* 番外編 一週間 8
*話は遡り空手道場へ向かう前の出来事*
「え、なに?」
「だから、彼氏に会わせてっていってるのよ。今日街に行ってたでしょ? 翔子が超イケメンの彼氏連れていたって見かけた人がいたのー!」
うわあ……見られていたんだ。
ジェネとデパートへ行って帰ってきてからというもの――。カーテンも開けずに昼夜問わず、好きなだけ体を重ねてそのまま寄り添って寝て。起きても気付いたらあらぬ場所へ手を這われ、ベッドから離してもらえずにいた……それこそトイレ以外。その小さな個室は断固として拒否した。いくら私でも許容範囲というものがあるのだ。
それ以外は常にどこか触れ合っていた。まさに蜜月。
お風呂でも食事でも手を繋いでいたり、腰に手を回されていたり。悪い気がしないどころか、私の方が触れていたくて繋がっていたくて仕方がないので、どっちもどっちだ。何よ、ジェネってこんなに甘い人だったの? って思うほどに雰囲気が柔らかく、視線だけで蕩けそう。
お陰で食事を作るのは難しくて……よかった。本当によかったよ作っておいて。ジェネが寝ている初日にかなり大量に準備をしていたから。それらは温めるだけだったり、冷蔵庫から出せばすぐに食べられる状態。本当だったら一週間でちょっとずつ食べていけばいいななんて思ったのに、ジェネの食欲の前ではあっけなく敗北した。
夕方買出しに出て帰って来た丁度のタイミングで携帯電話が鳴った。そして「会わせて」発言へと繋がったのだ。
「え、と……」
「だってさ、初めてじゃない? 翔子が彼氏できたのって! ね、いつなら大丈夫?」
高校時代の友人で、私が帰省するタイミングに合わせて毎回飲み会をセッティングしてくれる面倒見のいい子なんだけど、いかんせん押しが強い。もうすでに彼女の中で会えるのが当然として日程の調整に入っているのが素早い所だ。
「いつ、いつって、その……」
一週間だけこちらの世界にいられるけれど、その後の予定は全く立っていない。『扉』を開く修行次第では行き来が可能になるだろうけれど、ジェネは近衛隊長なのでそう簡単に抜け出せないと思う。
「じゃあ明日の夜は? お願い、ちょっと顔出すだけでもいいから!」
「ちょっとだけ? うーん……私もみんなと会いたいし……じゃあ、本当に顔出すだけね?」
そうして明日の夜七時主要駅近くの居酒屋と話がついて、ぱちんと携帯を畳みサイドボードに置いた。駅で夜会うのだし、その前に折角だからデートをしたい。デート! 憧れの!
そして翌日、腰が重くて足の普段だったら絶対使わない筋が痛みながらも、ジェネと二人で出かけた。日帰り範囲の近場で、バスと電車を乗り継いで遊園地へ。見目もよく上背もあるから注目を集めるジェネだったけれど、本人はどこ吹く風で受け流す。敵意のこもらない視線は気にならないそうだ。
一緒にジェットコースターに乗れば「風の精霊に運ばれた時を思い出す」といい、お化け屋敷に入れば「闇の精霊の方が本格的だな」と若干ずれた感想を洩らし、シューティングゲームの様な乗り物ではあっという間にコツを掴み「弓矢よりも簡単に仕留められるな」と物騒なセリフで隣にいたカップルにぎょっとされた。
楽しい? と無表情を張り付かせているジェネにおそるおそる尋ねれば「こういうものだと理解はしているし、楽しい。しかし俺は、ショーコが笑顔で横にいるという事実がなによりも嬉しい」なんて感情の読めない顔だとしても、じっと見つめられながら言われてしまうと即座に私の心拍数は跳ね上がる。
だから私もだよって言葉で伝える代わりに、黙って手を繋ぎ指を絡めた。ジェネもきゅっと握り返し、そっと二人の開いた隙間を埋めた。
帰りは電車で、主要駅に向かって走り出す。ドアに近いベンチシートでガタゴト揺られるうちに、いつの間にかジェネに寄りかかって寝ていた私。相変わらず『恋人繋ぎ』で指を絡めたまま、体も気持ちも頼れる相手だからかな。
「着いたぞ」と声をかけられるまでグッスリと寝てしまった。
「うわっ! ゴメンねジェネ、私寝ちゃってた……」
「かまわない。ショーコの寝顔をじっくり見られたし、頼られるのは存外心地の良いものだ。それに――疲れた原因は俺に由来するんだろう?」
