* 番外編 一週間 6
「とても美しい体術ですね。力強いです」
基本型、慈恩、岩鶴、抜塞……などなど、様々な空手の型を披露してくれたアキラちゃんは、額に汗を滲ませて、手首足首をブラブラと解す。
「じゃあもういいでしょ? 組手、お願いします」
アキラちゃんは真っ直ぐジェネの目を射抜く。キラキラしたその瞳は、ただ強い人と戦える興奮に満ちていた。――おじさん、アキラちゃんは格闘技に恋していますよ? ……そこの少年、アキラちゃんにはまだまだ恋愛感情無理だと思うわよ? ……と、アキラちゃんにぽおっと見惚れている先程の少年へ心の中でそっと忠告した。
「わかった。だが俺は我流だ。それでも?」
軽く体を解しながらジェネは問う。にっとアキラちゃんは笑顔全開で「望む所よ!」と姿勢を正し、ジェネがその向かいへと立つ。ピリッとした緊張感が私の肌を刺激してくる。おじさんの合図があるまで、ただ二人向かい合って立っているだけのように見えるけれど、お互い力を推し量っているのは何となく読み取れた。
「はじめっ!」
おじさんの下腹から力強く放たれた合図に、両者はただじっと相手を見据えていた。相手の力量を推し量るかのように見える。ジェネが、す、と右手を軽く上げるとアキラちゃんは僅かに右足を後方へずらす。そして一瞬の間をあけ、アキラちゃんはぐっと姿勢を屈め一歩前へ踏み込み、素早く突きを繰り出す。それをジェネは腕でふわりと絡めとるように弧を描いて受け流した。しかし一撃で済むとは最初から思っていなかったようで、アキラちゃんはそのままもう一歩踏み込み、くるりと半回転して回し蹴りをジェネの首筋に決めようとする。それすらも同じ片腕で受け流し、そして――。
ドォンっと音がしたと思ったら、アキラちゃんがお尻から畳へ落とされていた。え、一体何があったの?!
私にはサッパリ見えなかったけれど、ジェネはどうやら回し蹴りの軸である足を払ったらしい。おじさんがそう苦笑しながら私に教えてくれた。
「僅か三手とはな。――彼は一体何をやっている人なんだい?」
おじさんは興味深そうにジェネをしげしげと観察しながらジェネの出自を尋ねる。しかし「異世界のレーンという国で、近衛隊長やっています」だなんて言えないし、たとえ本当の事を言った所で冗談だと受け止められるだろう。
「えーっと、そ、そうですね、ヨーロッパ辺りのSPやっているんですよ。国家機密レベル? になるんで詳しいことは言えないみたいですが」
苦しい説明をする私の挙動不審な態度を、おじさんは単に秘密にしなければならないなら仕方ないなと特に追求せずに、再び道場の中央に目を向ける。
もう一本、もう一本と負けたのを気にした風もなく組手をねだるアキラちゃん。それをジェネはアキラちゃんの細かなクセを見つけては指摘して修正する。前にバッツが言っていた通り、部下に対して非常に面倒見がいいというのはこういう所なのかもしれない。
「十四歳だったか? 私の動きで反応できるいい感覚の持ち主だ。ただ今までは力技でも良かったが、これからは一段階上に行く方がより伸びる。型を見る限り直線が多いが、それにしなやかな動きを取り入れるだけでも……」
決して大きな声ではないが、耳に伝わる声はとても艶やかな張りのある声だ。うっとりと聞きほれていたけど、ふと周りを見れば皆一言でも聞き漏らすまいと耳を傾けていた。おじさんはそんな二人の様子を見ながら顎に手をやった。
「しかし、アキラでは絶対に勝てない。ジェネシズさんは恐ろしく腕が立つだろうからな」
「なんでですか?」
「足元をよく見るんだ。彼は最初の立ち位置から全く動いていない」
あ、とジェネの足の位置を見れば、確かに全く変わっていなかった。
「受け流してくれたのはアキラに負担を掛けない為だろう。剛に剛で返せば強く反発しあい同じだけ自分にもダメージがある。その柔らかさが足りない直情型のアキラに教えるためだな。ううむ、ジェネシズさんはどれだけ強いのか私も手合わせをお願いしたくなったよ」
言葉通り本当に掛かって行きそうだ。流石アキラちゃんの父親だけある。
いつの間にかジェネとアキラちゃんの周りには門下生――大人からチビッ子まで――が集まり、順番に組手を始めていた。そして幾度か手を合わせた後にジェネのワンポイントアドバイス(まさにそんな感じ)をもらい、再び列の最終尾へと並びなおしている。
件の彼も並び、それこそアドバイスを必死に求めていた。彼も、一般レベルから見ればなかなかの腕らしいが、その上を行くのがアキラちゃんなのだ。おじさんは彼を焚きつければアキラちゃんを更に上の段階へ押し上げてくれると目論んでいる様で、彼の恋心に気付きながらも利用しているみたいだ。
でも……私が思うに、おじさんは本当にアキラちゃんと彼が恋仲になったら相当荒れるんじゃないかなと。そのいつか来るかもしれない未来の為に、頑張って強くなって欲しいと思う。
「翔君はね、そりゃあデタラメな強さだったけどな……強くなる為の理由があったからなんだ」
おじさんは、ジェネから視線を外さずに語りかけてきた。突然何故か翔の話になって驚きはしたものの、当時の翔の心境が知れるとあって黙って続きを待つ。
「あれは翔子ちゃんも翔君も五歳の頃だったか? いつも二人で過ごしていて、あのアパートに住む母子家庭の子供。幼稚園も通っていない、と近所では有名だったんだ。口さがない人間はどこにもいて、やれ育児放棄だなんだと下世話な噂をされていてな。翔子ちゃん、黙って耐えてただろ? あの顔は、言われている事を理解していて、だけど言葉を飲み込んでいるって表情だ」
――見ていてくれたんだ。
その事実に、心の片隅にいた幼い頃の自分がポッと温かな光に灯された気がした。
確かに私は分かっていた。一方的に傷つける言葉を投げつけてくる相手に対し、所詮五歳児の反論など痛くも痒くもないだろう。それどころか痛くもない腹を探られて、我が家の内情が伝わる事がとても恐ろしかった。
私と翔を育てる為に朝から晩まで働くお母さん。生まれ時間は殆ど変わらないけど、弟である翔を守ろうと必死に両足で全てを支えた。
でも自分のことで精一杯だった私は、他の大人に目を向けることがなかったんだ。頼ってしまうと、自分が築き上げた矜持が崩れてしまいそうで。
「ある時ね、翔君がいつもいつもこの道場の窓から覗いているのに気付いたんだ。空手やるかい? って聞いたんだが、そしたら翔君……『ぼくんちおかねないからできないよ。でもみてていーい?』と、にっこり笑うんだ。なんというか、言っている言葉は切ないが、あまりにアッサリしていて毒気を抜かれるというか……。
それで一ヶ月ほど経った頃かな? 熱心に見ているその姿に興味が湧いて聞いてみたんだ。どうして空手を見ているのかと。それまでニコニコした笑顔でいたのに、急に男の顔をして言うんだ。『まもりたいものがある』――いやー、シビれたね! 自身だってまだチビッ子の癖にいっぱしの男のツラを持ってくるとはやってくれる。どう成長するのか見てみたくなってな? 出世払いだとどうにか言いくるめて、これから通うようにってしたんだ。
……守りたいもの、それは翔子ちゃんと母親だ。どうだい、あいつ今も守れているか?」