* 番外編 一週間 16
普段使わないスーパーにたまたま寄ったのが良かったのか、ロゥと会えた。やっと会えた。
ロゥの有能さは折り紙つきで、私が下手にウロウロしないほうが確実に見つけてくれるだろうと踏んでのことだ。私は別に何もしなかったわけではない。アキラちゃんやおじさん、近所のおばさまなどにロゥの外見的特長である『灰色の短髪に水色の瞳』という男性を見たことがあるかと尋ねてみたけれど、誰もが知らない、分からないと答えた。
いかにも外国人風というのはこの狭い地域においてとても目立つ。ひょっとしたら外出時などは帽子なりして紛れるようにしていたのかもしれない。
「ロゥ! 元気そうで良かった……」
あの翔の最大の被害者でもあるロゥになんと詫びたらいいか分からない。とにかく自宅へと導き話を聞くことにした。
「ごめんなさい、荷物持たせちゃって」
冷蔵庫に買ってきた品物をしまいながらロゥに礼を述べた。買いすぎた荷物を下げていたら、それを自然な動作で「重いものを持つのが男の役目ですから」と家まで運んでくれたのだ。
「気にしないで下さい」
そういってソファに腰掛け僅かに目元を緩めたロゥを見て、私は何かを感じた。
……あれ? なんだか雰囲気が?
一ヶ月前に話した時と違い、どことなく柔らかい気がする。ここ日本での暮らして、何かしらの変化があったのかな?
お湯を沸かし、ロゥに何か飲みたいものはあるか聞くと「コーヒーを下さい」と返って来た。コーヒーはレーンにもラスメリナにも、そしてディスカバランドという世界にはなかった。つまりこちらの世界で覚えたんだね。
コーヒーは豆を買ってきて使い切るほどこの部屋にいないため、一回使いきりのドリップ式をセットする。コポコポとじっくり湯を注ぎながら、ロゥは一ヶ月という期間いかにして過ごしてきたのか……。
「砂糖かミルク使う?」
「いえ、そのままで結構です」
すぐに戻らねばなりませんので、とロゥは時間を気にしつつコーヒーに手を伸ばした。
「ロゥ、一体どこで暮らしていたの? 一ヶ月も異世界にいるって相当……苦労したでしょ?」
「いえ……私は親切な方に拾っていただき、そこでこちらの文化を学ばせていただきました。翔殿に飛ばされるとは全くの想定外でしたが、このような機会に恵まれた事には感謝しております」
う……そう言っていただければ、た、助かります。
翔が『扉』を開き、ジェネに潜らせる筈だったこちらの世界を、クシャミ一つでロゥに発動させてしまった。国の中枢を担う役目を拝命されたばかりだったロゥにとって、不測の事態という一言では済まされない程の時間が奪われた。新しい王になり、新体制を築き、罪を犯した者への対処という――事務処理に長けたロゥにとって一番力が発揮されるタイミング。
それなのに、感謝という言葉がでるとは……。
なにがあったの? ロゥ。
「ジェネもこちらに来ているのよ。今はちょっと出かけているけどね。特別に休暇を貰ったらしくて……帰りは翔が迎えに来るわ。今度はちゃんとね」
「隊長が……そうですか。いつ翔殿は迎えに?」
「明日よ。ロゥにとっては急で悪いんだけど……」
明日、と声に出さずに口を動かしたロゥは、どことなく沈んでいた。
その姿は……。
まるで明日という日が来て欲しくないようで。
まるであちらの世界に戻るのを躊躇うようで――苦渋に満ちた表情を見せた。
声を掛けるのが躊躇われ、私は黙ってロゥの言葉を待った。
暫くの沈黙の後、ロゥは「わかりました」とコーヒーを一気に飲み込み立ち上がる。
「明日……明日、必ず来ます。それまでに色々整理して参りますので、本日はこれにて失礼致します」
