!」
「はい。クランベルグ団長と、ジェネと…… ラスメリナの王から」
「ぅえ!…… いやまて、まてまて。一人ずつ確かめよう。まず、団長だな。団長はこの国の救世主でもあるから宰相といえどもあまり大きく出られない人物だ。俺の事をいつも気にかけてくださる。団長は分かる。しかし…… 兄上が?」
「マルちゃんのお兄さん、ジェネシズもとても心配してました」
私はゆっくり頷く。なんだ、マルはお兄ちゃん大好きっ子だね?
マルはじわりと滲んだ涙を隠すように俯いた。「兄上…… 」と呟く声が聞こえてきたけど、それには触れずにおく。
左足を終え、右足に取り掛かる。再び脛から始めながら、ここに来た当初の目的について話す。
「あとラスメリナからなんですけど……」
「ちょ、待て! 大体お前なんでラスメリナ王…… 竜帝だろ?! どうして俺の事を…… 」
バッと顔を上げて軽く興奮した様子で私をジッと見つめた。すると―――― 何かに気付いたようで、呆けた表情になった。
「あ、あの? マルちゃん?」
「お前…… その黒い髪と黒い瞳。竜帝カケル様とよく似ている……?」
「あはは。翔の双子の姉です。双子の割にあまり似てませんが」
笑う私に、パクパクと口を動かすだけで何も声を出さないマル。いや、出てるけど「え…… う…… あ……」と、声が詰まる? そんな感じだ。
ゴクリ、とマルはテーブルの上でやや冷めたハーブティを飲んで大きく息をついた。
「カケル様の…… 姉?、といったか。あの竜帝の…… 姉君」
うわわ、目がなんか熱持ってるよ?! 怖いよ!
「あ、あの? 翔をよくご存知で?」
「知ってるも何も! あのお方は俺が九歳の頃、兄上が騎士になれるかどうかでクソ大臣と揉めていた時に救って下さったお方だ! その時は覆面? の様な物をつけていたが、後で俺の所に秘密だぞと来て下さって…… 」
マルは立ち上がって衣裳部屋に行き、なにやら大事そうにとある物体を抱えてきた。
「これが、その時の覆面。カケル様が俺に記念として下さった」
そっと私に見せてくれたソレはお祭りなどで並ぶお面で、某仮面をつけた特撮ヒーロー。
―――― 翔…… ものっすごい怪しいよっ?!
「マルちゃん、本題なんですけどね? 翔から書状を預かってきました。国境付近が不穏な動きがあるので、なんとかして欲しいという内容だと思いますけど」
私は手を拭き居住まいを直してマルに言った。そう、もともとはこのために来たのだ。渡して帰る。ただそれだけのシンプルな事。
しかしマルは私が伝える内容に寂しそうな目をして首を振る。
「駄目だ。―――― 俺は受け取れない」