「……!」
午後七時。繁華街の喧騒は薄闇の深さに比例して大きくなっていく気がする。
高校時代の友達と飲むといったら、大体この店が選ばれる。駅から程近く、料理も美味しい。なにより常連だから多少の時間の融通などしてくれるありがたいお店なので重宝している。
「らっしゃいませー」
入り口の暖簾をくぐると、店員の元気な掛け声が飛び込んでくる。
カウンター席が左側に、個室風の座敷が右側をいくつか連ねていて、一番奥の席が大人数が入れる広間となっていた。
「マメ先輩ー、生中三つ追加ー」「了解! あと他に注文あるー?」など合コンらしき集団も見受けられる。
店員に待ち合わせと友人の名前を告げれば、店の奥の広間へと誘導された。その道すがら、きゃあっと黄色い声がそこかしこに上がるのは、まあジェネを見た女性ならあるよね。私も同じ立場だったら同じ様に色めき立ち、同じ様な声をあげただろう。
「こんばんはー」
広間の入り口には暖簾がかかり、それをくぐって挨拶をかければピタッと賑やかだった声が一瞬止んだ。え、なに? とキョトンとしていたら、今度は湧き上がるような声がそこかしこで上がった。
「きゃー! 翔子久し振りー!!」
「誰、噂の彼、どこどこ?!」
「翔子元気そうで良かった」
「例の彼早く紹介してよ!」
「もー、一度に言わないでー!」
久し振りに味わう高校時代のテンションに、後から参加するとすぐには馴染めない。一旦落ち着いてと宥めながら、今回参加したメンバーをぐるりと見回す。
出入り口付近には、昨日電話をしてきて幹事の友人が座り、その周囲は女性メンバーで占められている。奥座敷には同じ学年の男性が始まって間もないはずなのに、大分ジョッキが開けられていた。早いピッチで進んでいたようで、幾分顔が赤らんでいる。ザッと見た感じ二十人ほどで男女比はほぼ半々だ。そのなかで、どこか最近見たことあるような気がする男性がいたけれど、目が合うなり何故か真っ赤に染まり顔を伏せられてしまった。……えーと、誰だっけ?
「ねえ翔子。早く彼氏紹介してよ」
幹事の彼女がせっつき、ああ、と暖簾の向こうに声をかける。
「ジェネ、入ってきて」
そして私に続き広間に大きな体躯を若干縮めて入ってきたジェネを見て、何故かみんなポカンと仰ぎ見た。
「えーっと、こちらが、その……私のか、か、彼、氏の……ジェネシズです」
「初めまして」
彼氏、と言うのが初めてなだけにとても恥ずかしく、どくどくと心臓の音が跳ねながらジェネを紹介し、そのジェネはというと落ち着き払った声色で挨拶をした。
ジェネは、奥座敷にいる男性の方に向かい、普段だったら絶対に動かない口の端を緩め、にこりと笑った。
「どうぞよろしく」
ガタ、と男性陣は持っていたジョッキをテーブルに置き、何故か一様に顔色を悪くした。逆に女性からは「きゃああっ!」と上擦った声が上がった。
「ちょっと、翔子! どこで見つけたのこんなカッコいい人!」
「えー、えっと……」
「外国人よね? どこの国の人?」
「綺麗な目の色しているのね!」
「何歳なの? やだ超カッコいいんですけどー」
「スポーツやっているの? すっごい筋肉!」
「だから、一度に喋らないでー!」
質問攻めに合った私達は、ジェネと打ち合わせたとおりに話す。
『ヨーロッパ辺りの政府公認SPで、休暇を使って日本にやってきた。たまたま翔子の職場であるリゾートホテルに滞在していて、そこで知り合った。国家機密レベルなのでこれ以上は話せない』
――というのが、ジェネのこちらの世界での設定だ。
異世界やら近衛隊長やらなんて言っても絵空事だ。もちろんあちらの世界を舞台にした小説は、子供からお年寄りまで知っている有名な話だけれど、まさかその世界からやってきたなんて信じてもらえるはずもなく、ちょっと疲れているんじゃない? って心配されるのがオチだ。黙っているに限る。
女子に囲まれたジェネは意外にも丁寧な態度で質問に答え、そつがない。進められるままビールを飲み(好きだしね)、なんとも柔らかな笑みを浮かべて対応に当たっていた。
ちょっと、ちょっとー! 笑顔安売りしすぎじゃないのジェネってば! 私でさえごくまれな頻度の笑顔にそんな無駄打ちされて……ずるいっ!
