* 番外編 一週間 9
けたたましい携帯の呼び出し音で目が覚める。
昨夜は飲み会だったし、家にたどり着いてからは素直に寝かせてもらえるはずもなく、結局外が明るみ始めてから眠りに落ちた。
数回の呼び出し後に切れた携帯電話はベッドボードに置いてある。それを掴み、けだるい体を起こして画面を見れば見知った名前が履歴に記されて……。
「んん……サヤカ?」
リストラになってしまった前の職場の同僚であり、親友。
こちらの世界に来てから何度か連絡は取り合っていた。それこそ取り留めのない話からサヤカの恋人とのノロケ話から、翔子の今後について。
ジェネが来る前の一ヶ月、前半はそれなりに明るく話せたし楽しかったけれど、後半あまりに心細くて、不安で、先のことなんか真っ暗で……徐々に返事も暗くなった。そんな微妙な変化をサヤカは分かっていて、「話せないことならそれでもいいよ。でも辛いなら声に出さないと。言えるまで、私は待ってるからね?」そう言って、こちらの気持ちを推し量り、私が落ち着くまで待っていてくれたのだ。
「――ショーコ?」
「あ、ゴメンね。電話があって……」
そういいながら発信ボタンを押す。この時間、といっても大半の社会が動き出す時間だ。リゾートホテルに勤めるサヤカにしては珍しいタイミングで電話をしてくるから、よっぽど何かあったのかと心配し、即座に折り返す。
二回目のコール音で繋がった。あちらも再度掛ける所だったのかもしれない。
「もしもし、サヤカ?」
「あっ、翔子! ごめんねこんな時間に。いま大丈夫?」
「うん、平気よ。何かあったの?」
するとサヤカはうーんと唸り、言うか言うまいか迷うそぶりを見せた。けれど結局伝えなければならない内容だったようで、躊躇いながらも口を開いた。
「それが……ショーコ、なにか忘れ物した?」
忘れ物ってなんだろう? 私は荷物が多いほうではない。現に引越しといっても大きなバッグ一つで、それを持って寮を後にしたのだ。そう伝えると、サヤカは「落ち着いてよく聞いてね?」と大きく息を吐いた。
「手島ボンがさ、夜勤明けの私に翔子の物を預かっているって言ってきたのよ。翔子と仲がいいの知ってて伝えるのは分かるけれどさ、だったらそれ私に渡すなり郵送するなりすればいいじゃない? でも言うだけ。おかしいわよね? つまり取りに来いって私に言わせたいんですかって聞いたわ。そしたらなんていったと思う? あいつ!」
手島ボンというのは、リゾートホテル支配人手島の息子に対しての隠語だ。当時の怒りを思い出してか、カッカしながらサヤカは続きを話す。
「理解が早くて助かるよ、ですってー! ああ腹の立つ! 二代目ボンボンって大体親の会社潰すのよ!! もーだれか、外部の人に継がせてちょうだい!」
元々サヤカはオーナーの息子にいい印象を持っていない。一番のキッカケは、私が彼を振ってからの風当たりの強さに憤慨しての事だ。
元々弱い立場で断りにくいのを分かった上でホテルの裏手に呼び出し、付き合ってくれと告白をしてきた。だけど私は気持ちもないのに付き合うだなんて、そんな不誠実な行為はどうしても出来ない。
断った翌日から、任される仕事が極端に減った。いつも私がやっていた配膳や受付業務、部屋の案内など表に出る仕事がなくなり、調理場やベッドメイキング、清掃などに回された。あからさま過ぎて私は軽く呆れただけだったけど、サヤカの怒りっぷりはすごかった。見た目はふわふわして、まるでパステルカラーで彩られたような容姿をしているのに、中身は……本人の名誉の為に言うのも憚れるほど、熱い。
――ふっざけんなボンめ! パパの後からじゃないと何も出来ないくせにこういうことばっかり気が回ってアホかー!
