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クリムリクス三層の城壁を、夜闇に紛れそっと目立たないように通り抜ける。
一の壁と二の壁の間は、一般市民や商人達が住まう場所。二の壁と三の壁の間は一般貴族、三の壁の内側は王城とこの国を治める選ばれた物のみが許される場所。
壁には通路として巨大な門があり、夜間には篝火を焚いて通行人を監視する為兵士が常駐しているが、ジェネが居るので顔パスで通れた。
近衛騎士の職場は王城なので、三の壁門をくぐり裏手の厩舎へ馬を預けに向かう。
うー……足がガクガクするよぉー。産まれたての小鹿のモノマネなら、今一番上手に出来そうだよ?
こういった時はやっぱり風呂でゆったり浸かるのがいいんだけど、今から男所帯にどっぷり浸かるんだよな……。
いや、うまくないし!
と、自分でツッコミ入れておき、せめて足湯くらいはしたいなと思った。
すると、厩舎から城の内部に通じる扉から一人の男性が出てきた。
見た所……三十歳手前かな? 灰色の短髪で水色の瞳をした、どことなく冷たい感じのする人。ほっそりした体でこちらに向かってくる。感情の読めない目で私を見たが、すぐにジェネへと視線を動かした。
「隊長。団長より伝言で戻り次第報告を聞くので時間問わず即来るように、と」
「分かった。バッツ、明日より通常任務に戻れ。ハル、ウンノを頼む」
「了解しました! バッツ・ランカートン、只今をもって特別任務を離れ明日より通常任務に戻ります。失礼します!」
ビシッと右手を左胸に当て、隊長であるジェネに挨拶をした。うわー、こうしてるとちゃんと騎士らしい(失礼)
そして去り間際、私に「またな~」と声を掛けて宿舎? のある方に歩いていった。
「隊長、ウンノはあの部屋で本当によろしいんで?」
「構わない。とにかく今夜はもう休め」
「了解しました」
ハルも右手を胸に当て(敬礼の様なものかな?)ニヤッと笑いながら軽く頭を下げ、私を連れ立ち歩き出した。何その口の端の笑みっ! 気になるじゃないか。
*******
「ハルさん、あの人って誰ですか?」
私は小説の舞台に立っている! という、軽く興奮状態でキョロキョロ辺りを見ながら聞いた。
そんな様子に呆れながらもハルは先を歩きながら答える。
「あの人? ああ、アイツか。あれは七番隊の副隊長でロゥ・グイランという名だ。前に言ったろ? ラスメリナ往復の為の書類整えたのアイツなんだ。事務処理は最高の腕を持っている」
「なんですかその事務処理『は』最高の腕って」
「ロゥは戦闘向きじゃないんだよ。剣も弓も近衛騎士としてギリギリ及第点を貰っただけで実践向きじゃない。それでも副隊長の座にいるというのは、事務関係が優秀だからだ。冷静、冷徹、冷血。あいつから予算取れるもんなら、よっぽど満足させる客観的な数字の説明が必要だろうな」
「うわー……有能なんですね。そんな方がどうして騎士団の、更にジェネの下に付いているんですか?」
「ロゥが希望したからだ。ジェネシズ隊長の下で働けねば辞めますってな。――さあ着いたぞ」
どうしてそこまで? って話が聞きたかったが、ハルが開けた部屋を見て驚き、続きどころではなくなった。
そこは魔窟であった――と言ったほうがいいだろうか。
紙の束、本の山、ありとあらゆる物が乱雑に…… いや、そんな生易しい単語ではなくとにかくそう、散らかっていた。それも酷く。
何の部屋か分からないけど、奥の机に行く為には『獣道』を通らねばならず、積まれた本に引っ掛かったら向こう三年は出て来れなそうな危険な雪崩が起きそうだ。腐敗臭だけはしない為、辛うじて人が存在できる部屋だ。
「ちょっとこれ……ハルさん?」
「うーむ、僅か半月でここまで進むとは。ここは若の執務室なんだが、とにかくあのロゥが溜め込むんだ。仕事上はちゃんと回ってるし、若も自分の事には無頓着なきらいがあるから、仕事上滞りなければ問題ないとそのままにしておられる」
「……」
充分問題な気がするけど。
そして獣道を二人で、積上げられた物を触らないようにそおっと進み、奥の机の近くにある扉を開けたらそこには意外にも散らかっていない部屋があった。
こぢんまりとした広さで、簡素なベッドが一つ。小さな机と衣類をしまう家具が備え付けられていた。
「ここは?」
「仮眠室だ。夜遅くまで執務する事もあるからな。まあ……見ての通りの部屋だから滅多にここを使う事もないが。ここをウンノの部屋とするよう若から言われている」
「いいんですか? 僕一人だけでこんな立派な部屋を使わせてもらうなんて」
「――急遽決めたらしいからな。空いてる部屋はここしかない。今夜はもう遅いからゆっくり休むんだな」
そう言って、ハルは眼鏡を外して私の顔をじっと見た。
うわああああ!!
なにその余計な動作! ハルの持つ色気が私を侵食して体温が上昇する。
こんなんでゆっくり寝られるわけないだろう!
ハルは口の端をにやりと歪め(多分これだけでも溶ける)、「お休み、いい夢を」と扉の向こうに消えた。