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* 番外編 一週間 12  



 

 ジェネはサヤカ達に任せて行動を別にする。まだ時間はあるのでどうしようかな、と思案していたら鳥沢さんが「皆の所顔出して来なさいよ。私が許可するわ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて懐かしい職場を回る事にした。皆気のいい人ばかりで歓迎してくれるけれど、逆にそれが胸につまる。

 ――私、もうちょっとここで頑張ればよかったな。

 誰もが表立って手島に抗議する事はなかった。間違いなく私のように切られるのが分かっている為、生活が掛かっている人にとってそれは自分の首を絞めることに他ならない。

 私自身もそこまで人を巻き込むわけにはいかないので、サッサと退職を飲んだのだけれど。


  約束された時間が来た為、従業員用のドアから第二会議室を目指す。勝手知ったる通路を右に折れて階段を上がり、二階北側にある第二会議室と書かれた部屋の前で立ち止まる。 

 ここにあの人がいるんだと思うと気が重いが、早い所済ませてしまいたい。

 すうっと息を吸い、軽くノックして名乗る。


 「失礼します。海野翔子です」


 「――入れ」


 少しの間があき返事が聞こえたのでそろりとノブを回して中に入ると、整然と並べられた机の上に軽く腰を掛けた男がいた。


 ――手島啓介二十六歳。肩書きは特にないが、次代オーナーと自称する厄介者でもある。手島の父親がオーナーで、とても優れた経営をするものの自分の息子の管理は出来ていなかった。父親が出張などでいないと、鬼のいない隙にとばかりここのホテル内を好き勝手に使うなど、評判を落として廃業に追い込む典型的なパターンでもある。


 「久し振りだね、元気そうでなによりだよ。あれからもう一ヶ月経つのに、僕は君との思い出が忘れられないでいんだ」


 私が手島に持つ思い出は一つだけなんだけど。そんな思い出話をするためだけに呼び出したの?


 「あの、渡す物って何でしょうか?」


 くだらない話ならさっさと切り上げたい。しかし手島はニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、裏庭が見える窓辺へ寄った。


 「僕が君に交際を申し込んだのはあのベンチだったな」


 促され仕方なく距離を取りながら同じ窓辺に立つと、眼下にはベンチが見えた。

 去年の秋だったか――この手島に呼び出され、告白をされたのだ。当時私は、オーナーの息子ということもあり断りづらく感じたものの気持ちに応えることはできないので、正直にお付き合いはできません、とお断りをしたのだ。

 そんな話を懐かしく思うほど私は手島に気持ちを一つも置いていない。再度用件を尋ねれば「つれないな。でも少しくらい話に付き合ってくれてもいいだろう?」そういって、苦笑しながら近くの机にあった茶封筒を私に寄越す。

 なんだろうと不審に思いながら中身を改めると、そこには雇用保険被保険者証、源泉徴収票、その他次の就職する予定だった系列ホテルに送られる私に関しての書類が纏めて入っていた。

 本来これらは仕事の話が無くなってすぐに私の自宅へ送られるはずだった。なのにどうしてまだここにあるのか……いや、私も確認しなかったから悪いんだけども。

 そして、何通かの手紙が束になって入っていた。これは――?


 「君宛の手紙だよ。封をしてあるのもあれば、部屋に備え付けのメモを使ったものまで。利用客からの君を惜しむメッセージが入っているそうだ」


 わ……嬉しい! 剥き出しのメモを見れば『海野さんと会いたかったからまたホテルに来たのに残念です。いつかまた戻ってきてくださいね』とか、『あなたのサービスでとても居心地の良い休暇が取れました』など、身に余る言葉が書かれていた。


 「……これを渡さなければ、また君がここへ帰ってきてくれると思っていた」


 手紙を何枚か捲る私に、手島は呟きのような言葉を溜息と共に零した。


 「気付いていただろう? 断られた腹いせに僕が手を回して君の仕事を奪っていた事を。あの時君はすぐに僕の元へ来て懇願すると思っていたんだ。お願いだから許して下さいと頼みにね……だが、来なかった。丁度リストラの話があって君を指名したのも僕だ。今度こそ来るかと思ったけれど、君はあっさり退職を飲み次へと行こうとするからそこも潰し……なんなんだ君は。どうして僕に『助けて下さい』の一言が言えない? そんなに僕の物になるのが嫌なのか!」


 ――言うわけないでしょう!


