side ジェネシズ それから翔子
ことり、と右胸に何かが乗る重みで目が覚めた。
柔らかな絹糸の感触が頬を擽り、そしてそれは清々しい香草の香りがして胸を満たした。目を開けると艶やかな漆黒。そっと右手を動かして触ると、それは丸くほんのり暖かい。
これは、ウンノか?
ウンノが俺にもたれていた。先程までぐっすり寝ていて、起きたかと思ったのにまた寝てしまうとは、相当疲れていたのか。
あまりの髪の指通りの気持ちよさに、暫くそっと梳った。幾度となく往復を繰り返し、ふと我に返る。
「なにやってるんだ、俺は!」と己を叱咤し、手の平を握りこんだ。カケルからの大事な預かり人、それだけの相手だったはずなのに、どうしてか、いとおしむ気持ちが溢れ出てくる。
カケルから散々姉の自慢を聞かされ、特にその料理の腕たるや、ディスカバラント世界の料理人が泣いてひれ伏すほどだと豪語していた。
流石にそれは言いすぎだろうと思っていたが、ラスメリナで食事したあの料理の数々は、俺が今まで食べてきたのはなんだったんだ! と思わせる文句無しの美味しさだった。
ここに来るまでの食事も「簡単ですみません」と恐縮していたが、旅の食事にしてはありえない程の美味い食事。旅と言えば固パンと干し肉だけが基本だったのに、俺が雑草だと思っていた物をこんなに美味しく料る事ができるとは驚きだ。
食材への知識が豊富で、野草にも詳しいとなれば『薬師』だと間違いなく言われるだろう。 肩や左腕に怪我の手当てがしてあり、額に当てた布もスッとした清涼感のある香りがした。
こんな状態なのに、何故だかとても居心地いい。
ウンノは異世界の住人で、こちらの世界に来てまだ五日目。
―――――驚かされることばかりだな。
今まで出会ったことのない、とても気になる女性。
特定の女性を決めたことはなく、後腐れない付き合いしかしてこなかった自分がまさかこんな想いを持つとは……しかし。
昔の苦く苦しい出来事の片鱗を思い出し、疼くこの淡い気持ちに蓋をすることにした。
カケルから預かるだけの、自分の世界に帰る娘なのだから。
―――――それでもこの姿勢を動かすには惜しい。ウンノが目を覚ますまで、せめてこのまま……。
*****
「ん……」
あれ、私寝てたっけ?
ジェネの手当てを終えて、子供が近寄ってきて……?
――あの虫は、どこいった!
あの山盛りな恐怖が蘇り、がばりと起き上がると何故か隣にジェネが寝ていた。
ぴったりと、まるで私を暖めるように。
右腕も伸ばされ、まるで私を腕枕していたかのように。
そう、まるで私と添い寝をしていたかのように。
「ううううわぁぁぁ……」
虫どころではなくなってしまったよ! なんでこんな事になってるの?! いや、そもそも気を失ったのがその虫であり、その虫はどこにいったんだよ! っていうか添い寝って!
あまりの現状に混乱していたら、ジェネが目を覚ました。
「……ウンノ? どうした」
ちょっと掠れ気味の声で、ゆっくりと上半身を起こす。
――うわっ! 今ちょっとまともに正視できないんですけど!
「いっいえ、あのっ! 虫と添い寝で……」
「虫と添い寝?」
「キャー! 違います!ありえませんそんな事! ……えっと、あのすみませんでした! どういう訳か横で寝てしまって……」
「ああ、私は構わない。ウンノは疲れていたのだろう」
「いえ……あの、虫が……大量のイモムシが現れて、どうも気を失ったらしくて」
こんな事で気を失うなど恥ずかしくて、自然と下を向く。
「私、虫がホントに駄目で。こちらに来てから『旅の石』と虫除け剤の効果で虫と遭遇しませんでしたが、ちょっとまともに見てしまったと言うか、迫ってきたというか……」
しどろもどろ私の最大の弱点ともいうべき相手のことをいうと、ジェネが「くく……」と笑った。
「カケルの姉ならば何でも強そうなのに、かわいい弱点を持っていたのだな」
ちっとも褒められた内容ではないのに、『笑った』ジェネシズの顔に、ぽおっと見惚れてしまった。微笑すらまともに見たことがないのに、笑った……!
心臓が、ばくんと動き、背中に甘い小波を起こす。
こんな綺麗な笑顔をこんな間近で独り占めしちゃった。
「それで、その芋虫はどうしたんだ? 今の話からすると大量にいたらしいが」
「あれ? さっきまであそこに……といいますか、ちょっと不思議な事がありまして」
「何があった?」
「四人の子供達が、すぐ傍に来たんです。イモムシ持って」
ジェネシズは、眉間に皺を寄せて「意味が分からん」と呟いた。
私も分からないんですけどね……。