一喝してやるわ! と、本当に駆け出し、それを慌てて止めたのは私だ。猪突猛進なサヤカをどうにか宥めて血祭り一歩手前で事を収めた。……手島ボンにとって私は命の恩人だと思う。心の中で一方的に恩を着せておいた。
それに、私は元々裏方が好き。家でずっと家事をやっていたせいもあり、いかに居心地良くこのホテルでお客様に過ごせていただけるか。その気持ちを持って仕事をするのは家事と似ていて性にあっている。従業員の皆も、仕事を割り振れないのをこっそりとだけど心配してくれた。厨房の料理長はどうせなら厨房だけで働かないかと言われてしまったけれど、専属になる前にまだ色々経験したかったので丁重にお断りを入れた。
緑の気配が濃くなり朝晩の涼しさを除けば、夏の気配を感じる風が吹く。
いつもの時間に寮を出てホテルに出勤した私へ、突然それは告げられた。
――リストラ、ですか。
――すまんね。君はまだ若いから再雇用も可能だろう。しかしこの職場はそれが厳しくなる人が多々いる。飲んでくれ。
このことにもサヤカは爆発した。今回のリストラは五名だけだったが、サヤカはその候補に入っていない。それにも噛み付いた。
「ったりまえじゃないの! これ絶対翔子への仕返しよ。翔子を辞めさせて、私を残すだなんてあてつけもいいところよ。しかもなに、今度は系列ホテルを紹介だぁ? 目の届く所に置いて、ほどぼり冷めたら俺のお陰ーとか言っちゃってまた翔子を狙う気よ? 見え透いた手ぇ使うんじゃないわ全く!」
しかし、業績不振は予約台帳を見れば明らかだし、何より私はサヤカよりは身軽だ。バッグ一つで移動できるし、母親は仕事で半月以上家を空けてるし、弟の翔は県外へ就職してるし。
サヤカはと見れば、実家はこのホテルと同じ市内で、彼氏は出入りの業者。比べるまでもなく、適合者は私だ。
素直に分かりました、と頷きサッサと荷物をまとめて出る。同情貰いながら居座るなんてそこまで神経太くない。すでに系列ホテルに就職できるよう、こちらのホテルから話は通っているらしいし、書類やその他諸々送ってもらう手筈も整えてくれた。あとは面接を残すのみで、急いでホテルを後にした――――ら、何故か異世界へ呼ばれちゃったんだけど。
何があるか分からないわ、全く。
手島ボンは結局何が目的なのか全く見当はつかないけれど、何かしら用事があるのだろう。ひょっとしたら書類関係かな? 提携ホテルに送られるはずだった書類は、自宅に届く事もなく宙ぶらりんになっていたから。
次の就職先を潰されたけれど、今となっては異世界に行く身。下手に就職もしていたら即辞める訳にもいかないので、丁度良かったなとチャッカリ思った。
行って帰ってくるだけなら半日もあればいけそうだ。時計を見ながら移動時間を計り、サヤカにもそう伝えて電話を切った。
「ショーコ、どこかへいくのか?」
いつの間にかジェネも上半身を起こして背後に体を寄せ、太くて逞しい腕は私の首と腰に巻かれていた。やわやわと肌を撫でられ……って、服着なきゃ!
「ジェネ、ごめん! 今日ちょっと出掛ける!」
「どこへ?」
「えーと、前の職場。また電車に乗って忘れ物を取りに行かなきゃなの」
言いながら、ジェネの腕をすり抜けてクローゼットを開ける。衣服を身に着けつつジェネは連れて行っていいものか迷った。もちろん一人で残しても大丈夫だろうが、私はひと時といえど離れていたくないと思っている。あちらの世界に戻ったら、このように甘い時間を過ごせる時間があるかどうか不明なのだ。
だったら――ホテルにあるレストランのランチを、客として一緒に食べに行けばいいかな、と考えた。あの料理長の作る美味しい食事をジェネと一緒に味わいたい。
「ジェネ、一緒に行ってくれる?」
「勿論」
ジェネも身なりを整え、バスと電車を乗り継いで観光名所でもあるリゾートホテルへと向かった。
電車、といっても新幹線で。
翔から軍資金にはまだまだ余裕がある。必要な物を必要なだけ買う私には余る金額なので、貯金……とも思ったけれどジェネが一緒にいる今、思い切って使いきってやろうと思う。
バスで主要駅まで向かい、そこから新幹線に乗り込む。朝の首都圏へ向かうラッシュは落ち着き、長いホームは乗車を待つ人もそう多くはない。まあ、のぞみが止まらないからそんなものかもしれないけど。
約四十分新幹線に乗り、そこから更に電車に乗り換え着いた先は……。