むうっと内心の面白くない気持ちに、生絞りグレープフルーツサワーを流し込んだ。
「翔子、でもよかったわ。私安心したのよ」
幹事が私の持つグラスにカチンと自分のそれを当てて、一口飲む。
「安心? なにが?」
「翔子に、やっと彼氏が出来たこと」
「やっ……そ、うん。ありがと」
「私達みんな安心したのよ。これで水面下の小競り合いがなくなるって」
何その小競り合いって……初耳なんですけど。
あまりに私がキョトンとしていたから、「ああ、そうね、翔子は知らないか」そう言って、高校時代何があったのかを教えてくれた。
――――やたらに綺麗な顔した男女の双子が同学年にいるらしいって噂が広まったのは、それこそまさに入学式その日のことよ。私と翔子って最初は違うクラスだったじゃない? 私、こんなにも早く噂が拡散するだなんてよっぽどの事じゃない! って思って、早速見にいったの……ああそうよ? 初日やけに廊下に人が溢れていると思わなかった? あれって、翔子と翔君を見るためよ。
翔君は……うん。まあ……その……。えぇ? 何の事かって? うーん……もう時効よね。確かに翔君って顔はいいんだけどさ、それって『黙ってれば』なのよ。カッコイイっていうよりも、どこか人好きのする笑顔が張り付いてるから、折角の顔のよさが隠れちゃうし。何よりよく喋るしやること規格外だし……自然とモテ率下がるのよ。
それにさ、言いにくいんだけど翔子への恋愛フラグを叩き折ってたの翔君なのよ。ちょっと、落ち着いて落ち着いて! 順を追っていうから!
まずさ、翔子ってホントに純情可憐天然美少女って絵に描いた様な子でさ。いいじゃないの、本当の事よ。それで、翔子の事いいなーって男どもが多々いたわけよ。でも翔子ってば下校時刻になればすっとんで家に帰っちゃうし、土日はバイトしてたし、隙がないの。まあ興味も無かった様だからそれはそれでいいんだけど。でも問題なのは男子よ。いつ告白しようか、いつ想いを伝えようかっていうのがワラワラいたはずなんだけど……日が経つにつれ、一人減り、二人減り……いつの間にか、一定の距離を取っていたの。翔子は気付いていなかったかもしれないけれど、当然話題になったわ。何でこんな分かりやすく引いたのかって。んで、私達はその中で一番翔子を狙っていて分かりやすく萎んだ人に聞いたの。そしたら。
――いやっ、俺何も知らない何も見ていない何も聞こえない!
そういって逃げようとするから、無理矢理答えさせたわ。どうやら翔君がそれこそ各個撃破で潰していったみたいよ? 方法は各個人で様々らしいけどね。彼の場合は精神的に追い詰められたって顔を真っ青にしていたわ。他に何人かに当たってみたけれど、力づくってのもあったわね。『翔は相当なシスコンで、姉に手を出したら末代まで祟られる』ってあながち間違いじゃない噂も広がったわ。
……き、聞かなきゃよかったかも。私全然知らなかったよそんなことがあっただなんて。翔の暗躍がなかったら、私ひょっとして高校時代彼氏ができていたかも?
うーん……でも、今となってはありがたいかも。だって、隣にいるのは。
「今日さ、平日にもかかわらずこれだけ急に集まったってのは、女子は翔子の彼氏を見たかったからで、男子は……まだ足掻くつもりだったからよ。でもあの様子見ればコテンパンね」
そう顎で指し示す先は、まるでそこだけ照明を落としたかの様に、一様に深く沈んでいた。
――今日は楽しかった。また飲みましょうね? ジェネシズさんも良かったらご一緒に――
そういってみんなと別れた終電間近。この時間ではバスもなく、電車だと結構な距離になる為タクシーを使った。ジェネを奥に、私はそれに続いて後部座席に座る。
車内で、ジェネに「随分愛想が良かったじゃないの」と、ヤキモチなのは分かっていたけどつい口に出さずにはいられなかった。
そんな私に、ジェネはポンポンと左手で私の頭を撫で、そのまま手を下ろして肩を抱き寄せてきた。
「まあな。ショーコの友達相手だからな」
「私の友達相手だから?」
「ああ。それに……」
「それに?」
「牽制の意味も込めて」
低く囁かれた言葉とともに、つむじにキスが落ちてきた。
うわっ、ちょっと、運転手さんもいるのに!
意味を聞きたくても、ジェネはそれ以上言うつもりがないらしく、家までただひたすら体を寄せ合って到着を待った。