 喉元までせりあがった怒りの言葉を無理矢理飲み込む。手島の語る内容はまるで子供だ。いい大人のくせに、年齢ばかり重ねてそのあたりの分別が全くついていないようだ。レーンの王、マルちゃんの方がよっぽど大人だよ。一国を預かる身と比べるのは無体な話だけれど、この目の前でベラベラと喋る小さい男を見てなんだか可哀想になってしまった。黙る私に手島は益々自分に酔いしれ、私に言葉を投げつける。


 「僕がどうして君に手を入れたいか分かるかい?」


 知るわけがない。どうせ手近にいて思い通りになりそうな相手だとか、そんなくだらない理由じゃないかと当たりをつける。視線は手島から逸らしたまま窓を開け、外の空気に触れながら風に揺れる木々を眺めた。


 「まあ、単純な理由さ。君は見た目もいいし客からも従業員からも評判が良いからな。君にホテル経営を任せれば僕は一生安泰だ。それに君にとってもメリットがあるだろう? リゾートホテルオーナーの妻という座を苦労せず手に入れられるだなんて、逆に僕に感謝して欲しいくらいさ」

 

 どうしよう……折角美味しいもの食べたのに気分が悪い。――こんな言葉を聞かされて。


 「気に入らない人間は排除すればいいし、給料もうんと取れば良いさ。それで宝飾品でもバッグでもなんでも好きに買えばいい。わざわざこの僕がこんなにオイシイ話を持ちかけているんだ。乗らないわけがないよな?」


 ……だめだ、本当にバカだ。

 私は前にマルちゃんに言ったのをこの手島ボンに教える気にはなれなかった。説教する価値もない。言った所で一ミクロンも理解できるとは思わなかったから。


 「お断りします」


 「そうか、受けてくれるか……えっ?」


 今度はひたりと視線を合わせて大きな声で、はっきりと口にする。

 

 「お断りしますって言ったんです。私はもう二度とあなたと関わりたくありませんから」


 ぬるい。ぬるすぎるのよこの人。


 「何もかもあなたの思い通りに動くと思ったら大間違いです。物事には権利と義務、需要と供給、色々やったからこそ手に入れられるものがあるんです。あなたは何をしてきましたか? このホテル次期オーナーを名乗るあなたは、何が出来ますか?」


 それが分からない内は名乗る資格も無いわ。

 受け取るものは受け取ったし、本当に大好きな職場だったけれど二度と来ることは無いだろう。――手島がいる限りは。

 踵を返して出入り口に向かおうとしたら、さっと横に手が伸びた。手島が私の進路を阻む。


 「何のつもりですか?」


 「お前……っ、ふざけんなよ! この僕がこんなにも下手に出てやったのに何のつもりだ! 僕を誰だと思っている!」


 「自称次期オーナーでしたね? 自称が取れたらご立派ですけど。あなたのその言葉、下手に出るという態度ではありませんよ。それに私はもう辞めた身です。あなたに従ういわれはありません」


 じり、と後に下がるが、踵が窓際の壁に当たった時点でこれ以上逃げられないことは分かってしまった。手島はその距離を測った上で更に詰める。危機感を募らせながらも、私は最後通牒を下した。


 「それに私は、もう決めた人がいますから」


 「……っ! だったら力ずくでもモノにするさ!」


 考えが浅く短絡的なお坊ちゃまの考える事などたかが知れている。こんな人の気配のない建物奥の第二会議室に呼び出す時点で、最後にそう出ることは予想していた。なるべく穏便にと思っていた私が、大胆にも相手の火に油を注ぐようなセリフを言うのは勿論勝算あっての事。

 飛びかかる手島を横へのステップで交わし、大きく開いた窓枠に足をかける。


 「さよなら!」





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