* 番外編 一週間 2
パツパツジャージでバスに乗るのは流石に目立つよね、とタクシーを呼んだ。
自宅アパートから営業所始発点である停留所までは徒歩十分。そこまでは商店街が建ち並び、田舎だけにジェネの容貌はかなり目立つだろう。私だってビックリするよ!
戸締りして、ジェネと一緒に表に出る。
丁度そこに呼んだタクシーが滑り込んできた。
「さ、乗るよジェネ」
「あ、ああ……」
ぎこちなく頷くジェネに、うっかり生活習慣が違うのを忘れていた。あっちの世界じゃ馬車に当たるのよ、と小声で伝えとにかく奥へと押し込んだ。
「駅前のデパートまでお願いします」
行き先を運転手さんに伝えた。私の住むこの地域の最寄り駅までは徒歩三十分はかかる。なぜかここのバスは最寄駅に行ってくれず、一駅先の県庁所在地の大きな駅へ三十分かけて走らせる。したがって自宅近辺に住む人はバスで主要駅に向かうのだ。
まあ、ジェネのこの姿では電車でも目立つだろうけど。
「ショーコ、地面が固いんだな」
「あ、舗装されているから。車……うん、今乗っているこれの事なんだけど、走りやすくする為なのよ」
「空には……一つだけ、か」
「うん。こっちでは昼と夜、一つずつだけ」
目に映る全てに興味を示し、しかし挙動は落ち着いて見えるジェネに私は一つずつ答える。そんな様子が気になるのか、運転手さんがチラチラとバックミラー越しに視線を向けた。
流暢に話すジェネの日本語が不思議なのかな、と思う。時限を越える折には言葉や色々世界にあったものに再構成されるし、私も実際に経験した。
文字は分からないけれど言葉だけでも通じて助かるね。
やがて駅前のデパート正面にタクシーが横付けされた。料金を支払い二人で降りると、ジェネの息を飲む音が聞こえた。
――そりゃ……そうだよ。レーンにもラスメリナにもない風景だから。
地方とはいえそれなりに大きなビルが建ち、何車線かの道路は車が行きかう。大勢の人間がかなりの軽装で――特に若い女性はここの所の気温もあるため割合薄着だ――追い立てられるように早足で過ぎていく。
ジェネは慎重に視線を巡らせて状況を測っているようだった。さすがに軍人というべきか、さりげなく目を配り、観察をする。
しかし私としては通行人がジェネ、そして一緒にいる私へと注目されているのが気恥ずかしくてジェネの手を取ってデパートに入った。
「えーと、紳士服はー……」
確か二階だけど、その前に。
正面カウンターに向かい、受付の人にあることを頼んだ。少々お待ちくださいと受話器を取り上げどこかへと連絡を取り、暫くして。
「お待たせいたしました」
完璧なメイクが施された、パリッとスーツを着こなす女性が颯爽と現れた。
翔の服を選ぶ時、この女性に色々お世話になっているのだ。翔はああ見えてバリバリの営業をしている。社長の一存で出社日数よりも出来高制となっているから、たまの出社でも許されるという……実生活でもデタラメなんだよね。
だからそれなりにキチンとした服を揃えたかったのだけど、翔本人が選ぶと……ゴホン。それで困っていた所、学生時代の友達の姉がこのデパートに勤めているという事で紹介されたのだった。
「根岸さんお久し振りです。お忙しい所すみませんでした」
「いいえ、丁度接客終わった所でしたから」
早速ジェネの服を選んで欲しいとお願いしたら、快く「お任せ下さい。ふふ、やりがいありますわ」とジェネにも笑顔を向けて、こちらへ、と二階へ続くエスカレーターに向かった。
――どこか遠くのほうで「カチョー、もう要りませんてぇぇぇ!」と可愛らしい大声(?)が聞こえたけれど、根岸さんは「嬉しい悲鳴なのですよ」とニッコリ笑って流した。ええ……あ、そ、そうなの。
よく分からないけれどそうなのだろう。こういうのは流した方がいい。私は翔で骨の髄まで学習しているから。
