side ジェネシズ
――なんなんだこれは。
俺は目の前に繰り広げられる光景に、暫し呆然となった。
そこには、近衛十五番隊全てが入れ替わり制として使う食堂がある。通常、粛々と厨房より料理が提供され速やかに食し、済んだ者から詰所に静かに戻るとしたものだ。
供される料理は、最初から器に盛られている為にスープだろうが何だろうが冷めているのが常だ。
しかし今はどうなのか。
まず厨房の入り口から一人ずつ盆を持ち、順に調理場から供される湯気の立つ料理が入った器を載せて机に着く。そのような体系は初めての事なので皆戸惑ってはいたが、温かい料理が盛られていると一様に笑顔となった。
食事を始めた者は、一口食べた後に目を輝かせ、瞬く間に皿の上を平らげ。これは一体どんな料理なんだと近くにいる者と会話をし。
――食堂は、笑顔が溢れた。
初めて見る皆の明るい顔を見て、胸の内が熱くなる。
王政の不安精霊達の暴走で、陰気さが身に付いていた近衛の騎士達が声を上げて笑っていた。
温かく美味しい味付けの料理を食すと、陰鬱だった日常風景がこうもが変わるのか。
俺を呼びに来たハルは「若、すみません! 話が大きくなって……」と申し訳なさそうに大きい体を気持ち縮めて謝った。何の事かと聞けば、ウンノの料理を皆が食べてみたくなった、と。
俺だけだったのになと小さな嫉妬心は生まれたが、この様子を見ればあっさりと飛んだ。
ウンノはどこだと目線で探れば、厨房の片隅にいたかと思えば食堂で机を拭き、入り口で戸惑う騎士を見れば説明をし、食事を終えた者に食器は自分であの場所へ片付けるようにと指導をしている。
どこかで同じような光景を見たような……?
ああ、キムロスのマーサの店だ。
あの時もウンノは活発に動いていた。一つも苦労をしている様ではなく、楽しげに。
「あ、隊長! 待ってました! セルフサービス式ですが、これだけの人数がいるならこの方が効率いいと思いまして。勝手してすみません」
「せるふ……?」
「えー……訳せないので、まあつまりこういうことです」
と、先程の光景を手で示した。口で説明するのが面倒になったのか、見て理解しろと。
こういった所は本当にカケルとよく似ているなと、ウンノを見て思った。
まだ食べていないというので、というウンノとハルも共に食卓へ着いた。
どれも見たことの無い調理法だ。特にこの『カレー』という物はとても鼻に刺激的で、食欲を刺激される。
「こうやって、ナンをちぎってカレーに付けて食べるんです」
実際やって見せながらウンノは美味しそうに頬張った。その様な食べ方は初めてだったが、やってみると実に食べやすい。ナンでカレーをすくい、口の中に入れた途端クミンシードと呼ばれる物の香りが一杯に広がり、あとからレッドペッパーの辛味が効いてくる。嫌な辛さではなく、食欲を刺激される辛味で堪らなく美味い。
そう感想を述べると「もっと前に準備できるのなら色々足したいハーブ達があるので……また作りますね」とにっこり笑った。これで完成ではなく基礎だけで作った物で、香りをもっと足したいそうだ。どんな味になるのか是非お願いしよう。
団長の釣り上げたイカも、見たことの無い調理法で驚いた。輪切りになっている。カラリと表面が揚がっており、それにマヨネーズを付けて食べると……こんな状況なのに酒が堪らなく呑みたくなる。
ハルも同じ気持ちだったようで、非番の日に厨房の女に作らせると言っていた。
スパニッシュオムレツ、このような厚焼きの卵も初めてである。大概、目玉に焼いて終わりだ。
具材が彩りよく詰まっておりローズマリーの香りがふわりと香る。なんとこの中にもマヨネーズが入っているらしい。万能だ。
すっかり平らげ満足したついでに周りをみると、普段はまばらに食事に来る騎士達が一度に押し寄せたらしくまだまだ行列は続いていた。匂いにつられ、騎士団以外までも紛れているのはどうなのか。
そして遠くに見えるのは――団長!
団長の部屋は食堂に程近いので、匂いに釣られて普段は来ない食堂で食べる事にしたらしい。
*****
あとは片付けだけとなり、それは厨房の者達がやるのでウンノは小部屋に戻す事にした。
俺は部屋まで送る為に一緒に歩く。
「ウンノ、とても美味しかった。――しかし、あの量を作るには大変だっただろう?」
すると、ウンノは一寸遠い目をして「ええ……大変でした」とがっくりと項垂れた。
「そりゃそうですよ、あんな人数分考えた事ありませんし! せめてもう少し時間が欲しかったです」
中途半端だったなあ、と納得のいかない顔をしていたが、俺としては充分満足している。料理長のアウランなんて、ウンノを補佐に寄越せと団長に直訴しに行った程だ。誰がやるものか!
俺の執務室に入り、相変わらずの散らかった部屋を掻き分け(俺が戻ったから若干増えたか?)小部屋の前に立つ。
「今日は済まなかったな。明日に備えて体を休めて欲しかったがまさかあのような事態になるとは」
「いえ、いいんです。みんな喜んでくれましたし」
人の為に役立てたと笑顔になるウンノを見て、抑えられない衝動が突き動かされる。
この位は許されるか?
「今度は――俺だけに作って欲しいな」
ウンノの頭をそっと幾度か撫で、仕上げに前髪をよけて額に唇を軽く落とした。
ウンノは目を見開いて俺を見ていたが、やがて何をされたのか気付くと顔を真っ赤にして手を額に当て小部屋に飛び込んだ。
「おおおおおおお休みなさいっ!」
動揺したのか少し震えた声で挨拶をする。
その反応が可愛くて、若干苦笑混じりに「お休み。鍵きちんと閉めておけ」と扉越しに声をかけた。
明日から暫く会えなくなると思ったら、少しでも俺の事を思って欲しい。
そんな欲に塗れた自らの行動を自嘲気味に笑い、そして扉に向かって声にならない言葉を紡ぐ。
「――――」
明朝からは侍女に扮するので、今までの様に常に一緒にいる訳にはいかなくなる。
俺が会えずに辛くなる事は、想像に難くない。