「ロゥ……えと、大丈夫なの?」
「はい。色々私も思う所があり……。隊長にご挨拶できなくて申し訳ありませんとお伝え下さい」
それだけ言うと、靴を履くのももどかしげに玄関のドアを開けて「ではまた」と足を踏み出した。私は急いでベランダに回って「明日は、お昼前に来てね」と、すでに駆け出していたロゥの背中に伝えた言葉は、右手を軽く振る姿に了解の意図を受け取った。
「――というわけなのよ」
夕食を食べながら、ジェネにロゥとのやり取りを伝えた。
「そうか。ロゥならば如才なくこちらの世界でも立ち回るだろう。ショーコ、お代わり」
「はーい。それでね、お世話になったんだしこちらからご挨拶に伺ったほうがいいのかしら? って思って。あ、このくらいでいい?」
「もう少し足してくれ。逗留先はどこか聞いたのか?」
「あー……それなんだけれど……」
ジェネにごはん山盛りにしたお茶碗を渡しながら、先ほど見たロゥの表情が気になっていた。彼は彼なりに過ごした一ヶ月が、あんなにも表に感情を出す程辛そうで。
本人すら結論を出していないのは明白で、それを私が聞くのも憚られた。けれどロゥは明日必ず来ると言っていた。それは守られるだろう。
それからでも遅くないかな、と再び箸を取り食事を再開した。
昼食は翔も食べるだろう。だからそれ相応の量を用意しなければならない。ジェネの食欲を合わせたら、とてもじゃないがこの五合炊きの炊飯釜では太刀打ちできない。何回ご飯を炊けばいいのか頭が痛い。
一人ずつ小皿に盛るのでは絶対に間に合わないから大皿盛りで……まあ、ある意味家庭内バイキング形式と言うかなんというか。
明日の午後にはこの部屋とも暫く離れる事になる。食材などは全て片付けてしまわないとね。
ジェネがお風呂に入っている間に下拵えも済み、入れ替わりに風呂へ行こうと支度を始めたところ、リビングテーブルの上にある物を思い出した。
「あ、サヤカからのプレゼントってなんだったのかな?」
紙袋に入っていたのは、二つの包装された包み。そのうち一つは『ジェネシズさんへ』と書かれているから、もう一つの包みを開けてみる。
「これって――」
小箱がでてきて、中を開けたらネックレスが出てきた。繊細に作られたチェーンは硬質なはずの素材を柔らかく演出していた。
――しかし、流石にサヤカらしい。
「肩こりに効くんだ……」
磁気ネックレス――と、小箱には書かれていた。しかし一見そうは分からない、シルバーカラーのデザインは毎日身に着けても違和感がなさそうだ。
メッセージカードが添えられていて、サヤカの筆跡で書かれていたのは。
――なんでも自分で抱え込まないで、このネックレスして肩を解して気持ちも解して、人に頼りなさいよ! 私は翔子の幸せを願っているからね――
サヤカ、ありがとう。
私の事よく見ていてくれたんだね。
翔が仕組んだ召喚で、異世界という場所で様々な体験をしてきた。楽しい、怖い、辛い、なんて単純な言葉では済まされない出来事が次々と起こり、その中で『頼る』という、単純なのにその通りにできなかった行為を覚えた。
今までの私から少し成長できた……んだよ。私だけが大変、私だけが頑張らなきゃって肩肘張っていたけれど、ふと緩めてみれば、実は色々な人が私を支えていてくれたんだと気付いた。
サヤカの心遣いに感謝し、お風呂上りに早速着けてみようとひとまず小箱に戻す。
「ショーコ、出たぞ」
「あ、はーい。ねえ、これサヤカからジェネにって」
「なんだ?」
「わからないけど、ジェネ宛よ? じゃあお風呂行ってきまーす」
テーブルの上に置かれたプレゼントの包みを指し示し、私はお風呂場に向かった。