* 番外編 一週間 10
電車、といっても新幹線で。
翔から軍資金にはまだまだ余裕がある。必要な物を必要なだけ買う私には余る金額なので、貯金……とも思ったけれどジェネが一緒にいる今、思い切って使おうと決めた。
バスで主要駅まで向かい、そこから新幹線に乗り込む。朝の首都圏へ向かうラッシュは一通り落ち着き、長いホームは乗車を待つ人もそう多くはない。まあ、のぞみが止まらないからそんなものかもしれないけど。
約四十分新幹線に乗り、そこから更に電車に乗り換え着いた先は――。
静岡県伊東市にある、伊豆高原。
静岡県東部に位置する伊豆半島の観光地のなかの一つであり、山あり海あり気候も温暖ということで首都圏からの観光客はもとより有名企業の保養所、別荘、ホテル、そして一般に売り出された別荘、貸別荘があちらこちらに点在している。温泉も湧き、観光施設もありのリゾート地だ。中でも大室山という火山だった標高五百八十メートルの山に登って、火山口周りの稜線をを歩く『御鉢巡り』をしながら望む景色は最高に気持ちがいい。登る、といってもリフトがあり、往復それに乗って移動するのだ。毎年冬に行われる山焼きで、山全体が丸坊主に焼かれる。よって大きな木など生えない草山は、まるで人工物を思わせた。
サヤカとシフトが違う一人だけの休日、ここに登って頂上にある売店で牛乳を一本飲むのが楽しみだった。視界に入る大室山を眺めながら、帰りにジェネと寄っていこうと心に決める。
駅から乗ったリゾートホテルの送迎バスに揺られながらそう思うと、これから会わなければならない相手――手島に対しての陰鬱な気分が少しだけ軽くなれた。
程なくして着いたのは、リゾートホテルの正面玄関。
ほんの一ヶ月前まで勤めていた……というのはこちらの世界だけで、ディスカバラントという世界を旅していた私には非常に懐かしい思いに駆られていた。嫌で辞めたわけではないので、どれもこれも愛着がある。勿論同僚も。
送迎バスの運転手のおじさんは、定年退職した後に専属の運転手へとなった優しい人。正面玄関にいるドアマンのイケメンお兄さんはちょっとごつい体をしているんだけど、それは警備も兼ねてだと言っていた。フロントのお姉さん達はいつも隙もなくビシッと身を固めているけれど、お客様対応の時は柔和な笑顔を浮かべてご案内をする格好いい先輩だ。
それぞれが皆私に会うなり、「良く来てくれたね!」と歓迎してくれた。私がリストラされたのは周知の事実で、それによって私がもう二度と寄り付いてくれないかもと話していたらしい。そして傍らにいるジェネを見て、何故か「そういうことか」と納得された。ええっ? どういう意味なのそれって!
「翔子ちゃん、良く来てくれたわ」
フロント近くにいたコンシェルジュの鳥沢さんが、私たちに気付いて声をかけてくれた。
鳥沢さんは元々地元観光協会に勤めていた人で、結婚出産で一旦は仕事を辞めていたけれど、地元に顔が効く人なので、ここのオーナーが是非にと子育てがひと段落した鳥沢さんを引っ張ってきたのだ。優しい物腰で客に無理難題を吹っかけられても臆することなく対応し、例えそのものが用意出来なくても代替で済ませられるようお客様に提案できる手腕は、鳥沢さんだからこそ。
就職して寮に入り気を張りすぎていた私を、優しく解してくれたのもこの鳥沢さんで、私が大好きな一人である。
「鳥沢さんお久し振りです! ろくに挨拶もしないまま辞めてしまってすみませんでした」
「そうよ翔子ちゃんたら、サッサと出て行ってしまうんですもの。こんな形で辞めさせられたんだから、せめて送別会ぐらいパーッとしたかったわ」
チェックアウトのピークも過ぎ、ランチタイム手前の時間でよかった。凛とした立ち姿の美しい鳥沢さんが顔を顰め不満げな顔を露わにするなど、ありえない光景を客に晒す所だった。
「本当は正面からでは悪いと思ったのですけど、従業員じゃなくなったし……」
元従業員という微妙な立場を計り、混雑のタイミングをずらすなどしてみたけれどそれも鳥沢さんにとっては「他人行儀過ぎる!」と怒られた。
「いい? ここの従業員はみんな家族なの! 色々配慮できる立派な娘よ。それをあの勘違い坊ちゃんが勝手をするから!」
ヒートアップする鳥沢さんを宥め、サヤカを呼び出してもらう。そしてランチを食べたいと申し出ると、「嬉しい事言ってくれるじゃない、料理長も喜ぶわ」と受話器を手にする。内線で予約を取り、改めて私と向き直ると、それまで少し後方で私の邪魔になるまいと気配を消していたジェネにようやく視線を向けた鳥沢さんは「まあ、まあ、まあ!」と私とジェネを交互に見やって両手を一回叩いた。
「翔子ちゃん! この方ひょっとして……!」
「え、あの、か、彼氏、です」
「初めまして。ジェネシズ・バルドゥと申します」
相変わらず彼氏という単語につっかえる私の傍に、控えめながら並んだジェネはそう自己紹介をした。すると上気した頬で鳥沢さんはがしっと私の手を胸の前で掴み、目をキラキラさせてこういった。
「そっか、そっか! 翔子ちゃん、やだ嬉しいわ! ここの式場で彼氏とけっ……」
「きゃぁぁぁっ!!」
慌てて鳥沢さんに掴まれた手のまま、引きずるようにしてフロント傍にある簡素なパーテーションに区切られた影に滑り込んだ。
(ちょ、ちょっと鳥沢さん! ちちち違いますって!)
(あら私てっきりウエディングプラン使ってくれるのかと!)
(~~っ!!)
「翔子! ……んん? 鳥沢さんも? 何やっているのこんな所で」
後から呆れた口調で聞こえてきたのは――。
「どうしたの顔真っ赤にして」
パーテーションからひょこっと顔を出すのは、親友のサヤカだった。
「サヤカ!」
「翔子!」
パッと鳥沢さんの手を離して、私はサヤカにぎゅうっと抱きつく。これはサヤカと恒例の挨拶でもあるのだ。
「生身の翔子と久し振りに会えたー!」
「うんうん! 嬉しいっ! サヤカー!」
一ヶ月振りとなる再会の挨拶を交わした所で、はた、と思い出す。
――しまった、サヤカにジェネの事言ってない……っ!
大室山
http://www.i-younet.ne.jp/~oh-murol/
牛乳美味しいです。リフト乗り場の焼きたてお菓子の匂いに誘われつい買ってしまう。