二階紳士服売り場で根岸さんはジェネのサイズを測り、テキパキと色々なお店から服を選んできた。こういうのは流石社員さんだね。
「体格がよろしいですけど、スポーツか何かなさっているんですか?」とジェネは聞かれていたけど、そもそもあちらにスポーツなんてものはない。生か死か。その生を勝ち取る為日夜訓練をしているので……うん、殺伐とした話になるし、第一別世界なんて言っても仕方がない。そんなところです、と私が横から口ぞえした。
またいつこちらに来てもいいように、カジュアルな物からスーツまで。そして下着に靴下にと揃え、今度は一階の靴売り場でジェネの足のサイズを測る。……二十八、九? あまり店頭に並ばないサイズなので根岸さんが靴売り場担当の店子にいい、奥から何箱か運んで来る。スニーカーと革靴と……あとあちらでも履けるような編み上げのブーツ。丈夫なのがウリなのを選んだ。
再び二階の紳士服売り場に戻り、全ての衣服を着用して出てきたジェネは……。
「ショーコ、これでいいか?」
その長身に映える黒のTシャツにカーキのカーゴパンツ。流石デパートの一品だけあり、ジェネの広い背中はシャツの綺麗なラインをもってより一層魅せられる。私の服――七部袖でポートネックのボーダーシャツにデニムの膝丈スカート、そして履き心地重視のミュール――に合わせて選ばれたそれらは、とてもジェネに似合っていた。無表情でスニーカーを履いて試着室から出てきたジェネは、私から見たら随分照れくさそうにしているなと見て取れる。
「うん! とってもカッコイイよ!」
「ほんと、ジェネシズさん素敵ですね。――お願いがあるんですけど、ウチのデパートのモデルになりませんか?」
九割方本気の根岸さんへ丁重にお断りを入れ、多くの荷物を抱えてデパートを後にした。うん、殆どジェネが持ってくれたんだけどね。
「見てみて、あの人超カッコイイ!」
「えー、有名人? モデル?」
雑踏の中、ジェネを見た人達……主に若い女性なんだけど、黄色い声が上がった。背も高く体つきもよく何より顔が非常によろしい為、明らかに一般市民とかけ離れたジェネに群がりつつある。
ふ、と足が止まり、先を行くジェネを見た。それはとても存在感があり、威厳すら感じる立ち居振る舞いで私は気後れしてしまった。
そんな私に、大勢の視線を浴びながら「ほら」と手を差し出す。ジェネにとって本当に私でよかったのかな、と心の片隅で思ったけど、奥の奥に押し込めて差し出されたその手を取った。私よりほんの少し冷たくて、大きくて、ゴツゴツして、じわっと胸が暖かくなる手を。
用は済んだので家に帰る。バス停に行く道すがら少し大きめのドラッグストアに寄った。
「ここは何でも売っているのか?」
「えーと、そうね。クスリや日用雑貨よ」
読めないけれど写真やイラストを見てなんとなく用途を推し量っているようだった。私は目的を果たす為ジェネをそのままにして籠を手に取った。
トイレットペーパーと、ゴミ袋……ああそうだ、ジェネの分の歯ブラシもいるわね。ポイポイッと籠に入れていると、ちょっと離れた所でジェネが何やら男性の店員と話しているのが見えた。二、三会話した後に店の奥の扉へ二人で入って、そして暫くして出てきた。え、え、なんなの?
会計の時に顔を真っ赤にしたその店員さんがレジを叩く。私とジェネを交互に見て、何度か打ち間違いながらも合計金額を伝えた。
「えっ? そんなに高いんですか?」
思ったよりもかなり高い。ついそう聞くと、ジェネが口の端を僅かに上げた。
「追加したからな」
「へっ?」
私が選んだ物とは違うものが、籠の脇に置かれている。見えない色のビニール袋に包まれた―――箱? そして店員の真っ赤な顔……。
「きっ……」
叫びたい所だけど辛うじて飲み込み、体中の血液が沸騰しそうな錯覚に陥りながら言われた金額を出し、そそくさと店を後にした。
――せめてもの救いは、近所の店じゃなかったことだ。